人間性は恐ろしいほど文章に出る


昨日に引き続き、田坂広志さんの著書『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』を読んでいますが、ブログを書いている人間として、非常に耳の痛い一節に出会いました。

ちょっと長くなりますが、自戒を込めて紹介させていただきます。

—(以下、引用)—

 さて、「個人シンクタンク」が、こうしてパーソナル・メディアを通じてメッセージを発信するようになると、何らかの形で、他の著者の書籍や記事の批評を行う機会が生まれるだろう。
 そのとき、一つ、深く理解しておくべきことがある。

 「批評」においては、その評者の「人間性」が、恐ろしいほどに出る。

 そのことを知っておくべきだろう。

(中略)

 いま、個人サイトやブログに、ときおり見受けられる「鋭利な批評」は、評者がどれほど「冷静で知的な批評」を装っても、感受力のある読者には、それらの文章の奥から、その人物の「人間性」が透けて見える。その「人間性」が、行間から伝わってくる。

 では、その結果、何が起こるか。

 良き読者は、去っていく。

 そして、気がつけば、その個人サイトやブログには、その評者と似た「人間性」の読者が集まってくる。

(中略)

 そして「文章を書くこと」とは、究極、「人間を磨くこと」であり、「人間力を身につけていくこと」であることを、知るべきであろう。

 そして、そのための第一歩は、文章を書くときに、まず、自分の内面を見つめ、そこにある「自己顕示欲」「自己愛」「劣等感」「満たされぬ欲求」を静かに見つめることであろう。

 「文章の力」とは、実は、その透徹した「エゴ・マネージメント」から生まれてくる。

—(以上、引用)—

田坂さんのご指摘の通り、いかに美辞麗句を装っていても、その心の奥底にある気持ちは、極めて正確に文章にあられます。

例えば、初対面の方からのメールで受けた第一印象と実際にその人に会って感じた人物像は、かなりの精度で一致していますし、相手に対する心からの気遣いは個人同士でやり取りするメールからも感じることができます。

このように考えると、「文章を書いてインターネットに掲載する」という行為は、自分の内面を世の中にさらけ出す行為である、とも言える訳で、これは恐ろしいことですね。

だからこそ、昨日のエントリーでも書いた通り、自己の修練に繋がっているのであると思います。

しかし、自分の行動を振り返ってみても、「人間を磨くこと」を語るにはまだまだ未熟と本当に痛感しています。

良き読者の方々が去らないように、精進していきたいと思います。