日本と欧米コミュニケーションの違いは、”Good question”と言えるかどうか


私は常々、世の中のほとんどの問題はコミュニケーションがうまく行かないことに起因しているように感じています。

コミュニケーションを通じて自分の考えが相手に正しく伝わったり、逆に相手の考えが正しく分かったりすると、多くの問題は解決できるように思います。

ビジネスでも、プライベートな友人関係でも、家庭でも、これは共通です。

日本人同士でもトラブルが起こるのですから、文化的背景が異なる日本人と欧米人の間で起こるコミュニケーションによるトラブルは結構深刻なものがあります。

 

私は外資系企業に二十数年前に入ってから、常に仕事で欧米人とコミュニケーションしてきました。

その経験で、ビジネスで議論を進める際に、日本と欧米の違いについて感じてきたことを書きたいと思います。

 

一般に欧米の人達は、普段はとってもフレンドリーで気さくです。

しかし議論の場になると、まるで人が変わったように、対立した議論を徹底的に行います。

なぜ、彼らは対立する議論を好んで行うのでしょうか?

それは、弁証法的な考え方がベースにあるからです。

弁証法とは、正反対の意見を含めて議論し尽くすことで、新しい価値を生んでいくプロセスです。

よく「正・反・合」で例えられる通り、「正の意見」に「反の意見」をぶつけて、両者を「合せて」新しい価値を生み出します。

つまり、弁証法的な議論で、意見を対立させてぶつけあい、そこから生まれる違いから解決策を見つけるスタイルで進めるのが欧米型の議論です。

 

コンセンサスを重視する日本人からすると、このスタイルにはなかなかついて行けません。

一般的に日本人同士の議論は、対立は避け、お互いの立場を理解しようとし、コンセンサスを生みだすことで議論を進めます。

1500年近く前に「和をもって尊しとなす」と言われた考え方は、日本人の身に染みているのでしょう。

その違いを端的に表すのが、対立意見に対する態度です。

欧米の場合、対立意見は基本的によきことです。

従って、自分の論理で欠けた部分を指摘されると、"good question"と答え、その部分がまだ定まっていないことを受け入れ、相手の論理が正しいと判断すると組み入れます。

日本の場合、コンセンサスを生むことが議論の目的なので、極端な言い方をすると対立意見は基本的に歓迎されません。

従って対立意見が来たら、真っ向からそれを否定したり、無視したり、「空気読め」「もしかして、KY?」と言ったり、と、いろいろな反応をします。

 

この両者、一概にどちらが正しいという訳ではありません。

ただ、議論を収束するスタイルが違うだけです。

しかし、欧米系の議論をする場に、日本的な議論スタイルを持ち込むと、結構トラブルが発生します。

同様に、日本人中心の議論の場に、欧米人が加わって欧米系の議論を持ち込むと、勝手が違うので、欧米人はとてもジレンマとストレスを感じているようです。

最近、ある外国人に言われた次の言葉が、このことを端的に語っています。

「一体全体、お互いに意見を対立しあわずに、日本人はどのように議論を進めて結論を出しているんだ?」

ただ最近、欧米人の間でも、日本人的な議論スタイルを行う人もチラホラ出てきたような気がします。日本型議論を行う必要に迫られた人達が、日本のスタイルを学んだ結果なのかもしれません。

 

いずれにしても、欧米系議論をする必要に迫られたら、まずは対立する意見に対して「good question」といったん受けた上で答えることから始めたいところです。

日本と欧米コミュニケーションの違いは、”Good question”と言えるかどうか」への3件のフィードバック

  1. はじめまして。
    永井さんからみて全然若輩で狭い付き合いの私の意見で大変恐縮なのですが、欧米人、特に米人は「正・反・合」の”合”が欠けているようなイメージがあります。
    どちらかといえばごり押しで反対意見を認めない、そんなタイプが多いような・・・誤りを指摘したりこっちが正しいという結論になると顔真っ赤にしてプイってされたり、そんな経験がいくつかあったのでコメントしてみました。
    また、確かに日本人はすぐにコンセンサスを求め確認しあいたがる人種だと思いますが、だからこそ、消費動向を読み一般受けするヒット商品をプロデユースするセンスが磨かれやすいのでは、と考えます。欧米人ってそういう分析好きだから、もしかしたら日本式スタイルが将来のスタンダートになってたりして(w

  2. のりえさん、
    "good question"だと思います。(笑)
     
    確かに反対意見を認めない米国人、多いです。
    つい最近の電話会議でも、そのような米国人がいました。
    そのような人達には、共通点があるような気がします。
     
    結構、訳アリだったりします。
     
    例えば、
    「どうしてもこの日までにコレを完了させなければいけない」とか
    「誰それに約束してしまった」とか
    他に選択肢が与えられていなかったり、とか。
     
    上からの方針をそのまま受けて、忠実にこなすタイプの人には、この手の方が多いように思います。
    自由裁量権がない、ということなのかもしれません。
     
    一方で、自由裁量権を持っているマネージメントレベルでは、割と「正反合」の生産的な議論を行えるようにも思います。
     
    頑なな米国人に出会ったら、一度、「では、あなたの上司に話してもよいか?」と話されてみてはいかがでしょうか? 日本人だと相手の対面を潰すと思って遠慮しがちですが、米国人の場合は結構あっさりと「私の権限を超えているので、ご自由に」という人が多いように思います。
     
    日本人的スタイルが世界標準になっていく方向性、おっしゃる通りあると思います。
    本文に書きましたように、そんな欧米人も最近増えてきているように感じています。

  3. >永井様
    なるほど。
    なんかあらためて、永井さんのこれまでのキャリアや幅広い人生・世界を窺い知ることができる深いアドバイスですね。ありがとうございます。
    ご指摘の通り私や私の周りはまだまだ自由裁量権がないレベルです。つまり子供ですね。
    多分私はまわりにある”合”の結論の可能性を見落としてるんだ・・・

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