ロイター通信のレバノン人契約カメラマンが、イスラエル軍によるレバノン空爆の写真2点をパソコンで修正・変造したというニュースがありました。
実際に加工前と加工後の写真を見ると、明らかにスタンプツールを使って加工しており、小さい写真でも煙がより多く立ち上がっているように見せているのが分かります。写真への加工という点では、あまり高度な技術ではありません。
想像ですが、恐らくレバノンの被害をより強烈に世界に伝えたい、という動機があったのではないでしょうか?
考えてみると、デジタル写真出現以前でも、赤色フィルター+増感現像にコントラストの強い印画紙を組み合わせてハイコントラストな写真に仕上げたり、覆い焼きで周辺を焼き込んだりして、印象を強める作業は、表現手段の一環として普通に行われてきました。
芸術とは常に現状を打破して発展してきたものなので、芸術の表現形態として様々な形で写真を加工すること自体は責められるべきではないと思います。
しかし、実際に存在しているモノを追加・削除・又は変更することで、写真を見る人に異なる印象を与えることを目的とした場合は、もはや今までの写真という概念では括れないのではないでしょうか?
今回の件は、言うまでもなく真実を伝える義務を持っているジャーナリストとしての行動が問われています。報道写真の場合は、写真を見る方々は、真実が加工されずに写されていることを前提に見ている訳で、このような状況での被写体への加工は読者の信頼を損ねる行為であり、許されるべきものではないと思います。
尚、私が撮影する写真はジャーナリズムのような硬派な写真ではなくアート系の写真ですが、写真への加工は銀塩写真で可能だった覆い焼きや若干の色調調整程度に留め、被写体そのものに対する変更は行うべきではない、という立場で写真を撮っています。
んなもん、辛口批評と言いつつ実態は単なる誹謗中傷に過ぎないアナウンサーが人気を得た時点で、マスコミのジャーナリズム性なんて、とっくに死んでますって。
阪神淡路大震災では「想像を絶するほど悲惨な光景が繰り広げられている」というニュースを、「火山島の日本に大地震が来るのは当然」「このくらいは想像の範囲だよな」「こいつら小中の理科の授業で何を勉強してたんだよ。」「アナウンサーって小学生レベルの科学知識で務まるのか。ホントお気楽な商売だね。」と思いながら見てました。
TVのニュース番組なんかじゃBGMを使うのが当然と言わんばかりです。凄惨な光景ではそのイメージを助長するBGMをかけ、アナウンサーは「なんて酷いことを。こんな酷いことを同じ人間がするなんて信じられない。」というふうなコメントをして、視聴者の考えを誘導する。「なんて酷いことを」と言われてるのに、「それが人間というものだよ」「人間は自分と自分の家族の生きる権利を踏み躙る行為に対しては、どんなことをしてでもそれを守ろうとするだろう」「それが分からないのは、常に踏み躙る側にいる人間くらいのものだ」と、人間を冷静に分析するのはなかなかに難しいものです。
シリーズ:ロイター通信の”捏造”写真を暴け! part2
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