今月2012年6月の日本経済新聞「私の履歴書」は、物理学者の米沢富美子先生です。
私が慶応大学工学部に入学した翌年の1981年、理学系の学科がいくつか新設されて理工学部になりました。米沢先生はこの時、新設された理工学部物理学科に赴任されました。
私は工学部計測工学科で学んだために米沢先生とは直接の面識はありませんでしたが、「すごく若い女性の教授が来た!」と学内で大きな話題になったことをよく覚えています。
この米沢先生の「私の履歴書」
米沢先生のチャレンジ精神とパワー。何があってもめげず、ネガティブなことは一切考えず、とにかくがむしゃらで前向き。そして明るさ。
読むといつも元気をいただきます。
20代でお子様を3人生み、自力で育てている最中、睡眠時間がますます少なくなって研究する時間が減った時に、ご主人の一言で発憤して世界的な研究を成し遂げた、という話には圧倒されました。
米沢先生のお母様も物理学者を目指していたものの、お母様が学生の頃は女性が理科系に行くこと自体がなかなか許されなかった時代。泣く泣く諦めたそうです。
米沢先生は幼児の頃に数学の問題にとても興味を持ったことから、そのお母様よりものごごろが付いた頃から様々な数学を教えられたとのこと。
持って生まれた天賦の才能に加えて、日々の研鑽、そして楽しみ、障壁があっても諦めなかったからこそ、今の米沢先生があるのですね。
今月は、毎日「私の履歴書」を読むのが楽しみです。