あなたは、買った住宅や家がズルズルと値段を下げている場合、損が出るのを承知でスパっと売却するタイプですか? 又は、「今売ると損が出るし、いつか上がるから、しばらく持っておこう」と判断を保留するタイプですか?
よくある状況ですが、このような場合に人間はどのように反応するかということは実は研究対象になっていて、「プロスペクト理論」という名前が付いています。
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例を挙げて考えてみましょう。
例1: 報酬をもらうことになりました。Aは確実に800万円もらえます。Bは1000万円もらえますが、くじ引きにより15%の可能性でゼロになります。あなたはどちらを選びますか?
例2: お金を支払うことになりました。Cは800万円必ず支払うことになります。Dは1000万円支払いますが、クジ引きにより15%の確率で支払わないですみます。あなたはどちらを選びますか?
調査によれば例1では全体の72%がAを選び、例2では78%がDを選んだそうです。
実は、期待収益(又は期待損失)を計算すると、Aは+800万円、Bは+850万円、Cは-800万円、Dは-850万円です。合理的に判断すると、例1ではBの方が得で、例2ではCの方がより少ない損失に抑えられます。つまり全体の3/4の人は、合理的な判断を行っていないことが分かります。
ここから分かることは、人は何かを得る際にはリスクを嫌い、何かを失う場合にはリスクを取る傾向にある、ということです。
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売り手と買い手の力関係で、一般的に買い手有利になるのも、これが一つの理由となっています。
人はものを「買う」(お金を失う)場合はリスクを取るようになり、例え値段が上下する状況でも時間をかけて積極的な交渉をして大きな値引きを勝ち取ろうとします。
一方で売り手(お金を得る)の場合はリスクを回避するようになり、将来的に値段が上下する可能性があってもなるべく現在の価格で交渉をまとめようとします。
同様に、企業が利益が上がっていない事業からなかなか撤退できないのも、同じ心理が働いている要因が大きいのです。
プロモーション戦略や撤退戦略を立てる際、このことを理解しておくと非常に役立ちます。
冒頭の投資などで損切り出来ないのも同じ理屈です。
「認知的不協和」を紹介したこちらのエントリーで述べましたように、首尾一貫して「自分は正しい」と思いたい人間の性質はここでも出ています。
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マクロ経済学では、個々の人間は合理的判断を行う存在、という前提で理論が構成されてきました。しかし近年、これが見直されてきています。経済学や経営の世界に心理学が入ってきたのも、必然かもしれません。
ところで、株式投資で大きな評価損を出している株を抱えていて、売却すべきかどうか悩んでいる場合、よく言われるのは「今、その株を持っていない状況で、新たに現在の価格でその株を買うとして、私は買うかどうか?」という基準があります。これは、我々がプロスペクト理論の呪縛から逃れる一つの方法でもあります。
ちなみに、冒頭の質問ですが、かくいう私も前者のケースが多く、75%の中に分類されるようです。
合理的=理にかなっている、という意味では、必ずしも「期待値を最優先すること」が合理的というわけではないでしょう。宝くじを買う人は非合理かというと、買わなければ絶対に当たらないけれど、1枚でも買えば何百万分の1の確率でお金持ちになれる可能性があるわけです。(私は「グループ買い」は非合理だと思っていますが) 生命保険なども同じですよね。ムダ金かもしれないけれど、“いざ”というときのリスクを減らせるという合理性があります。その意味では、あまり「人が合理的判断を行わない」例にふさわしくない気がします。
ちなみに、私もA、Cを選びます。しかし、「800円」対「1000円&15%」が頻繁に発生するなら後者でしょう。十分な回数の機会があれば「期待値」が意味を持つからです。
期待値に惑わされて「収入がゼロになるリスク」を取るのは「合理的」ではないのではないかと思いますが…
期待値はあくまでひとつの判断基準にすぎません。恐らく同じ例であっても金額が変われば回答の比率も変化すると思います。何故ならリスクの大きさが変わるからで、そうであるならば皆ちゃんと期待値とリスクとを天秤にかけるという「合理的な」判断をしているということになるのではないでしょうか。
mohnoさん、コメントありがとうございました。
おっしゃる通り、マクロとミクロでは視点が異なりますね。
挙げられていた例ですが、宝くじは例1のBに該当し、生命保険は例2のCに該当するように思います。この点も興味深いですね。
ちなみに、私は宝くじは買わないのですが、保険にはいろいろ入っています。
たけぽんさん、コメントありがとうございました。
確かにご指摘の通りで、(A)1%の確率で全財産没収か、(B)100%の確率で全財産の1%を没収のどちらかを選べ、という状況、期待値は同じですが、自分に置き換えて考えると(A)を選ぶのはちょっと躊躇しますね。
つまり、マクロ的には同じ意味なのが、ミクロ的には違う感覚で捉えられるということなのではないでしょうか? 企業側ではマクロの視点が基準であり、個人側ではミクロの視点が基準なので、このようなことが起こるのだと思います。保険という制度が成立するのも、この理由なのでしょうね。
お邪魔します。
>75%の人は、合理的に損得勘定できない
むしろそれの典型は「振り込め詐欺」ではないで
しょうか。話を聞けば「どうしてそれで(身内の誰
かが連帯保証人や事件・事故の加害者等になった
等)お金を振り込むのか」理解できない事例が大部
分だと思います。それでも多くの報道や警告がある
にもかかわらず被害が後を絶ちません。それと「警
察に捕まるかも知れない」「事故を起こすかもしれ
ない」と思って飲酒運転する人はいないでしょう。
5/17のNHK「ためしてガッテン」で「人は自分で
思っている程"理性"では動いていない。"本
能"や"感情"で動いている。」と言っていました。
ブロガー(志望)さん、
コメントくださり、ありがとうございました。
確かに、「大切なものは失いたくない」という気持ちは人間の心の根源的なものですね。おっしゃる通り、この部分は合理性だけで割り切れない部分と思います。
> 75%の人は、合理的に損得勘定できない
“この件”と「振り込め詐欺」とは別でしょう。振り込め詐欺の被害者は、巧妙に仕組まれた罠によって理性的な判断ができない状態に追い込まれて被害に合うわけですが、この調査は理性的な状況にある人を対象にしたものですよね。
コメントしたとおり、期待値だけで人々の合理性を計ることはできないでしょうし、これがマクロとミクロの視点の違いだというのも、私にはわからないです。
mohnoさん、コメントありがとうございました。
>>十分な回数の機会があれば「期待値」が意味を持つからです。
というご指摘、見方を変えると、ミクロとマクロの視点を与えているように思います。
私にはわからないので、どなたかわかる人がいらっしゃったらご説明いただけると嬉しいです。