大震災により、首都圏で増えている心的外傷後ストレス障害(PTSD)や鬱。大切なことは?

震災から間もなく4週間です。

私は幸いネットワーク経由で仕事できる環境でしたので、震災後1週間は在宅で仕事を行っていました。

しかし最初の1週間、テレビ(実際にはUstreamで見るNHK)が伝えるのは悲惨な状況ばかり。原発の状況も、日々、新たな絶望的な状況ばかり発生していました。

計画停電で真っ暗になり、節電のため暖房もつけられず厚着することもありました。

近所の店に行くと、買い占め客こそいませんでしたが、短い時間に大勢が殺到して、レジまで1時間待ち。

それでも被災地と比べると、全く申し訳ないほど恵まれている訳ですが。

 

ということで、最初の1週間は、家から出るのもなかなか気が進まず、腹の調子も悪く、胃の調子も悪い状態でした。

最近、勉強会でお会いした半数位の方々も、「ちょっと鬱っぽい状態だった」「体調が悪かった」とおっしゃっていました。

関東の方々は、こんな状況の方が多かったのではないでしょうか?

 

以下は、2011/4/4の日本経済新聞夕刊の記事『「一人外出不安」「眠れない」、首都圏住民、心の不調、医師「日常習慣取り戻して」』からの抜粋です。

—(以下、引用)—

 東日本大震災に関連して、被害が比較的小さかった首都圏の住民が「眠れなくなった」「一人で外出できなくなった」と不安を訴える事例が相次いでいる。うつ病などの患者の症状が悪化する傾向も見られ、医師らは「地震の情報に過度に触れず、日常生活を取り戻すことが大事」と話す。

(中略)

 コミュニティーを開設した内海診療所(愛媛県愛南町)の内科医、山内美奈さんは、「関東の人は『東北の被災地はもっと大変なのに』と我慢してしまう」と指摘。「心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ病予防には周りに助けられている感覚が重要。サイトが不安や悩みを受け止める場になれば」と話し、長期に運営する予定だ。

—(以上、引用)—-

確かに、テレビのニュースは気になるのでどうしても見てしまうのですが、実はそのほとんどは、すぐに知らなかったとしても、問題がないものばかりです。

あえて、テレビを付けない、というのも一つの解決方法なのかもしれません。

 

また、私は震災から5日後、銀座に出かけました。

正直に言うと、この時は、家から離れるのが怖かったのですが、実際に普段と変わらない街を歩いたり、友人達と飲んでいたりすると、自分が「怖い」と思ったことの多くが杞憂だったことも分かりますし、何よりも元気づけられます。(しかし、夜はこんな感じで、街全体が真っ暗でしたですね)

 

暗いニュースが多い日々が続きますが、あえてニュース情報は遮断した上で、普段通りの生活に戻ることも大切なのかもしれませんね。

あるいは、前向きに行動している仲間と話してみるのも解決方法かもしれません。

 

私は、大震災でかなり気分がブルーになっていた時期でも、ブログは書き続けました。

オルタナティブブログは読者数も多いこともあって、暗い気持ちをそのまま書くととても大きな影響があります。

今だから書けますが、あえて明るい話題を書くように心がけていました。

ブログを書く行為と、Twitterやはてぶ等で皆さんからいただく様々なメッセージが、ともすると気弱になる自分を支えてくれていたようにも思います。

皆様には感謝しております。

 

2011-04-06 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

クラウドで情報基盤があるからこそ、組織の壁を越えた情報共有が大きな価値を発揮する。そしてそれは、有事に限らないはずだ

今回の震災では、ITの面でも、組織の壁を越えて大きな価値を生んだ事例が数多く生まれています。

例えば、昨日(2011/4/4)の日本経済新聞の記事「経営の視点 企業連携促す震災対応――情報共有、平時から意識を」では、防災科学技術研究所が震災3日後に開いた震災情報サイト「ALL311」が紹介されています。

—(以下、引用)—-

…被災地の様子を地図に示すサイトで、NTT東日本の子会社が航空写真情報サービスの写真地図を無償提供した。

 防災科研は政府の計画で3年前から防災地図情報の作成に着手。期せずして東日本大震災で成果を発揮した形だ。計画には日本IBMやニフティなどがクラウド基盤を提供している。

 責任者の長坂俊成氏は「重要だったのは様式が異なる各社の情報を一緒に表示できるよう手順を共通化したことだ」と言う。企業はビジネス機会をにらみ、情報を抱え込む傾向が強いからだ。だが、震災は企業間の壁も一気に崩した。

—(以上、引用)—-

また同記事で、震災1週間後に、ITSジャパンが公開した、被災地を車が実際に通ったルートを示す「通行実績情報マップ」が紹介されています。

—(以下、引用)—-

 情報を提供したのは、ホンダ、パイオニア、トヨタ自動車、日産自動車。車の位置情報を無線で吸い上げ、渋滞情報などに使う「プローブ」技術のデータだ。

 技術の精度を上げるには各社が情報を持ち寄るのが一番だが、技術開発競争が歩み寄りを阻んでいた。ところが震災で各社の担当者が情報の提供に応じ、どの道を行けば被災地にたどり着けるのか、地図上で一目瞭然となったのである。

—(以上、引用)—-

記事は以下のように締めくくっています。

—(以下、引用)—-

 こうした連携は有事ゆえに組織のしがらみを越えて実現できた。膨大な情報を蓄積できるクラウド基盤が広がった今こそ、平時から情報を共有する意識を育むことが、大災害を防ぐことにもなるだろう。未曽有の大震災が促した結束を忘れないでほしい。

—(以上、引用)—-

記事にも書かれていますように、この数年間で急速に拡がったクラウドによる情報基盤があったからこそ、組織の壁を越えた情報共有が実現でき、大きな価値を発揮したのでしょう。

しかし、考えてみれば、組織の壁を越えた情報共有は、有事に限らなければならない理由はないかもしれません。

確かに従来のように、情報囲い込みで短期的な利益を確保したい、と考えがちです。

しかし平時でも、組織の壁を乗り越えて、クラウドを活用して情報共有することで、世の中に大きな価値を生むことも、多いはずです。

今回の震災で生まれた様々な事例は、図らずも、それを実証したように思います。

これから10年近く続く日本の再生でも、このように組織の壁を越えた情報共有により、大きな価値を生み出していければ、日本も元気になっていくのではないでしょうか?

 

2011-04-05 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

ソーシャルメディアは、日本の「空気」が生み出すダークサイドを、変えることができるか?

「空気」というものは、日本独特で、なかなか英語に訳すことはできません。

敢えて言うと、atmosphere (雰囲気)が、比較的近い言葉かもしれません。しかし日本の「空気」が個人の行動を制約する強制力を持つのに対し、個人主義の欧米人にとってatmosphereは強制力を持っていません。

この不思議な「空気」について、5年前に当ブログで「日本における『空気』の功罪」というエントリーを書きました。一部引用します。

—(以下、引用)—

…(「空気」には)いい面と悪い面があると思います。

いい面ですが、ある程度の時間をかけて全体で「コンセンサス」という「空気」が出来上がり、一方向にベクトルがセットされて突き進むと、恐らく日本は多くの分野で世界最強なのではないでしょうか?

古くは富国強兵。1960年代から80年代は高度経済成長。いずれも見事に国全体のベクトルが合わさりました。

(中略)

一方の悪い面ですが、この「空気」が作るベクトルが不合理な方向に進むと壮絶な破局をもたらします。中華事変から太平洋戦争までに至る道がまさにその例だと思います。

(中略)

また「空気に合わない」モノを村八分にしたり、つるし上げたりする傾向も「空気」が支配するダークサイドだと思います。…

—(以上、引用)—

 

また、3年前に「極めて危険な、空気読み過ぎ+思考停止する日本」というエントリーも書きました。

—(以下、引用)—

….(太平洋戦争当時の)軍部では、論理ではなくその場の空気でモノゴトが決まっていきました。

そして世間では、戦争に向かう社会全体の空気に逆らう人に対して、当時は「KY」ならぬ「非国民」というレッテルを貼りました。

(中略)

論理が排除され、思考停止状態になり、空気でモノゴトが決まっていく日本。

これ、極めて危険です。

(中略)

一旦、日本全体が空気だけでモノゴトが決まってしまうモードになると、論理的な議論が極めて難しくなります。

そうなる前に、思考停止状態に陥りかけている社会に対して、私達一人一人が自分の頭で考え、本来何をすべきなのかを問いかけていく必要があります。

—(以上、引用)—

 

今回の大震災では、日本で様々な新しい空気が生まれつつあります。

 

「自分の利益は後回し。お互いに助け合おう」という空気。

これは、とても大切にしたいですね。

 

「被災地に配慮して、華やかなことは自粛しよう」という空気。

「お互いに助け合おう」という空気から派生したものです。

確かに被災地復興を妨げる活動は止めるべきですが、過度な自粛は日本全体の経済活動そのものを萎縮させます。そして、経済活動萎縮の先にあるのは、企業倒産や労働者解雇。

私は個人的には、佐々木俊尚さんの「不謹慎ディナー宣言」がとても好きです。非難の嵐が来ているそうですが、かく言う私も、震災後は、いつもよりも食事に行く回数を意図的に増やしています。

 

「ありとあらゆるものは、節電すべし」という空気。

確かに大規模停電は避けるべきですし、夏に向けて節電癖を付ける必要があります。

しかし最大供給量を需要が上回らなければ大規模停電は避けられるので、、電力需要が少ない時間帯(例えば真夜中)には、無理に電気を使わないようにする必要は、必ずしもないかもしれません。

 

一方で3.11以降、ソーシャルメディアの空気に対する影響力は、格段に増した、と実感しています。

確かに、ソーシャルメディアは、風評の発生元になるという負の面もありました。石油製油所の火災で「有害物質が雨と一緒に降るので注意」というデマもその一つ。

しかしインフルエンサーによるソーシャルメディア上の冷静な意見は、震災後のパニックを押さえるのにあたって、大きく貢献していると思います。

 

空気は、水を差されると消える、という性質があります。その水とは、非常に影響力が強い冷静な意見だったりします。

今後、日本における空気のダークサイドを押さえるためには、ソーシャルメディアで情報発信するインフルエンサーやアルファブロガーによる冷静な意見は、とても大きな役割を持つのではないかと思います。

 

 

2011-03-31 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

そして、『いつもの日常』に戻ってしまう危うさ

今回の震災は、人々と多くの建物を壊しただけでなく、これまで組織や人々の間にあった壁も壊しました。

この震災がきっかけで、「これを機会に日本が大きく変えていこう」という意見が多く見られるようになりました。

私も、1週間ほど前に、「今回の災害を乗り越えた先には、新しい社会が待っているような気がする」というブログを書きました。

 

しかし、首都圏の停電も、恐らく1年程度で解消されます。

現在深刻な状態にある原発の問題も、時間がかかるかもしれませんが、いずれ何らかの形で解決するでしょう。

そして、いつか日常の日々が戻って来ます。

 

次の文章は、2011年3月27日の日本経済新聞の記事「三度目の奇跡:世界が見つめる日本 もう先送りはできない」からの引用です。

—(以下、引用)—-

米ブルックキングス研究所北東アジア政策研究部長のリチャード・ブッシュは今回の震災が高齢化や人口減、政府債務の膨張など数々の難題を抱える中で起きたと指摘。

「日本の危うさは政治家たちがやがて『いつもの日常』に戻ってしまうことにある」と訴えた。

危機が問うのはそこに生きる人々、ひいては国としての決意である。それ次第で歴史は変わる。

「望まぬ現実には目をおおい、望む方向には事実をまげようとする為政者のきょうだな態度は、はかりしれぬほど国民にわざわいした」

—(以上、引用)—-

 

現在の非常時モードから、普段の日常モードが戻った時に、果たして私たちが「新しい日本を創ろう」という問題意識を持ち続けられるかどうか?

 

阪神淡路大震災は1995年1月17日に発生。マスメディアが一斉に災害の惨状を報道し、全国が阪神地区の支援に動きました。

その2ヶ月後、1995年3月20日に地下鉄サリン事件が発生。マスメディアの注目は一斉にオウム真理教の動向に移り、阪神淡路大震災の報道は急速に減りました。

 

記事を見て、「新しい社会」を実現するためには、他ならぬ私たち自身が、現在の問題意識を風化させないこと、そして、それを為政者に要求し続けることが必要である、と感じました。

私自身も、今の気持ちを忘れないために、ブログを書き続けたいと思います。

 

 

ドラッカーは、これから半年~1年間の我が国の電力計画の考え方についても、教えてくれていた

林總著「ドラッカーと会計の話をしよう」を読了しました。

この本は、ドラマ仕立てで、詳しく会計を知っている人でも陥りがちな落とし穴について、分かりやすく学ぶことができます。

なぜドラッカーで会計なのか?

実は経営学者のドラッカーは、最先端の管理会計学者でもあります。本書では、そのドラッカーの言葉が随所に引用されています。

また、ドラッカーは、社会生態学者、法学、経済学、政治学、美術についても超一流の学者でした。まさに現代のレオナルド・ダ・ビンチ。

特に興味を惹いたのは下記でした。

—(以下、p.117から引用)—

第一に、業績の90%が業績上位の10%からもたらされるのに対し、コストの90%は業績を生まない90%から発生する。業績とコストは関係がない。(中略)

第二に、資源と活動のほとんどは、業績にほとんど貢献しない90%の作業に使われる。

—(以上、引用)—

 

—(以下、p.122から引用)—

損益計算書を見ても、お金がどのように使われたのか、何も書かれていない。

—(以上、引用)—

 

—(以下、p.139から引用)—

一律的なコスト削減計画では、うまくいっても効果は小さい。

第一に、コスト管理は、最大のコストに集中しなければならない。5万ドルのコストを1割削減するのに要する労力は、500万ドルのコストを1割削減する労力とほとんど同じである。(中略)

第二に、コストはその種類によって管理しなければならない。(中略)

第三に、コスト削減の最も効果的な方法は、活動そのものをやめることである。

—(以上、引用)—

 

ちょうど震災後にこの本を読んだこともあって、「コスト削減 = 節電・電力削減」と読み替えてみました。

現在の計画停電は、「一律的なコスト削減計画」に近い考え方だと思います。(停電除外地域があったり、医療機関等を除外することは検討はされていますが、これらはあくまで一律削減方針があった上での例外扱いです)

そこで、上記の引用箇所で、

「コスト = 電力」
「業績 = 個人生活レベルと、日本の経済活動」
「損益計算書 = 電力使用状況」

と読み替えると、我が国が、現在の限られた電力供給量で、人々の生活レベルと日本全体の経済活動を維持するために、どのように考えるべきなのか、ヒントが提示されていると思います。

ポイントは、供給者側だけの視点で電力コントロールをするのではなく、需要者側の視点(=顧客の視点)も入れることなのでしょう。

損益計算書から無駄なコストを見つけられないのと同様、電力使用状況をいくら詳細に分析しても、日本全体の視点で、電力用途の優先順位を付けることはできません。

今後の我が国の電力計画を決定するには、電力会社と政府だけの議論ではなく、電力消費者側も加わることが必要なのでしょう。

 

なお、著者の林總さんは、「餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか? 」などのベストセラーを書かれた方で、物語仕立ての会計の本を多く書いておられます。

この本も、とてもシンプルながら、奥深いストーリー。1時間で読むことができます。お勧めです。

 

 

 

2011-03-27 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「悲観主義は感情に属し、楽観主義は意志に属する」

この言葉は、震災後、私のブログで、何回か書かせていただいた言葉です。

実は、私のブログのリツィートで、この言葉を引用して下さる方々がとても多いのです。

そこで今回、この言葉について少し掘り下げて書きたいと思います。

 

この2週間に繰り返しニュースで伝えられる惨状、各地で繰り返し起こる余震、日々状況が変わっていく原発事故、そして飲料水や野菜から微量の放射能が検出されたというニュース。

このような状況で、なかなか明るい気持ちにはなれないのも、無理はありません。

人間は「感情」を持っています。

どうしても感情に押し流されて、悲観的になり、何も手がつかない状況になってしまいがちです。

かく言う心配性な私も、地震から数日間は、起きてから寝るまでニュースばかり見ていて、ちょっと鬱っぽくなりました。

いったんこのパターンにハマってしまうと、

「M7クラスの直下型地震が来るのではないか?」、
「富士山が噴火したらどうしよう?」、
「原発が爆発して放射能が全国にまき散らされたらどうする?」、
「人々がパニックになり暴徒と化し、巻き込まれたら?」、

等々、際限なく考え始めてしまいます。

多くの場合、取り越し苦労なのですが。

そして外に出るのも辛くなります。

 

一方で人類は、過去幾多の災害を克服し、明るい未来を描き、その未来に向って力を発揮し、進化してきました。

特に、地震・台風・火事(オヤジ?)と言われるほど災害が多かった日本は、世界の中でも、特に多くの災害を乗り越えてきました。

この明るい未来を楽観的に描く力が、「意志の力」です。

 

このような時に楽観的になるのは、なかなか大変。

だからこそ、あえて楽観的にいきたいものです。

これまで日本人は、災害を何回も乗り越えるたびに、災害前とは違う新しい社会を創り上げてきました。

今回も、できない理由はありません。

意志の力で、楽観的にいきたいものです。

 

最後に、どうしても悲観的に考えてしまう人に、お願いです。

楽観的になっている人を責めないで欲しいのです。

人間にとって、「感情」、「意志」、ともに必要な力です。

もし感情がほとばしり悲観的になったとしても、自分を責める必要は、全くないと思います。(私自身も、震災直後はそうでした)

また、無理に楽観的に考える必要も、ないと思います。自分の心のバランスを無理なく保つことが、今、一番必要なことです。

しかし、楽観的になっている人を責めないで欲しいのです。

このような状況で楽観的にしているのは、実は、本人も結構大変です。

少しだけ、楽観的な人達の内面も察していただけると、ありがたいです。

Twitterのタイムラインを見ていて、そう思いました。

 

 

「がんばれ!被災地フェア」の提案。 私たち消費者の力で、風評被害拡大の阻止を!

原発事故に伴い、被災地産の野菜に対して、風評被害が拡がりつつあります。

例えば、こんな記事があります。

「ホウレンソウ取扱量、東京で半減 4県産出荷停止受け」 (asahi.com)

規制値を超える放射性物質が検出され、出荷停止指示を受けたホウレンソウは、福島県産のうちの一部です。

市場に出ているホウレンソウは出荷停止指示は受けておらず、放射能も問題がないにも関わらず、風評被害が拡大し、市場で全く取扱いがない状況です。

ホウレンソウ以外にも拡がっているようです。

ただでさえ被災地の人達は生活が大変。

それに加えて、風評被害で商品が売れない、というダブルパンチ。

これはたまったものではありません。

 

現時点では、市場で商品購入をためらっているのは、小売業者の方々です。

そして、小売業者の方々の行動を決定しているのは、私たち消費者の声。

実際に私の同僚が、ある大手スーパーに問い合せたところ、「色々な事情があって、要望には応えられない。しかし、今後多くの皆様からの要望があれば、対応は可能」との返事がありました。

現代は、私たち消費者の声は、ホームページから簡単に届けることができます。

例えば、大手小売りのホームページ窓口のリンクは、下記です。

イオン

イトーヨーカドー

西友

ダイエー

東急ストア

 

そこで私は、いつも食品を買っている店のホームページ窓口から、下記文章で意見をお送りしました。

「お世話になっております。いつもxxxxx店で食品を購入してるものです。

新聞等によると、卸売市場にて、福島/茨城/栃木/群馬産品の野菜の風評被害が広がっており、小売業者様からの買い手がつかないようです。確かに、既に政府の指示で出荷停止になったものもあります。しかし現在市場に出ているものについては、実際に健康被害が出るとは思えません。

これらの県は被災地でもあり、買い控えは、災害に苦しむ人達の貴重な生活の糧を奪う行為とも言えます。

ここはぜひ、「がんばれ!被災地フェア」を企画いただき、風評被害で苦しむ方々を救うキャンペーンを企画いただいてはいかがでしょうか?

このようなキャンペーンを実施いただいた際には、私も是非購入させていただきたく思っております。

ご検討いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。」

 

ご賛同いただける方は、いつも食品を買っている店のホームページ窓口から、同様に「がんばれ!被災地フェア」を企画いただくように、意見を出してみてはいかがでしょうか?

企業の行動を変えるのは、私たち消費者一人一人の声です。

消費者は、企業に対して、「モノを購買する」という形で、直接の影響力を行使し、企業の行動を左右することができます。

例えてみれば、企業に対する購買行為が、政治家に対する選挙による投票行為でもあります。

いま、その消費者の力が試されていると思います。

幸い、数日前にこちらに書きましたように、私たち消費者は、現在、ソーシャルメディアという強力な手段を持っています。

日本の消費者の力で、風評被害をとどめることができれば、これは素晴らしいことだと思います。

 

なお、中には「そうは言っても、私はやはり心配」と思われる方もおられると思います。

参加するかどうかは、あくまで各自のご判断でお願いします。

 

 

現在の日本の課題:「電力」を考えてみる

現在の日本では、様々な経済活動が滞っています。

その大きな原因は、言うまでもなく停電。

何かイベントをしようとしても、その時点で停電になる可能性があれば、キャンセルせざるを得ません。

店も停電になると閉店せざるを得ません。

まさに、電気は社会活動のエネルギー源。

ですので、ここ数ヶ月から1年間で必要なことは、まずは電力を復旧し、停電をなくすることかと思います。

 

一方で、現在、日本全体、および東京電力内の電力のうちで23%が原子力に依存しています。

今後原子力発電を推進することが難しくなることを考えると、これから数年~10年単位で必要なことは、日本を低エネルギー消費社会に変えていくことではないでしょうか?

 

最大電力供給量は、ピーク時の電力消費にあわせて設定されています。

ですので、蓄電によって、電力需要の低い夜間等に電気を溜めておいて、ピーク時に溜めておいた電力を使用する、というのは、一つの解決方法になり得ます。

 

ヨーロッパでは、既にこの要素技術を活用しようとしているプロジェクトがあります。

例えば、電気自動車は年間の95%の時間は駐車されコンセントに繋がれています。電気自動車(または、プラグインハイブリッドカー)のバッテリーを蓄電池として利用するのも、一つの方法です。

また、風力発電や太陽光発電等の再生エネルギーは、CO2を発生しないという利点はありますが、電力供給量は天候次第で安定しない、という欠点もあります。

デンマークで、数年前からこの両者をうまく組合わせる取り組みを行っています。

具体的には風力発電から電気自動車の蓄電池に蓄電し、電力量が不足したときに電気自動車の蓄電池から、どれぐらいの電力量を確保できるのかをシミュレーションする方法を開発したり、電気自動車からの電力をスマートグリッドに送るシステムを構築しようとしています。

詳しくは、こちらをご参照下さい。

IBMもこれらのプロジェクトに関わっていますので、これらの成果を日本で適用していくことも可能です。

 

これらはあくまで一例です。

電気自動車やプラグインハイブリッドの普及はこれからですので、数年先を見据えた解決策になってくると思います。(また、電力抑制を求められる現状、プラグインハイブリッドとの組合せの方が有望かもしれません)

いずれにしても、グローバルな視点で改めて見てみると、日本が直面する課題を解決するためのテクノロジーや仕組みは、既に様々なものがあります。

これを日本に適用することで、さらに発展できる可能性もあります。

自前主義に拘らず、役立つものは積極的に活用していく、という実用主義的な発想が、これからの日本には必要になってくるのではないでしょうか?

 

2011-03-22 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

マスメディアによる世論形成の時代の終わりと、ソーシャルメディアによる世論形成の時代の始まりを感じた、AERA特集「放射能がくる」

AERA最新号の特集「放射能がくる」について、Twitterでは非常に多くの方々が反論意見を述べておられます。

オルタナティブブログでも、下記のようなエントリーがあります。

・坂本英樹さん「AERA「放射能がくる」特集の意義と価値を考える」

・川上暁生さん「報道のあり方について」

そしてAERAが、謝罪メッセージを出すに至っています。

 

一連の動きを見て、「いよいよ、マスメディアが世論を形成した時代の終わりが、見えてきた」と感じました。

 

10年前、一般市民の主な情報入手手段は、テレビや雑誌、新聞等のマスメディアに限られていました。

マスメディアが世論を形成していました。

それは決してよい面だけではなく、マスメディアによって作り出される、大衆迎合的・衆愚的な悪い面も多かったように思います。

一方で現代は、ソーシャルメディアが幅広く普及し、一般市民の中にも浸透してきています。

実際、私自身、今回の災害で頼りにした情報の多くが、ソーシャルメディアからの情報でした。

そしてそれらの情報源は、それなりの見識を持ったアルファ・ブロガーだったり、識者だったりする人達でした。

今回の災害で、そうして得られた情報と、マスメディアが流す情報を照らし合わせてみてみると、どのメディアがどんな意図でニュースにメッセージ性を与えているのか、よく分かりました。

・芸能ネタと同じノリで、煽りメッセージを出す、マスメディア

・情報が未消化のまま、不十分な知識で独自の解釈を流す、マスメディア

・社会的な影響度を考え、分かりにくい部分を分かりやすく伝えようと努力する、マスメディア

 

ただでさえ、震災や原発事故で人々がナーバスになっています。

この状態で、もし10年前に、AERAのようなステータスが高い雑誌が、今回のような「放射能がくる」という特集を組むと、どうなったでしょうか?

恐らく、社会全体がパニックになったのではないでしょうか?

それこそ疎開する人達が列車や高速道路に殺到したかもしれません。

しかし社会はパニックに陥るどころか、Twitterやブログには、報道姿勢を疑う意見や、中には「二度とこの雑誌は買わない」という意見が溢れています。

 

今回の災害は、マスメディアが圧倒的な力で日本の世論を左右していた時代の終わりと、ソーシャルメディアによる世論形成の時代の始まりのきっかけを、我が国にもたらしているように思います。

そのような時代、ソーシャルメディアに関わる人達には、人間としての成熟が求められるのではないかと思います。

一ブロガーとして、身が引き締まる思いではあります。

 

 

まるで深夜午前2時のようにひっそりした、平日夜7:30の銀座

一昨日、私は午後休みをいただいて、銀座にいました。

昼食の後、夜8時に新橋で知人と会う予定が入っていたため、パソコン電源が取れる喫茶店で、パソコンで資料作成にいそしんでいました。

この日の午後3-4時頃、政府から「電力消費量が多いため、都内で大停電の恐れがある」との発表がありました。

それを受けて、私がいた喫茶店も、午後5時半に閉店。

近くのコンビニに入ったものの、ここも午後6時に閉店。

会社員の皆さんは固い表情で、有楽町駅に向って一斉に歩いています。後程、Twitterで電車が超混雑だったことを知らされます。

結局、私はいつも合唱団の練習でお世話になっている区の施設で滞在し、資料作成を続けました。幸い、停電はありませんでした。

午後7時半、銀座を通って新橋に向いました。

普段なら夜7時半の銀座は、いつもは華やか。

この日の夜7時半の銀座の写真です。

これは松坂屋前から、和光方面

Ginzawako

 

これは松坂屋前から、新橋方面

Ginzashinbashi

 

まるで、午前2時のようにひっそりしています。

午後7時半の寂れた銀座を歩きながら、経済活動を継続しなければ、確実に日本経済が縮小していくということを身を以て感じました。

 

この日は午後8時から飲み屋で打ち合わせを行い、夜10時半過ぎの銀座線に乗り、表参道で半蔵門線に乗り換えました。

ガラガラで、余裕で座って帰ることができました。

 

 

2011-03-19 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

買い占め等の一連の混乱は、情報が正しく伝わらないから。みんなで正しい情報を流そう

ある方がTwitterで、

さっきホームセンターに行ったらトイレットペーパー16ロール入りを両手両わきに計6個かかえて帰る人がいた。何がしたいんだ?

とつぶやいていました。

 

ううむ。

 

こちらに書きましたように、月曜日にイトーヨーカドーに行った際に、レジが1時間待ちでした。

これは「隣の東急デパートが臨時休業した」「停電のため14:30までの営業時間だった」「普段より多めの人達が買物に来た」という3つの要因で、限られた時間に多くの人が殺到したために起こったことではないかと思います。

しかし、皆さんが買う量は普段と変わらない量でした。

買い占めをしている人はほとんど見かけませんでした。

 

ある方の次のようなTwitterのつぶやきのように、…

@itoi_shigesato 買い占めの件、ほんとうに同意です。スーパーでバイトしてるんですが、ほとんどの人は悪意なく最低限の買い物をしていかれます。ただ人数が増えただけ。責める人の声が大きくて、なんか辛いです。

実際、買い占めしている人は、ごくわずかなのではないでしょうか?

 

ただ、他の人が争って買っていると、「自分も買わないとヤバイ」と思うのは、人間の弱さかもしれません。

しかし、枝野さんもおっしゃっている通り、少なくとも首都圏は供給と配送は問題ないはずです。

数日もすれば品不足感は解消するのではないでしょうか。

買い占めを止めることで、被災地の人を助けることになります。

「それでも多めに買いたい」という人は、こんな絵を見てみて下さい。

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こういう時はお互い様、「多めに買おう」という気持ちを少し抑えるだけで、どれだけ被災地の方々が助かるか、考えてみたいものです。

 

一方で、こちらの記事にありますように、現在米国西海岸の人達は、放射能被害を恐れて、放射能対策としてヨード剤を買い求めようと奔走しているそうです。

そもそも東京が問題ないのに、その何十倍も離れた西海岸で問題があるはずはないのですが、情報が間違って伝わると、人はかくもカッコ悪い行動を起こしてしまうということですね。

 

マスコミは、品不足や買い占めを報道するだけでなく、「供給や配送には全く問題がない」ことも、あわせて報道していただきたいものです。

買い占めに限らず、今回の災害で、一部のマスコミのセンセーショナルな報道姿勢により、無用な混乱が到るところで起こっています。例えば、原発関連では、一昨日の夕刊のこれ

社会混乱の元になりますので、芸能人の離婚と同じレベルのゴシップネタ扱いで、原発ネタや買い占めネタを報道するのは、本当にご勘弁いただきたいですね。

昨晩のNHKはだいぶ分かりやすくなっていて、この点、改善しているように思います。

 

フォロワー59万人の堀江貴文さんや、フォロワー13万人の津田大介さんと比べると、私のTwitterフォロワー数は1,500人程度で大変微力ですが、合間を見つけて、Twitterで気づいた情報をRetweetしたり、自分で情報発信することで、社会への混乱拡大防止にささやかながらお役立てできればと思っています。

実際、そのような草の根Twitterユーザーは、多いようですね。

 

 

福島原発:いたずらに不安を煽られないために

■大前研一さんの今回の事故や震災の解説 (YouTube)

実は大前さんは知る人ぞ知る元原子力技術者。

今起こっていること、これから起こることについて、洞察に富んだ解説と示唆です。

■MIT研究者Dr. Josef Oehmenによる福島第一原発事故解説

大前さんの解説だけだと不安な方は、こちらもご覧下さい

 

「悲観主義は感情に属し、楽観主義は意志に属する」と言われます。

このような状況で、いたずらに不安感を煽られて、悲観的になり、自分を見失うことはないように行動したいものです。

 

下記はご参考までに

佐々木俊尚さん「この危機は大いなる変化のきっかけになるかもしれない」

日本人の不屈の魂について。ここ数日私が感じたこと。全く同感です

東京電力作成:3月14日の節電状況

すごい節電効果。住民が一斉にこのように行動して成果を出せるのは、なかなかすごいことです。

世界中から寄せられた応援メッセージ

停電した避難所で20歳学生が徹夜で作成したそうです

 

2011-03-16 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

食品売り場のレジが1時間待ち

ずっと前から、3/14(月)-15(火)はお休みをいただいて近場の温泉に行く予定でした。

しかしこの状況で行けるわけもなく、旅行はキャンセル。

本日、出勤されて大変な目にあわれた皆様には申し訳ない気持ちですが、私は自宅におりました。

 

自宅のエリアは午後停電するスケジュールでしたので、午前中早めに近所のたまプラーザにあるデパートに出かけたら、….「本日は休み」との張り紙。

その隣のイトーヨーカドーは営業していたので、入りました。

「停電の14:30までの営業」とのことでした。

ものすごい人の数ですが、商品は豊富。次から次へと店の人が商品を陳列するのは、さすがに「お客様第一」のイトーヨーカドー。

見たところ、客のうち7-8割が奥様、2-3割がご主人または夫婦といった感じでしょうか?

 

ふと見ると、人の列が店内をグルっと回っています。

レジに並んでいる人の列でした。結局、1時間並んで精算が終わりました。

気がついたことがいくつかありました。

・「停電開始の14:30までに全員が精算が終わるのだろうか」と心配していたところ、途中、店より「混雑がひどいので入場制限します」とのアナウンス。店の外に出たら、100名程が並んでいました。(結局停電はありませんでした)

・「今日は2Fと3Fの営業を中止します」とのアナウンスもありました。1Fの食品売り場の混雑がひどいので、2Fと3Fの店員さん達を1Fに集中させたようです。英断だと思います。レジの処理スピードはとても速かったですね

・中には乱暴に商品を取る人もいましたが、多くの人達が譲り合っていました。

・このような状況にも関わらず、皆さん買う量は普段と変わりません。買い占めようという人はほとんどいませんでした。(本来、モノは沢山あります。理性的な判断ですね)

通勤難民のビジネスパーソンも大変ですが、家を守っている奥さん達も大変です。

ただ、皆さんしんどそうな中にも、表情が明るかったのは救いでした。

 

2011-03-15 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

災害時のライフラインとして、極めて優れているインターネット (特にTwitterとUstream)

昨日(3/11)の朝6:30、偶然にも、「3月9日(水)の昼、東京の高層ビルがゆっくり揺れた理由」というエントリーを書きました。

長周期地震動による地震の話でした。

しかしわずか9時間後に、こんな大きな地震が発生するは。

日本IBM箱崎本社の25階のオフィスビルが何回もゆっくり揺れて、気持ちが悪くなるほどでした。

 

電車も全て停止。

電話は、固定電話も携帯電話も不通。

こんな状況で、頼れたのはTwitterでした。

特に最初の30分間、どこが震源地で、何がどうなっているのか、さっぱりわからない状況で、TLを見ているだけでおおよその状況が分りました。(ただ、数時間後にはガセ情報も混じり始めたのは残念です)

家族とも、Twitterのメッセージで連絡が取れました。

ブロガー仲間も、次々と家族の無事を確認しているのを見ることができました。

オフィスでネットのインフラがしっかりしていたので、情報を入手してはTwitterで流しました。

災害状況では、Twitterはコミュニケーション方法として極めて優れた手段なのですね。

また、NHKもUStream中継を実施。

NHKの担当者の方が、緊急時のため、マネジメントの承認を待たずにUsteam配信を自分で判断したそうです。

社内規則から逸脱してる行為かもしれませんが、本来は国民のコミュニケーションインフラを預かることを使命とする企業がNHK。素晴らしいご英断だと思います。(社内で懲戒されず、表彰されることを祈ります)

 

元々、インターネットの原型は、核戦争に備えて米国が用意したARPANET。

そのために、どこかうまく動かなくても、他が補って動くようになっています。(「冗長性が高い設計」という言い方をしたりします)

Twitterでやり取りしたり、Ustreamを見ながら、インターネットが緊急時のインフラとして非常に強いことも再認識しました。

 

それにしても、TVで見る大きな津波や凄まじい火災の中には、多くの人達が巻き込まれているわけで、本当に心が激しく痛みます。

亡くなられた方々、ご遺族の方々には、心からお悔やみを申し上げます。

 

 

3月9日(水)の昼、東京の高層ビルがゆっくり揺れた理由

3月9日(水)の昼、私は東京・箱崎にある日本IBMの本社13Fにいましたが、オフィス全体が急にゆっくりと大きく揺らぎ始め、建物全体が数分間ゆっくりと揺れ続けました。

周りの多くの人が、「最初、すごくめまいがするけど調子が悪いのかな、と思った」と言っていました。

東京でこの時間、同じように感じた方は多かったのではないでしょうか?

 

ちょうどこの時、400Km以上離れている宮城県北部で震度5弱の地震がありました。

ちなみに東京は震度2。本来、多くの人たちが気づかない程度の揺れです。

しかしこの地震、震源から遠く離れた高層ビルが大きく揺れる「長周期地震動」だったようです。

「長周期地震動」とは、数秒に1回程度の周期のゆっくりとした揺れのこと。

長周期地震動による震動が高層ビルの固有振動数と一致しやすくなることが多いため、建物全体が数秒から数十秒の周期で数mから10m程揺れることになります。

例えば、2003年の十勝沖地震の際、遠く離れた北海道苫小牧市の石油コンビナートで火災が起きたのも、石油タンク内で揺れて溢れた石油に引火したのが原因です。

 

当日、オフィスでは数分間も揺れが続き、「気分悪くなってきた」という人も出ました。

 

ちなみに、地震の震動波は、速く伝わる縦揺れ(P波)と、やや遅れて遠くまで伝わる横揺れ(S波)があります。

もしガタガタ揺れてすぐに横にゆらゆら揺れたりすると、震源地がとても近いということになります。

これがガタガタ揺れの後、時間が経ってゆらゆら揺れると、ちょっと震源地が遠くになります。

さらに、ガタガタした揺れがほとんどなく、ゆったりとした揺れが続くと、震源地は遠い、ということになります。

1995年の阪神淡路大震災の日の朝、私は神奈川県大和市にある14階建てのマンションに住んでいましたが、非常にゆったりとした揺れがずっと続きました。

今回は縦揺れがほとんどなかったので、関東地方が震源地ではないだろう、ということは分かりました。

それにしても400Km以上も離れているとは思いませんでした。

 

当日は都庁のエレベータも揺れを感知して数分間停止したそうです。

Twitterでも、「すごく揺れている!」というつぶやきが多く見られました。

巨大な高層ビルが共振するとは、ものすごいパワーですね。

 

 

2011-03-11 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

現在49-50歳の会社員が、10年後に出会う大きな危機

先日、休みの日に都内を歩いていたら、会社のOBとなられている先輩に会いました。

定年まで勤めて、現在は年金暮らしとのこと。

会社から年金が支給されているそうで、「僕達の年金のためにも、仕事頑張ってね」と言われました。

 

会社の先輩を見ていると、多くの方々は、60歳で定年を迎えた後は年金+パートタイム的な仕事で生活している人が多いように感じます。

この世代の方々の多くは、子供達は独立し夫婦だけで生活、生活費もそれほど掛かりません。年金にプラスして若干の収入があれば、それこそ60歳から悠々自適の生活です。

 

一方で、こちらの記事にもあるように、昭和36年生まれ以降の人は、年金支給が65歳からになります。

私は昭和37年1月生まれ。

つまり、私と同学年か、それよりも若い人たちは、この対象です。

もし会社員として仕事して60歳で定年になると、65歳までの5年間は、何らかの手段で生活費を確保する必要があります。

会社員が60歳を過ぎて再就職すると、多くの場合、収入は激減します。

しかも先輩達よりも今の世代は晩婚化が進んでいるので、60歳を過ぎてから子供達の学費がピークを迎える人も少なくありません。

 

今はまだ社会問題として受け取られていませんが、10年後には大きな社会問題になってくる可能性があります。

今までの上の世代とは、さまざまな前提が大きく変わってきています。

本来は行政側で対策を考えるべき問題かもしれませんが、自分でできる対策は始めておくに越したことはありません。

記事にも書かれていますように、現在50歳の人たちは、これから10年間をどのように過して備えるか、改めて自分自身のライフプランを具体的に考え始めることが必要だと思います。

 

2011-02-08 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

この100年間、IBMという会社が何をやってきたのかが分かる動画 #ibm100

IBMは、今年、創業100年。

IT企業ではありますが、実はかなり古くからある会社です。

 

100年前は当然ながら今の形のコンピュータはありませんでした。

では、この100年間、IBMは何をやってきたのか?

その軌跡が、YouTubeで13分でまとまっています。

(再生画面をダブルクリックすると、高解像度でご覧になれます)

 

 

その年に生まれたIBM社員が、その年のIBMを語る、というスタイルです。

一番最初に語っているのは、1911年に生まれた人。

1990年代前半に経営危機にあったIBMを立て直した、ガースナーも1942年に出ています。

さらに、ガースナーの前に会長だったジョン・エーカーズも1934年に出演しています。久し振りに見ましたが、元気そうです。

現会長のサム・パルミサーノも、いつもと違う素の顔で1951年に出演しています。

他にも、様々な国々から、様々な立場のIBM’ersが出演しています。

さらに、多くの日本人が、IBMの歴史に様々な形で関わっていることも、改めて分かります。

 

この100年間、IBMは好調な時もありました。

大きな経営危機に陥ったことも、何回もありました。

その度に、ビジネスの形態を大きく変え、発展してきました。

 

IBMのこの100年の歴史のうち、私は今年で27年間をIBMで過しています。

1984年に私が入社した時、当時の社長だった椎名武雄さんは、入社式で次のようにスピーチしていました。

「IBMは常にビジネスの形を変えてきた。なにしろ、昔は肉秤器を作っていたんだ。君達がボクの年齢になる頃には、今と全く違う会社になっている筈だ」

実際、1984年当時のIBMは大型コンピュータが主なビジネスでした。

現在は、大型コンピュータは全体のごく一部。

おおよそ20年毎にビジネス形態を変えてきた、という感じでしょうか? 

IBMという会社に27年間いて、最近になって改めて、IBMのビジネスが大きく変革し続ける中にいて、私自身が学んだもの、得られたこと、そしてその有り難さが、分かってきました。

これからの100年間も、自身を変革し続け、今とは全く違った形で、世の中に貢献していく会社であり続けることを祈っています。

 

命の輝き。6ヶ月?3年?30年?

2011年1月23日の日本経済新聞の記事「米国のホスピス、命の輝き、患者と形に」で、米国のホスピスで死を目前にした患者たちが人生の意味を確認する試みが紹介されています。

その形は、美術展開催、自分史の記録、等、様々。

記事は、以下の言葉で締めくくられています。

—(以下、記事より引用)—-

限られた時間の中で発信する命の輝き。満ち足りた気持ちで最期を迎えるための支えが、ホスピスの中から生まれている。

—(以上、記事より引用)—-

この方々は、余命6ヶ月と診断された人たちです。

 

一方の私たち。

恐らく、余命が100年ということは滅多にないでしょう。

30年かもしれませんし、3年かもしれません。

あるいは、思わぬ事故に遭遇した結果、3ヶ月かもしれません。

いずれにしても、有限であることには変りありません。

本質的には、ポスピス患者とは、何も変わりません。

 

だから、人生の意味を確認して、考えて生きていきたいものです。

私が20代の頃から写真展を行ったり、最近になって出版するのも、その確認作業という面も多いように思います。

 

2011-01-25 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

松山しんのすけさん主催のMacBookCafeに参加してきました

12/14(火)の夜に、松山しんのすけさん主催のMacBookCafeに参加してきました。

都内某所に14名の方々が集まりました。

各自の感動した本を、各自で5分間説明するというもの。

14名でしたが、皆様、時間管理がバッチリ。

さすがです。

最後には、自分達が説明した本を並べて、ポストイットに「共感した」「応援したい」というポイントを記入。

こんな感じです。

Macbookcafe20101214s

私の本も2冊ほど見えます。

朝カフェ次世代研究会では、一人が1時間講演をしてQ&A、というスタイルですが、参加者全員が満遍なくお話し出来るこの形も、またいいですね。

会は、松山さんのお人柄がにじみ出るような、ほのぼのとしたアットホームな感じでした。

また参加したいと思います。

 

2010-12-16 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

週7日間というパターン

サービス業を除けば、月曜日から金曜日まで働いて、土日は休む、という人が多いと思います。

私も月曜日から金曜日までほぼ戦闘状態。朝7時から夜まで仕事をし、その後にブログを書いたり、本の校正をしたりして、4-5時間程寝て翌日を迎えます。

土日はスイッチが完全に切れ、土日に充電して、また月曜日を迎えます。(土日に仕事があることもあり、スイッチが入ったまま月曜日を迎えることもありますが)

土日もなく働いている経営者やビジネスパーソンの方もおられるかもしれませんが、多くのビジネスパーソンはこんな感じなのではないでしょうか?

 

ふと考えたのですが、この1週間7日間というパターン、どのような経緯で世界に広まったのでしょうか?

気になったので、Wikipediaで調べてみました。

簡単にサマリーすると、

・週・曜日の概念は古代バビロニアで生まれ、紀元前1世紀頃のギリシア・エジプトで完成した
・そして、ユダヤ教徒が使ったものがそのままキリスト教徒に伝えられた
・日本には入唐留学僧らが持ち帰った密教教典によって、平安時代初頭に伝えられ、朝廷が発行する具註暦にも曜日が記載されるようになった(現在の六曜のような、吉凶判断の道具として使われた)
・江戸時代になると七曜は煩わしくて不必要とされ、日常生活で使われることはなかった
・曜日を基準として日常生活が営まれるようになったのは、明治時代初頭のグレゴリオ暦導入以降

 

近代では、七曜制を廃止し、独自の曜日が設けようとした試みもあったそうです。

■フランス革命暦
1793年11月24日から1805年12月31日までと1871年のパリ・コミューンの際に用いられました。
フランス革命暦は、合理性を追求するために、1ヶ月を30日とし、これを10日づつ3つのデカードに分けましたが、七曜に慣れた国民にとって苦痛だったため、元の七曜制に戻されました

■ソビエト連邦暦
1929年から1940年まで、2つの時期に分けられて用いられました

・1929年10月1日から、宗教抑制のために従来の七曜は廃止。黄曜日・桃曜日・赤曜日・紫曜日・緑曜日の五曜制に移行。休日の増加と生産の効率向上を狙い、国民それぞれに休日となる曜日を割り当て。しかし、家族間の休日不一致等の理由から大変不評で、肝心の生産効率もまったく向上しなかったため、1931年11月30日を以て廃止。

・1931年12月1日からは、黄曜日・桃曜日・赤曜日・紫曜日・緑曜日を廃止し、毎月第6・12・18日・24日・30日を国民共通の休日とする新しい制度に移行。七曜より休日日数は多いものの、これも大変不評。1940年に元の七曜制に復帰。

 

このように歴史をふり返ってみると、7日間を1つの週として生活を送るパターンは、現代の人間にとって生理的に相性がよいようですね。

 

2010-10-31 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「つい、うっかり」が歴史を変えかねなかった、二つの出来事

私、よく「つい、うっかり」をやっています。

例えば、外出から帰ってきたら、トイレの電気が点けっぱなしだったり。

通勤の時に、定期券を忘れて、駅に着いて大慌てだったり。

大事な社員証がどうしても見つからなかったり。(見つかりましたが)

ブロガー会議で財布を落としたり。(これも翌日見つかりましたが)

 

まぁ、私の場合は、「つい、うっかり」が大事になることはないのですが、大事になりかねなかった話が、昨日(10/23)の日本経済新聞の記事「元米大統領、危うく…」で、2つ紹介されています。

—(以下、引用)—

 米ABCテレビは21日までに、クリントン元大統領が在任中、核攻撃の命令に必要な暗証番号が書かれたカードを数カ月間にわたって紛失していたと報じた。….

 …2000年に暗証番号が何カ月も見つからなかったと指摘。この失態を「とてつもないこと」と振り返った。ABCは当時の危機管理体制を問題視し「米大統領は有権者の票や支持率はなくしてもいいが、暗証番号はなくさないでほしい」と報じた。

—(以下、引用)—

これは、「つい、うっかり、暗証番号紛失」だった訳ですね。

2000年にもし米国が核攻撃を受けていたら、即座に反撃できなかった、ということになります。

あるいは敵国がこの事実を知っていたら、米国に先制の核攻撃を仕掛ける千載一遇のチャンスだった訳で、…怖い話です。

 

—(以下、引用)—

 1963年に暗殺されたケネディ大統領の元警護官が近く出版予定の回想録で、暗殺事件の直後、就任したばかりのジョンソン大統領を、邸宅への侵入者と誤認して銃撃する寸前だったと告白していることが21日、分かった。

 ….11月22日の暗殺後、同氏はワシントンにあるジョンソン大統領の邸宅の外で警備についていたが、23日未明に背後で足音を聞き、侵入者の可能性もあると考え短機関銃を構えた。暗闇の中、近づいてきたので相手の胸に照準を合わせた。その後大統領と判明、大統領は顔面蒼白となった。

—(以下、引用)—

これは、「つい、うっかり、大統領を侵入者と誤認」だった訳ですね。

22日にケネディ大統領が射殺された翌日に、新たに就任したジョンソン大統領が警護官のミスで射殺されたりしたら、….これは米国にとって大きなリスクだったと思います。

 

「つい、うっかり」も、米国大統領のレベルになると、歴史を変えかねない話になるのですね。

 

2010-10-24 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

ウソは絶対つかないけど、あえて本当のことは言わない

以前、こちらに書いたように、ウソはつかない方がよいと思います。

一方で、本当のことを言えないことって、あると思います。

・例えば、発表前の人事のこととか。

・相手への内緒のプレゼントとか。

・どうしようも変えられない過去のこととか。

でも、こういうことって、ウソをつく必要はなく、言わなければいいのですよね。

だから、どうしても言えない本当のことは、黙っていればいいと思うのです。

 

本当のことを言うことで、色々と差し障りがあったり、不幸になる人が出てきたりすることって、世の中結構多いモノです。

本当のことを全てオープンに言うことが、必ずしもよいことであるとは思えないのです。

ウソは絶対つかない。
しかし、あえて本当のことは言わない

後者は大人の判断が必要なのでしょうね。

 

同じ本でも得られるものが違うという、読書の奥深さ

数年前に読んだ本を読み返してみると、当時読んでも時には分らなかったことが、理解できることがあります。

自分が成長することで理解できるようになったということなのでしょうね。

また、10代の頃に読んだ時には、主人公に嫌悪感を持っていたのに、ある程度の年齢の大人になって読むと、すごく共感する、という本もあります。

たとえば、太宰治の「人間失格」を読んで、同じような感想を抱いた人は多いのでないでしょうか?

同じ本でも、読むタイミングによって、得られるものが違う。

読書は奥深いですね。

 

2010-10-09 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

【動画あり】 ほんの65年前。日本は、体当たり攻撃専用兵器を作っていた

先日のエントリー「戦争の悪夢を伝える義務」に書きましたように、私は戦争体験者ではありませんが、第二次世界大戦のことは、自分で学びました。

今日はその中で、日本が現実に行っていた「特攻」について、その一面をご紹介したいと思います。

 

太平洋戦争末期の1944年、敗色濃厚の日本では、神風特別攻撃隊、通称「特攻隊」が組織されました。

敵艦船が日本に迫ってくる。

かと言っても、既に敵艦船を攻撃する攻撃機はない。

それならば速度が速い戦闘機に、250Kgの爆弾を積んで、直接敵艦船に体当たり攻撃を敢行させ、敵艦船にダメージを与えよう。

当初はそのような考えで、組織的に行われたものです。

体当たり攻撃ですので、搭乗員は戦死を前提に、飛行場を飛び立ちます。

 

そして1945年、日本は「桜花」という、世界で唯一、量産・実用化された航空特攻兵器を投入します。

これは大型爆弾にロケットを付けて、人が搭乗する航空機です。

自力では離陸できないので、一式陸上攻撃機(一式陸攻)という爆撃機を母機とし、目標付近まで母機に運ばれて切り離され、ロケットに点火し、搭乗員が操縦して体当たりします。

しかしもともと最大爆弾搭載量800kgを想定している一式陸攻。

2.3トン弱の桜花を搭載すると巡航最高速度は300km/h以下になったと言われます。

これを迎撃する米国海軍のグラマンF6Fは最高速度600km/h。

しかも米軍は、桜花の後続距離37Kmよりもはるか遠方からレーダーで接近を探知していました。

攻撃された一式陸攻は、まさに止っている標的。

ライターのように火を噴き、桜花もろとも撃墜されることが多かったようです。

 

松本零士の「ザ・コクピット」というアニメ作品シリーズの傑作「音速雷撃隊」で、桜花の搭乗員と、それを敵艦船近くまで運ぶ一式陸攻の様子が描かれています。

 

 

この動画の最後に、「戦史に、桜花による米空母撃沈の記録は無い。」と出てきます。

桜花は一式陸攻ごとその多くが撃墜されてしまい、ほとんど戦果は上げられませんでした。

 

例えば、1945年3月21日の九州沖航空戦では、桜花実戦部隊として初出撃。

この部隊は米国海軍艦船のレーダーで捕捉され、米国海軍艦隊の遥か手前でF6F戦闘機28機が迎撃。

護衛戦闘機は自分たちを守るのに精一杯。

丸裸となった一式陸攻隊は次々と被弾墜落。

桜花を積んでいた陸攻隊は、わずか20分で18機全機撃墜されました。

一式陸攻の搭乗員も含め、150名以上が戦死しました。

 

そもそも、戦果を挙げられる見込みもなく、それでも特攻することに意味を見出していたこの時代。

目的を実現できないことは自明なのにも関わらず、手段に意味を見出さざるを得ない、この状況。

見ていて、胸が締め付けられるような思いです。

 

ちなみに日本海軍は、1945年末期に予想された本土決戦のために桜花は強力な兵器と考え、陸上基地からカタパルトで発進させるタイプも開発し、大量配備を図ろうとしていました。

 

わずか65年前、この同じ日本で現実に起こった出来事です。

 

2010-09-25 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

双葉山・千代の富士・白鵬…大横綱の活躍に、日本の社会を重ね合わせると、相撲界は意外と進んでいるのかも?

昨日に続いて、横綱のお話しです。

歴史に残る連勝記録を作った横綱は、まさにその時代の社会を体現しているように思えます。

 

■69連勝(1936年~39年)と36連勝(1942年~44年)の双葉山

69連勝中は、日本は中華事変。

36連勝中は、太平洋戦争。

明治維新以来の戦争には負けたことがなかった日本は、当時、不敗神話が信じられていました。

不敗を続ける双葉山は、この神国日本の象徴として絶賛されました。

 

■53連勝(1988年)の千代の富士

この頃の千代の富士は、私もTVでよく見ていて、応援していました。

幕内最軽量クラスの千代の富士が、当時大型化していた巨漢力士を腕っ節一本でぐいぐい引き回すその姿。

当時、日本はバブル前夜で、高度経済成長の頂点。

敗戦で小国になった日本が、米国の立場を脅かすまでに成長した姿と、千代の富士の活躍を無意識に重ね合わせる人も多かったのではないでしょうか?

 

■そして現在55連勝(2010年)の白鵬

千代の富士の時代、「黒船来航」とも「小錦旋風」とも言われた小錦の活躍に対しては、日本相撲界は「国技が外国人に乗っ取られる」というある種の危機感を持っていたように思います。

しかし20年の時が過ぎて2010年。モンゴル出身の白鵬は、あえて「外国人力士」と言われることもなく、その真摯でひたむきに土俵に向う姿勢は、高く評価されています。

「外国人枠」がまだ残っているプロ野球と比べても、相撲界は日本人力士と外国人力士を隔てる壁はかなり少なくなっているのではないでしょうか?

色々と言われている相撲界ではありますが、世界でグローバル化が急速に進んでいる現代、日本のメジャーなスポーツ界において、もしかしたら相撲界は一番グローバル化が進んでいるのかもしれません。

 

2010-09-20 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

祝・白鵬54連勝!ところで69連勝した双葉山ってどんな人?

昨日、横綱・白鵬がついに歴代二位の54連勝。

すごい記録ですね。

 

ところで、昨日の日本経済新聞に掲載されていた、歴代横綱の連勝記録ランキングを見て、気がついたことがあります。

1位、69連勝の双葉山は、1936年春場所7日目から1939年春場所3日目まで、3年間負けなし。

5位、36連勝はこれも双葉山。1942年夏場所千秋楽から1944年春場所5日目まで、2年間負けなし。

年2場所の時代に連勝記録を作った双葉山は、戦前は3年間、戦中も2年間、負けることがなかったのですね。

 

「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」

とも言われ、

「相撲の神様」「昭和の角聖」

とも言われる双葉山、どんな人だったのでしょうか?

 

Wikipediaによると、実は、双葉山は少年時代のケガで右目が半失明状態で、右手の小指が不自由というハンデを持っていたそうです。

少年時代は元々相撲にあまり興味はなく、学校の成績優秀でしたが、1927年に立浪部屋に入門、同年3月場所初土俵。

当初は成績は4勝2敗が多くあまり目立った力士ではありませんでした。

1931年5月場所には19歳3ヶ月で新十両に昇進。

1935年1月場所で小結昇進するも4勝6敗1分と負け越し。

前頭筆頭に落ちて5月場所も4勝7敗と負け越し。

 

最初から天才肌だったのではなく、努力の人だったのですね。

 

1935年蓄膿症の手術をしたのがきっかけで体重が増え、取り口が一変。

1936年5月場所に11戦全勝で初優勝し大関昇進。

1937年1月場所を11戦全勝、

5月場所を13戦全勝で、連続全勝優勝。横綱に推挙され、横綱昇進。

1938年1月場所・5月場所と13戦全勝。

5場所連続全勝優勝を果たし、150年前の谷風の連勝記録63連勝を塗り替えます。

1939年1月場所、前年に満州で行なった巡業でアメーバ赤痢に感染して体重が激減。

体調も最悪でしたが強行出場。

4日目に前頭3枚目安藝ノ海に敗れて連勝ストップ。

 

双葉山は「木鷄」を目標に相撲道に精進しました。

「木鷄」(もっけい)とは、鍛えられた闘鶏が木彫りの鶏のように静かであるさまを表しています。

実際、70連勝目が実現できず負けた取り組みでも、普段通り一礼をし、まったく表情も変えずに花道を引上げたと伝えられています。

一方で、その日の夜、双葉山は師と仰ぐ安岡正篤に「未だ木鶏たりえず」と打電した、とも伝えられます。

このエピソードからも、双葉山は孤高の求道者であったこともうかがえます。(王貞治選手やイチローとも相通じるものがあったのかもしれません)

 

幕内通算成績は、31場所で276勝68敗1分33休。

ちなみに、年6場所になった千代の富士の幕内通算成績は、81場所で807勝253敗144休。

今とまったく違う時代に生きた、不世出の横綱だったのですね。

 

2010-09-19 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

Facebookスパムを踏んでしまった顛末

ある日、Facebookで、とある方からメッセージが届きました。

掲示板に投稿したとのことで、英語で以下のメッセージでした。

"Hey! How are you doing? Check this out: xxxxxxxx"
(xxxxxはURL)

あとで考えてみると、この方が"Hey!"なんて言葉を使うわけがないのですが、英語に堪能な方なのでこの時は疑問に思わずに、躊躇なくクリックしました。

すると、「Facebookアプリを導入するか?」という質問が出てYesと回答。

 

2分後、オルタナブロガーのKさんからのメッセージにより、私がスパムを踏んでしまって、私のFacebook上での友人全員にメッセージが飛んでしまったことを知らされました。

5分後、Facebookの掲示板で私から届いたメッセージをクリックしないように通知しました。

7分後、念のため英語でも同じメッセージを掲示板で通知。

10-20分後、幸い、私のFacebookの友達は26名だけだったので、掲示板上の私のメッセージを全件削除しました。しかし、数名の方が既に踏んでしまったようです。申し訳ないです

この日、このスパムは各所で悪さをしたようです。その日の晩、新倉さんがこんなエントリーをブログで書いておられました。

Facebookのスパムは「知ってる人から飛んでくる」から安心してしまう。そこが攻撃者の狙い目

新倉さんにも、私から届いていたとのこと。

ううむ、皆様にご迷惑をお掛けしてまことに申し訳けありません。

とりあえず、初動が大切だということがよく分かりました。

 

私の場合、メッセージで教えて下さった方がいたので、スパムを踏んだことが分かりました。自分で踏んでも分からなかった方も、結構多いようです。

また、私はたまたまFacebookの友人が26名しかいませんでしたし、直後に20分ほど時間が作れたから、メッセージを削除する等の対応ができたのですよね。

忙しい方や、Facebookの友達が数千人いたりするような方は、なかなかこのような対応はできないでしょう。

 

知合いの名前で来るので、つい安心してクリックしてしまいます。

結果的にスパムが拡散することになります。

そのうち、Facebookが流行ってくると、日本語のスパムも増えてくるでしょう。

今のうちから気をつけたいですね。

戦争の悪夢を伝える義務

昨日の日曜日の夕方、NHKで「色つきの悪夢~カラーでよみがえる第二次世界大戦」を放映していました。

最新の技術で当時の白黒映像を着色した、悲惨で目を背けたくなるような映像の数々。

しかし私にとっては、実は映像自体は過去見慣れたものばかりでした。

中学・高校生の頃(30-35年前)、私自身は第二次世界大戦で何が起こったのか個人的に興味がありましたし、当時は各局で戦争のことを放映していましたので、このような映像に触れる機会は多くありました。

一方で、番組に出演していた21歳から31歳までの若い5人の芸能人は、初めて知る内容と映像だったとのことで、大きなショックを受けていました。

私にとっては、最近の若い人達がこのような映像を見ていない、ということが逆にちょっとショックでした。

 

私は戦後、かなり経ってから生まれましたので、戦争体験者ではありません。

しかし、第二次世界大戦のことは自分でかなり学びましたし、なんであのような戦争が起こったのかを色々と考えました。

今回の番組を見て、「戦争体験者か否かは関係なく、戦争のことを知る世代が、そのことを知る機会がなかった世代に、伝えていって、一緒に考えていくことが必要なのだ」という気付きを得ました。

 

例えば、YouTubeで「第二次世界大戦」で検索すると、様々な映像が出てきます。

昔は、このようなことを伝えるのは、体験者が語ったり、人を集めて映像を流したり、ということが必要でした。

現代では、ネットを使えば簡単に流せます。

例えば、YouTubeにあるこれらの映像に、解説を付けてブログや自分のサイトで紹介する、ということは、私達でも出来ることです。

過去はできなかったことでも、現代だからこそ、私達一人一人がその気になれば、出来ることはあると思うのです。

当ブログのテーマとはやや離れますが、当ブログでも機会を見つけて、ご紹介していきたいと思います。

2010-08-30 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

日本企業が変わりつつあることを読み取れる、IBM Global CEO Study 2010

8月10日に、日本IBMから「Global CEO Study 2010 Japan Report – 日本企業の特徴」が発表されました。

プレスリリースはこちら

資料はこちらからダウンロードできます。

Global CEO Study 2010はグローバル60カ国33業界のCEO・公共機関のリーダー1541名にインタビューした結果をまとめたものです。

この種の調査としては史上最大のものです。

日本からも171名が参加しており、上記資料は特に日本企業に見られる特徴について、詳しく分析した結果がまとまっています。

 

私の勤務先ということで贔屓目に見ている訳ではないのですが、新しい発見が色々とありました。

「日本企業は、変わらなければいけない」という経営者の認識が読み取れます。

一通り読んでみて、私なりの発見をまとめてみました。

 

■1.グローバル化について:日本・韓国はこれからの課題。欧米では乗り越えた課題

「今後3年間で自社に大きな影響を与える外部要因」の1位は、グローバルも日本も「市場の変化」。日本78%、グローバル56%で、この点は同じです。

一方で、日本で2位の「グローバル化」は、グローバル全体では6位。(日本41%、グローバル23%)
ちなみに韓国でも44%でした。

グローバルでは、グローバル化は既に対応済みで最優先事項ではない一方で、日本や韓国の経営者はこれからの経営課題と考えていることが、これからも分かります。

 

■2.リーダーの資質も、グローバル志向

今後5年間で最も重要となるリーダーの資質については、下記のような順位と比率になりました。

日本:#1創造性(58%)、#2グローバルな思考(48%)、#3熱心さ(37%)、#4持続可能性に関する関心(32%)、#5誠実さ(29%)

グローバル:#1創造性(60%)、#2誠実さ(52%)、グローバルな思考(35%)、#4影響力(30%)、寛大さ(28%)

ちなみに韓国は、創造性が92%、グローバルな思考が72%。

日本がグローバルな思考を高い優先順位に置いているのは、「今後3年間で自社に大きな影響を与える外部要因」の結果と一致しています。

一方で、日本では5位の29%である誠実さについては、グローバルで2位の52%と非常に高い優先順位になっている点、興味深く感じました。

グローバルでは金融危機の引き金になったモラルハザードの反省があるのに対して、日本ではそれほど問題になっていなかったことが原因かもしれません。

 

■3.迅速な意志決定が競争力を高める

「迅速な意志決定を重視するか」、「議論の徹底を重視するか」で、結果が分れました。

「迅速な意志決定を重視する」のはグローバル平均で32%ですが、グローバルの高業績企業では43%でした。

日本の場合は47%ですが、金融危機の前も後も利益成長が特に高い花形企業ではこれが67%でした。

さらに韓国企業は全体で64%。

全体で、迅速性重視の姿勢が見てとれます。

また、日本企業は通念とは異なり、トップダウンの意思伝達を重視する傾向があります。

特に花形企業についてはこの傾向が顕著。

「迅速な意志決定を重視する」ために、日本はトップダウン型マネージメント志向に変革が進みつつあるようです。

興味深いことに、韓国企業では逆に、「説得と納得感醸成を重視」が大きくなっています。

日本の変革は成功するのでしょうか?

 

■4.「何が何でも高品質」から、「リーズナブルな品質」へ

「価格と価値のバランス」の関心については、グローバル平均では45%が「期待される/非常に期待される」に対して、日本では76%、特に花形企業では100%でした。

よく言われる過剰品質への反省と、国内の低価格志向、新興国のボリュームゾーンの顧客ニーズを満たせない傾向などが背景にあるようです。

 

■5.自前主義から協業モデルへ

自前主義についてはどうでしょうか?

「外部との提携か、全て社内で行なうか」という質問に対して、「広く外部と提携する」と答えたのは、グローバルで70%、日本で65%、韓国は92%でした。特に日本の花形企業では88%です。

自前主義が強いと言われていた日本企業は大きく変わりつつあるのかもしれません。その背景には、自前主義ではグローバル市場で勝てないとの認識があるようです。

 

■6.政府の影響力に関する認識の違い

今後5年間の方向性については、政府の影響力に関する見方について、差が出ています。

政府の影響力が高まり規制が増えると見ているCEOは、グローバルが70%、日本が50%です。
規制緩和は、1980年代の英国サッチャー政権・米国レーガン政権から始まり、欧州・アジア、そして世界に拡がりましたが、2008年の金融危機が大きなターニングポイントになりました。

現在、政府による経済への影響力は増大しています。

一方で、日本は元々規制が強いとの認識があるようです。

他にも様々な発見がありました。

 

IBM Global CEO Studyは、数十分程度あれば読めるボリュームです。

現代の日本の経営者が何を考えていて、グローバルと比較してどうなのかを知りたい方は、ご参考になるかもしれません。

電力に占める再生エネルギーの割合–欧州は現在20%、日本は20年後の2030年に20%→今こそ日本人はグローバルに出よう、という話

ちょっと古い記事ですが、8/11の日経新聞の記事「昨年の新規供給電力源、EU、再生可能エネ62%、『風力』37%占める」に、以下のような記述がありました。

—(以下、引用)—-

 欧州連合(EU)の欧州委員会は、2009年に域内で新たに供給された電力源のうち、風力や太陽光、水力など再生可能エネルギーが62%を占めたとの調査結果をまとめた。前年と比べて5ポイント上昇した。電力源全体に占める再生可能エネルギーの比率は約2割に達し、石炭火力発電への依存からの脱却をめざすEUの方針が着実に進んでいる。

(中略)

 欧州委によると、風力や太陽光発電などの新規設備が増える傾向が続くと、20年時点で電力消費量の35~40%を再生可能エネルギーで調達できる見込みという。日本の経済産業省の想定では日本では30年時点でも電力源のうち再生可能エネルギーなどの占める割合は約2割にとどまり、EUと日本の差は依然として大きい。

 EUは20年までに石油や石炭、天然ガスなど1次エネルギー供給全体に占める再生可能エネルギーの割合を20%に引き上げる目標を掲げる。電力供給での比率向上はそのカギを握っており、欧州委は今後の課題として、研究開発(R&D)投資の支援、電力網へのアクセス確保などを指摘している。

—(以上、引用)—-

まとめると、…。

欧州では、電力全体に占める再生エネルギーの割合は既に20%2020年時点で35-40%。これによりエネルギー消費全体の中の再生エネルギーの割合を20%にすることが目標

一方で日本は、電力全体の中で占める再生エネルギーの割合は2030年時点で20%。比率だけ見ると、20年後に現在の欧州に追いつくペース

 

省エネ先進国だったはずの日本。

いつの間に、このようになったのでしょうか?

 

欧州は欧州全体を挙げて、戦略的に再生エネルギー活用を推進しています。

それも、エネルギー業界だけではなく、業界横断的に進めています。

 

例えば、デンマーク。数年後に国内の電気自動車/プラグインハイブリッドの比率を最大10%にすることを目標にしています。

このようになると、電力需要が圧迫する可能性があります。

これを回避するため、風力エネルギー供給の安定性を確保し、充電・決済インフラを構築し、検証するプロジェクトをバルト海の離島で始めています。EDISONというプロジェクトです。

風力発電は、天候次第なので、従来の発電所と比べて、発電が安定しません。

これは再生エネルギー共通の課題で、需要に対して、余ったり、足りなくなったりします。

そこで、余った風力発電の電力を家庭にある電気自動車に貯蔵し、不足の際に回収するエネルギー管理システムを構築しています。このために、モデリングやリアルタイム分析などの技術を活用しています。

このプロジェクト、社会インフラそのものです。

電力会社だけでなく、様々な企業が参加し、お互いが連携するための業界標準を策定した上で、それぞれの企業が得意とする先進テクノロジーを提供し、国を超えて協業を進めているのです。

骨太でシンプルな戦略思考のもとで、グローバル規模で、迅速に標準を策定して企業連携を進め、価値を生み出すという世界の流れの中に、わが国は大きく出遅れている感が否めません。

 

もっとグローバルな場に出て、グローバルのルールのもとで議論し、標準策定の中に参画する。

その中で、それぞれの企業が、自分たちが得意な分野に絞って、独自の価値を提供していく。

私たちは、このようなことを考えていくべき時期に来ているのではないでしょうか?

 

従来、得意でない分野も含めて、自分たちで垂直統合して作るのが成功モデルだった時期もありました。

しかし現代は、そのようなものを作ることで時間がかかりますし、出来たものは競争力を失っています。

不得意な分野まで含めて、自分たちで全部をカバーする余裕はありませんし、現代は必ずしもその必要はありません。(もちろん、現代でも垂直統合で成功している少数の例外もあります)

 

以前ご紹介した、ライフネット生命保険社長・出口治明さんの本「『思考軸』をつくれ」には、日本は、元々グローバルで活躍する海洋国家であったことが書かれています。

同書 p.178-179より、いくつか抜粋します。

・織田信長が南蛮貿易を推奨した時代、16世紀のある時期には世界に流通する銀の半分は日本産だったという記録が残っています。GDPから見ても、当時の日本は世界第5位でした。

・山田長政は、タイ・アユタヤ王朝に渡り日本人町の頭領として活躍、今でいうところの国防次官に匹敵する官位を得ました

・ルソンで豪商として名を馳せ巨万の富を得た呂宋(るそん)助左衞門のような例もあります。

・13世紀から16世紀にかけて東シナ海を暴れ回っていた倭寇は、日本人グループが中国人や朝鮮人を組織して貿易業を営んでいたものです

・奈良時代の阿倍仲麻呂は、遣唐使として中国に渡海し、そこで安南節度使に命じられています。今で言えば日本人の優秀な大学生が海外留学の末にベトナムで知事になったようなものです

 

途中、江戸時代に260年の鎖国を行ないました。

しかし実は、グローバルで活躍する遺伝子は、日本人の中には組み込まれているのです。

 

今こそ、ふたたび日本がグローバルに出て行く時期なのではないでしょうか?

2010-08-24 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

俗悪番組は、『嫌』と思ったらスイッチを切るのが正しい対応では?

どのテレビ番組が俗悪かを決めるのは、時代や個人の主観だと思います。

私が子どもの頃、ドリフターズの番組(例えば「全員集合」)が俗悪番組だという大人は結構いました。今、それらの番組を見ると、ほのぼのとしたものです。

そもそもバラエティは、最初から「笑い」「冗談」と認識して見るので、実は思ったよりも影響力はないのかもしれません。

一方で、最近私は、一部のTV番組がさまざまな分野で日本をダメにしつつあるのではないかな、と思うようになりました。

 

それはバラエティのようないわゆる俗悪番組ではありません。

むしろ報道系の真面目な番組に、ワイドショー的で俗悪な要素が入っている場合です。

昨日、当ブログで「福沢心訓」を紹介させていただきました。→リンク

この中で、

・世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないことです。
・世の中で一番醜いことは、他人の生活をうらやむことです。
・世の中で一番悲しいことは、嘘をつくことです。

まとめると、

「教養がなく、他人と比べてうらやましがり、かつ、時に嘘をつく」

名前は挙げませんが、これらがそのまま当てはまるワイドショー的報道番組、結構あるように思います。

依然として社会的に極めて大きな影響力を持つTV番組が、「教養がなく」、「他人と比べてうらやましがり」、かつ時に「嘘をつく」ような番組を、しかも報道の形で流すことによる悪影響は、極めて大きいと思います。

恐らく、そういうコンテンツを流すことで、視聴率が取れる(=多くの人達が見る)、との判断なのでしょう。

しかし、私達がマスコミやワイドショー的な報道系番組を非難するだけでは、恐らく何も変わらないでしょう。

また、「報道の自由」というものが保証されているので、公序良俗を乱さない限り、放映する内容を差し止めることもすべきではないでしょう。

 

この世の中は市場社会でもあります。

このようなコンテンツは、放送局が、視聴者が望むであろうと想定して放映しています。

ですから、私達がもしこれらを好ましいと思わなかったら、….。

俗悪番組が始まったら、私達一人一人がすぐにTVのスイッチを切って見ない、というのが正しい対応ではないかと思います。(もちろん、人ぞれぞれ自由ですから、このような番組が好きな人は、そのまま見ていればいいと思いますが)

誰も俗悪番組を見なくなることで、そのような番組は自然淘汰されていきます。

それが案外と、日本をよくする道なのかもしれません。

2010-07-17 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

福沢諭吉「心訓」を読み返す

人生で大切なことを語った言葉だと思います。

・世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことです。
・世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないことです。
・世の中で一番寂しいことは、する仕事のないことです。
・世の中で一番醜いことは、他人の生活をうらやむことです。
・世の中で一番偉いことは、人のために奉仕し、決して恩にきせないことです。
・世の中で一番美しいことは、総てのものに愛情を持つことです。
・世の中で一番悲しいことは、嘘をつくことです。

正直に申上げると、学生時代に読んだ時は「そんなものかなぁ」と思っていました。

30年近く経って改めて読んでみると、当時は気がつかなかったお互いの関係性が、少し分かるような気がします。

 

「人のために奉仕し、決して恩にきせず、総てのものに愛情を持つ」

これは、自分が何かを所有しているか否かには関わりはなく、自分の気持ち次第。

自分でコントロールできるということですね。

 

「一生涯を貫く仕事を持つ」

これは、自分自身で「これが自分の一生の仕事」と思い定めるモノがあるかどうか、ですね。

私の場合、30代後半以降に「マーケティングこそが一生涯を貫く仕事」と思い定めるようになりました。

でも、その前の仕事がない状態でいきなりマーケティングの仕事は出来なかったと思います。

製品企画、セールス、製品開発といった現場の経験があったからこそ、マーケティングの仕事がよく見通せるようになっただと思います。

よく「積み重ね」と言いますが、遠回りしているように見えて、実は「一生涯を貫く仕事を持つ」ための大切なステップだったのですね。

だから若い方は、仮に今の仕事が「一生涯を貫く仕事」と思えなかったとしても、その先を思い描いていさえすれば、必ずしもあせる必要はないのかもしれません。

 

「心訓」、ときどき気がつく度に、読み返したいものです。

 

補足(2010/7/15 7:30追記): 

昨晩、本エントリーを書いている時は知りませんでしたが、Wikipediaによると、「福澤心訓」は、実際は福澤諭吉が作ったものではなく、作者不明の偽作であり、いつ、誰が、何の目的で作成したのか不明だそうです。

しかし真偽の程は別として、そのエッセンスは学びたいものですね。

工事現場で見た、素敵なお仕事

通勤途中の道で、新しい建物の工事をしています。

頻繁に車が出入りしたり、脇を通過する通行人がいるので、ヘルメットを被った50代位と思われる女性が交通整理をされています。

この女性、近くを通る際にはいつも、ニコっと笑って「こんにちは!」と、まるで知合いのような笑顔で挨拶して下さいます。

先週末、この道をのんびり歩きながら通ったところ、工事現場から掘り出された黒土が荷押し車に盛られていました。

マジックで「自由に持っていって下さい」と書かれた段ボール紙が立てられていました。

近所で、ホームガーデンをする人達向けの、細やかな気配りですね。

さらに、工事現場の道端には、様々な草花が植えられていました。

恐らく、この女性が仕事の合間にやっているのでしょう。

 

このような素敵なお仕事、心がなごみます。

見事ですね!

2010-07-14 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

国会議員の給与は、高いのか?

参議院選挙が終わり、テレビ番組は政治ネタ一色です。

昨日、見ていた番組では、国会議員の給与や秘書手当、乗車券の特典等の数字を出して、「庶民と比べて恵まれすぎでは?」と紹介していました。

しかし議員って、ハイリスクな職業だと思うのです。

当選すればいいものの、落選すれば、失業者。

また本来は、国の経営を任せるのですから、非常に高い能力も求められます。

それこそ、大企業の経営者のような卓見と、実行力、そして倫理観が必要です。(全員がこの条件を満たしている訳ではないでしょうけれども)

だから、庶民と比べて、給与がある程度高いのも、仕方がないことなのかもしれません。

国会議員の給与を比較するのであれば、庶民ではなく、企業の経営者と比べる方が妥当なのかな、という気もします。

このような国会議員に対して、汚職はするな(これは当然)、でも鳩山さんのように自分の金も使うな(これも法律ですね)、落選してもリスクは自分で負え(現実ですね)、給料も低くしろ(これは厳しすぎ)、というと、仮に志が高い人であっても、心が折れてしまうこともあるのではないでしょうか?

このような大切な仕事に、才能ある人がチャレンジしなくなるとしたら、危機的なことです。

一部では議論されているようですが、国会議員の人数を減らして、人件費総額は変えずに、一人当りの給与を上げて、責任をもっと高める、そのために能力がある人でないと務まらないような仕掛けを作る、というのもいいのかもしれない、と思いました。

「選挙に勝てる顔」で選んでいいのか?

「谷垣総裁では、選挙に勝てない」ということで、自民党総裁人事が問題になっているそうです。

本来、政党のリーダーは「この国をよりよくできるか」で選ぶべきのように思います。

そして、選挙で勝つのは、それを実現するための手段。

「それはあくまで理想論。政治家は選挙で勝たないと話しにならない」という話も、現実にはあると思います。

しかし、「この人を担ぐと、よりよい国を実現できるか?そして、国民はそれを支持してくれるか?」という観点で、決めるべきではないのでしょうか?

 

ところで、先日ある方とお話ししたときに、伺った話。

「『ロクな政治家がいない』という人がいますが、それは間違いです。そもそも『ロクな政治家しかいない』ものなんです。『ロクでもないけど、まだましな政治家をいかに選ぶか?』が選挙です」

達観だと思います。

2010-03-11 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「心配するな。大丈夫、何とかなる」

2年半ほど前に「一休さんの遺言」というエントリーを書きました。

ふとしたきっかけがあって、今日、改めてエントリーを読み返し、今から考えても「あの時は本当に絶体絶命だったな」と思えることがどれだけあったか思い出してみました。

その時に対応を間違っていたら本当に死んでいたかも、というようなことは、過去の私の人生で、せいぜい2回位でしょうか?

では、「やばい、絶体絶命だ」と思った瞬間はどれだけあったかというと、…これはもう沢山ありましたね。

特に仕事関係が多いのですが、後から考えると、何とか乗り切ってしまうことばかりでした。

 

「絶体絶命だ」と思って頑張って火事場力を出し、乗り切れることも多いので、必ずしもそのように考えることは悪いことではないと思います。

ただ、あんまり悲観しすぎず、「でも心配するな。大丈夫、何とかなる」という余裕は、自戒をこめて、心のどこかに常に持っていたいですね。

素晴らしい東京湾の絶景を楽しめる名所が、今年10月に閉鎖!!

2/3(水)の日本経済新聞・神奈川版の紙面に、ちょっとショッキングなタイトル。

「横浜市→スカイウォーク、県→サイクリングコース 住民向け施設 閉鎖・撤退相次ぐ 県内自治体、財政難で」

スカイウォークとは、横浜ベイブリッジの大黒ふ頭側にある有料遊歩道です。

ベイブリッジの自動車用道路の真下にあり、横浜港や東京湾の絶景を眺めることができます。詳しくはこちら

記事によると、1989年の橋の開通と共にオープン。

バブルの絶頂期に出来たのですね。1990年には79万人の利用者がいたそうです。

それが18年後の2008年は6万人。1993年以降は管理運営費が入場料収入を上回る赤字状態が続いていたそうです。

ここも仕分けされたということですね。

  

このスカイウォーク、私の写真のライフワークだった東京湾岸の写真を撮影するには、絶好のポイントでした。

いくつかご紹介します。

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ベイブリッジが開通したのは1989年ですが、そのベイブリッジが工事中の写真も撮っていました。ご紹介します。

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確かにこのスカイウォーク、2年前に行った時は閑散としていました。

私は嬉々として写真を撮っていましたが、一度だけ一緒に行った妻は早々に飽きてしまい、ラウンジで一人、辻さんの「愚直に積め」 を読んでいました。

でも、ラウンジはゆったりとくつろげますし、素晴らしい風景を見ながら飲むお茶は、また格別でした。

問題は、交通の便が極めて悪い点ですね。

バスだと鶴見駅から30分ですので、現実的には、車で行くのがほぼ唯一の方法です。こちらに案内があります。

 

今年4月から9月までは土日祝日のみの営業に縮小、10月に閉鎖、4100万円のコスト削減効果があるそうです。

仕分けされるのもやむを得ないのかもしれませんが、こんなにいい眺めの場所が今年10月に閉鎖するのは、とてももったいない話しですね。

交通の便は悪いものの、ロケーション的には素晴らしいので、いいアイディアを持っている民間で経営する会社があればいいですね。

IBMパルミサーノ会長が語る、「今後10年、何が起こるか – Smart of the Decade」

今後10年で何が起こるか?

パルミサーノ会長が1/12に英国王立国際問題研究所 チャタム・ハウスで講演した様子がIBMのサイトで公開されています。

ビデオと文章が掲載されています。Q&Aのビデオも参考になります。

リンク先の文章は長文でじっくり読むと読み応えがある内容になっていますが、英語なので、一部のキーポイントのみ日本語に訳してみました。

 

・「スマートな世界」は概念ではない。現実であり、実現した事例も多い

・「スマート化を実現する方法を知りたい」というご要望が多い。実はこうした質問は、技術ではなく、リーダーシップに関する問いかけだ

・スマートなシステムで最も重要な側面のひとつはデータ。さらに具体的に言うと、データから得られるアクションに結びつく洞察だ。現在流れている多種多様かつ大量のデータを、いかにリアルタイムに分析し、変化を予知するかが重要なのだ

・一方でこのような社会ではプライバシーとセキュリティが大きな課題だ。市民社会における関係者全員で真剣に考え、協調的な意思決定をくだしていく必要がある。カギはコラボレーションだ

・スマートな技術で、古いシステムや制度の無駄をなくしてコストを削減し、 より少ない資源で大きな成果をあげることができる。今こそ共に行動を起こすときだ

2010-02-02 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

世の中、物騒になっている…というのはウソだ、という話

よく「最近、物騒ですからね」と言われますが、本当でしょうか?

昨日(1/15)の日本経済新聞の記事「殺人、戦後最少を更新」によると、殺人事件の発生は1954年の3,081件が最多で、その後は減少を続け、2009年は1,097件になったそうです。

「昔と違って、現代はなかなか捕まらない」という話もよく聞く話ですが、実際には検挙率は98.1%で戦後2番目の高さだったそうです。

ちなみに交通事故死もピーク時の1970年の16,765人から減少を続け、1996年には10,000人を下回り、昨年2009年はついに5,000人を割って4,914名になったそうです。

一方で多いのは自殺者。

こちらの図によると、今も昔も人口辺りの自殺者数はあまり変わりません。最近は1955年の水準に近づいています。

死に急ぐ人が多いのは、今も昔も悲しいことですね。

蛇足ですが、イタリア人の自殺率の低さは、何となく分るような気がします。"Life is beutiful"というお国柄ですが、こういう点は見習いたいですね。

数字から色々と見えてくるものがありますね。

2010-01-16 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

津本陽さんの「私の履歴書」

以前当ブログで書きましたが、津本陽さんは、私が大好きな作家の一人です。

事実を淡々と積み重ねていくことで、その人の人間性に迫る骨太な文体は、津本さんならではです。

今月の日本経済新聞「私の履歴書」は、この津本陽さんです。

昨日の12/21で全体の70%が過ぎました。

通常「私の履歴書」では、連載20日を過ぎると壮年期のことを書いていることが多いのですが、津本さんの連載では、まだ中学生の戦争当時のことを書いていました。

なぜ少年時代のことを長く書いているのか不思議でした。

しかし、12/21の連載でその理由が分りました。

戦争末期、動員させられた戦闘機生産の工場で、空襲に遭ったときのことが書かれています。

今まで一緒にいた人達が空襲により吹っ飛ばされて跡形もなく消えた様子が淡々と描かれています。

12/21の連載の最後は、このように締めくくられています。

—(以下、2009年12月21日の連載から引用)—

私の身内には、人の命がいかにはかないものかという無常観が松の磐根のようにくいこんでいた。幼い頃の浄土真宗の教えと結びついて、生は一瞬間のことだと自分にいい聞かせるようになった。一瞬間であれば、好きなことだけやればいいと考えるが、人なみの生活を送るためには、嫌なことばかりやらなければならない。成長して、社会に歩みいってゆく私には、常につまらないことをしているという思いがつきまとい、それが長い心の痛みとなっていった。

—(以上、抜粋)—-

ちなみに、この10日前の12/11は「遺骨の列」というタイトルで、戦争が激化し、日本が米国とガダルカナルで消耗戦に突入した昭和18年、学校の配属将校が

「明日英霊が帰還するので、全員奉迎する」

と伝えた翌日のことを書かれています。

津本さんが空襲に遭った1年ほど前でしょうか?

以下、引用します。

—(以下、2009年12月11日の連載から引用)—

…「気をつけ」の姿勢で待つうち、ザクザクと路面を踏む音とともに、白布で包んだ遺骨箱を首からつるした兵隊が、二列であらわれた。

….私たちが予想もしなかった長蛇の列がいつまでも続くので、緊張して息苦しくなった。

「凄い数やな。戦死者の数はどれだけやろ。どこで死んだのやろ」

いくつもの問いかけが、身内に泡のように浮かんでくる。ただことではないと、私たちは思っていた。歩兵第二十四部隊は、国道をはさみ和中と東西にむかいあう場所にあるが、遺骨を運ぶ二列縦隊の先頭が営門をくぐったとき、遠く離れた東和歌山駅に後尾が残っていたと、あとで聞いた。

—(以上、引用)—

Wikipedia「ガダルカナル島の戦い」によると、ガダルカナル島に上陸した総兵力31,404名、撤退できたものは10,652名、負傷・後送された者740名、死者・行方不明者二万名強、うち、直接の戦闘死者は約5,000名、残り約15,000名は餓死と戦病死(事実上の餓死)だったと推定されています。

 

本日22日は、一転して、大学生時代と若手会社員のことが一気に書かれています。

中学時代の体験が、津本陽さんの原体験になっており、この部分を総括しなければ、自分の履歴書を完成できないということなのでしょう。

わずか65年前の日本のことです。

非常に重いものを感じました。

2009-12-22 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom