19世紀にフォトグラフィー(photography)が日本にやってきた時、日本人は、「真実を写す」という意味の「写真」という言葉を当てました。
しかし、フォトグラフィー(photography)をあえて直訳すると、「光の画」。
16世紀頃にカメラ・オブスクラという部屋全体が巨大なピンホールカメラのような状態で、風景を壁に投影してこれにあわせて絵を描いていたりしました。
始まりは、絵だったのですね。
19世紀になって、感光剤でこの画像を定着させるようにしたのが、フォトグフィー(photography)の始まりです。
その後150年間以上、写真の撮影手段の主流であった感光剤(フィルム)ですが、最近、急速にデジカメにとって変わられようとしています。
このような時代背景の中、2011/01/29の日本経済新聞の記事「写真とは何か問う――40代が実験的な作品、表現の可能性模索」で、写真家たちが次代の「写真」を模索している動きを紹介しています。
—(以下、引用)—
幕末に渡来したフォトグラフィーが「写真」と訳されて以来、日本では「今も写真が真実を写すものと信じる人が多いのではないか」とホンマは話す。写真を取り入れる現代美術も珍しくなくなったが、おしなべて写真はノンフィクションとみられている。「しかし今はデジタルで写真を撮り、加工することが当たり前になった。写真が“光の画”という意味だったことを考えれば、それが健全なありようではないか」と問いかける。
—(以上、引用)—
このように改めて考えると、デジタル写真が主流になることで、写真は本来の「光の画」に回帰しつつあるのかもしれません。