本を書いていて思うのですが、もしパソコンとワープロがなかったら、私が仕事を続けながら本を書くのは、かなり難しかったのではないかと思います。
ワープロが一般化していなかった一昔前、本を書く人(=作家の先生方)は、原稿用紙にペンで原稿を書いていました。
思い起こせば、文章を原稿用紙に書く、というのは、昔は当たり前でした。でも、いきなり原稿用紙に書くのはなかなか難しいのですよね。
私も小学生の時は、国語の作文の時間に、原稿用紙に向かって鉛筆で書いていました。
私は、大学4年生の卒業論文も手書きでした。工学部だったので原稿用紙ではなくレポート用紙に書きましたが、これも何回か下書きし、骨子と細部を決めてから清書しました。今は死語となっている「清書」というプロセスが、文章を仕上げる最後に必ずあったのですよね。
考えてみると、ついこの前まで、長い文章を書くというだけで、かなり大変な作業だったのですね。
パソコンで日本語が使えるようになったのが1980年代前半。
私は1984年に新卒で日本IBMに入社しました。当時日本IBMは、「マルチステーション5550」という製品を出していました。いわゆる業務用パソコンです。CPUは8086 (8MHz)で、メモリーは通常で256KB(MBではありません)、ハードディスクなしフロッピーディスク駆動という仕様でしたが、1台100万円以上しました。高価なので、当時でも会社では数人に1台しか割り当てがありませんでした。
私はこの時に初めて「ワープロ」というものを体験したのですが、大きな衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。
何がすごいって、「書き直し不要で、清書しなくてよい!」ということ。
考えながら書いて、いったん書いた文章を自由に修正したり、文章丸ごと場所を入れ替えることができる、という現在の私たちが当たり前にやっていることが、当時、手書きで文章を書く経験しかなかった自分にとっては衝撃でした。
ワープロは、「文章制作ソフト」ではありますが、同時に「思考支援ツール」でもある、と思いました。
考えてみると、昔本を書いていた作家の先生方は、構想を立てた後は、最初から原稿用紙にスラスラと文章を書いていた方が多いようです。中には1日で原稿用紙数十枚も継続的に書く流行作家もいました。公開されている昔の作家の方々の原稿用紙を見ると、確かに手直しもしていますが、構成を大きく変えるほどではありません。
ストーリーを構成できる構成力と、それをそのまま文章にできる力があったからこそ、このようなことが可能なのですね。
ですので、ワープロがなかった一昔前までは、本を書く能力というのは、かなり特殊な技能だったのではないかと思います。
今の私は、文章化する前の段階のアイデアこそ紙に手書きで図を書くこともありますが、ほとんどの場合は大まかな文章をテキストエディターでドラフトしてから細かく何回も修正する、というスタイルで書いています。ワープロ(あるいはテキストエディター)がなかったら、たぶん文章はほとんど書けません。
また、ノートパソコンのおかげで、電車の中や外出先などでも、割とスムーズに文章を書くことができます。ブログや過去書いた文章なども、簡単に探し出して再利用できるのもありがたいですね。
一昔前だったら日常的に勤務先の仕事以外では文章を書く機会はほとんどなかったであろう私のようなビジネスパーソンが、ブログを書いたり本を書いたりできるのも、ITのおかげです。
ありがたい時代だと改めて思います。