AERA最新号の特集「放射能がくる」について、Twitterでは非常に多くの方々が反論意見を述べておられます。
オルタナティブブログでも、下記のようなエントリーがあります。
・坂本英樹さん「AERA「放射能がくる」特集の意義と価値を考える」
・川上暁生さん「報道のあり方について」
そしてAERAが、謝罪メッセージを出すに至っています。
一連の動きを見て、「いよいよ、マスメディアが世論を形成した時代の終わりが、見えてきた」と感じました。
10年前、一般市民の主な情報入手手段は、テレビや雑誌、新聞等のマスメディアに限られていました。
マスメディアが世論を形成していました。
それは決してよい面だけではなく、マスメディアによって作り出される、大衆迎合的・衆愚的な悪い面も多かったように思います。
一方で現代は、ソーシャルメディアが幅広く普及し、一般市民の中にも浸透してきています。
実際、私自身、今回の災害で頼りにした情報の多くが、ソーシャルメディアからの情報でした。
そしてそれらの情報源は、それなりの見識を持ったアルファ・ブロガーだったり、識者だったりする人達でした。
今回の災害で、そうして得られた情報と、マスメディアが流す情報を照らし合わせてみてみると、どのメディアがどんな意図でニュースにメッセージ性を与えているのか、よく分かりました。
・芸能ネタと同じノリで、煽りメッセージを出す、マスメディア
・情報が未消化のまま、不十分な知識で独自の解釈を流す、マスメディア
・社会的な影響度を考え、分かりにくい部分を分かりやすく伝えようと努力する、マスメディア
ただでさえ、震災や原発事故で人々がナーバスになっています。
この状態で、もし10年前に、AERAのようなステータスが高い雑誌が、今回のような「放射能がくる」という特集を組むと、どうなったでしょうか?
恐らく、社会全体がパニックになったのではないでしょうか?
それこそ疎開する人達が列車や高速道路に殺到したかもしれません。
しかし社会はパニックに陥るどころか、Twitterやブログには、報道姿勢を疑う意見や、中には「二度とこの雑誌は買わない」という意見が溢れています。
今回の災害は、マスメディアが圧倒的な力で日本の世論を左右していた時代の終わりと、ソーシャルメディアによる世論形成の時代の始まりのきっかけを、我が国にもたらしているように思います。
そのような時代、ソーシャルメディアに関わる人達には、人間としての成熟が求められるのではないかと思います。
一ブロガーとして、身が引き締まる思いではあります。
マスメディアの始まりも識者であったことからして、時間(あるいは執筆者の世代交代→過適応)とともに、メディアという物は駄目な情報源に変化していくわけですね。
ソーシャルメディアも最初のうちは識者の声が大きいですが、twitterで既に兆候が見えているとおり、孫引きの横行と過剰反応なところが段々強まって、デマの流れやすいメディアへと推移していくように思えます。
nathanさん、
現在、マスメディアの役割の一部がソーシャルメディアに取って変わられつつあるように、長期的な視点で考えると、ソーシャルメディアの役割の一部も、将来生まれてくるメディアで取って変わられていくと思います。
それはかなり先の話になってくると思います。