今泉さんのエントリー「「2ちゃんねるが厄介な『空気』を追い払った」史観 」は、以前より私も非常に関心があるテーマなので、書かせていただきたいと思います
冷泉彰彦氏が『「関係の空気」「場の空気」』という本を書かれています。この本でも山本七平氏の『空気の研究』は大きく取り上げられ、さらに現代の様々な状況を反映して深化させた名著となっています。
この本を議論のベースとして考えてみると、2ちゃんねると空気の関係を考える際には、「2ちゃんねるが外の世界の空気と関わる問題」と「2ちゃんねる内の空気の問題」の2つの観点が考えられると思います。
それぞれに分けて考えてみたいと思います。
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●2ちゃんねるが外の世界の空気と関わる際の問題
これは、『2ちゃんねるが世間の空気を中和する「水」の役割を持っている』、ということなのではないかと思います。以下、冷泉彰彦氏の本(p.130-131)から引用します。
—(以下、省略しつつ引用)—-
「水」が差されることで「空気」が消える。ここで言う「水」とは「通常性」であり、「日本人の伝統的価値観に基づく状況論理」のこと。例えば、ライブドアの時価総額拡大方針に踊った空気に対して、検察庁が「額に汗するものが報われる社会を」という水を差したのはこのケース。但し、一旦「水」を差して「空気」を止めても、その「水」自体が新らたな空気を生み出す温床となりうる。
—-(以上、引用)—
今泉さんが「2ちゃんねるが厄介な『空気』を追い払った」としているのは、2ちゃんねるが水を差す役割を果たしている面を指摘なさっているのだと思います。また、コメントなさっているCzさんも、この意見ですね。
通常の生活では対人関係や立場上の問題によって、なかなか本音は言えません。しかし2ちゃんねるでは既成概念にとらわれず、各個人の本心を言う事が可能でした。少なくとも2ちゃんねるができた頃は。
この意味で、2ちゃんねるの登場は画期的ではありましたが、最近の2ちゃんねるの書き込みは一時期と比べてかなり質が落ちてきており、世間の空気に水を差す機能も低下しつつある点は、残念でもあります。これは、次の論点とも関係してきます。
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●2ちゃんねる内の空気が生む問題
2ちゃんねるの中にも確かに空気は存在しますし、従って空気の弊害からは逃れられません。
省略表現や記号化は、それが一対一の会話における「関係の空気」を作る場合は非常に親密な関係を構築する役割を果たします。つまり、『省略することで「空気を共有している」という親近感のメッセージを送りつつ、暗号解読のカタルシスを瞬間に感じている』のです。
しかし、三人以上の場における「場の空気」を作る場合は、共通の価値観を作り上げられる反面、共通理解を持てない人を「場の空気」から排除してしまう役割を持ってしまいます。
あの独特の2ちゃんねる言葉は、文字だけのネットコミュニティ上でこのような空気を醸し出すのに一役買っており、かつ、空気を読めない人を排除する機能を有している、という見方もできます。
冷泉彰彦氏はまた、匿名掲示板という特殊な空間で、意味あるコミュニケーションを成立させるにはどうしたらよいか、という命題に対して、2ちゃんねるの注意書きを引用しています。
—-(以下、2チャンネル「おやくそく」より引用)—-
頭のおかしな人には気をつけましょう
利用者が増えるに従って、頭のおかしな人もそれなりに出没するようになって来ています。頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。
頭のおかしな人の判定基準
- 「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど無茶をし始めるので見かけたら放置してください。
- 根拠もなく、他人を卑下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人
他人を卑下することで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めてもらう機会がないがプライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手のいない人です。可哀想なので放置してください。
- 自分の感情だけ書く人
「~~がムカツク」とか自分の感情を掲示板に書くことに意味があると思っている人です。
何がどのようにムカツクのか論理的に書いてあれば、他人が読んでも意味のある文章になりますが、そういった論理的思考の出来ない人です。もうちょっと賢くなるまでは放置してあげてください。
—-(以上、引用)—–
2ちゃんねるという空間で、「頭のおかしな人」は「放置」、というのは、とりもなおさず、空気を共有できない人は排除しましょう、ということですね。
これが、匿名掲示板上では一概に「悪い」と決め付けられないのが難しいところです。
私も1990年代前半に3年間パソコン通信の会議室で管理人を担当していた際、問題ある書き込みにはかなり悩まされました。問題ある書き込みと言っても、本人はそれなりに考えて書いているのですし、幸いパソコン通信では書き込んだ人にはメールで連絡可能でしたので、私は「書いた本人に理由を説明し、了解を得た上で削除する」、という基本方針で対応しました。かなり神経をすり減らしましたし、日常生活に支障が出たので、3年間で管理者は降板させていただきましたが….。
匿名掲示板ではこの本人に確認を取る、というプロセスを踏めません。ルールを決めてそれに違反したら削除、という方法も、タイムリーな対応と量の問題で難しい面もあります。問題のある書き込みがあり、ここで非難の応酬が始まってしまうと「場の空気」が悪くなり、コミュニティ全体が荒れてしまいます。
「放置しましょう」という「空気」を作るのも、生活の知恵なのでしょう。
今泉さんのエントリーにコメントされている方々も指摘なさっていますが、2ちゃんねるもコミュニティの一つであり、従って空気の弊害からは逃れられない、ということなのではないでしょうか?
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ところで、今泉さんのエントリーに対するコメントは、まさに「世間の空気を中和する水の役割」であり、空気の支配が強まっていっている現代の日本社会にはますます必要とされるモノだと思います。
このような機能は、今や2ちゃんねるからブログに取って替わられようとしているということでしょうか? ブログでは、自分の立場というものが常について回るので、ある程度抑制された内容になってしまうのは仕方がない面がありますが….。
関連リンク:
日本における「空気」の功罪
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