祖母の大往生


先日、100歳になった父方の祖母が他界しました。

 

その日、私は会社で仕事でした。

既にリタイアしている両親や叔父・叔母(祖母の息子や娘)が、連絡を受けて、早朝から見守る中、ゆっくり寝息を立てながら呼吸が少しずつ間が空いていき、昼過ぎに最後に一呼吸した後、再び寝息を立てることはありませんでした。

大往生というのでしょうか?

とても安らかな最期だったそうです。

 

8人の子供をもうけた祖母は、80代後半の頃までは、健康のために田舎の道を一人で長時間散歩したり、新聞記事を隅から隅まで読んで色々と議論したり、と非常に活発な人でした。

「最近、コンピュータウィルスというのが流行っているそうでねえか。孝尚は大丈夫か?」

と心配してくれたこともありました。

 

倒れた後、ここ10年は車いすで、徐々に色々なことを忘れて、ゆっくりと元気がなくなっていきました。

1ヶ月前のゴールデンウィーク中に「容体が悪くなった」との知らせを受けて見舞いに行った際、祖母はまだ意識はあり、私たちが見舞いに来たことを何とか認識しようとし、一生懸命お礼を言おうとしていました。 

 

「人間は、歳を重ねると共に、様々な能力が徐々に失われていくのだ」ということ、そして「人間の命は限りがあるものだ」という当り前のことを、最期に祖母は自分の子供達に、身を以て認識させてくれたようにも思います。

このようにして私がこの世で生を受けているのも、祖母のおかげです。

100年間、本当にありがとうございました。