12月20日の日本経済新聞の記事「インタビュー領空侵犯」で、月読寺住職小池龍之介さんのお話しが掲載されていました。
—(以下、引用)—-
「デジタルツールを通じて人と人がつながるといわれますが、それは錯覚です。ネット空間の情報の海の中で誰もが共通して強い関心を抱くものがあります。それは『自分の所在』です。自分が人からどう扱われているか、大事にしたいと思われているか……。すごく気になるのです。皆から認められたいというのは、誰もが抱く気持ちですが、自分あてのメッセージが生存に役立つ情報だと錯覚されています」
(中略)
「返事を早くもらえないと不安になり、不信感や怒りに襲われます。しかも次の反応が来ても前ほどは気持ちよくない。何か足りない感じがして、もっと速く、もっと多く、という循環に入り込みます」
—(以上、引用)—-
まさにネット中毒ですね。
ネットを始めると、ブログのコメントや、Twitterでの反応が、すごく気になったりします。
また、メールの返事がないと、相手も忙しくて返事ができないかもしれないにも関わらず、とても気になることもあります。
そのうち、「ネットを見ている人達からすると、自分はあくまで沢山いるブロガーの中の一人なのだ」、とか、「メールを受け取っている相手も事情があってすぐに返事できない」とか、分かってきます。
小池さんは、さらに本質的な部分への洞察も語っておられます。
—(以下、引用)—-
「ネット空間で本当に売られているものは何だと思いますか? 実は『自分』が商品になっているのです。誰かに見てもらえる。誰かとつながることが商品になっている。つながりが欲しいということは、裏を返せば、みんな寂しいということです。寂しさが商売のネタになっているといえるでしょう。情報ツールと距離を置かないと、人は現実の身体感覚を忘れ、言語だけであれこれ考える“脳内生活”になってしまいます」
—(以上、引用)—-
これは慧眼だと思います。
現在のネットの多くは、消費者の行動を蓄積し、それらのデータから消費者の行動を読み取り、消費者を理解したいと考える企業に(プライバシーへの配慮をした上で)提供することで、ネットへのトラフィックをマネタイズしています。
購買したい商品のクチコミ情報を事前に得られるなど、そのことにより消費者も確かに利便性を得られます。
小池さんも、情報ツールを否定している訳ではなく、「距離を置こう」と提案されています。
たまには、ネットとのスイッチを切ることも、必要ですね。
一方で、以前は旅行中にパソコンがネットに繋がらない状態であればネットからは解放されていましたが、最近はiPhoneを使い始めたことでなかなかネットから解放されることがありません。
いい面も多いのですが、ネットから切れることがほぼなくなったのは、ちょっと微妙なことなのかもしれません。