既に古い話題になりましたが、ダボス会議で菅首相が講演しました。
このダボス会議では、様々な国の国家元首がスピーチをしますが、「ワールドクラスのリーダーかどうか?」というところが見られるそうです。
BS11『藤沢久美のJUST in!』で、このダボス会議に参加された藤沢久美さんが「ダボス会議に学ぶ 国家元首スピーチの見方・聴き方」を述べておられます。(3分程度の動画です)
この番組で藤沢さんも語っておられますが、ダボス会議での菅さんの講演は大変好評だったようです。
藤沢さんがダボス会議参加中につぶやかれたTwitterをチェックして知ったのですが、菅さんのスピーチを聴いたある国家元首は、「菅さんのスマイルはpolitical weapon(政治的兵器)だ」という人もいたようです。
自国で人気が今一つのリーダーが海外で評価が高い、ということはよくあるそうです。逆のケースも多いのでしょう。
藤沢さんも番組で述べられているように「国内のスピーチと海外のスピーチでは、評価軸が違う」ということのようです。
スピーチのダイジェストは、内閣広報室がアップしたYouTubeの動画「第15話【外交】 ダボスに響いた「開国と絆」 」で見ることができます。残念なことに埋め込みコードが取れないようになっているので、興味がある方は上記リンクでご覧下さい。
厚生労働省は2011年1月26日、経済連携協定(EPA)のもとでインドネシアとフィリピンから受け入れた外国人看護師のうち3人が、日本の看護士国家試験に合格したと発表した。
合格したのはインドネシア人2人とフィリピン人1人で、受け入れ事業が始まってから初の合格者となった。しかし残りの251人は不合格となった。全員が母国ですでに看護師の資格を持っているので、日本語が壁になったとみられる。同じ試験を受けた日本人受験者の合格率は約90%だった。
我々日本人は、英語を通して世界中の人々に理解されている。
かな・漢字を通して理解を得ているわけではない。
我が国の開国は、英語を通して日本人が世界の人々から理解してもらえるかの努力に他ならない。
我が国民のメンタリティを変えることなく、ただ、法律だけを変えて交流したのでは、実質的な開国の効果は得られない。
鎖国日本に開かれた唯一の窓ともいうべき英語を無視すると、我が国の開国も国際交流もはかばかしくは進展しない。
この基本方針にしたがって、我々は耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んで、万世のために太平を開く必要がある。
英米人は、「我々は、どこから来たか」「我々は、何者であるか」「我々は、どこに行くか」といった考え方をする。
我々日本人にしてみれば、奇妙な考え方であるが、彼らにしてみれば当然の考え方になる。
それは、英語には時制というものがあって、構文は、過去時制、現在時制、未来時制に分かれているからである。
3時制の構文は考えの枠組みのようなものとなっていて、その内容は白紙の状態にある。
その穴埋め作業に相当するものが、思索の過程である。
ところが、日本語には時制というものがない。
時制のない脳裏には、刹那は永遠のように見えている。
だから、構文の内容は、「今、ここ」オンリーになる。新天地に移住する意思はない。
思索の過程がなく能天気であるので、未来には筋道がなく不安ばかりが存在する。
TPPの内容に、行き着く先の理想と希望が見出せないので改革の力が出ない。
必要なものは自分で手に入れるのが大人の態度である。
だのに日本人には意思がない。それで、意思決定はできない。無為無策でいる。
常に子供じみた他力本願・神頼みとなる。
意思がなければ、意思疎通もはかどらない。それで、察しを遣う。
だから、日本人の独りよがり・勝手な解釈は避けられない。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
だから、我々日本人は、自重に自重を重ねて、常に事態を静観する必要に迫られていた。
我々は、変わらなくてはならない。
http://koshin.blog.ocn.ne.jp/koshinblog/2011/02/nago_7890.html