平野さんが『「米国流」から「世界流」へ』で書かれていますが、この話題、もう少し続けたいと思います。
日下公人さんが『日本は世界を変える「変数」だ』で、下記のように述べていらっしゃいます。
- 日本が変わることで相手が変わるようになってきた
- 日本はもっと主張をすべき。公の場で日本の主張に毒はほとんどない。逆にそれが強み
- 毒がないのだから日本の主張に世界は賛成し歓迎するはず。「聞かないのは勝手だけど幸せになれませんよ」というくらい主張してもいい
- 日本は自ら提案を作り主張すべき。受け身ではなく自分達から発言すべき
- 提案には総論と各論がある。総論には「日本人の心」をそのまま書けばいい。日本で既にやっていることを外国に対して「皆さんもどうですか」と言えばいい。簡単なはず。各論として具体案を示す
「日本は今や、関数ではなく変数なのだ。日本自体が前提条件であって、日本が変わると世界は変わってしまうのだ。だからこそ、日本はもっと主張すべきなのだ」
という意見ですが、これは、今までここで議論してきたコンテキストと関連付けると、
- 日本が関数(前提条件が決まればこうなる) ⇒日本は特殊だから米国流を日本流に変える
- 日本が変数(日本自体が前提条件) ⇒日本流を世界流へ提案していく
ということで、まさにここで議論してきたことと同じ主張ですね。
外資系企業における「日本流 vs 米国流 vs 世界流」の問題は、「日本が世界の中でどうあるべきか」というエッセンスにも関わる問題である、と再認識した次第です。
関連リンク:
「日本流」、「世界流」そして「自分流」
日本流の話が続いていますが、2週間ほど前に日本IBM前社長(現 経済同友会代表