長く生きているとどうしてもウソを言わざるを得ない状況にも出会いますが、私はこのような状況でも、どうしてもウソをつけません。
まぁ多くの人がそうだと思いますし、「ウソをつくのが大好き」という人はあまりいないでしょうけれども。
■ ■ ■ ■
一方で、非常に稀ですが、世の中には平気でウソをつける人もいます。
ただ、よく観察してみるとこのような人達の行動にも一貫性があるようです。
「絶対、相手を傷つけたくない」とか「とにかく相手に自分をよく思われたい」という絶対基準が自分の中にあり、これを守るために結果的にウソをつく、という人もいるようです。(これが全てではなく、他のタイプもいると思いますが)
このような人達は、ウソをついたこと対して全く罪悪感がなく、むしろ「自分は敢えてウソをついてまで相手を傷つけなかった」という自己犠牲の気持ちを持っていることも多いようです。ある意味、他人と対立できないすごく優しい人達なのかもしれませんが、その場その場で相手によく聞こえるウソをついているので、他の当事者と情報を照らし合わせるとすぐにウソが分かってしまいます。
ウソをつくと、そのウソを裏付けるためにまたウソをつく。そのウソをさらにウソで上塗りし、上塗りしたウソを守るためにまたウソをつくことになります。そのうち、どれが本当なのか自分でも分からなくなってします。
■ ■ ■ ■
実は企業も同様で、「大切なお客様や株主、従業員に、とにかくよく思われたいし、守りたい」と近視眼的に考え、不祥事が起こることが多いような気がします。
このような不祥事で、お客様や株主、従業員が振り回されたり、ウソをついた当事者が自己犠牲の気持ちを持っていたりするのも、個人と同様です。情報を照らし合わせるとすぐにウソがばれたり、ウソをウソで上塗りして実際にどれが本当なのか分からなくなってしまうのも似ているような気がします。
このようなことを思いながら、ITmediaの記事「ブログ時代の“うわさ”対応広報術」を読みましたが、非常に共感しました。
- 「広告であることを隠さず、透明性を保つことや、他媒体にない貴重な情報を提供すること、ユーザーからの反応には迅速に対応すること」
- 「消費者を尊重し、信頼を裏切らない姿勢」
これは、現代の企業にとって極めて大切な姿勢になっていると思います。
■ ■ ■ ■
考えてみると、我々が個人として他人と接する場合には、相手を尊重し自分を偽らず信頼を裏切らないように行動する訳で、「ブログ時代の広報対応術」とは、企業が極めて常識的な行動倫理が求められているということに他ならないのではないでしょうか?
迅速な対応が必要となるのは企業にとっては大きな負担ですが、正直者であることがバカを見ない世の中になってきた、ということは非常に素晴らしいことだと思います。
ウソを見抜く10通りの方法
「平気でウソをつける人」という話が永井さんのエントリーで出たので、ちょっと絡め