今回の災害を乗り越えた先には、新しい社会が待っているような気がする


経営不振に陥っている組織は、やるべきことは誰にも分かっているのに、なかなかそれが実行できない、という共通点があります。

それを阻むモノは、がんじがらめのルールだったり、グループ間の壁だったり、人々の間の壁だったりします。(「組織の病」といったりします)

例えば1990年代前半に史上最高の赤字を出して倒産の危機にあったIBM。当時、IBM社内にいた私自身の経験でも、やるべきことは皆分かっているのに、社内の様々な壁が、変革を阻んでいました。

大震災前の日本も、そんな状況だったように思います。

日本国が抱える課題や、やるべきことは、誰もが分かっている。

しかしながら、例えば政治は些細なことで貴重な時間を空費していました。外務大臣の前原さんが外国人から5万円の献金を受けたことで辞任したのも、ほんの10日前です。(今や、すごく懐かしい感じがします)

 

1990年代前半のIBMの場合は、外部からCEOとして就任したガースナーが、強力なリーダーシップで、あらゆる社内の壁を取り払い、社内のベクトルをお客様の方向に合せて、お客様から見た「1つのIBM」を作り上げ、業績は急回復しました。

一方で、大震災後の日本。

以前と比べて、事実を事実として捉え、本質的なことが本音で議論され、組織の壁がなくなり、国全体の心が1つになりつつあるような気がするのは、私だけでしょうか?

 

思えば、東京だけを考えても、全体が廃墟になるような災害に幾たびも見舞われてきました。

最近でも、1855年安政江戸地震、1923年関東大震災、1945年東京大空襲。

その度に、東京は立ち上がってきました。

今回の災害を乗り越えた先には、今までやりたくても、様々な見えない壁が阻んでできなかったことが、壁が崩れたことで実現できる、全く新しい社会が待っているような気がします。

そして、それを作るのは、他ならぬ私たちです。

 

一昨日の当ブログでも書きましたが、

「悲観主義は感情に属し、楽観主義は意志に属する」

いたずらに悲観主義にならず、意志の力で楽観的に乗り切り、新しい社会を創っていきたいですね。

 

 

今回の災害を乗り越えた先には、新しい社会が待っているような気がする」への1件のフィードバック

  1. たぶん、ここで今回の被災地に絶大な人気を持っている小沢一郎がきちんと出てくるようにならないと「変ったこと」にはならないように思います。
    彼が多少なまりの混じった声で「がんばるぞ!支援をするぞ!」と言ってくれることで被災地が生き返るように思うんですけど。
    まだまだ、挙国一致ではなく、名前が出てくるのは、総理のお友達の範疇の人たちだけですから。

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