「人口減少経済」、日本人の考え方の大転換が必要か!?

『「人口減少経済」の新しい公式』(松谷明彦著、日経ビジネス人文庫)を読了しました。

本書は2004年に書かれたものを加筆し、文庫本化されたものです。

5年前に出版された本ということですね。

以前、「確実に未来を予測できる数少ない要因」で書いたように、人口統計は未来を確実に予測できる数少ない要因です。

各年代に生まれた人間の数は変わりません。

いきなり「40歳」の人間は生まれてきません。当り前ですね。

本書では、その人口統計を豊富なデータを元に分析した結果、「人口減少経済」への対応は、日本全体で考え方の大きなパラダイム転換が必要である、と提唱しています。

「人口減少による影響は大きいだろう」とは思っていましたが、この本を読んで、今までの認識がまだまだ浅かったことを痛感しました。

同時に、「人口が減少しても、経済成長路線を維持するのだ」という巷で言われている主張についても、危うさを感じました。

本書では、日本は「成長増大」という考え方から、「付加価値増大」という考え方にシフトしていくことが必要だと述べています。

以下、引用します。

—(以下、p.39より引用)—-

…日本人の人口は2030年には1億790万人と、2000年に比べて1760万人、14.0%減少し、2050年には8480万人と、同4070万人、32.4%も減少する。1950年の人口は8280万人であった。半世紀で5割以上の増加であり、先進国としては異例の速度の人口増加を経験したが、これからの半世紀でほぼ同数の人口減少を経験する。

—(以上、引用)—-

今後50年間は、戦後の高度経済成長の50年間とは全く異なった状況になるということです。

また詳細は割愛しますが、

・今後30年間で、国民総労働時間は2/3に減少する
・外国人労働者の受け入れも、問題の先送りに過ぎず根本的な解決になっていない
・省力化投資も、過大投資を産み、成長力低下を招いている

等とも述べられています。(詳細にご興味がある方は、本書を参照下さい)

そして、

—(以下、p.78-79より引用)—-

これまでの日本経済においては労働力と需要は上昇の一途であったが、これからは低下する一方であり、現在の日本経済は山の頂上付近にいるというわけである。(永井注:「現在」とは、本書が出版された2004年)

しかし「人口減少経済」になると状況は一変する。企業が新規投資を控えて生産能力を一定の水準に保ったとしても、需要が傾向的に縮小するから遊休設備は増える一方であり、…需給ギャップは時間とともに拡大する。同時に労働力も縮小するから、稼働できる生産設備の水準は年々低下する。….したがって「人口減少経済」においては、需要と労働力の縮小に見合う形で生産能力が低下しなければならない。

—(以上、引用)—-

40兆円あった需給ギャップは、現在、政府の各種施策で35兆円に減りましたが、これからも需要はゆるやかに減っていきます。

官による需要向上策は限界があります。

需要を刺激する施策よりも、痛みを和らげながら供給を下げる施策が求められているのかもしれません。

これについても、本書は以下のように述べています。

—(以下、p.87より引用)—-

「人口縮小経済」にあっては、需要が縮小基調となるから企業の売上高も縮小し、仮に利益率が変わらなくとも企業利益の額は縮小する。しかし、企業利益を確保しようとして賃金を抑制することはいっそうの企業利益の縮小につながる。…..目標とすべきは企業利益そのものではなく、企業利益と賃金の合計である付加価値であり、売上に対する付加価値の向上である。

—(以上、引用)—-

つまり、賃金抑制は需要縮小を生み、その結果、さらなる売上減少と利益減少を生むので、「売上増大」を追わず、「利益+人件費」という「付加価値増大」を目指すべきである、と述べています。

確かに「成長戦略」よりも「付加価値増大戦略」の方が現実的かもしれません。

そして、本書では「人口減少経済」におけるあるべき企業経営についても述べています。

—(以下、p.107-108より引用)—-

しかし今後は、まず生産量を適正水準まで縮小させ、さらに労働力縮小に応じて生産量の縮小を続けなければならない。そうでなければ経済成長率は筆者の予測よりもさらに低くなる。….企業は最適資本装備率を目標に行動するという経済学の枠組みが前提とされているからである。…

…今後の企業経営において心掛けるべきことは、「適正な生産量」「効率的な生産」「適正な賃金水準」の三つである。それらを守る限り「人口減少経済」は少しも恐くない。そして同時に企業がそれを守ることが国民所得を最大とし、国民生活を引き続き豊かなものとする。

 人口減少下において経済成長を追究するのは愚かなことと言わざるを得ないが、国民所得の最大化は目標とされなければならない。

—(以上、引用)—-

 

現在、国会などで少子化対策等について議論されています。

少子化対策も極めて重要なことですが、議論が「少子化をいかに食い止めるか」という段階で思考停止している感もあります。

仮に少子化対策が成功したとしても、人口減少傾向は今後数十年間、変わりません。

その効果が出てくるのはずっと先です。

それにも関わらず、必ずやってくる人口減少経済における日本のあり方に関して、本書に書かれたような議論は、ほとんど聞かれません。

需要を増やすための景気刺激策等で予算はバラまかれ、国や地方の借金は増大する一方ですが、将来借金を返せる国民の数は年々減る一方です。

確かに「物から人へ」という政策転換は必須ですが、それ以上にかなり思い切ったことをやっていく必要があるのではないでしょうか?

 

本書が上梓されてから既に5年が経過しています。

現在、人口減少経済において、我々は何を目指していくのか、国民的コンセンサスが求められている時期に差し掛かっていると思います。

あるいは、否応なく進む人口減少経済は、望むと望まざるとに関わらずその現実を私たちに突きつけてくるのかもしれません。

その際に、いかに痛みを和らげるべきなのか…政策担当者や企業経営者だけではなく、人口減少経済に生きる私たち個人個人に対しても、本書は様々なことを提言しています。

 

本書を読んで、色々と感じられる方もおられると思います。

「いや、それでも、日本の将来には成長戦略は必要だ」と考えになる方もおられると思います。

様々な意見で議論をし、今後のあるべき姿を考えていくことが、今後の日本を考えていく出発点なのかもしれません。

その出発点として、本書は大きな価値があると思います。

 

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クラウド的エコ発想で実現する低炭素社会

前回書いた講演で考えたことですが、…..。

世の中、よく見てみると、実は結構ムダがあります。

 

例えば、あまり使っていない自家用車。

私の場合、月に1-2回、年間3000Km程度しか走っていませんでした。そこで今年の年初に車を売りました。

現在車がない生活に入って9ヶ月目ですが、全く不自由していません。一回だけ旅行に行くために1泊2日でレンターカーを17,000円で借りました。

ちなみに借りたのはホンダのフィットでしたが、川崎から箱根までの往復ガソリン代2000円でした。新型なので、10年前の私の車(2リッター)と比べてもすごくよくキビキビと走るし、燃費は半分以下だし、室内も結構広いし、格段に進歩していることを実感しました。

「車を高頻度で使いたい」という方のために、最近はカーシェアリングが流行っています。

マンションなどである程度以上の数の世帯が集まると、車を時間貸しで共用する仕組みです。

ケータイなどで予約し、個人認証をすることで車が使えるようになります。

車の利用率は劇的に向上するので、世の中のムダは大きく省けます。当然ですが、最新型の車に乗れるので最新技術の恩恵にあずかれます。

 

このような、シェアリングでムダを省くという発想、最近普及しつつあるように思います。

 

考えてみると、クラウドも、このエコ的な発想で大きくムダを省いています。

具体的には、「仮想化」「標準化」「自動化」等の技術的要素で、IT資源を大規模に共有することで、個々にIT資源を持つムダを省くことができます。

この「大規模に共有することで、個々に持つ場合と比べて大きくムダを省く」というクラウド的エコな発想、最新技術を活用すれば、様々な分野で実現することが可能だと思います。

「モッタイナイ」という世界に誇るべき文化を持っている日本こそ、知恵を出し合って色々な方法を考えて、世界に発信していくことが可能なのではないでしょうか?

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2009-09-14 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

国民は、民主党の政策を選んだのではない

本日の選挙の結果について、TV各局で報道されています。

まだ最終結果は出ていませんが、民主党が政権を取るのは確実です。

しかし、日本国民が選んだのはあくまで「政権交代」であり、民主党の政策を支持した訳ではないと思います。

奇しくも、民主党が今回の選挙でスローガンに掲げた「政権交代」そのものは、政策ではありません。民主党が勝利することに伴う結果です。

自民党は50年以上政権を取ってきました。(途中、日本新党代表だった細川護煕氏が首相になったこともありましたが)

そして、様々な部分で日本全体の仕組みが制度疲労を起こしています。

日本国民が選んだのは、「政権交代」によってこれを一回変えることであり、これが69.5%という小選挙区制になってから最も高い投票率に反映しているのではないでしょうか?

前回衆院選で小泉さんが「郵政選挙」と定義して勝利したのと同様、時流に合わせた「政権交代」というアジェンダを設定できたからこそ、民主党は勝利できたのでしょう。

これから日本は、必ず変わります。

それはいい方向かもしれませんし、悪い方向かもしれません。あくまで相対的なもので、様々な次元があるので、一概には言えないかもしれません。

しかし、日本国民は、自民党と民主党の政策を比較して選んだのではない、ということは、今後、私達は、しっかり押さえておく必要があるように思います。

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2009-08-31 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「図解・資本論」

お恥ずかしいことに、実は私、この歳まで資本論を読んだことがありませんでした。

難解で分量も多く、なかなか取っつきにくいことが大きな理由でした。

そこで出会ったのが、この「図解・資本論」

難解な資本論を、図解で非常に分かりやすく説明しています。1時間も集中すれば、読了可能です。

なるほど、マルクスの頃の社会の状況と現代は、本質的なところでは問題点は同じなのだな、と納得です。

この本は、「原著:マルクス 編著:久恒啓一 編集協力:多摩大・図解アルチザン」となっています。

編者の久恒先生は、現在多摩大学の教授で、学長室長でもあります。

久恒先生と言えば、図解の大家。非常に多くの図解に関する本を上梓されておられます。

実はこの本、多摩大学大学院・同窓会幹事をやっている関係で、2ヶ月ほど前に久恒先生とお打合せをした際に、久恒先生ご自身から「こんな本を出す予定なんだ」と紹介いただきました。

この本は、多摩大学大学院で久恒先生の講義「実践知識経営」を受講した社会人大学院生10名が中心になって、1ヶ月間という猛スピードで一気に完成したそうです。

「多摩大・図解アルチザン」とはこのメンバーのことです。ちなみにアルチザンとは職人とか匠という意味です。

久恒先生いわく、

「仕組みを作ったので、この本を作るのはとっても簡単だった。大学院は、このようなアウトプットを出してこそ、意味がある。今後も継続したい」

詳しくは、久恒先生のブログに書かれています。

ちなみに久恒先生のブログは1700日連続で書いておられるそうで、松井秀喜の連続出場記録1768試合を破ることが目標だそうです。(間もなくこの目標は達成されると思いますので、次は衣笠祥雄の2215試合連続?)

2009-07-07 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

自分に見えないモノは、見えない

….見えないから、存在には気がつかない。

存在には気がつかないから、自分の見える世界が全てだと思う。

自分の見える世界だけで判断してしまうので、自分が見えない他者の価値観や行動は理解できない。

そして自分が見える世界だけの価値観に基づいて、他者に接してしまう。

知らない間に傲慢になってくる。

田坂広志先生曰く、

プロフェッショナルの世界には、怖い格言がある。
『下段者には、上段者の力が分からない』

だから謙虚であり続けなければいけない。

常に心に銘じたい。

2009-06-24 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

米国のインフルエンザ年間死者数、36,000人

ただし、これは新型インフルエンザではなく、通常の季節性インフルエンザの実態です。くわしくはここ。全世界では推定死者数25-50万人に達するそうです。

日本でも毎年1,000名程度の方が通常のインフルエンザで亡くなっています。また、高齢の方がインフルエンザが原因で亡くなったりすることがありますが、この「超過死亡」も入れると毎年1万人が亡くなっています。

しかし、過去、このような数字が大々的にマスコミで報道され、大騒ぎになったことはありません。

ちなみに、平成15年の数字ですが、日本におけるガンによる死亡が年間31万人。

心疾患は、16万人。

脳血管疾患は、12万人。

肺炎が、95,000人。

年間自殺者数は、32,000人。

現在流行が懸念されている新型インフルエンザは弱毒性であり、強毒性のH5N1型の鳥インフルエンザに比べると影響ははるかに小さいことが分かっています。

実際、当初、メキシコの死者数は150名を越えると報道されていましたが、いつの間にか約20名になっています。当初の150名の大多数は別の疾病が主な死因であることが分かりました。(国内感染の疑いがある事例が出るたびに報道されるにも関わらず、メキシコの死者数修正の経緯がマスコミであまり詳しく報道されないのは、不思議です)

関係各位の必死のご努力で、水際対策で何とか日本での感染を食い止めています。しかし数十ヶ国で感染者が発生している現在、日本での感染発生は早晩避けられないでしょう。

そして通常インフルエンザ同様、体力が弱い方々が犠牲になることもあると思います。

今後、日本で感染者が出て、さらに死者が出る状況になると、マスコミの報道はさらにエスカレートすることでしょう。

前回も書きましたが、マスコミの過熱報道に左右されず、いたずらに大騒ぎするのは慎みたいものです。

そして、今回の新型インフルエンザの経験は、一過性のものとせずに、発生が懸念されているH5N1型鳥インフルエンザの「予行演習」として活かしたいところです。

そして、その「予行演習」としての経験を今後に活かすのは、他ならぬ私達一人一人なのでしょう。

2009-05-03 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

新型インフルエンザ、過熱する報道から一歩引いて、冷静に考えよう

本日(4/30)の日本経済新聞に、WHO(世界保健機関)の田代真人さんのインタビューが掲載されています。

田代さんはインフルエンザの専門家で、WHOの緊急委員会に参加した唯一の日本人です。WHOのインフルエンザ協力センター長も務めておられます。

恐らく田代さんは、立場上新型インフルエンザ(本エントリーでは、今回の豚インフルエンザのことを新型インフルエンザと呼びます)について一番実態を知っている日本人の一人ではないでしょうか?

フェーズ5に移行する等もあって過熱する報道とは異なり、実態を知る専門家の意見として、この話は傾聴すべきだと思います。一部、記事より引用します。

—(以下、引用)—

「ウイルスの毒性は通常の人間のインフルエンザウイルスと同程度で、弱毒性だ。このウイルスが強毒性に変異する可能性はないとみている。ただ従来のH1N1型とは違う新型インフルエンザだと認識している。既知のH1N1型に感染したことがある人でも免疫がないので、感染が広がりやすい」

―弱毒性にもかかわらず、メキシコで多数の死者が出ている。

「死因だと確認できたのは一部でしかない。未確認の感染者がかなりいて、死者数を感染者数で割った致死率は相当低いはずだ。メキシコだけで強毒性のインフルエンザが発生しているわけではない。米国などで発生しているウイルスと同一だ」

「弱毒性でも世界的な大流行になれば、世界全体で多数の死者が出る。感染した人が気付かないことがあり、かえって感染が広がりやすい。各国はWHOのフェーズに対応した計画をつくっており、WHOが『4』に上げないと、各国が様々な対策を実行に移せなかった。引き上げは妥当と思っており、私を含めて十六人の委員全員が賛成した」

「新型インフルエンザの健康被害の社会的影響は、強毒性のH5N1型の鳥インフルエンザに比べるとはるかに小さい。同じ対策を取る必要はなく、フェーズも定義にこだわらずに柔軟に考える」

「渡航制限や交通を遮断すれば、経済にマイナスの影響がある。健康被害が通常のインフルエンザと同程度なら、厳しい制限の必要はない。バランスが大事だ。すでにウイルスは拡散しており、封じ込めは無理だ」

「健康被害による経済的な損失はそれほど大きくない。むしろ過剰反応の方が怖い。企業が活動を抑制しすぎるのは問題だ。必要に応じて冷静な対策を取ってほしい」

「(H5N1型の鳥インフルエンザが変異する)リスクは全く減っていない。人から人に感染するタイプに近付いている兆しがある。鳥インフルエンザの健康被害や致死率は、今回の新型ウイルスとはけた違いだ」

「備蓄した抗インフルエンザ薬などを使い切り、鳥インフルエンザと戦う前に丸腰になってしまうことを強く懸念している。人類にとって最大の脅威はH5N1型の鳥インフルエンザであることに変わりはない」

—(以上、引用)—

注意するには超したことはありませんが、過剰反応は慎みたいものです。

世の中、シュリンク・モード? 実質&堅実モード?

最近、気がついたことですが、….

今まで、夜駅を降りるとタクシー待ちの人が並んでいたのに、
  最近は、タクシーが客を待っている

今まで、雑誌では高級車の広告だらけだったのに、
  最近は、エコカーやレンタカーの広告に変わった

今まで、日曜に散髪に行くと30分~1時間待ちだったのに、
  最近は、待たずにカットしてもらえる

今まで、夕刊は16ページあったのに、
  最近のは、8ページだ

今まで、夕刊は広告だらけだったのに、
  昨日は、夕刊の広告は5つしかなかった

今まで、金曜夜の渋谷発田園都市線は超満員だったのに、
  最近は、結構ガラガラだ

急激な勢いで、経済が縮小モードになっているように感じます。

明らかに単に大きな揺れ戻しである部分も多いと思います。

しかしこれらの中には、今まで必要以上にお金をかけていた部分も多いのではないかと思います。

 

私の場合、15年間車を持っていましたが、最近は車を使うのが月に1-2回程度で、車を持っている意味がほとんどなくなってきました。

駐車場料金、自動車保険、車検、自動車重量税と、車は持っているだけでも結構バカにならないお金がかかります。

そこで先月、ついに11年落ちの車を売却しました。

新車市場は全く元気がありませんが、中古車市場は活性化しているそうです。

同じく今年、加入している保険も見直しました。

よくよく見直したら、あまり意味のない保険に結構入っていました。保険は10年とか20年入っていると、これも結構な金額を支払っています。月々の支払いもかなりの金額になります。

そこで再度見直して本当に必要なものだけに絞りました。

 

今まで過剰だった部分が見直され、本当に必要なものが大切にされる世の中に変わっていく、転換点に差し掛かっているのかもしれませんね。

提供者側の立場で考えると、私達がお客様に提供している価値は、本当にいただいている対価に見合ったものを差し上げているのか、改めて問い直すいい機会なのかもしれません。

IBMパルミサーノ会長、オバマ大統領に会う

IBMパルミサーノ会長が他企業のCEOとともにオバマ大統領と会い、米国の景気刺激策について話し合った後に記者会見をしました。

こちらで記者会見の様子を見ることができます。

以下、一部を日本語で抜粋してみました。(一部意訳しています)

—(以下、抜粋)—

この数日、米国の十数名のビジネス・リーダーと会ってきたが、大統領、あなたの次の目標実現のために我々は団結している。

・再び経済を成長させること
・単に仕事を作るのではなく、21世紀にふさわしい仕事を創造すること
・米国にとって未来の競争力の基盤を構築すべく、投資をすること

以上のことは必ず実現できる。なぜなら今回の危機と同じタイミングで様々な重要な新技術開発があり、それらを現実の問題解決に活用できるからだ。

私達は、単に小さく(smaller)、フラット化(flatter)しただけでなく、よりスマートに(smarter)なった世界の中で競争していかなければならない。つまり、経済と社会を動かすインフラ、システム、プロセスの中に、インテリジェスが組み込まれている世界だ。

しかも、この現象は世界全体で起こっている。我々は米国経済だけが競争力を獲得すべく投資するのではない。我々米国経済は世界経済全体が成功すべく働きかけていなければならないのだ。

我々の調査によると、300億ドル(3兆円)を医療IT、スマートな送電網、ブロードバンド等に対して投資することで、100万人の新規雇用を1年で生みだすことができるのだ。

このようなスマートな社会基盤投資は、今後数十年に渡って我々の経済成長に非常に大きな相乗効果を生みだす。単に壊れたものを直すのではない。我々は、よりスマートで、より活気に満ちた21世紀の米国を作っていくのだ。

—(以上、抜粋)—

民主党のオバマですが、この経済危機に対してビジネス界と密接に協力して対応している様子がよく分かります。

また、パルミサーノ会長の発言内容は、今まで言ってきたことの延長線上にあります。

この経済危機に、ITが出来ることは沢山ある筈です。

日本でも、我々IT業界の人間一人一人で考えていきたいところです。

2009-01-29 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

景気回復、もしかしたら早いかも、という話

最新の日銀短観が12/15に発表になりました。

日銀短観は、経済動向をかなり高い精度で把握できます。詳しくは以前書いたこちらを参照下さい。

この25年間の製造業における業況判断動向は下記の通りです。

Jbtankan200812_2

 
  
 

このチャートを見て驚きました。

過去のカーブの落ち込みと比べて、2008年後半からの今回の落ち込みはほぼ垂直、真っ逆さまに下がっています。

過去は約1-2年かけてなだらかに数字が下がっています。そして底を打って上昇しています。

例えば、1990年のバブル景気調整には1991年から93年末までの3年間かかり、そして底を打って、ゆるやかに経営者の業況判断が上昇していったことが分かります。

今回のような激しい落ち込みは、過去なかったことです。

この先、どうなるのでしょうか?

 

二つのシナリオが考えられるのではないでしょうか?

一つ目は、過去の景気循環パターンを踏襲し、比較的早い時期に底を打って、回復に向かうケース。

今回の不景気は、経営側にも労働側にも短い期間で大きな努力と犠牲を強いています。これらの調整の結果が、比較的早く出てくる場合です。世の中の変化が極めて早くなっていると言うことですね。

二つ目は、過去の景気循環パターンを踏襲せず、しばらく底に張り付いてしまうケース。ただ、モノゴトは常に波のように循環していくことを考えると、このケースの可能性は少ないように思います。

 

私は経済の専門家ではありませんので安易なことは言えませんが、このチャートを見る限り、来年中頃には景気回復に反転する可能性もあるように見えます。

暗い話が多い中ですが、視点を変えてみると、このような見方も可能かもしれません。

 

よく言われることではありますが、明けない夜はありません。

そして、現代は「バタフライ効果」(どこかの国で蝶が羽ばたくと遠くの国で竜巻が起こる)でも例えられるように、私達一人一人の力をきっかけとして相乗効果が積み重なり、大きな変化を起こしうる時代です。

私達一人一人が主体的に変えていきたいですね。

早朝の半蔵門線、全線停止

私はいつも朝6時前に家を出て、6:13鷺沼駅始発の田園都市線に乗り、7時過ぎに勤務先の半蔵門線水天宮駅に到着、という経路で通勤しています。

いつも必ず座れるので快適です。

(注:田園都市線と半蔵門線は乗り換えなしで一本で繋がっていて、中央林間駅と渋谷駅の間が田園都市線、渋谷駅から先(東京側)が半蔵門線と呼ばれます)

が、….。

今朝は池尻大橋駅(渋谷駅の一つ手前の駅)を過ぎると急にノロノロ運転。

そのうち車内アナウンス。

「九段下駅で発煙があった関係で、半蔵門線全線ストップです。渋谷駅で折り返し運転になります。半蔵門線のお客様は銀座線をお使い下さい」

先行の電車が渋谷駅で折り返しをするまで電車が停止しました。

ということで、いつもは6時40分に通過する渋谷駅には15分遅れで6時55分に到着。

田園都市線・半蔵門線は超過密ダイヤなので、5分遅れるとこれが数珠つなぎになってラッシュ時には1時間以上遅れたりノロノロ運転になったりします。今日もそうなるのでしょうね。

銀座線で新橋か銀座で乗り継いでいく方法もありましたが、アナウンスに従う人も多いでしょうし、混雑が予想されました。そこで山手線で東京駅まで行き、東京駅から会社まで歩くことにしました。東京駅まで行けば、会社まで歩いても25分です。天気もよいので、ちょうどいい運動になります。

山手線は思いのほか空いていて、目黒駅で座れました。

…ということで、現在7時15分で品川駅を出たところで、ガラガラの山手線の車内でこのエントリーを書いています。でも、いつもはこの時間は既に仕事を開始しているのですよね。

東京駅には7:25着。天気のよいオフィス街を歩いて7:55にオフィスに到着しました。いつもより50分遅れですね。

実は、今朝8時から米国・オーストラリア・日本で電話会議の予定でした。先方の都合で昨晩キャンセルになりましたが、仮に予定通り行われていても何とか間に合ったことになります。

駅から電話会議に参加するのも不可能ではありませんが、混雑している駅で、資料を見たり英語で交渉したりするのは結構大変です。

ということで、朝が早いとアクシデントにも対応しやすい、ということを再認識しました。

ところで会社のエレベーターで、ある執行役員とご一緒しました。この人も同じ半蔵門線で8時から電話会議なのですが、必死になってタクシーを拾って、何とか間に合ったそうです。

ビジネスパーソン、通勤電車が遅れると、みな大変です。

上高地・涸沢・穂高の自然を守る……トイレから守る

この1週間は遅い夏休みをいただき、上高地で4日間を過ごしました。

行く前は台風襲来で悪天候かな、と思っていたのですが、台風が日本の南の海上を通った影響で、台風の影響は全くなく、すばらしい天候に恵まれました。

上高地の河童橋から7時間程歩いて涸沢ヒュッテに行き、一泊して戻ってきました。

涸沢ヒュッテはいわゆる山小屋ですが、上高地から徒歩7時間という距離にも関わらず、快適な寝床とちゃんとした食事が提供されています。風呂がない以外は一般の旅館と大差ないサービスが提供されているのは驚きです。

ここ、上高地、涸沢、穂高、乗鞍などの一帯は、すばらしい自然が残っています。

以前はゴミが多かったそうですが、極力自然の姿を維持しようとする地元の方々の努力の結果です。

様々なことからもその姿勢は読み取れますが、今回宿泊した涸沢ヒュッテのトイレに、その象徴が表れているように思いました。

山小屋のトイレというと、非常に不衛生という印象を受けます。しかし、涸沢ヒュッテのトイレは、水洗でこそありませんが、比較的衛生的です。

このトイレ、1回の使用当り100円を支払うようになっています。

各トイレには、下記のような注意書きが書かれています。

みなさまから集まったお金は次のように利用しています

※便槽7基をヘリで下げる(1基500Kg)/汚物処理代/洗浄代/洗浄清室便槽7基をヘリで上げる
※年3回以上行っています。
その他トイレットペーパー代(月 約1200ロール)/清掃用具、消毒液代(1リットル18,000円)

以上のように莫大な金額が必要です。どうか皆様ご協力をお願いいたします。

ううむ、まさに、たかがトイレ、されどトイレ。

私たちは普段意識しませんが、いかに排泄を処理するかは、極めて重要な問題です。

トイレ一つでも、これだけの努力が行われているのですね。

 

参考までに、涸沢ヒュッテで撮影した写真を掲載します。

全てコンパクトデジカメ(Canon PowerShot G9)で撮影しました。

1枚目:涸沢ヒュッテはこのような小屋です。森林限界の境界にあるようで、ここから先は樹木がありません。

2枚目:夜は満天の星です。天の河もよく見えましたが、持っていったコンパクトデジカメは15秒までしか写せないものでしたので、残念ながら天の河の写真は残せませんでした。

3枚目:明け方の穂高連峰です。

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政治迷走の根本原因

もうだいぶ時間がたちましたが、安倍さんに続いて福田さんも辞任してしまいました。

個人的な問題もあるでしょう。

しかし、個人的な資質の問題である、という結論に安易に帰してしまってよいものでしょうか?

海外に目を向けてみると、必ずしも個人的に資質が十分とは思えない人物であっても、ほとんどの場合、大国のトップを任期一杯勤め上げています。任期途中で「つらくなった」と言って投げ出すことはあまり聞いたことがありません。

ということは、二回も続けて任期途中で辞任するのは、個人的な資質ではなく、別のところに原因があると考えるのが妥当であると思います。

そのように思っていたところ、NBonlineの「政治漂流 世界を襲うリーダー不在」という記事に掲載されていた図を見て、非常に納得できました。

自民党の中に、「大きい政府派」と「小さい政府派」が混在し、「規制緩和派」と「格差是正派」も混在し、政党の中の議員の政策がまとまっていないのが大きな原因である、という意見です。

これは非常に納得できる意見です。

確かに、このような党を一つの意見にまとめるのは、容易ではないでしょう。調整型の福田さんの場合はなおさらです。

そして、これは民主党の中でも同様です。自民党と比べると比較的「格差是正&小さな政府」でまとまっているようではありますが、結構バラけています。(蛇足ですが、小さな政府を実現しつつ、格差是正をするのって、とても難しいように思います)

本来であれば、この記事にあるように、政策を軸に、自民党と民主党の党員を一回バラバラにして再編成すると、国民にとってすごく分かりやすい政党が誕生し、投票もしやすくなるように思います。

例えば私の場合、現時点であれば自民党・民主党のどちらに投票すべきか、判断基準が明確になっていないため困ってしまいます。

しかし再編されて、「規制緩和&小さな政府」の政策集団が誕生すれば、投票したいと思います。

….と、理屈ではこのようになるのですが、「まずは選挙に勝たないと話にならん」ということで、なかなか理屈通り進まないのが政治の世界でもあります。

このあたりの根本原因も、是正していく必要がありそうですね。

2008-09-05 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

社会システムで省エネを進めるドイツ

フォルクスワーゲンが、次世代プラグインハイブリッド試験車 「ゴルフ TwinDrive」を発表しました。詳細はこちら

従来のハイブリッド・カーとの大きな違いは、電動モーターがメイン・内燃機関が補助で、家庭用コンセントから充電できる、という点です。

8kW/hの電力と2.5Lの燃料で、100kmを走行できるとか。

さらに、現在ドイツの電気エネルギーの13%が風力で、ドイツ政府は2020年までにそのシェアを30%まで拡大する目標だそうです。

従って、この車の環境負荷は極めて低くなります。

また、イギリスの日刊紙「The Sun」によると、メルセデスベンツは7年以内に石油で動く自動車を全廃する計画を立てているそうです。現在のエンジンを順次、ハイブリッド、電気自動車、そして水素を燃料とするエンジンに変えていくとのこと。

また、NBonlineのこの記事によると、自動車に搭載されている内燃機関のエネルギー変換効率は極めて悪く、15%程度だそうです。一方で、火力発電所のエネルギー変換効率は50%。

伝送ロスや電動モーターのエネルギー変換効率を考慮しなければ、電気を活用した方が3倍もエネルギーを効率的に使えます。

ドイツの取り組みを見ていると、いかに社会システムと組み合わせて全体の環境負荷を低く留めるかを、国を挙げて一生懸命考えながら推進していることがよく分かります。

 

尚、NBonlineの同記事では、発電所は真夏の一番暑い日の14:30のために発電設備を用意しているので、リチウム電池で充電することで電力の昼夜変動をなくせば、発電所の新規開発は不要になる、とも提言しています。

日本は各要素技術はピカイチだと思います。

わが国は、これらの技術を活用して、どのように国全体で環境負荷が低い社会システムを構築するかが、今後数年間の大きな課題になってくると思います。

2008-07-06 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

井上雄彦 最後のマンガ展

本日、会社の創業記念日でお休みでした。平日の休みを利用して行ってきました。

「平日なので空いているだろう」と思ったのですが、午前11時半に到着したら、既に入り口で列ができており、入場するまで20分程並びました。

人気です。通常、美術展というとシニアなお客さんが多いのですが、今回は20代の方が非常に多く来ていました。

会場に入るなり、会場の高い天井まで届くほどの大きさで書かれた武蔵の墨汁画。圧倒されました。

バガボンドの未発表のストーリーを始め、大きな画板に墨汁画で描かれた数々な作品が展示されていました。

コンピュータで描く漫画と異なり、昔と同じ道具で描く墨汁画は、筆にためらいがあると失敗するそうで、やり直しがききません。

その道具で、これだけ緻密な描写が出来るとは。

既に陳腐な言い方かもしれませんが、これはマンガというよりも、そして「クール・ジャパン」という言い方も失礼にあたりそうな程、全く新しいアートですね。

江戸時代の浮世絵も、当時は庶民にとって現代のマンガと同様、身近な存在だったようです。これがヨーロッパに渡り、19世紀末、印象派やゴッホ等に大きな影響を与えました。

数百年後、井上雄彦という作家がいた、ということは、世界のアート史のコンテキストに、確実に刻み込まれるのではないでしょうか?

7月6日まで、上野の森美術館で行っています。
詳しくはこちら

2008-06-17 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「温暖化の主原因はCO2ではない」という議論

本日(6/2)の日本経済新聞の記事『日本地球惑星大会、温暖化の「異説」相次ぐ――「CO2主因ではない」』によると、地球温暖化の主原因は必ずしもCO2ではないのではないか、という論議が千葉市で行われた日本地球惑星科学連合大会で行われたそうです。

■異説1
「宇宙から地球に降り注ぐ放射線の増減に連動して雲の量が変わる。放射線の進入を妨げている地球の磁場や太陽風が今後弱まるとみられるため、雲の量が増えて気温が下がり、2035年に最も寒くなる」「温暖化と寒冷化のどちらが正しいか、今後5-10年で決着が付く」
(丸山茂徳東京工業大学教授)

■異説2
「近年の気温上昇の傾向は1800年以前までさかのぼることができ、大半は自然の変動とみなせる」
(赤祖父俊一・米アラスカ大学名誉教授)

当然のことながら、温暖化はCO2が主原因であるとする政府間パネル(IPCC)を支持する研究者からは、強い反論がでました。

米国ではこの手の議論は活発で、日本でも同じ構図が出てきたとのこと。

「マーケティングの99.9%は仮説」でも書きましたように、科学のほとんどの部分は仮説から成り立っています。

実際、「飛行機がなぜ飛ぶのか」というのも、根本的な原理は実は必ずしも分かっておらず経験則に拠っています。

「CO2が温暖化の主原因である」というのも仮説です。

仮説というのは、議論を行いながら検証していくべきもの。

CO2排出削減努力は続けるべきと思いますが、このような議論が日本でも始まったことは、健全なことであると思います。

2008-06-02 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

忠臣蔵の真相?

最近、両国にある会社へ所用でよく行きます。

この会社は、本所旧吉良邸の中にあります。

本所旧吉良邸は広大で、両国2丁目と3丁目に渡っており、現在は民家が立ち並んでいます。

この会社は6階建ての大きなビルですが、広大な本所旧吉良邸のほんの一角を占める程度です。

昔で言うと、この大きなビルの敷地でも、吉良邸の台所程度の大きさだったそうです。

この両国近辺の人達は、吉良上野介がとても大好きで、12月の赤穂浪士討ち入りの時期になると、この辺りでは数日お祭り騒ぎになるそうです。

この会社は最近両国に引っ越したのですが、ここの会社の会長さんから、忠臣蔵について色々と興味深いお話が聞けましたので、紹介させていただきます。

ただ、真偽不明ですし、ご本人も「話半分に」とおっしゃっていたので、そのつもりでお付き合い下さい。

特に、ご先祖が浅野内匠頭や大石内蔵助、及び赤穂浪士の関係の方がおられましたら、内容は吉良上野介にかなり偏った内容であることを予め申し上げておきます。

 

吉良上野介は名君であり、とても面倒見がよく、素晴らしい人だった。

一方で浅野内匠頭は、ちょっとウツの気があり、しかもキレやすい人だった。

浅野内匠頭は、天皇の饗応役を務めている最中、吉良上野介からイジメを受けたと思い込んだ。根に持った浅野内匠頭は、ある日、松の廊下でついにキレて、吉良上野介に切りつけた。

お家は断絶した。

一方で、浅野内匠頭の筆頭家老だった大石内蔵助は、遊び人で、放蕩癖があった。

残った財産を使い尽くしてしまった。

このままではどうしようもない。どうするか?

「そうだ、主君の仇討ちという名目で、吉良邸に押し入り、世間にアピールしよう」

ということになった。

お家断絶で苦しい生活を送っていた同志も賛同し、吉良邸に討ち入り、吉良上野介を討ち取った。

事情を知らない世間では、「あっぱれな忠臣」ということで、赤穂浪士は一躍時代のヒーローになった。

世間で大きな話題になり、歌舞伎や浄瑠璃でも演じられ「忠臣蔵」という名前で、美談として語り継がれるようになった。

 

….ということです。

上記が真実なのか?

忠臣蔵で語り継がれている内容が真実なのか?

実際のところは分からないですね。

案外、真実は全く別のところにあったりするのかもしれませんが。

まぁ現代でも、マスコミが流したり世間で伝えられる情報と、実際の真実には大きな乖離があったりしますし、まして数百年前の出来事です。

事実は、世の中の人達が喜ぶ内容に改変されて、伝わっていくのですね。

時の幕府も、「上に絶対の忠誠を誓う物語」が世の中に広がっていくのは、好都合だった面もあるのかもしれません。

もちろん、ここでご紹介した話も、吉良上野介を慕っている人達にとって好ましい内容に変わっている筈です。

歴史で語り継がれている内容が本当に真実なのかどうか、考えさせられるお話しでした。

2008-05-16 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

天晴れ!扇千景さんの人生

扇千景さんというと、私は保守党の党首として、選挙で

「扇の要(かなめ)、扇千景をよろしくお願いいたします」

と一生懸命連呼していた姿がまず頭に浮かびます。

その次に浮かぶのは、TVで扇さんを特集した番組で見た、政治家の仕事の傍ら、人間国宝であり歌舞伎役者のご主人の妻としての役目をしっかりと甲斐甲斐しく果たしている姿。

それと、非常に理知的な印象の若い頃の宝塚女優だった頃の写真です。

これらの「国土交通省大臣と参議院議長」、「人間国宝である歌舞伎役者の妻」、「宝塚女優」という3つの顔が、私にはどうしても繋がりませんでした。

しかし、今月の日本経済新聞「私の履歴書」の扇さんの連載で、扇さんが凄い人生を歩んでこられたことを知り、扇さんへの見方が全く変わりました。

■戦中、多くの身内が亡くなる中を過ごした病弱な少女時代

■宝塚のことをよく知らないのに、父の猛反対を押し切って入学した宝塚時代

■恋多き女優時代

■ご主人の扇雀さん(当時の名前)と知り合った頃のこと

■歌舞伎役者の家の古いしきたりに拘る義父・義母との葛藤

■二人の息子さんを育て上げる様子と、他人に言えなかった結婚生活の悩み

■TVキャスターの仕事が縁で、政界入りする経緯

■政界の重鎮との交流

■保守党党首になった経緯

■現在の様子

等々、ご主人の坂田藤十郎さん(現在の名前)の女性関係も含めて、飾らずに描かれていました。

今風に言えば、「男前」で堂々とした、まさに天晴れな人生ですね。

本日で連載は終わりですが、素晴らしい小説を読んだ清々しい読後感で、ちょっと名残り惜しい気もしました。

一億二千万人総アーティストの時代

昨日(4/27)の日本経済新聞に、「エコノ探偵団 アマ管弦楽団なぜ増える」という記事がありました。

「なぜアマチュア管弦楽団が増えているのか?」という問いに対して、この記事では、以下のように分析しています。

■自治体からプロの管弦楽団への支援が少なくなった

⇒プロの管弦楽団は、収益確保のために演奏会をより多く行わざるを得なくなった

⇒かつ、アマチュアに対するサービスレベルも上げた

⇒かつ、のだめ等が流行り、人々のクラシック音楽志向が増した

⇒この結果、刺激された人達が、アマチュア管弦楽団に入団するようになった

まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」といった構図でしょうか?

国や自治体の支援を打ち切ったことが、草の根レベルでの文化振興と活性化に大きく役立っている、というのは皮肉な結果です。

考えてみれば、このように国の支援が行われずに自助努力を求められた結果、奮起を促し、活性化する、というケースは思いの他多いように思います。

逆に、国の支援漬けで競争原理が働かずにぬるま湯的な市場になってしまい、その分野全体が不活性化してしまうケースがいかに多いことか。

そのうちグローバル競争に巻き込まれて、ぬるま湯が徐々に熱くなっていても気が付かず、耐えられない熱さになって初めて対応に追われたりします。まさに茹で蛙状態ですね。

 

……グローバル競争の話に脱線しそうになったので、話を修正します。(^^;

 

記事にもあるように、アマチュア楽団が増えているのはプロの管弦楽団の努力の結果、というのも確かに一面あると思います。

一方で、実際に音楽を始める人の動機については、「のだめ」の影響以外にも、もう少し分析が可能なようにも思います。

例えば、私が事務局を担当している合唱団では、入団を希望する見学の方々が、毎週いらっしゃいます。

見学に来て入団される方々にお話しを伺うと、

■動機は、本物のクラシック音楽で、自分自身で自己表現をしたいと思ったこと

HP上にある合唱団の活動を見て、運営がしっかりしていると思ったので、見学を申し込んでみた

■さらに、土曜日の午後と夜に練習が集中しているので、仕事と両立できると考えた

という方が多いようです。

 

バブル後の15年間が過ぎ、社会も成熟し、「本物とは何か?」が分かる人達が増えてきているように思います。

このような中で、全ての人達がクリエーターとなり、自己表現をする社会に進化しつつあるのではないでしょうか?

言い換えれば、「一億二千万人総アーティストの時代」です。

このように自己表現ができる場をより多く創造することで、日本はさらに素晴らしい国になるのではないか、と個人的にも思っておりますし、願っています。

2008-04-28 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

問題は、「ねじれ国会」ではない

いわゆる「ねじれ国会」で、国会が機能していない状態がしばらく続いています。

この金融危機の最中に、国家の中央銀行の総裁が空席になるという異常事態になりかねない状態です。

与党は、参議院で過半数を握っている野党に対して「何にでも反対するので話が進まない」と言っています。

実際、本日のニュースでも、福田首相が困惑した表情で、「何で野党が反対しているのか、分からないんですよ」とインタビューで応えています。

一方の野党は、「審議を十分に尽くさないで、何も決められないと野党のせいにするのは、いかがなものか」と言っています。

これは結局、お互いに全く議論が出来ていないことに他ならない訳で、与党・野党ともあまりお互いのことは言えないような気がします。

 

本来、民主主義とは多数決ではありません。

民主主義とは、議論を尽くすことで、解決策を生み出すものです。

しかし日本の国会議員の議論を見ていると、相手の言い分を全く聞かずにひたすら自分の言いたいことを大声で言い続けたり、または感情論で「ダメなものはダメ」と言い切ってしまうパターンがあまりにも多いように思います。

これでは、議論になりません。

「なぜ、日本人の議論と米国人の議論が噛み合わないのか?」でも書きましたように、民主主義の考え方は、弁証法的思考がベースになっています。

これは議論を通じてお互いが抱える問題の本質を探り出し、よりよい結果を得ようとする考え方です。

様々な異なる意見を出し合い、「正・反・合」、つまり正反対の意見を議論を尽くすことで新しい価値を生み出すというプロセスです。

「ねじれ国会」が問題のように言われていますが、民主主義の原則に基づいた選挙を通じて衆議院と参議院の過半数を握ったのが、それぞれ与党と野党になっているのですから、この「ねじれ国会」の存在自体は問題ではないと私は思います。

むしろ野党と与党が互いに緊張関係があり、審議を十分に尽くさずに与党が強行多数決採決に持ち込めない、という意味では、よい面もあると思います。

しかし、機能不全に陥って何も決められない状態が続いているのは、本来の民主主義的な議論が与党・野党間で全く出来ていないことに大きな原因があると思います。

幸い、日本は国民主権の国です。

我々国民は、現在の国会での議論を見て、どの国会議員が民主主義的な議論を行っているのかを見極めて、次回の選挙に臨みたいものです。

そして願わくば未来の日本の国会では、民主的な健全な議論を与党と野党で活発に交わし、様々な課題に対してお互いに知恵を持ち寄ることで、一党独裁では生み出せない新しい解決策を生み出せるようになっていただきたいですね。

2008-03-11 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

自分の行動のCO2排出量を知ろう

地球温暖化防止のために、二酸化炭素(CO2)排出量削減が声高に言われています。

しかし、自分の行動が排出するCO2の量を具体的に把握している人は少ないのではないでしょうか?

かく言う私も、そんな一人です。

そこで、調べてみました。

STOP!温暖化というサイトによると、下記の通りだそうです。

まず、ガソリン50リットル115Kg

つまり、給油でガソリン満タンにする度に、CO2を100Kg以上消費していることになります。

軽量級力士一人分ですので、結構な排出量のような気がします。

次に、灯油10リットル25Kg

灯油で暖房すると、これだけCO2が排出されるのですね。しかも全て室内に出るのです。

そして、ゴミ10Kg8.4Kg

ゴミは出来るだけ少なくなるように、スーパーで買い物袋を受け取らなかったり過剰包装を断ったりしていますが、….10Kgで8.4Kgですか。

ううむ、数十KgというCO2排出量、多いのでしょうか、少ないのでしょうか?

そこで比較のために、「実は、交通手段はかなりの量のCO2を排出しているのではないか?」と考え、もう少し調べてみました。

Wikipediaの飛行機の項目によると、単位輸送量あたりのCO2排出量(g-CO2/人Km)は、鉄道18.3、航空機110.0、自動車165.0だそうです。

「今度の休み、海外旅行に行こうかなぁ」という人、多いのではないでしょうか?

海外旅行の場合の移動距離を往復2万Kmと仮定し、この海外旅行で1人当りでどの程度のCO2を消費するかを計算していました。

鉄道で行く場合: 18.3 x 20,000 = 366,000g = 0.366トン
航空機で行く場合: 110.0 x 20,000 = 2,200,000g = 2.2トン
自動車で行く場合: 165.0 x 20,000 = 3,300,000g = 3.3トン

まぁ、普通、日本から海外には飛行機で行きますね。

1万キロの彼方まで飛行機で飛ぶと、一気に往復で2.2トンも排出します。

なんと、ゴミで2.6トン分です。

スーパーで重さ5gの買い物袋を受け取らないという行動520,000回繰り返さないと追いつきません。(買い物袋を製造する際のCO2排出量は除外しています)

1日1回買い物するとしても、80年生きて29,200回(=80×365)しか繰り返せないので、一生かけて買い物袋を受け取らないということを続けても、海外旅行一回で帳消しですね。(でも、買い物袋を受け取らないという行動は、全員でやることにこそ意味があるので、是非続けましょう。念のため)

ううむ、しかし飛行機は使わざるを得ない場合もある訳で….でも、一応知っておく価値はありますね。

車だとさらに多くて、2万Kmで3.3トンです。

まぁ、車で海外旅行で2万Kmも往復移動する人はいないでしょうけれども、単位輸送量で計算すると、車の方がCO2排出量が多い、ということですね。

思い返せば、15年前に私は米国南西部を2週間かけて6000Km程走りました。実はこの時、1トン近くのCO2を排出していたのですね。

新車を買って、買い換えるまで10年で10万Km走ったとして、16.5トンの排出になります。(但し、これには車を生産する際のCO2排出量は含まれません)

これが技術革新で半分の燃費になると、8.3トン。結構大きいですね。

ちなみに京都議定書の達成のためには、日本国民一人当りのCO2排出量を年間9.3トンにする必要があります。

参考までに、MYCO2xエコプロダクツ2007というサイトで、個人の年間排出量が計算できます。

私の場合7.82トン/年で、一応京都議定書は達成しました。

2004年の日本の平均10.6トンと比べるとかなり低めです。

しかし、これでも全く安心は出来ません。

世界の平均4トン/年からはまだまだ高いですし、温暖化を最終的に止めるための「サステイナブル」と言われている1.6トン/年の排出量の5倍もあります。

逆に言うと、地球の温暖化を止めるためには、私のCO2排出量を現在の1/5に下げないといけないということですね。

しかも、地球上の全ての人々が、同じレベルに、です。

うむむ、難しそうなチャレンジですね。

しかし、時間をかけて、人類の叡智を結集すれば、できない目標ではないような気もします。

私も、自分の行動がどの程度のCO2排出に繋がっているのかを意識するようにしたいと思います。

みんなで少しずつ、変えていきたいですね。

2008-03-03 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

大流行前夜の今こそ、鳥インフルエンザの誤解を正そう

『発生は時間の問題、『21世紀のペスト』』という記事を読みました。長文の書評ですが、非常に読みごたえがある記事です。

簡単にポイントを挙げます。

–(以下、引用)—

・鳥インフルエンザは、よく言われているように大流行の瀬戸際である

・しかし、「インフルエンザ」という名称でいまだに「風邪の一種」と誤解され、危機感が薄い。

・実態はペストと同等の危険性と思うべき。全身の組織がウイルスに取りつかれ、その細胞が破壊される。

・免疫への過剰反応で生体組織を攻撃する。(サイトカインストームという現象) 免疫が活発な子供や若年層ほど危険で死亡率も高い

・厚生労働省は3,200万人が罹患、死亡率2%、最大64万人死者と想定。しかしこれは、1918年に流行ったスペイン風邪の被害をベースに想定。スペイン風邪は弱毒性だった。現在まん延しつつあるのは強毒型で、現在の致死率はマレーシアで80% (感染者数127人中、死亡103人)。厚生労働省の対策は、大流行時にこれが弱毒化するという前提で確かに可能性はある。しかし確実ではない。

・オーストラリア・ロウイー研究所の推計では、死者は全世界1億4200万人、日本で210万人。第二次世界大戦での日本の被害(兵員約230万人+一般市民80万人)に匹敵。

・大流行になったら、なによりも「ウイルスと接触しないことが大切」 最大の防御は自宅に籠城すること。 過去の例では、一回の流行は2カ月前後続く。厚生労働省の指針2週間では足りない。

・厚生労働省の対策行動計画は見通しが甘い。

–(以上、引用)—

この書評で挙げられている本では、個人でできる具体的な対策が書かれています。

ちなみに、Wikipediaによると、

スペイン風邪
流行時期:1918-1919年
全世界での死者: 4,000-5,000万人 (当時の人口の5%程度)
日本での死者: 39万人 (当時の人口の1%弱)

ペスト
流行時期:14世紀
全世界での死者: 8,500万人
ヨーロッパでの死者: 2,000-3,000万人 (当時の人口の1/3~2/3)

となっています。

その1918年に大流行したスペイン風邪ですが、当時、これを実体験した方の談話がありました。

『患者は戸板で「避病院」へ 「黒いマスク」でしのぐ人も』

この方の場合は、家族は全員スペイン風邪にかかったものの幸い死ぬことはなかったようです。

ただ、周りの人が次々亡くなった様子や、

『そのうち、「うつる病気」であることが広まるにつれ、人々の行動が変化していった。「葬式に参加することはなくなった。患者が出た家には近づかないように、親にきつく言われた。」』

という部分、非常にリアルです。

戸板で患者が運ばれたり、黒いマスクを付けている画、怖いですが、ほんの90年前に日本で起こった出来事です。

 

世界がフラット化した現代、伝染力の強いインフルエンザは一瞬で世界中に拡がります。

一方で、大きな被害をもたらす疾病の大流行が事前に予想でき、世界中でこれだけ対策が議論されている、ということは、今までなかったのではないでしょうか?

不必要に騒ぐことは慎むべきは言うまでもありませんが、一方で、パニックは情報不足から起こります。

問題は、その情報を私達一人一人が正しく理解することだと思います。

「その時」にパニックを起こさず、大切な家族を守るためにも、出来るだけ正確な情報を事前に把握し、正しい行動を取れるように、今から準備しておきたいものです。

 

当ブログの関連リンク

■いつか来る鳥インフルエンザの世界的大流行のため、個人でできること
■風邪やインフルエンザの予防のために
■中国、鳥インフルエンザの人同士で感染を発表。私達も個人レベルで対策を。

2008-02-28 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

民主主義は万能か?

民主主義は万能でしょうか?

本日(2/18)の日本経済新聞の記事『市場と民主主義の試練(中)「開発独裁」よみがえる亡霊』では、新興国における非民主的動きについて書かれています。

–(以下、引用)—

・ロシアでは、2005年あたりからプーチン大統領が報道介入など強権的姿勢を強め、民主主義が後退した一方で、プーチン大統領の人気は圧倒的。2008年1月の調査では「最も信頼できる政治家」として同大統領を挙げる回答が65%、1年前の49%から大幅に伸びた。

・原油高で国内景気が高揚する中、国内外で「強い姿勢」を貫くプーチンに、ロシア人の多くが「国民の誇りと自信を回復してくれた」と評価。その熱狂を前に民主主義や自由の行く末を案じる声はかき消されがちだ。

・民主主義は意思決定に時間とコストがかかる。ならば、民主化を急ぐより、多少の非民主的要素は大目に見て、政策を迅速に実行する方がいい。八〇年代まで東南アジアで多く見られた“開発独裁”の亡霊が復活しつつあるかのようだ。ただ、歴史は人権問題や一部特権階級への富の集中など“開発独裁”が持つ危うさを示す。

・先行する国が後続のモデルとなるアジアの雁行(がんこう)型発展は揺らいでいる。成長と民主主義を世界に広めたグローバル化だが、経済競争が激化した結果、民主化を停滞させるという予期せぬ副作用も出始めたのかもしれない。

–(以上、引用)—

この記事は、新興国における民主主義の後退を憂慮した内容になっています。

一方で、英国首相だったウィンストン・チャーチルは、民主主義について、60年以上前の1947年11月に下院演説で以下のように語っています。

–(以下、引用)—

これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。

(Wikipediaの「民主主義」の項目から抜粋)

–(以上、引用)—

ノーベル文学賞を受賞したチャーチルならではのアイロニーに富んだ例えで、民主主義の本質をえぐっています。

宰相という責任ある立場であったにも関わらず、「民主主義とは万能ではない。しかし現時点ではベストな選択肢である」と喝破したのは、さすがと思います。

先日書いたエントリーにもあるように、例えば米国大統領選挙は、この民主主義の理念を実現すべく、1年以上の期間をかけて議論を重ね大統領を選んでいます。これには膨大なコスト、手間、時間がかかります。

考えてみれば、民主主義は18世紀から19世紀にかけて生まれた政治形態です。

100年前と比較すると、ITやインターネットの普及などにより、民意把握は比較にならないほど迅速かつ容易になりました。

さらに、現代は世界がフラット化し地域間の競争が激化しています。

このような時代背景で、民意を十分に把握した上でトップダウンで政策を実行していくような体制が現われてもおかしくはありません。

しかし考えてみれば、これも理想の君主による君主制の一形態であり、過去試されてきた様々な政治形態の一つに過ぎません。

民主主義に代わる次の新しい形態は、このような様々な新興国の試みの中から生まれてくるのかもしれません。

ただし、その過程で人権や格差問題が起こっていないかどうか、我々は常に注意深く見守っていく必要があると思います。

三十数年ぶりに「走れメロス」を読んだら、全く違う作品だった件について

先日、熱海にある戸田幸四郎絵本美術館に行ってきました。

ここには絵本作家である戸田幸四郎による絵本の原画が多数展示されています。

小さな美術館ですが、戸田幸四郎の素朴かつシンプルで力強い画と、生き物と生き物の共生を願う物語は訴求力があります。充実した時間でした。

太宰治が1940年に書いた作品「走れメロス」の絵本もあり、ビデオで戸田幸四郎画による40分程度の朗読ビデオも上映されていました。

「走れメロス」に接するのは中学生以来なので、三十数年ぶりです。

中学生の頃に読んだ印象では、「人間の素晴らしいさを賛美した勧善懲悪の物語」という記憶が残っていました。

その一方で、太宰治は「人間失格」等で、人間のどうしようもできない弱い部分を描いてもいます。

この二つが、中学生の頃の私には、どうしても結びつきませんでした。

今回、改めて「走れメロス」に接して、極めて正義感が強い人物が併せて持っている弱い部分がもたげてくる過程と、その弱さを克服するプロセスが、丁寧に描かれていることが分かりました。

人間の弱い部分の描写力は、まさに太宰治の真骨頂ですね。

私が中学生の頃は、恐らくこの部分がなかなか理解できなかったのではないかと思います。

両作品が、実は深い部分で結びついていることがよく分かりました。

太宰治らしい最後のオチも、改めて気付きました。

ちなみに、Wikipediaによると、「走れメロス」のネタ元は熱海の旅館に逗留していた太宰治と友人の檀一雄との間であった一件だったようです。詳しくはこちら

また、既に著作権が切れている「走れメロス」は、全文青空文庫で読むことができます。⇒こちら

2008-02-10 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

矢澤宰は、我々自身でもある

矢澤宰という詩人がいます。

1944年生まれ。小学校2年生で難病を発病。

入院した14歳の時から日記を書き始め、翌年から詩作も開始。

限られた自らの命の短さを知り、精一杯生きて、1966年、21歳で永眠。

翌1967年、病院等の有志により、遺稿詩集「光る砂漠」が出版。

1972年、萩原英彦氏がこの詩をもとに「光る砂漠」という非常に美しい合唱曲を残しています。その萩原英彦氏も2001年に永眠しました。

 

「矢澤宰の世界」というサイトでは、彼の生き様や、7年間の日記や詩に接することができます。

14歳から死の直前まで綴られた日記を読みました。

死の直前の最後の日記には、

私の命の真の目的は何であったか。生きることである。…

という言葉を残しています。

本来は手段である「自分探し」そのものが目的化してしまってる現代を見て、矢澤宰はなんと言うでしょうか?

日記全編を読んで胸がしめつけられる思いがするとともに、宗教や政治、ケネディ暗殺に対する洞察、恋愛感情に対する葛藤等を読むと、「人間は、短い期間でここまで成長し成熟できるものなのか!?」、と驚きます。

短く苦しいながらも、濃密な人生だったのでしょう。

 

矢澤宰の詩は鮮烈で洗練され美しいものです。

恐らく、彼の才能の産物ではなく、覚悟の産物なのでしょう。

 

ただ、矢澤宰の人生に接して、同情したり共感したりするのは、なんか、ちょっと違うかなぁ、という気がします。

どこか他人事であり、「かわいそう。でも、自分は別」、というかすかな傲慢さを感じてしまいます。

 

「矢澤宰自身は、実は自分自身なのだ」と気付くことが大切なのではないでしょうか?

 

考えてみれば、「限られた命」というのは、矢澤宰だけのことではありません。

必ず死が訪れる、全ての我々のことでもあります。

恐らくこれから100年後の2108年には、現在社会人になっている人は、自分やこのブログを読んでいる貴方も含めて、誰も生きていないでしょう。

お迎えが訪れるのは、もしかしたら50年後の2058年かもしれないし、30年後の2038年かもしれないし、または3年後の2011年かもしれません。あるいは今年2008年の可能性だってあります。

いつなのかは、現時点では誰も分かりません。

 

しかし、一つだけ確実に言えるのは、それはいつか確実に訪れる、ということ。

いつか確実に訪れるのが真実なのであれば、我々は矢澤宰のように覚悟をもって生きられない理由は何もない筈です。

矢澤宰の世界に接し、矢澤宰のような濃密な人生を生きられないのは、単なる言い訳に過ぎないのかもしれない、との思いをあらたにしました。

2008-01-31 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

中国、鳥インフルエンザの人同士で感染を発表。私達も個人レベルで対策を。

中国衛生省から、人同士(息子から父)で感染したという初の発表がありました。

日経新聞の記事 (1/11)
朝日新聞の記事 (1/10)

息子は12月2日に死亡しましたが、父親は完治しており、また父子と接触のあった約80人からは異常は見つかっていないため、現時点では大流行する「遺伝子の変異はない」とのことです。

ということで、現時点ではWHOのサイトでも、Alert Levelは3のままです。

しかし、インフルエンザ・ウィルスは常に変異を繰り返しています。今後、ウイルスが「新型」に突然変異し、大流行する可能性もあります。

国レベルでは既に厚生労働省が検疫体制強化等の対策を始めています。

先月下記エントリーにも書きましたように、「その時」になって慌てずに冷静に対応できるように、個人レベルでも早めに対策を講じておきたいところです。

2007/12/22 『いつか来る鳥インフルエンザの世界的大流行のため、個人でできること』

2007/12/26 『風邪やインフルエンザの予防のために』

ご参考までに、ここ2週間ほど、後者のエントリーでご紹介したうがいや手洗いを継続していますが、それ以前に感じていたノドの違和感が最近なくなりました。

昔から言われていた当たり前の方法ですが、確かに効果があるようです。是非お試しを。

風邪やインフルエンザの予防のために

先日、「いつか来る鳥インフルエンザの世界的大流行のため、個人でできること」というエントリーを書きました。

主に準備に関することを書かせていただきましたが、個人で出来るもう少し具体的な対策が12月23日の日本経済新聞の記事「うがい、手洗い、方法違うと効果低く―のど・鼻、粘膜、乾燥防ぐ」に掲載されていましたので、ここで紹介します。

■水道水で、3回に分けてうがい

1回目:紙コップ三分の一程度の水を口に含み、比較的強く十五秒間もぐもぐと動かし、軽くすすぐ。口の中に残っている食べかすを取り除くのが目的。
2回目:同量の水を含み、のどの奥まで届くようあごを上げる。菌やウイルスの感染を促すたんぱく質「プロテアーゼ」を押し流すためで、十五秒間続ける。
3回目:再び同量の水で十五秒間うがい

のどや鼻の粘膜を乾燥させると粘膜細胞の機能が弱まり、細菌やウイルスに感染しやすくなりますが、のどを湿らせれば粘膜細胞の働きはよくなります。

また、調査によると、殺菌力の強いヨード液の場合は、のどの粘膜細胞を風邪の細菌やウイルスから守る常在菌を死滅させる可能性があり、逆効果の場合もあるとのこと。

 

■手洗いをする

風邪のウイルスは食物などを介して口に入り、のどの粘膜について発症する場合も多いので、うがいだけでは不十分で、手洗いを行うことが重要です。

特に、つめの間や指のまた、親指の回りは汚れが残りやすいので、念入りに洗いましょう。手の甲や手首も忘れないようにしましょう。

 

■マスクをすること

マスクは、自分の風邪を他人にうつさないようにする役割だけではなく、風邪を引いた人のせきやくしゃみの飛沫を吸い込むのを防いだり、のどや鼻の粘膜を保温・保湿したり、風邪を引いてから着用してものどなどの粘膜の抵抗力を高めることで早く回復させる効果もあります。

小学生百五十一人に約一カ月間、登校時と下校時にマスクをつけてもらったところ、同期間マスクをつけずに過ごした百三人よりも、インフルエンザの発症率が五分の一に減ったそうです。

 

私が子供の頃は、外から帰ってきたら必ずうがいと手洗いをするようにしつけられましたが、成人してからいつの間にか行わなくなったように思います。

この機会に改めて習慣としたいものです。

2007-12-26 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

いつか来る鳥インフルエンザの世界的大流行のため、個人でできること

マスコミでは既に「流行語」として消費し尽くしたためか、一時期程の話題になっていませんが、鳥インフルエンザのリスクは着実に増しています。

1918年から1919年にかけて流行した、いわゆる「スペインかぜ」では、世界中で当時の人口の実に50%以上の6億人が感染、4,000-5,000万人が死亡したと言われています。日本では当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡しました。

ことほどさように、高病原性鳥インフルエンザは、社会的に非常に高いリスク要因です。

こちらにありますように、WHOでは現在Alert Level 3としています。

Level 4以降になった場合、企業レベル・個人レベル両方で、色々な備えが必要になります。

日本IBMでも、社内でガイドが出ています。

その中で、個人レベルで社外の方にも参考になりそうなものがいくつかありました。大流行の際に予め準備していくことで命が助かる場合もあるかもしれませんので、ご紹介します。

■通常のインフルエンザ、はしか等の発熱性の疾患の予防防接種を受けましょう。通常のインフルエンザ感染で体力が低下したときに新型インフルエンザに感染すると症状が悪化する可能性もありますし、症状で区別がつかずに混乱するためです。

■流行拡大時の感染防止のため、外出を最小限にしなければならない可能性もあります。災害時同様、2週間程度の食糧・日用品等は準備しましょう。

■インフルエンザ対策グッズも用意しておきましょう
・マスク
・破れにくいゴム手袋
・水枕・氷枕(頭や腋下の冷却用)
・消毒効果がある漂白剤(次亜塩素酸)
・消毒用アルコール

「その時」に慌てないように、個人でできる準備だけはしておきたいものです。

 

2008/1/12 追記:

参考リンク1:「風邪やインフルエンザの予防のために」(2007/12/26掲載)

参考リンク2:「中国、鳥インフルエンザの人同士で感染を発表。私達も個人レベルで対策を。」(2008/1/11掲載)

佐世保スポーツクラブの銃乱射事件と、ルネサンス社長の初動対応

昨日12月14日、長崎県佐世保市のスポーツクラブ「ルネサンス佐世保」で銃乱射事件がありました。

私はこの夜、知り合いの合唱団の演奏会から帰宅し、午後10時にテレビをつけたところ、ルネサンスの斎藤社長が記者会見している映像が流れていました。

斎藤社長は、以前参加していた月例勉強会でご一緒させていただきました。非常に穏やかで自然体の方です。

記者会見で斎藤社長は、普段と変わらない穏やかな感じで、とは言え、やや緊張した面持ちで、記者会見を行い、事件の事細かな状況までご自身の言葉で説明されていらっしゃいました。

ルネサンスは、約100施設を日本全国に展開しており、斎藤社長は全てを統括しておられます。

考えてみると、事件発生が、14日午後7時15分。

斎藤社長の記者会見開始が、同日午後9時30分。

事件発生から記者会見まで、2時間15分しかありません。

斎藤社長は、このわずか2時間15分で、突然この全く想定できなかった事件を知らされ、部下を招集し、事件現場の詳しい状況、経緯、間取り、被害者の状態等、その時点で分かる全てを把握した上で、記者会見をマスコミ各社に通知し、ご自身の言葉で記者会見の臨まれたことになります。

考えてみたら、これは凄いことですね。

予め緊急事態の対応を決める、といったオペレーション面だけでなく、高い企業文化や従業員の方々のモラルと、何よりも斎藤社長の的確な判断と強いリーダーシップがあってこそ、これだけの素早い初動対応が可能なのではないか、と思った次第です。

ルネサンスのホームページには当日には斎藤社長の名前で、「スポーツクラブ ルネサンス 佐世保における事件について」という告知が掲載されています。

このようなトラブルの際に、初動対応によって社会全体に与える企業の印象は、非常に大きいものがあります。

偽装事件等の不祥事で、企業トップが見苦しい対応を繰り返していたこの時期、ルネサンス斎藤社長のリーダーシップは、素晴らしいですね。

あの2ちゃんねる等でも、「この社長、すごい」という書き込みが多く見られました。

事件で亡くなられた2名の被害者の方々にはお悔やみ申し上げるとともに、けがをされた方々のご回復をお祈りしております。

また、現場で必死になって対応にあたっておられるルネサンスの方々も、応援しております。

震災で、東京から神奈川方面に向かう交通手段が全て停止。その時、どのように多摩川を渡る?

岩永さんのブログで、震災時に勤務先から歩いて帰宅する場合のことが書かれています。

確かに、震災等で東京が大きな被害を受けて交通機関が長期間稼動しない際に、神奈川方面の人達が帰宅する際には、多摩川越えが大きな問題になりそうです。

ちょっと調べたところ、多摩川で二子玉川から下流方向には人間が歩いて渡れる橋が合計6本かかっています。

これらと並行して、東海道線・横須賀線・京浜東北線・京浜急行・東急東横線・東急田園都市線といった通勤の大動脈となる鉄道が何本も通っています。

ちょっと恐ろしいことですね。どの程度の影響があるのでしょうか?

私の通勤経路である田園都市線を例にとって、ちょっと試算してみました。

1.最初に、毎朝、田園都市線で東京方面に通勤・通学している人数の試算してみます

方法:朝の6時から10時までの間に二子玉川駅に到着する電車に乗っている人数をもって推定する
仮説:列車1本あたり10両編成、二子玉川に入る電車は1両あたり150人乗車していると仮定すると、列車1本で1,500人乗車していることになる
事実:6:00AM-10:00AMの4時間で二子玉川駅から渋谷に向かう列車の本数は合計82本
計算人数は1,500人/本 x 82本 = 12万3千人となる

つまり、毎朝4時間で、田園都市線を使って12万3千人が多摩川を渡っていることになります。

2.次に、災害時に、この12万3千人が国道246号線で多摩川を渡るのに必要な時間数を試算します

仮説:国道246号の多摩川を渡る橋は片側通行のみ確保され、人は自動車1車線と歩道を歩けると仮定する。横幅4mとして6人が横並びで歩くと仮定する。一方、人は時速1km程度で、前後50cmの間隔で歩くと仮定する。
計算1⇒1時間当たり1列で2,000人が通行できる。これが6列なので、1時間の通行人数は12,000人になる。
計算2⇒橋を渡る人数は12万3千人なので、123,000 / 12,000 = 10.25時間かかる

つまり、この12万3千人が東京方面から神奈川方面へ二子玉川の橋を渡り終わるのに半日以上かかる、ということになります。

しかし、明治神宮や鎌倉八幡宮へ初詣等で大勢が押しかけてなかなか前に進まない状況などを思い起こすと、実際には全く動かない時間も結構長いことが考えられます。従って、実際にはこの2-3倍の1日から1日半かかると考えた方がよさそうです。

このように考えると、震災での帰宅時、多摩川にかかる二子玉川周辺では、10万人規模の大渋滞が発生することが考えられます。政府としても、トイレ、食料供給、仮宿泊施設の準備等、ロジスティックスの対応策を考えておく必要がありそうです。

あまり考えたくないことですが、このような場所で、関東大震災で本所被服廠跡に避難した3万8千人を極めて短時間で焼き尽くした火炎旋風が起らないことを祈りたいですね。

上記を試算した結果、我が家では、勤務先から帰宅する交通手段がなくなった場合は、安否はケータイメール等で適宜確認した上で、1日半程度は勤務先の周辺に留まり、その後多摩川付近の渋滞が解消したのを見計らって帰宅する、という対策を立てました。(ただ、この場合もどこに留まるかを考える必要もあります)

上記の試算は田園都市線のケースですが、JRや京浜急行が密集する国道1号線や15号線では、さらに長期間かつ大規模の渋滞が予想されます。

今回は多摩川越えのケースを考えてみましたが、一度、自分の帰宅路について具体的なシミュレーションを行っておき、その結果をもって、対策を家族と話し合っておくとよいかもしれません。

2007-12-07 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

今度は、朝のラッシュ時に人身事故、通勤電車が遅延

なんと、今日は人身事故でまた遅延です。

昨日、「朝のラッシュ時に急病人発生、通勤電車が遅延 」というエントリーを書いたばかりですが….。

自宅から駅に着いて、改札の表示板を見たところ、「人身事故のため全線各駅で運転」との表示。

駅のホームに降りたところ、各駅停車がホームの中ほどで停止。

ホームから300m離れた先には、急行電車が線路の真ん中で停止。

ホームは人で大混雑。

ニュースによると、6:15AMに市ヶ尾駅で飛び込み自殺と思われる人身事故があり、この電車は35分間現場に停止。85,000人の通勤に影響が出たとのこと。かく言う私もその85,000人の中の1人です。

自ら死を選ばざるを得なかったこの方の葛藤と、残されたご家族のことを思うと、やり切れない思いです。

また、鉄道会社の方々も、通勤の皆様(私も、ですが)も、連日大変です。

それにしても、過密した都市はちょっとした変動に対して本当に脆いですね。

今回の遅延で、仮に一人30分間の時間を費やしたと仮定し、一人2,000円で時給換算すると、

85,000 x 0.5 x 2,000 = 85,000,000

ということで、今回の遅延でなんと1億円近い人件費の損失が発生していることになります。(予定していた会議に出れずにリスケジュールした、とか、体力的に疲労した、等の影響は除外しています)

改めて、過密状態が確実に日本経済のリスク要因になっていることを実感した二日間でした。

明日は何事もありませんように。

朝のラッシュ時に急病人発生、通勤電車が遅延

私は田園都市線で都内に通勤しています。

この田園都市線、非常に車内が混雑しているためか、時々車内の急病人発生のために電車が遅れます。

一旦数分程度遅れると過密ダイアのためこの遅れが波及してしまい、そのうち徐行運転が始まり、最終的に数十分の遅れになってしまいます。

徐行運転により輸送能力が落ちてしまう一方で、駅から乗ってくる乗客数は普段と変わらないため、普段の混雑にさらに拍車がかかる、ということになります。

本日も、急病人発生のため、田園都市線がノロノロ運転でした。普段は十数分程度のたまプラーザ⇒溝の口間が二十数分かかりました。

「振替輸送を実施する」とのアナウンスがあったので、南武線経由で会社に行くことにし、溝の口駅で下車しました。しかし、南武線も急病人発生のため遅れが発生しており、ホームは大混雑です。逆に南武線から田園都市線に振替乗車する人も多くいました。

結局、溝の口駅に乗り入れている田園都市線・南武線両方が大幅に遅延する、という状態になっていました。

こちらのニュースにもありますように、今日はこのような遅延が都内各所で発生したようです。

この遅延で恐らく数十万人の通勤に影響が出たのではないかと思います。このブログを読まれている方も、同じように影響を受けた方がおられるのではないでしょうか?

だたでさえ忙しい通勤ラッシュの時間に、振替輸送の手配をしたり案内をしたりする鉄道会社側のコスト負担もかなり大きいでしょうし、通勤なさっている方々の時間的損失と混雑による肉体的な苦痛も大きいと思います。

先日、通勤ラッシュ時にホームで各駅電車を待っていて感じましたが、急行が発車して駅からそれほど離れないうちに、後続の列車が反対側から入ってきます。考えてみれば、このような過密状態で、普段電車が70-80Km/h程度で走っていること自体、凄いことなのかもしれません。

今回の遅延のきっかけになった車内の急病人発生はコントロールできません。わずか数分間程度の遅延ですが、現在のギリギリの過密ダイアでは、このわずかな遅延を吸収することができません。

私達の都市生活は、非常に脆い基盤の上に成り立っているのだと再認識した次第です。

 

追記(2007/12/4) …なんと翌日も人身事故で遅延です。⇒こちら

スローライフな熱海

前回と前々回のエントリーで、伊豆に行ったことを書きました。

私、親族の関係で安く泊まれる宿があることもあって、最近は数ヶ月に一度位の頻度で熱海に遊びに行っています。

「いまさら、熱海?」

とおっしゃる人もいるかもしれません。

確かに、街並みは昭和30年代から40年代の懐かしい雰囲気を醸し出しています。

一方で、至る所で工事が行われていて、新しいホテルやマンションが建設されていますし、人通りもにぎやかです。

ということで、熱海のよい点を改めて考えてみました。

1.実は東京がとても近い

東京から約100Kmの距離ですが、新幹線だと熱海と東京は約50分で繋がります。熱海駅から10分程度の場所にいれば、大手町には1時間程度で到着。東京からの時間は私の自宅と変わりません。このロケーションはいいですね。ちなみに新幹線だと片道3,880円かかるのがちょっとネックかもしれません。

2.お肌に良い温泉

熱海の温泉はちょっとしょっぱいのですが、肌の角質の新陳代謝を促してくれて、皮膚にとてもよいのです。実際、一回お風呂に入るだけで肌がつるつるになりますし、身体の芯から暖まります。

3.実は美味しいレストランもある

昼食でビストロに入ったのですが、昼食2,700円で非常に上質なフランス料理をデザート付で楽しめました。美味しいボルドーのグラスワインも800円でした。このような店はガイドマップで探すとすぐに何店か見つかります。ちなみに私が入ったのはビストロ・ア・ラ・プラージュというレストランで、検索してみると口コミでも評判の店でした。

4.ゆったりとした時間の流れ

私は平日に熱海の街を散策しましたが、昭和30年代から40年代の懐かしい雰囲気を醸し出す街並みを歩いていると、何だかほっとします。途中、昔ながらの喫茶店等に立ち寄ったりしましたが、何もしない、ゆったりとした時間の流れを楽しめました。

一つには、熱海にいる間は、インターネットに接続しなかった(というよりも、接続できなかった)ことも、理由なのでしょう。

 

熱海市の齊藤栄市長は、基本政策として「効率的で開かれた市役所つくり」「歩いて楽しい観光地つくり」「住みたくなるまちづくり」の3つを掲げ、まちづくりに努めておられます。

実際、平日には、最近東京郊外から熱海に移住したと思われる、上品なシニアな夫婦連れが散策されている様子をよく見かけます。市長ご自身も、平成17年に東京から熱海市に移り住んでいらっしゃるそうです。

高速度でビジネスが回っている東京から、1-2日間だけでも離れて、スローライフな熱海を楽しみながら、「身体を緩める」のもいいかもしれませんね。

原始的社会の人々の方が、現代文明に生きる我々よりも、知的な理由

現代においても、いわゆる現代文明に染まらず、原始的社会で狩猟生活をしている人達がいます。

我々は知らず知らずのうちに、彼らよりも現代文明の中で生きている我々の方が知的に優れていると思い勝ちです。

しかし、果たしてこれは本当でしょうか?

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の中で、これに対する一つの回答が書かれています。

著者は、33年間ニューギニア人たちといっしょに野外研究生活をしてきた経験から、以下のように述べています。

—-(以下、引用)—-

周囲の物事や人びとに対する関心も、それを表現する能力においても、ニューギニア人の方が上であると思った。よく知らない場所の地図を頭の中に描くといった、脳のはたらきを表すような作業については、彼らのほうが西洋人よりもずっとうまくこなせるように思える。

(中略)

ニューギニア人のほうが西洋人よりも頭がいいと私が感じる理由は二つある。

(中略)

ニューギニア人のおもな死因は昔から、殺人であったり、しょっちゅう起こる部族間の衝突であったり、事故や飢えであった。こうした社会では、頭のいい人間のほうが頭のよくない人間よりも、それらの死因から逃れやすかったといえる。しかし(主な死因が疫病であった)ヨーロッパ社会では、疫病で死ぬかどうかの決め手は、頭のよさではなく、疫病に対する抵抗力を遺伝的に持っているかどうかであった。….(中略)….つまり、頭のいい人間の遺伝子が自然淘汰で生き残るためのレースは、ニューギニア社会のほうがヨーロッパ社会よりもおそらく過酷だったのである。

二番目の理由は、…(中略)…現代のヨーロッパやアメリカの子供たちが受動的に時間を過ごしていることにある。……テレビは平均して一日七時間はつけっぱなしである。これに対して、ニューギニアの子供たちは、受動的な娯楽で楽しみぜいたくにはほとんど恵まれていない。たいへいの場合、彼らは他の子供たちや大人と会話したり遊んだりして、積極的に時間を過ごしている。子供の知性の発達を研究する人びとは、かならずといっていいほど刺激的な活動の大切さを指摘する。子供時代に刺激的な活動が不足すると、知的発育の阻害が避けられないとも指摘している。これが、ニューギニア人のほうが西洋人よりも平均して頭がいいと思われる状況に貢献している非遺伝的な理由である。

—-(以上、引用)—-

完成されたシステムの中で頭のよさ・よくなさの違いで生存が脅かされることもなく、かつ、受動的に時間を過ごしている人間の方が、知的能力に劣っているということは、現代文明に生きる我々の未来に対する、大きな警鐘なのかもしれません。

今後のインターネットやITの発達を、いかに我々の能動的な活動に繋げていくのか….大きな課題かもしれません。

ちなみにこの本は、ではなぜ西洋人が文明を発達でき、知的に優れていたニューギニア人等の狩猟民族が文明を発達できなかったのかを、数万年間の人類の進化を検証しながら論じている大作です。

非常に「刺激」を受けています。

2007-11-15 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

私の知り合いの知り合いが、天皇陛下

「六次の隔たり」(英語でSix Degrees of Separations)という言葉があります。

誰でも、知り合いを6人以上介すると、世界中の誰とも繋がる、という仮説です。SNSもこの理論が考え方のベースになっているようです。

そう言えば私の知り合いで、天皇陛下に何回かご進講をした人がいます。ということは、畏れ多くも、私と陛下は、「二次の隔たり」なのですね。 (「何回かご進講したというレベルでは、知り合いとは言わないだろう!」というツッコミは、この際、なしということでお願いします… ^^;)

政治家のように様々な人と知合う立場の人は、それこそ「二次の隔たり」であらゆる人と知合いになる機会があると思います。

従って、鳩山法務大臣の友人の友人がアルカイダというのは、事実でしょうし、当然そういうことは特殊ではないと思います。

伝え聞く話では、日本に入国する16歳以上の外国人に指紋採取などを義務付けた法律の意義を強調するために、「私の友人の友人がアルカイダ。会っていないが2・3年前は何度も日本に来ていたようだ」と発言したのが取り上げられたそうです。

その後、「事実を言ってはいけないのか?」とおっしゃっているようです。

確かに、そんな状況で言ったのなら仕方ないかも…と同情しますが、やはり閣僚という公式な立場を考えると、このようなリスクのあることは言うべきではなかったのでしょうね。

2007-11-01 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

マスコミ主導ではなく、大衆主導で空気を作る時代:亀田事件と江川事件の比較

現在、亀田一家が世間からバッシングを受けています。

対内藤戦における亀田一家の行為の是非は別として、このように日本中からバッシングを受ける様子を見ると、江川卓のあの「空白の一日事件」を思い出します。1978年、30年近く前のことです。

江川はあの「空白の一日」以来、マスコミを全て敵に回し、長い期間に渡ってバッシングされ続けました。

江川のダーティイメージが払拭され始めたのは、1980年にクリーンなイメージの原辰徳が巨人に入団し、自身が16勝で最多勝を獲得した頃からではないかと思います。

元々、江川はひょうきんで明るい人柄ですが、このダーティイメージを払拭するためには周囲に色々と気遣いをする等、かなり苦労したようです。しかし、マスコミの江川バッシングが止むのに数年かかりました。

一方の亀田一家。対内藤戦での様々な行為により、マスコミからバッシングを受けています。

江川のケースと違うのは、一部のマスコミが亀田兄弟を担ぎ上げて話題作りをした点でしょう。そして、対内藤戦で全体の空気が反亀田一家になったことを契機に、亀田一家を担いでいなかったマスコミ各社が一斉にバッシングを始めた点です。

ネット上でも、マスコミ側がいくら削除申請しても、個人によってYouTube等にプロレス技や反則示唆の場面がひっきりなしにアップされる事態になり、掲示板でも反亀田一家のメッセージが相次ぎました。

大毅と父親のインタビューの放映後も、「反省していない」とばかりにさらに燃え上がりました。

しかし長男の興毅選手の80分間の謝罪インタビューで、インタビュー中は真摯な姿勢で対応した興毅選手と、それに対して様々な辛らつな質問をしたマスコミ各社の様子が放映されると、今度は「マスコミもおかしい」という空気が変わってきました。

これで亀田一家に対する世間の見方がポジティブになった訳ではありません。しかし、わずか数週間で世間全体の空気が変わってくるという現象は、少なくとも一方的なバッシングが長期間続いた江川事件の頃はなかったのではないかと思います。

違いはやはりネットの存在ではないでしょうか?

従来、マスコミ各社は世論をかなりの程度コントロールできていました。

ネットの普及により、マスコミ各社の情報発信力に対抗する力が多くの無数の小さな個人に与えられました。

特にこの1年間で、YouTubeやニコニコ動画等のように、動画を共有して意見を言い合える環境も整いました。

仮定の話ですが、もしネットが存在しない世界で亀田事件が起こっていたら、どうなったでしょうか?

放映したテレビ局が問題の場面を再放送することは恐らく考えられないので、ビデオに録画していない限り番組を見ていない人には何が起こったか分からないでしょう。

しかし、私達はネットがあるので、番組を見逃しても後から見ることができます。実際、私は亀田・内藤戦の放送が終わってから騒ぎを知りましたが、問題の場面はネット経由の動画で見ました。

また、ネットが存在しなければ、亀田・内藤戦を放映したテレビ局や、インタビューで辛らつな質問をしたテレビ局は、ある程度メッセージをコントロールできたのではないでしょうか?無数の個人同士は、草の根で意見をまとめる手段を持たないからです。

もしかしたら、対抗するテレビ局が反証番組を組む可能性も考えられますが、これはあくまでマスコミ対マスコミの構図であり、マスコミというフィルターを通じて世論が形成されることには変わりはありません。

ネットが存在する現代では、ネットで個人同士が活発に意見を交換し、世論が形成されていきます。マスコミ各社もこの動きをコントロールすることはできません。

 

さて、昔から日本人は、大衆の意思が一方向にまとまると、暴走してしまう傾向があったように思います。昔は太平洋戦争、最近ではバブル経済等がその例です。

しかし、ネットはそのフィードバック機能により、暴走しがちな日本社会に対して、非常によい調整弁としての役割を果たしうる可能性があるのではないか、と亀田事件を見て思った次第です。

ただしそのためには、ネット上での空気に沿わない異質な意見も、「空気嫁」「KY」と言って排除するのではなく、ある程度尊重する大人の姿勢がネットコミュニティにも求められると思います。

2007-10-29 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

京都市立・堀川高校の挑戦

この週末に、10月16日放送のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の録画を見ました。今回は、京都市立堀川高校校長の荒瀬克己さんでした。 NHKのサイトに、概要が掲載されています。

探求科を設置。生徒達が自由に課題を選んでそのテーマを探求します。

番組では様々なテーマが紹介されていましたが、大学や大学院レベルのものが多くありました。

生徒の一人が、「このテーマをもっと研究するために、研究設備が整っている京都大学に進学したい。だから英語や国語も頑張る。目標があるから勉強が楽しい」と語っていたのがとても印象的でした。

「自分自身がもっと知りたい。真理を探究したい」

という思いが、学ぶための原動力になっていることがよく分かりました。学ぶ姿勢とは、このようなことを言うのではないでしょうか?

堀川高校は「公立高校は進学に不利」という定評を覆し、国公立大学進学者や京都大学進学者を飛躍的に伸ばしました。

しかし特別な受験対策授業は行っていないそうです。

学ぶことの意味を自分で理解できれば、あとは自分自身で成長できるということがよく分かります。

番組では、世界の人達を招き、「環境サミット」を高校生自らが企画運営している様子も紹介されていました。

校長の荒瀬さんは、そのために生徒達と真正面から向き合いながらも、黒子役に徹します。

ともすると、「最近の若い人達は….」と言いがちな大人達は、

1.それでは、自分は若い人達に対して真正面から向き合っているのだろうか?
2.あるいは、過保護な干渉をしていないだろうか?

改めて、考えてみるよいきっかけを得られるのではないでしょうか?

悩んでも仕方がないことと、本来悩むべきこと

悩んでも仕方がないこと

■試験や受験の結果

「受験に失敗するかも?」といくら悩んでも、受験の成功率アップには全く繋がりません。

むしろ本来の勉強時間を悩む作業に使ったことで、成功率は落ちる可能性があります。逆効果ですよね。

落ちた時のことは、落ちた後に考えても十分に間に合うことが多いのではないでしょうか?

こちらの記事に詳しく書いてあり、大変参考になります。

■病にかかることや、死ぬこと

大変残念なことですが、歴史上のどんなに偉大な人物でも、100%死を迎えています。

そして残酷な事実ですが、我々もいずれ「お迎え」が来ます。

それも、いつかは全く分かりません。50年後かもしれませんし、1週間後かもしれません。

いつかは必ず「お迎え」が来るですから、特に根拠がないのに「死ぬかもしれない」とか「大病にかかるかも」と常に悩むのは、あまり意味がないような気がします。

むしろ、その日までにいかに生きるかを考えた方がよいのではないでしょうか?

(ただ、死ぬリスクを軽減するために、定期診断を受けることは非常に意味はあると思います)

 

上記いずれの場合でも、悩んでも変わらないことをいくら悩んだり、また悩むこと自体を悩んでいても、状況は全く変わりません。

むしろ「自己暗示」という観点では、弊害の方が多いような気がします。

なかなかこのような悩みから開放されるのは、難しいことのなのですが、….。

大病を克服した人ほど未来志向なことが多いのは、このことと無縁でないかもしれません。

 

本来、悩むべきこと

■自分は、いかに成長するか?

自分をふりかえってみても、自分の未熟さを痛感することが多くあります。

しかし、「あの時、あのようにすればよかった」とあとから悩むよりも、そこから何を学んで今後はどのようにするかを前向きに考える方が、自分を成長させる上で必要なのではないかと思います。

■自分は、何のために生きているのか? 自分が、この世の中で課せられた役割は何か?

これは永遠に終わりのない問いでしょう。

自分の役割は、誰も決めてくれません。自分で決めるものです。

これを問い続け、その意味を探り続けることで、自分の人生はより充実したものなるのではないでしょうか?

 

このように考えると、我々が悩むべきは、悩んだ結果で将来が変えられる場合です。

悩む時は、常に未来志向で悩みたいところですね。

オープンソースな世界:歴史と将来

「オープンソースの考え方が世界を変革する」という記事、秀逸ですね。コンパクトにオープンソースの歴史がまとまっていて、参考になります。

この記事に書かれているように、コンピュータ・ソフトウェアの世界を変えたオープン・ソース文化は、現在さらに浸透し、いまや著作権フリーな動画や音楽が生まれつつあります。

極めて近い将来、このように生まれたオープンソースな音楽や動画等のコンテンツが一般社会で大きくブレークして話題になり、次第にそれが当たり前なことになっていくのではないでしょうか?

実際、小島よしお等の例も出てきています。

さらに将来、オープンソースの文化がさらに浸透していくと、今後は暗黙知の共有もオープンソースな方法で行われるようになっていくのでしょうね。

先日ご紹介したように、YouTubeで大学の最重要コンテンツである講義を無償で公開するUCバークレイの事例も出てきています。

言い古された話ですが、既存ビジネスモデルによるコンテンツ・ビジネスは、この波を捉えて波に乗って発展するのか、あるいは波の呑まれてしまうのか、大きな岐路に立っていることを改めて認識させられます。

2007-10-23 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

学校裏サイト

学校裏サイトについて、色々と報道されています。実際に検索してみると、いくつかの学校裏サイトを見つけることができます。

子供達がネットコミュニティを活用し、ネットリテラシーを身に付けること自体は素晴らしいことだと思います。

しかし一方で、『「学校裏サイト」で広がるいじめ』という記事にもあるように、ともするといじめがエスカレートし、悲惨な結果になることも起きています。

ネット上で大勢から誹謗中傷を受けて、誰にも相談できずに死を選んでしまった子供のことを考えると、「他に方法がなかったのだろうか?」と、非常に心が痛みます。

この記事にあるように、いじめる側は「自分の正体はバレない」と考え、さほど罪悪感もなく、行為をエスカレーションさせてしまう面もあるようです。

実際には、ネットでの活動はどのパソコンやケータイで情報を書き込んだか、というところまでトラッキングは可能なので、当局がその気になればアクセス履歴は特定されてしまう、という認識は薄いのかもしれません。

一方で大人の実名のコミュニティでも、「荒れる」状況は結構頻繁に発生します。実際、十数年前にパソコン通信が流行った頃、私が管理者を担当していたある会議室でも、水面下で様々な深刻なトラブルが発生し、裏側で対応に追われたことがあります。

ある意味、ネットコミュニティは、ネットコミュニティにいるメンバー各自の成熟度の「増幅装置」なのかもしれません。

社会でそれなりの経験を経て、比較的他人とのコミュニケーションの方法を身に付けた大人のネットコミュニティでさえ、管理者がいても荒れます。

学校裏サイトは多くの場合、学校当局でもその存在を把握していないようです。しかも多くは匿名です。

私が学生だった頃の経験では、やはり中学・高校時代のコミュニケーションは皆ぎこちなく、ちょっとしたことで色々な誤解や中傷を招き、衝突していたように思います。(だからこの時代を「青春時代」と呼ぶのでしょうね)

人間は他人とぶつかっていくことで成長していくのですから、このような経験自体は必要だと思います。

しかしながら、コミュニケーションのトラブルを桁違いに増幅させてしまうネットコミュニティを、管理者不在のまま子供達が自由に使える状態で放置するのは、危険極まりないことなのではないかと思います。

私は実際の教育の現場におりませんので、実際に担当されておられる先生方は大変な苦労をなさっていることと思います。

従って、あくまで第三者の意見ですが、恐らく、今、必要なのは、以下の3つではないでしょうか?

■「匿名性があるように見えても、実はネットでの活動は個人を特定可能である」ということについて、子供達に伝えること。実際に事件が起こった際に、当局がアクセスログを解析しているケースも多いので、今後の「歯止め」の意味で、報道でこの部分によりフォーカスを当てる。

■ネットでのコミュニケーションについて、その利便性・危険性を教育の現場でも取り上げること。できれば、実際にネットコミュニティの運営に関わったりトラブルに対応してきた経験のある人が、自分の経験として語る

■技術を活用して、学校裏サイトの存在の実態を把握する。過度な干渉は控えるべきですが、事件性の芽は早めに把握し、しかるべき対応を行っていく。実際、Dark Webのように、技術活用でテロの活動を事前に把握する試みも始まっています。テロの活動把握と同様、固有名詞等で特定することにより、学校裏サイトの実態把握は可能ではないかと思います

学校裏サイトの問題は根深い問題であり、上記の対策を行っても、学校裏サイトでのいじめの問題が根絶できる訳ではないことは、大人が参加する実名ネットでトラブルが発生していることからも分かります。

しかし、「全くの野放し」いう状況は、かなり改善できるのではないでしょうか?