永井孝尚ブログ
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「絶対の悪」も「絶対の正義」もない

平和な時代が続いてきた世界ですが、この2〜3年、急速にきな臭くなってきました。
そんな中で私たちは「善悪」の判断をしなければなりません。
では、どんな基準で考えればいいのでしょうか?
哲学者ユヴァル・ハラリは、その指針を示しています。彼は世界的ベストセラー「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の著者でもあります。この2冊のうち「サピエンス全史」は、拙著「教養書100冊」でも取り上げました。
「サピエンス全史」は10年前の2014年刊行。人類の未来を比較的楽観的に描いた1冊でしたが、現在のハラリはこう述べています。
『私はそういった言葉をまったく違う時代に書きました。平和を満喫していた時代のことです。それ以来、状況は本当に悪化しました。パンデミック、ウクライナ侵攻、そしてハマスの攻撃です』
そしてこう続けてます。
『広島と長崎以来、初めて核兵器が戦闘に使用されるかもしれないのです。なぜならこの地域には、核戦力を持つ国がいくつかあるからです。ある種の“ 絶対的正義” を求めてはなりません』
拙著「教養書100冊」では、「サピエンス全史」紹介の最後の一節でこのハラリの言葉を紹介しました。
このハラリの発言は、ANN「報道ステーション」が2023年10月21日に行ったインタビューに基づいています。拙著刊行の1ヶ月前というギリギリのタイミングで掲載できました。
実はハラリは、このインタビューで実に様々なことを語っています。残念ながら拙著では、ページ数の制約でごく一部しか掲載できませんでした。
そこでここで割愛した部分を紹介したいと思いますが、その前に、まず一度情報を整理しておきたいと思います。
・ハラリはユダヤ人であり、故郷はイスラエルです。イスラエルは、歴史的に見て、実に様々な紆余曲折を抱えてきました。
・過去の歴史をザックリ端折って、第二次世界大戦の頃からの話をすると、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害により、多くのユダヤ人がパレスチナ人が住んでいた中東のパレスチナ地域(いまのイスラエルがある場所)に逃げてきました。このパレスチナ地域は、かつてユダヤ人の故郷だったからです。2000年前、ユダヤ人はこの故郷を追われ、世界で2000年間もの間、流浪の民として生きてきました。
・その後、第二次世界大戦の戦勝国が話し合い、「パレスチナ地域を、パレスチナ人とユダヤ人で分けよう」と合意しました。そして1948年、ユダヤ人によって、このパレスチナ地域に現在のイスラエルが建国されました。
・しかし中東にいるアラブ人からすると、いきなりユダヤ人が中東にやって来て、突然イスラエルという国家が建国されたわけです。しかもパレスチナ人から見ると、住んでいたパレスチナの地をユダヤ人に奪われました。当然ながらモメます。「中東戦争」と呼ばれる戦争が何回も起こりました。
・そんな中でも、イスラエル国家内でもユダヤ人とパレスチナ人の争いが激化しました。一時は米国が仲介したりして和平ムードがあったものの、結局は破綻。その後、パレスチナを主導するハマスが台頭し、イスラエル側も強硬派が政権を取り、お互いにテロや内戦の混乱が激化していく状況が現在まで続いています。
・2023年10月、ハマスがイスラエルにミサイル数千発を撃ち込み、さらに戦闘員が侵入してユダヤ人住民を惨殺したのは、こんな状況下で起こったわけです。そしてイスラエル軍が、ハマスを一掃すべくパレスチナ自治区に侵攻しているわけです。
こうして歴史的な経緯を考えると、ユダヤ人であるハラリは、当事者でもあることがおわかりになると思います。実際にハラリも、ハマスに知人を何人も殺されています。
ハラリはインタビューで、正直に『現時点で私は客観的になることはできません』と言った上で、このように率直に述べています。
『痛みについて語るにしても、イスラエルのことでなければ頭にくるんです。「私たちが感じている激しい痛みを知らずになぜパレスチナなのか」と』
その上で、『絶対的な悪も正義もない』と言っています。
なぜなら、ほとんどの場合、被害者と加害者が同じだからです。
これは、先に述べたイスラエルの歴史を振り返ると、よくわかります。
ユダヤ人は2000年前に故郷を追われ、さらにナチス・ドイツによるユダヤ人600万の大量虐殺を経て、ユダヤ人国家「イスラエル」を建国しました。そして突然のハマスの空襲で数千人が亡くなっています。そんなパレスチナの民を主導する立場になったのが、ハマスです。そしていま、パレスチナ自治区のガザでは、イスラエル軍の侵攻で何万人もの犠牲者が出ています。
まさに「絶対な悪も、絶対な正義もない」。実は「お互い様」なのです。でも、双方が、どうしようもない状況まで追い込まれているのです。
こんな話を聞くと、「私たち日本人は、こんな平和にノホホーンとしていていいのか?」と思ってしまいますが、ハラリはこうも言っています。
『だから本当に重要なのは平和のための”スペース”をとっておくこと。平和のための余地を守るために最も重要なことかもしれません。なぜなら申し上げたように、イスラエル人の心もパレスチナ人の心も、今や完全に苦痛のみになっているからです。』
『こういった状況では平和のための”スペース”は生まれません。苦難の海に浸りきりの私たちでは、心に平和のための”余地”(スペース)がありません。だから皆さんで大切にしてください。』
いまのところ当事者として巻き込まれていない私たちだからこそ、できることがある、ということです。
今年、私たち個人も、当事者として様々な状況に巻き込まれるかもしれません。時として自分を見失ってしまい、冷静さをなかなか維持できないこともあるかもしれません。
そんな時、「絶対な悪も、絶対な正義もない」ということを頭の片隅に置いておくと、状況をエスカレートさせない歯止めになるかもしれません。
※ インタビューは下記を参照しました。「ANNnewsCH――歴史学者・ハラリ氏緊急インタビュー『イスラエル人もパレスチナ人も“苦痛の海”にいるからこそ』(2023年10月21日公開」(https://youtu.be/eVhGKMmqikY)
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モメる多数決でなく、「一般意志」を目指せ

2023年12月14日の日本経済新聞夕刊に、JPH代表取締役の青松英男さんが『【十字路】株主の「一般意志」に応えよ』というコラムを寄せています。
私たちは組織の中で、さまざまな意志決定をしています。この時に意志決定の基準を考える上で、とても参考になると思いますので、一部を紹介しながら考えていきたいと思います。
—(以下、引用)—
ルソーは「社会契約論」で主権在民を基本とする民主主義の思想を提示した。統治者と人民の双方は、共同体に属する人民が公共の利益を考えた総意である一般意志を尊重しなければならない。人民は個々人が利益を追求する特殊意志を持つものの、一般意志によって制約されることを受け入れないといけない。
特殊意志の総和である全体意志もあるが、一般意志とは似て非なるものだ。政府が人気取りで全体意志に応えようとすると社会は崩壊する。全体意志とは減税と給付金増額の両方を望むようなものだ。
—(以上、引用)—
この文章では、18世紀フランスの啓蒙思想家ルソーが提唱した「一般意志」「特殊意志」「全体意志」という概念が出てきます。ただちょっとわかりにくいので解説すると、それぞれの違いはこんな感じです。
【特殊意志】各自の意志のこと。(※注)
【全体意志】各自の個別意志が一致している状態。ただ、たまたま一致しているだけで、これは「組織の意志」とはいえません。
【一般意志】組織があたかも一人の人間のように持つ意志のこと。
※注…光文社古典新訳文庫「社会契約論/ジュネーヴ草稿」では「特殊意志」を「個別意志」と訳しています。
どうでしょう? これでもまだわかりにくいですよね。そこで具体的な例で紹介しましょう。
【特殊意志の例】
5人のチームで、3人が「Aがいい」、残り2人がそれぞれ「Bがいい」「Cがいい」と言ったとします。
「特殊意志」とは、各自の「Aがいい」「Bがいい」「Cがいい」という意志のことです。ここで多数決を取ると「Aがいい」になります。でも「Bがいい」「Cがいい」という人たちの不満は残ります。もしかしたら、それは生死に関わる問題かもしれません。多数決ではそうした問題は解決しないわけです。
【全体意志の例】
チーム全員が「Aがいい」で一致した状態の意志が「全体意志」です。でも「これはたまたま特殊意志が一致しただけで、組織の意志とは言えないよね」とルソーは考えました。これが青松さんが「特殊意志の総和である全体意志もあるが、一般意志とは似て非なるものだ」とおっしゃっている意味です。
さらに青松さんは「政府が人気取りで全体意志に応えようとすると社会は崩壊する。全体意志とは減税と給付金増額の両方を望むようなものだ」とおっしゃっています。
わかりやすく言えば、政府が「減税します。しかも給付金も増やします」と言えば、「それ、得になるからいいね!」という全体意志で国民の大多数が一致して支持してくれるはずだ、なんてやっていると、社会が崩壊するよ、ということです。
【一般意志の例】
「Aがいい」「Bがいい」「Cがいい」という特殊意志を持つ個人が喧々諤々の議論をした末に、全員が新たに「Xがいい」と心から納得すれば、それが組織としての「一般意志」になります。言い換えれば、異なる意見を持ち寄って議論することで、はじめて一般意志が生まれるのです。
青松さんが上げた事例で言えば、本来必要なのは、限られた予算をいかに配分するかを喧々諤々と議論して、最後に全員が納得した落とし所を見つけるべきでしょう、ということです。
コラムの中では、青松さんはさらにこの議論を、株主と経営者の関係にまで展開した上で、経営者が「物言わぬ多数株主」の意向を無視して一部株主の特殊意志に応えようとするのを戒め、株主が意見表明するべきだ、とおっしゃっています。
ただこの「一般意志」の概念を聞くと、会社などで苦労しておられる方は、こう考えたりするのではないでしょうか?
「それってもの凄く大変だよ。全員が完全に一致するなんて、ムリなんじゃない?」
実は同じ事を、現代の経済学者であり哲学者のアマルティア・センが言っています。
経済学者でもあるセンは、著書『正義のアイデア』で、師でもある経済学者ケネス・アローが提唱した経済学の「社会的選択理論」に注目しました。これは「個人の好みの基準をどんなに緩やかにしても、全員が完全に同意することは不可能」というものです。
アローは「3人以上いると全員が完全に納得の合意を得るのは難しく、誰かが必ずどこかで妥協する必要があること」を、複雑な数式を駆使して証明してしまったのです。このためこの理論には「不可能性定理」なんて名前が付いています。
つまり「一般意志」を目指そうとしても、現実には完全な一般意志を実現することはとても難しいわけです。
そこでセンは「より正義に近くて、より不正義でないマシな選択肢を選ぶことが、現実的な解決策だよ」と言っています。
つまり私たちは、ルソーが言うように『「一般意志」を目指してチームで徹底的に議論をすることが必要』なのですが、一方でセンが言うように『3人以上いると全員が完全に納得するのも難しいので、選択肢を一通り検討した上で、一番マシな選択肢で合意するという現実的な思考も必要だ』、ということなのです。
この特殊意志、全体意志、一般意志、不可能性定理という概念を理解していると、チームでの議論に深みが出てくるのです。
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20年間使い続けた除湿機2台を、同じ機種に買い替えた理由

我が家では除湿機を愛用しています。理由は、家族が洗濯物の外干しで付く花粉が苦手だったり、リビングにグランドピアノがあったりして、常に湿度を一定に保つ必要があるからです。このため2台の除湿機を、一日のうち半分くらい運転し続けています。
先日、こうして愛用してきた除湿機2台を、20年ぶりに同じ機種に買い替えました。結論から言うと、同じ機種にした理由は、性能がとても高く、しかも滅多に故障しないからです。
実は20年前にこの機種を使い始める前に、大手メーカーの除湿機を使っていましたが、1年で不具合が起こりました。大手メーカーのサポートセンターに連絡すると、「そりゃ、そんなに使っていたら、すぐ寿命が来ますよ。買い換えですね」。
困っていたところ、ある店の店長さんから、この除湿機を勧められました。
「この除湿機、性能がすごく高いんですよ。しかも壊れません」
実際に使ってみると、壊れた大手メーカーの除湿機と比べても段違いの除湿能力があり、しかも長時間使い続けても文句も言わずに真面目に何年間も働いてくれます。
そうして使っていた8年目のある日、この除湿機も不具合が出ました。
メーカーに電話したところ、担当者曰く「16年以上動くように作っているのですが、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」。すぐ修理してくれました。しかも修理中、代替品として同じ機種を送ってくれました。誠実な対応でした。
そうして20年間、毎日使ってきたのですが、さすがに性能が落ちてきました。
この間、この除湿機もバージョンアップ版が登場。そこで2台とも同じ機種に買い替えることにして、2代目となる除湿機が我が家に届きました。
ちなみにこの除湿機は「カンキョー」という会社が作っています。たまたまこの会社を調べていたら、驚きました。波瀾万丈の厳しい時期を乗り越えた会社だったのです。
まずカンキョーは、1984年に当時の社長が「息子の喘息に効果がある空気清浄機を開発したい」という思いで、コマツからスピンオフして生まれました。地道な製品開発と代理店開拓の努力が実り、10年後の1994年に花粉症やアトピー性皮膚炎がメディアに取り上げられて空気環境の関心が高まったのをきっかけに、やっと急成長を始めます。
1997年には家庭用空気清浄機でシェア30%、売上100億円を突破し、ビジネス絶好調。株式上場間近でした。
しかし市場が成長すると、大手電機メーカーが参入してきました。大手メーカーの攻勢で、翌1998年には売上は1/5に落ち、立上げかけていた新規事業も不振。1998年11月に会社更生手続きを開始します。
絶好調からなんとわずか1年強。実にあっという間です。
80名の社員のうち、定期採用で初期のカンキョーを知る25名が残って、同社の再建が始まりました。社員が真剣にアイデアを出し合い、街頭でもアンケートを取り、押し入れ用除湿機を開発し、2001年には売上20万台を達成。さらに2002年にはノンフロン型で従来型の2.7倍の除湿能力がある除湿機「コンデンス式除湿機」も開発。(ちなみに我が家が購入したのは、この機種です)
しかしこの後も、カンキョーは2012年、中国での合弁会社とのトラブルで存亡の危機に立たされます。給与削減などで社員は次々と退職。社長と社員1人1人だけが残り、ビジネスを存続させることになりました。空気清浄機と除湿機は主にインターネット販売だけにして、年間2〜3万台売る体制にしました。
私たちが同社の除湿機を使っていた20年間で、実に色々なことがあったのですね。
同社の誠実な対応も、こうした苦しい時期を経た末に長年使用しているユーザーの有り難みが身に染みた結果、自然と滲み出てきた組織文化により生み出されたものなのかもしれません。
ところで20年前にこの除湿機を買った際、店長からもらったパンフレットには「この除湿機がないと困る」というユーザーの声が満載でした。ユーザーに支えられていたのですね。パンフレットはカラーコピーでしたが、今から思うと当時は会社更生法から再起していた時期なので、販促費用もギリギリに削減していたのかもしれませんね。
ちなみにカンキョーは、電力や燃料を使わずに太陽熱だけで空気中から飲料水を毎日200リットル作る技術も持っています。アフリカなど水不足問題の解決を目指しています。
そんなカンキョーの企業理念は「より健康で快適な住環境の創造」。強み(コアコンピタンス)となる除湿技術は「空気から水を搾り取る」です。
ただこれまでの同社の沿革を見ると、素晴らしい技術を持ち、商品を作ってきてはいるのですが、その技術と商品の強みが、イマイチ商売に結びついていないような印象も受けます。ですので、もう少しマーケティング力を強化することで、もっと大きく発展するような気もします。
我が家の2代目の除湿機も、これからまた20年間使っていくと思います。これからも発展し続けていただきたい会社なので、ぜひ頑張ってほしいですね。
[参考にした資料]
■ 「不死鳥のごとく/カンキョー(上)看板商品一気に沈む」日刊工業 2002/11/08
■ 「不死鳥のごとく/カンキョー(下)-オリジナル商品で活路」日刊工業 2002/11/15
■「カンキョー 水不足問題に新技術 太陽熱だけで空気から飲料水」Fuji Sankei Business 2010/06/25
■「高知ベンチャー群像 「創造」で時代拓け」高知新聞 2015/01/01
■カンキョーの沿革 https://www.kankyo-eco.com/company/history.htm
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マーケティングを深めるのは、教養である

拙著「100円のコーラを1000円で売る方法」を2011年に刊行した時、本のタイトルには「マーケティング」という言葉は一切入れませんでした。
12年前の当時は「マーケティングってなんか難しそう」と敬遠されていました。そこで本書ではタイトルに「マーケティング」という言葉を避けたのです。
いまは状況が変わりました。多くの人たちが「マーケティングを学ばなければ」と気がつき、「マーケティング」という言葉を入れると逆に本が売れるようになりました。
日本企業の大きな課題は、マーケティング力の不足です。マーケティングに注目が集まっていることは、とてもよい傾向だと思います。しかし大きな懸念もあります。
以前、ある編集者にこう言われたことがあります。
「5分間ほど考えるだけで、即売れるような方法、書けませんかねー?」
私は「それってマーケティングじゃありませんし、私にはそんな本を書くのはムリですよ」とお答えして、その編集者さんとお仕事をすることはありませんでした。
実際、マーケティングでは「これやれば楽勝で絶対に売れる」といった方法論は存在しません。
しかし世の中を見ると「コレ使えば絶対OK」「強めのメッセージさえ付ければ必ず売れる」というアプローチを訴求した本も目立ちます。全て否定すべきではないとは思いますが、これは本来のマーケティングとは言えません。この結果、成果が出ずに、「マーケティングって役立たないよね」と思われて、マーケティングが一過性のブームで終わったとしたら、とても残念です。
一方で、マーケティングを学んだ上で、哲学などのリベラルアーツを深く学んでいくと、マーケティング理論や経営理論の奥底にある深遠な思想が徐々に見えてきます。
たとえばマーケティング上の大問題は、「お客様の声が真実とは限らない」ということ。お客様を集めてインタビューし、そこで分かった要望に応える商品を開発しても、ほとんどの場合は売れないのです。
一方でジョブズは「顧客に何も聞かずに商品を開発し、成功した」と言われます。しかし形だけジョブズのマネをして、単なる「顧客に聞かない」というアプローチをするだけでは、ほとんど成功しません。
実はジョブズは、世界で最も厳しいアップル商品のユーザーでした。
顧客に聞かずに商品を開発した人たちの多くは、ジョブズのように「ユーザーとして自分が熱烈に欲しい商品」を作っています。
バルミューダの寺尾玄社長は「17歳の欧州一人旅で、涙が出るほど感動したあのパンの味を再現したい」と考えて、バルミューダ・ザ・トースターを作りました。
ソニーの盛田昭夫さんは「カセットプレイヤーを持ち歩いて音楽を聴きたい。録音機能を外し軽いヘッドホンを作ったら楽しめるのでは?」と考えて、ウォークマンを作りました。
最近では、かならぼの和田佳奈さんは「自分が毎日使いたくなるものを作りたい」と考えて、「フジコ眉ティント」などの化粧品シリーズFujikoを開発し、大ヒットさせています。
彼らに共通しているのは「顧客に問うのではなく、自分自身に問い続けている」ことです。
そんな彼らがなぜ成功するのかは、20世紀初頭に活躍した哲学者フッサールが提唱した現象学を学ぶと、解明できます。
当時の哲学界・科学界の大問題は、『主観と客観が一致しない「認識問題」』。
ザックリいうと「主観」とは個人それぞれの考え。「客観」とは誰にとっても同じ世界(=真実)のこと。哲学ではこの主観と客観が一致しないのが大問題だったわけです。当時の哲学者は、両者を一致させるために大騒ぎをしていました。
そこでフッサールはこう言ったのです。
『そもそも、主観と客観という分け方、やめません?』
『「主観の世界」だけで考えればいいじゃん』
どうあがいても、客観の世界はわかりません。ならば客観の世界は捨てて、個人の意識の領域に現れた主観的な体験(=現象)に着目し、直観を重視して、「疑えるものはすべて判断停止(エポケー)して、直観を重視し、直観を徹底的に検証して、ピュアな本質を取り出せ」と言ったのです。
これがフッサールの「現象学」です。そして直観を徹底的に検証してピュアな本質を取り出すことを「現象学的還元」と言います。
このフッサールの現象学がわかれば、ジョブズ、寺尾社長、盛田昭夫さん、和田佳奈さんがやっているのは、どれも自分の直観を徹底的に検証し、ピュアな本質を取り出す現象学的還元を行っていることがわかります。
ここで整理すると、
「お客様の声が真実とは限らない」というマーケティング上の大問題は、フッサール流に解説すると「市場や消費者の真実の姿を客観的に把握するのなんて、そもそもムリ」ということです。
ですので「商品企画は、顧客に問うな。自分に問い続けよ」ということなのです。
「顧客の声(真実)に従おう」と考えても、実は顧客は答えを持っていませんし、そんな真実は存在しません。 ならば「自分が答えを持っている」と考え、自分の直観を掘り下げるわけですね。
このように、教養を学べば、マーケティングの考え方が一段深くなることが、おわかりいただけたのではないかと思います。
いま私たちがビジネスで求められているのは、こういった「価値観」や「判断基準」なのではないでしょうか?
「なぜこの商品を開発しようと思ったのか?」
「その思いを、どのように市場や顧客に伝えるのか?」
「そして、サービスでどのように提供するのか?」
マーケティング理論や経営理論を、リベラルアーツや教養の視点で深めることで、こういったことも徐々に見えてきます。逆に決められた方法論に沿って考えるだけでは、なかなか見えてきません。
マーケティングをより深く考える上で、教養は大いに役立つのです。
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朝活永井塾 第82回 「ジョブズ流・顧客に聞かない商品開発がわかる「フッサールの現象学」』を行いました
12月6日は、第82回の朝活・永井塾。テーマは『ジョブズ流・顧客に聞かない商品開発がわかる「フッサールの現象学』でした。
マーケティングで求められるのが「抽象的な思考力」です。この抽象的な思考を深める上で、哲学はとても役立ちます。
でも哲学って何か難しそうですよね。特に哲学研究者は「哲学は、そもそもビジネスですぐに役立つことはないよ」とおっしゃったりします。
しかし「世界のエリートが学ぶ教養書 必読100冊を1冊にまとめてみた」を執筆しながら、私は「実は哲学って、ビジネスでとても役立つんだな」と実感しました。
そこでこれから朝活永井塾では、哲学思想を2〜3回に1回程度のペースで取り上げながら、マーケティングやビジネスで応用する方法を、できるだけわかりやすく紹介してまいります。今回のテーマはフッサールの「現象学」です。
「ヒット商品を開発しよう。まずは市場調査と顧客へのインタビューからだ」
こう考える企業が多いのですが、現実にはヒットメーカーは市場調査をあまりしません。
アップルの創業者ジョブズは市場調査をしなかったことで有名です。ヒット商品を連発する家電メーカー・バルミューダの寺尾玄社長も顧客の声を聞きません。
そんなジョブズや寺尾玄社長がヒットを連発し続ける理由が、フッサールの著書「現象学の理念」に書かれています。
現象学は、20世紀初頭に哲学者フッサールがモノゴトの本質を見極めるために生み出した考え方です。ただ困ったことに、本書は実に難解です。こんな文章で始まり、この調子でずっと続くのです。
「事象そのものに的中する認識の可能性についての反省が巻き込まれるいろいろな困惑。どのようにして認識はそれ自体に存在する事象との一致を確認し、またそれらの事象に〈的中〉しうるのであろうか?」
すらすら読める……という人は少ないでしょう。
今回の朝活永井塾は、このフッサールの現象学をわかりやすく解説した上で、ジョブズ流の「顧客に聞かない製品開発」を実現するポイントを紹介していきました。
ご参加下さった皆様、有り難うございました。
【プレゼン部分】



またリアルタイムに参加できなかった方々には動画配信をお送りしました。
次回・来年1月10日(水)の朝活勉強会「永井塾」のテーマは『アイデアのつくり方』です。申込みはこちらからどうぞ。