4年前、日本で恐らく初の試みとなる写真展を行いました

ちょうど4年ほど前、私は日本で恐らく初めての試みとなる写真展を行いました。

お風呂の壁面に写真作品を展示し、お客様は入浴を楽しみながらリラックスして写真を鑑賞いただく、というものです。

来場者数は恐らくのべ十万人。通常の写真展では来場者数千人で大成功ですが、写真展の企画としては来場者数が二桁程違います。

これは、コナミスポーツクラブ「湯の国ジャポン」の入間店(埼玉)、川越店(埼玉)、都賀店(千葉)の3施設で、2週間毎に作品を入れ替えながら3ヶ月間行ったものです。

それぞれ十数種類のお風呂が楽しめる本格的温浴施設で、深夜まで営業しているので、1ヶ月当たりの総施設利用者は3施設でのべ数万人になります。

先日、ふと「もう4年も経ったのだなぁ」と思い出したので、ブログに書いてみました。

「お風呂での写真展? どんな感じなんだろう?」と疑問に思った方は、こちらに現地の様子が写真付きで掲載されていますので、ご興味ある方はどうぞ。

「そもそも、お風呂での写真展という変わった企画、どのように生まれたのか?」と疑問に思った方は、プロジェクトX風にこちらに書いていますので、ご覧下さいませ。

今から振り返ると、実は結構イノベーティブな写真展だったのではないか、と思っています。

2007-03-16 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

欧米社会におけるアートとビジネスの共通点

先日のエントリー「ビジネスマンこそ、アーティストになれる? 」でも書きましたが、欧米のアートの世界では、自己表現をアートのコンテキストの中で論理的に構造化しないと通用しません。

逆に構造化して自己表現を説明し、それが説得力を持つ新しい表現として認められるものであれば、相手を説得できます。

ニューヨークの写真界で活躍されているHASHI[橋村奉臣]さんの作品も、禅的な東洋思想、日本人がモノに感じている仏性を写真の思想に昇華させて提示したものです。

HASHI[橋村奉臣]さんの考え方は、昨年10月に書いた「『一瞬の永遠』 ニューヨークで不動の地位を築いた、禅的思想の写真家」でご紹介させていただきましたが、非常によく練られた論理体形だと思います。

ビジネスの世界でも、ロジックが通っており、かつ前提条件が正しく、結論が正当なものであれば、受け入れざるを得ない、というのが欧米社会の不文律のようです。

この点では、アートの世界も、ビジネスの世界も、同じなのかもしれません。

2007-03-10 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

ビジネスマンこそ、アーティストになれる?

村上隆さんの「芸術起業論」を読んでいます。

実際に現代アートの世界で欧米から認められて活躍されている村上さん独特の視点で書かれており、「目から鱗」です。

特に私にとって目新しかったのは、「アートでは、文脈(=コンテキスト)の構築が重要」との指摘です。

ここで言っているのは、アート史や、この世の中での事象の中で、自分の芸術をどのように関連付けて考えるか、という論理構築力です。そのためには徹底した学習と、既存のルールを破壊して再構築する力が必要です。

村上氏は、日本のアートではこの点が非常に弱く、「この作品は、美しいか?」のレベルの議論になってしまうため、アートの本場である欧米に出て行っても勝負にならないとのこと。

(補足:尚、「もののあはれ」的な世界は大切だと私は思いますが、ここでの論点はグローバルで勝負できるかどうかという点に絞っています。その意味では、「もののあはれ」的な世界も、欧米の論理で文脈を構築できれば、グローバルで勝負できるのではないでしょうか?)

例えば、キャンベルの缶を描いた作品を残したアンディ・ウォーホール。彼の場合は、西欧美術史での文脈を作成する技術が圧倒的に違ったそうです。

このように考えると、ビジネス・スキームを考える訓練を日常的に仕事で行っているビジネスマンは、世界的なアーティストになれる潜在力を持っているのかもしれません。(ただし、スキーム構築力に併せて、世界に通用するアート・センスは必要不可欠ですが)

現時点でまだ読み進めている最中ですが、エキサイティングな視点を提供してくれます。

EOS-1D Mark III、発表

2月22日に、キヤノンがEOS-1D Mark IIIを発表しました。

様々な新機能や性能アップがありますが、今回個人的に興味深かったのは、操作性を大きく変えた点。

EOS-1Dシリーズは、初代の1D以来、各モデル間で、微妙に異なる点はあるものの、ほぼ同一の操作性を維持していました。このため、別モデルを使っていても、それ程操作に迷うことはありませんでした。

今回のMark IIIでは、背面液晶パネル左側にあったボタン群がなくなっています。

今回、液晶パネルを2.5インチから3インチに大型化する必要性もあって、この際ユーザーニーズに対応すべく操作系を一新したのかもしれません。

この操作系変更、使う側にとっては結構大きな変更点ですが、発表を見る限り操作ステップは短くなるようになっているようですので、割と受け入れられるかもしれませんね。

いずれにしても、早く実機で試してみたいですね。

しかし、銀塩フィルム時代にはこの手のフラグシップ機は10年間持っていましたが、1DがMark IIに変わるのに2年半、Mark IIがMark II Newに変わるのに1年半、Mark II NewがMark IIIに変わるのに1年半という短さです。

デジタル時代になって、確実に商品ライフサイクルが短くなっていることを実感します。

コダクローム、長い間ありがとう

「さよなら、僕のコダクローム」という記事のタイトルを見て、驚愕してアクセスしたところ、在庫限りで販売終了、現像も国内では2007/12/20まで、その後はアメリカ・カンザス州で受付とのこと。

「コダクローム使い」を自認するワタクシとしては、寂しい限りです。

ライフワークとなっている"Tokyo Bay Area"という作品も、全てコダクロームで撮影しています。この際だから、1024×768の壁紙もゲットできる非公開ページも公開します。 ⇒こちら

こんな感じで渋みと鮮やかさを両立した発色をするフィルムは、コダクロームだけでした。耐久性も素晴らしく、20年前に撮影したフィルムはどれも全く問題ありません。

PKR (コダクローム64プロフェッショナル)36枚撮を100本単位で購入していたのも、懐かしい思い出です。

東京湾岸をこのフィルムで撮り続けていたのは、ほんの2年前までです。

ではなぜ使わなくなったかと言えば、私もデジカメに移行したためです。(^^;)

特にRAWデータで撮影することで、デジカメでもコダクロームに近い表現が可能になりました。しかも、夜景での表現力は、こちらに書きましたように、圧倒的にデジカメの方に優れています。

私のようなカメラマンが多かったのか、デジカメの影響でコダクロームの需要は大幅に落ち込んでいたそうです。

一時代を築いた銀塩フィルム時代の傑作商品が、また一つ、市場から消えることになります。

2006年10月~12月期決算でコダックは9四半期ぶりに純利益を計上しましたが、これは大規模なリストラの結果とのこと。逆に言えば、このような状態になってまでコダクロームを提供し続けてくれたコダックは偉大ですね。

1935年にこの世に生まれ、1980年代から今世紀までの私の写真活動を支えてくれたコダクロームには、ただ感謝あるのみ。ありがとうございました。

2007-02-15 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

古屋誠一展「Aus den Fugen」

三島にあるヴァンジ彫刻庭園美術館で行われている写真展、古屋誠一展「Aus den Fugen」を見てきました。

古屋さんは1978年にオーストリアで出会ったクリスティーネ・ゲッスラーと結婚、息子さんを授かりましたが、クリスティーネは1983年に精神的に不安定になり、1985年に東ベルリンのアパートから投身自殺。7年半の彼女との生活は突然中断されました。

写真展は、古屋さんがクリスティーネと出会ってから彼女がこの世を去るまでのポートレイト、及び彼女亡き後に撮り続けた作品からなっています。

1979に伊豆で撮影された、はにかみながらカメラを見る、初々しく幸せそうなクリスティーネ

発病後、感情のこもらない目でレンズをまっすぐに見つめるクリスティーネ

剃髪したクリスティーネ

息子を抱えながら呆然と立つクリスティーネ

彼女亡き後に撮影された、枝で作られた十字架や枯れ草を燃やしている写真、野うさぎの朽ち果てた死体等。

どの作品も緊張感をもち、胸がしめつけられます。

彼女のポートレートは生前にはプリントされることはなく、また、フィルムも死後11年間放置されていたそうです。彼女との記録を撮り続けた写真は、彼女の自殺により、古屋さんにとって全くその意味が変ってしまいました。古屋さんが彼女の死を消化するには、10年以上の時間が必要だったということなのでしょうか。

私が作品を見て感銘を受けながら、今ひとつ消化不十分なものを感じたのは、古屋さんがまだ彼女の死を完全に消化し切っていないことが理由のような気がします。

その意味では、クリスティーネが去ってから22年が経過した現在も、この作品は発展途上と言えるのかもしれませんね。

2007-02-13 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

まるでアート作品を思わせる中古カメラ

久しぶりに、中古カメラ店に行ってみました。

改めて、昔は高嶺の花だったカメラがかなり安くなっていることに気づかされます。

例えば以前はライカM5で20万円以下のボディはなかなかありませんでしたが、最近は比較的出回るようになりました。キヤノンEOS1系のボディもかなり安くなっています。

限定生産だったペリクルミラーのEOS-RT(発売当時115,000円)が一万円台でかなりの量が出回っているのも少し驚きでした。ちなみに私は10年前に4万円弱で入手し、結構愛用していました。

カメラ市場が銀塩フィルムからデジタル一眼へ大きく変わり、市場の需要供給関係が変わったことが、こんなところにも反映しているのかもしれません。

こんな中で、酷使されたNikon Fが販売されていました。

ブラックボディのペイントは、角が全て剥がれて真鍮の地肌がむき出しになっています。新聞社等のプロの現場で使われていたのかもしれません。私が10年前まで愛用していたCanon New F-1もかなり酷使されている方ですが、ここまでではありません。

しかしこのようなボディにも関わらず、比較的きれいなFの2倍の値段になっています。

確かに、このように酷使されたNikon Fは、そこにあるだけでアート作品のような強烈な存在感を主張しているように思います。

そう言えば学生の頃、同じく酷使されてボロボロになったNikon Fの写真とともに、「ニコンはこのようになっても使えます」というメッセージをつけたニコンの広告を見たことがあります。まさにプロの道具、といった感じで強烈に印象に残っています。

進化の激しいデジカメの時代になって、このようなカメラは今後なかなか出にくくなるかもしれませんね。

篠山紀信、写真を語る

篠山紀信さんのインタビューを読みました。

篠山紀信さんが撮られるヌード写真は、私は全くの専門外ですが、このインタビューで語られていることには非常に納得しました。

以下、引用しながら感想を述べます。

「(デジカメは)技術的にはもうフィルムに追いついていますよ。それでもやっぱりフィルムがいいとか、カメラはライカじゃなくちゃ、などとこだわる気持ちは、あまりよく分からない。写真は過去を写すわけにはいかなくて、今の時代を撮るしかない。だったら、今の道具を使うのが一番いいと思いますけどね」

篠山さんは常に新しいテーマを撮るために新しい表現を積極的に使っており、最近はデジカメを使っています。

私も最近になって作品作りも完全にデジカメへ移行して、このことは実感します。銀塩フィルムでの画像と、デジカメでの画像は、明らかに時代感が違います。

以前書いたこちらのエントリーの画像を比較いただくと、その違いが分かるのではないでしょうか?

「(写真は)白いキャンパスに絵を描いたり、まっさらの五線譜に音符を書き込んでいくようなクリエイティブなものとは違います。その時代が生んだ何かを見つけてきて、カメラという機械を使って撮るのが写真。純粋なアートじゃないんですよ」

「写真はアートか?」ということは常に議論になっていますが、このことを明快に語っておられますね。

この年末に、20年間東京湾岸の移り変わりを写してきた作品を改めて見直して、私もまさに「時代性を反映するのが写真」と思っていたところです。

「時代が生んだおもしろいコトやモノや人を、一番いい場所から、一番いいタイミングで、『いいとこ撮り』しちゃう。それができるのが、いいカメラマンなんです。神様が降りてくるというか、幸運なめぐり合わせを待つしかない部分っていうのが、写真にはありますね」

「….時代を見抜く力と、それを作品化する欲望さえ持っていれば、写真は永遠に撮り続けられます。ネタが枯れてしまうなんてことはあり得ませんね」

「….ピュアな好奇心を持っていさえすれば、目の前に転がっているものが何でもおもしろく見えてくるはずです」

まさに「写真小僧」の面目躍如といった感じですが、この「好奇心」と「欲望」は、我々も常に持ち続けていたいですね。

「神様が降りてくる」という瞬間は、いい作品を撮っている瞬間に私もよく感じます。私が好きなサラ・ムーンも同じことを言っています。

新年早々、写真を撮るエネルギーをもらったような気がします。

2007-01-10 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

「目的」の作品のためには、「手段」である写真技術には拘るべからず

元々、私はマニュアル露出+マニュアルフォーカス+銀塩フィルムこそ写真の王道だと頑固に考えていました。しかし、今日まで2回の技術面の大きな変化を経て、現在は自動露出+オートフォーカス+デジタルカメラを使うに至りました。

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元々、私は1980年位からマニュアル・フォーカスの一眼レフで、マニュアル露出で撮っていました。思った通り撮れますが、やはり失敗も多くありました。

一番このことを実感したのは、1993年に米国を撮影旅行した際のこと。「コレだ!」と思って撮影した写真の多くが、ピンボケやブレで失敗して、使えませんでした。

ちょうどこの頃、オートフォーカス一眼レフカメラが出始めていました。合焦性能もマニュアルフォーカスよりも格段に向上していました。

「自分が写真を撮る目的は、マニュアルフォーカスで撮影することではなく、より作品を残すことだ」と考えて、米国撮影旅行での失敗を反省し、オートフォーカスに切り替えることにしました。

機材を切り替えて、1996年にオーストラリアに撮影旅行に出かけた際は、ピンボケによる失敗は格段に減少し、作品の「歩留まり」が大きく向上しました。実際、天候に恵まれなかったため、撮影本数は米国旅行の時と比べてわずか半分でしたが、同じ数の作品を残すことができました。

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さて、ここにも書きましたように、最近は東京湾岸の写真を撮影しています。

もともと1980年代後半から1990年代前半まで撮影してきたテーマです。2002年頃から徐々に撮影を再開しています。

ここでの悩みどころがフィルムの発色です。リバーサル・フィルムを使っているのですが、夜中や明け方の撮影が多く、光線状態も多様で、フィルムの性能が相反則不軌のために不安定で、なかなか思うような色が出ません。この結果、うまく撮影したと思っても、実際には違う色が出ていて、ボツにせざるを得ない作品が多数ありました。

この年末から年始にかけて、東京湾岸の撮影に、初めて本格的にデジカメ一眼レフを使いRAWデータで撮影をしたところ、本来の見た目通りの色が出せるようになり、この悩みが一挙に解決しました。

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アマチュア写真家は、同一テーマを長い期間をかけて追いかけられる点が、プロの写真家には真似できない強みです。一方で、アマチュア写真家は他に仕事を持っており、写真にかけられる時間が限られています。

例えば、私が夜中から明け方にかけて東京湾岸を撮影できる機会は、この年末年始休暇が終わると、残念ながらあまり機会がないのが実情です。

従って、確実に自分の表現意図を作品に残せることが必要になります。

撮影機材や技術はあくまで「手段」、作品は「目的」です。手段にこだわって目的を見失うのは本末転倒です。

アマチュア写真家だからこそ、カメラの技術的進歩を取り入れることで、歩留まりを上げて、より多くの作品を残していくことが必要なのではないでしょうか?

2007-01-02 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

長時間露光環境における、銀塩フィルムとデジカメの描写性能の違い

この年末、久しぶりに20年来のテーマである東京湾岸の写真を撮影しています。

1980年代後半以来、このテーマは銀塩フィルムで撮影していましたが、最近になってデジカメに変更しました。

夜中に撮影することが多いのですが、銀塩フィルムと比べて、デジカメの場合は相反則不軌という現象が起きないのが一番大きな理由です。

相反則不軌というのは、1万分の1秒とか数十秒という通常では使わないシャッター速度で撮影した場合に発生するもので、フィルムの感度が下がり、かつカラーバランスも崩れてしまう現象です。

ご存知の通り、写真フィルムは、フィルム上にある感光材料の中のハロゲン化銀が光に当たって反応することで画像を固定します。数十秒程度の露光時間になるとこの反応が1/10位になります。(反応が線形でなくなる、ということです)

このため、数十秒の露光が必要な場合でも、実際には5分とか15分の露光が必要になります。

さらに、カラーフィルムの場合は、3原色毎に感光材料が反応するようになっているのですが、3原色毎にこの反応の鈍さが異なるので、カラーバランスが崩れます。例えば、全体がマゼンタ色になったり、緑っぽくなる、というような感じになってしまいます。

そこで、私が銀塩フィルムを使っていた頃は、夜中の写真は1枚15分程度の時間を使って撮影していました。段階露光をしたりすると、1時間で3-4枚しか撮れません。しかも、カラーバランスが崩れ、かつ、暗い箇所は真っ黒に描写されてしまいます。ただ、このカラーバランスの崩れと暗い箇所が省略されるところに、微妙な味があったりするのですが。

デジカメになって、この相反則不軌が通常使用する範囲では生じなくなりました。従って、夜中の撮影が非常に楽になり、作品作りに集中できるようになります。

さて、どの程度画質が違うのか、サンプルを作ってみました。題材はお台場にあるフジテレビの社屋、使用レンズは同一です。

Fujif Fujid_3

左が銀塩フィルムによるもの、右がデジカメによるものです。クリックすると拡大表示します。左も結構味がありますが、やはり比較するとくすんで見えてしまいますね。

 

Fujifdet_1 Fujiddet 画面の右上にある箇所を拡大したのがこちらです。左が銀塩フィルム、右がデジカメです。クリックして拡大表示するとわかりますが、結構、差は大きいです。

 

 

ただし、数十秒という長時間露光は銀塩フィルムの想定使用外ですので、この比較は必ずしも通常使用の性能差を比較しているものではありません。

また、使用したデジカメは4年前に発売したものとは言え、プロフェッショナル用の1110万画素の機種なので、中判カメラ並の性能を持っていることを申し添えます。

2006-12-31 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

Photoshop CS2によるRAWデータ加工と、「写真の真実性」について考える

こちらに書きましたように、パソコンをアップグレードしたのに伴い、今まで使っていたPhotoshop V4をCS2にバージョンアップしました。また、ハードディスク容量が160GBとかなり余裕が出来たこともあり、作品として残す写真についてはRAWデータで撮影できるようになりました。

遅ればせながら、Photosop CS2 + RAWデータにより、撮影した写真をかなり自由に加工できることに改めて驚いています。

ここまで自由に加工できると、「写真の真実性とは何か」というテーマについて、改めて考えさせられました。(但し、ここでの写真の加工はRAWデータの調節のみに限定しています。画像に写っていない対象を加えたり、逆に余分なものを削除する、といったような加工は除外しています)

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RAWデータにより、撮影後でも、色温度、露光量、明るさ、カラーバランス、コントラスト、といった各種パラメータについて修正が可能になります。

思い起こせば、銀塩フィルムを使っていた頃は、撮影テーマや撮影対象に従って、撮影前にフィルムを選択していました。(例えば、白黒フィルムかカラーか、高感度フィルムか低感度フィルムか、デイライトタイプかタングステンタイプか、リバーサルかネガカラーフィルムか、等)

さらにフィルム現像を行う場合は、撮影意図によって現像方法も変えていました。

例えば、白黒で質感を上げて表現したい場合、コダック・トライXを使いISO320で撮影してD76希釈現像で現像時間を10%短くすることで、粒状性を細かくしつつより豊富なトーンを再現する。逆に荒涼感を出すためには、同じくトライXに赤フィルターを付けてISO1600程度で撮影し、D76をさらに希釈し高温で長めに現像することで、粗粒子・ハイコントラストに再現する、というような感じです。

このように、銀塩フィルムの場合は、表現意図に合わせて、フィルムの選択、撮影方法、現像方法まで全てを変えていましたし、一連のプロセスの中でどれかが失敗すると、全体の仕上がりもうまくいきませんでした。

RAWデータ加工で、この流れが大きく変わり、撮影終了後に自由にフィルム特性に相当するパラメータを変化させることができ、かつ、作業のやり直しも可能になりました。さらにPhotoshop CS2により、レンズのゆがみ、特定方向のブレ、ある程度のボケ、等、撮影の失敗もある程度救済可能です。

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写真は「真実を写す」と書きます。この「真実」をどのように定義するか、で、それぞれの人にとっての写真の意味が変わってきます。

ここではあくまで技術的な観点でのみ考えると、「真実を写す」ということは、いかに特定のシーンの写像を自分の表現意図に合った形で残すか、ということになります。

しかし、その写像を残す方法は、その手段を考えた人の主観で作られています。例えば、フィルムメーカーが銀塩フィルムを設計する際、色のバランスをどう考えるか、発色は鮮やかにするのか渋めにするのか、等、色々な基準で作っています。私達は作品を撮影する際に、このような様々なフィルムの中から自分の価値観に合ったフィルムを選択しているのです。カメラやレンズの選択も同様でしょう。

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Photoshop CS2によるRAWデータ加工は、「表現意図に合ったフィルムを選択する ⇒撮影する」という流れを、「撮影する ⇒表現意図に合わせて加工する」というように逆転させ、かつ、表現手段の自由度をより撮影者側に残してくれる、という意味で、きわめて画期的なものです。

しかし、これはあくまでプロセスの変更、つまり真実の写像を作るプロセスが変わったに過ぎません。

「写真の真実性」という観点だけで考えると、RAWデータによる写真の加工と、銀塩フィルムによる撮影では、特定のシーンの写像を自分の表現意図に合った形で残すという結果自体には変化はなく、従って、「写真の真実性」も、なんら変わることはない、というのが私の結論です。

2006-12-29 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

コレ、何でしょう? 回答編

Img_1082small_2

「コレ、何でしょう?」(左の写真参照)では、色々なお答えをお寄せいただきありがとうございました。

 

 

あすかさんのコメント
>>赤血球に見えるんですけど。。。。でも、普通のデジカメで写るんですか?

⇒そうそう、顕微鏡写真っぽいですよね。でも違うんです。

 

yukkoさんのコメント
>>不思議な物体ですね~。
>>でも何か芸術的
>>雨粒ですか?
>>もう少し簡単なヒント希望(^o^)丿 

⇒芸術的っていうのは結構ポイントですね。でも液体ではありません。

 

きょこさんのコメント
>>お正月に関係あるものですよね?黒豆に見えるのですが。

⇒黒豆っていうのはもしかしたらちょっと近いかも。

 

himatさんのコメント
>>奥行きがなければ、間違いないと思うのだけど・・・・・。
>>三枚合わせガラスに付いた水滴が凍った物?

⇒ガラスは少し近づいていますね。

 

ぴぴさんのコメント
>>私にも黒豆に見えますが、どうしてそれぞれ浮いているように見えるのでしょう? まさか、黒豆を空中に投げた?!

⇒空に投げた感じを狙っていますが、実は静止しています。

 

うぺぺさんのコメント
>>整髪料とかのジェルかなぁ?

⇒ううむ、ジェルっぽいかも。でも固形です。

 

 

では、答えです。

 

 

 

実は、掲載した写真は真上から接写モードで撮影しています。

 

Korenanianswer1 真横から接写で撮影した写真はこれ。

 

 

 

Korenanianswer2 下の方から接写で撮影した写真はこれです。

 

 

 

 

ちょっと分かりづらいかもしれませんが、これはきれいな石を約30cm四方の立方体のガラスに封入したオブジェです。

写真でもお分かりのように、このオブジェは、下から蛍光灯のようなフラットな光を当てていて、幻想的な感じになっています。

これを真上から撮影すると、ガラスに封入された石が、下からのフラットな光でシルエットになり、最初の写真のようになります。

先々週末に出かけた先のレストランの入り口にあったものを撮影したものです。なかなか不思議な感じなので、食事のことも忘れて撮影してしまいました。

世の中には、普段は何気なく見逃しているけどよく見るとちょっと「トワイライト」なモノが結構あるような気がします。こんなものに気がついたら、色々な方法で撮影してみると面白いかもしれませんね。

 

え? 「こんなの、分かる訳ないだろう!」って? 

あ、いやはや、まったく、ごもっともです。(^^; 

まぁ、色々と想像を膨らませて楽しんでいただければ、幸いです。

コレ、何でしょう?

先週末、撮影したものです。クリックすると480×360に拡大されます。

Img_1082small_1 ヒント1:普通のコンパクトデジカメ(IXY DIGITAL 800 IS)で、ISO 100で撮影しています。

ヒント2:白黒写真のようですが、拡大表示すると分かる通り、実はカラーです。もちろん、サイズを縮小しただけで、特別な処理は行っていません。

「コレ、×■△◎なんじゃないかなぁ?」という方は、ぜひコメントを。

答えは来週くらいに掲載します。(何もコメントつかなかったりして ^^;)

2006/12/26追記: 回答をこちらに掲載しました。

アンリ・カルティエ=ブレッソン

「決定的瞬間」という単語をご存知の方も多いと思います。実は、この言葉は、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)という写真家が出した写真集の名前です。

彼の写真は、まさに「この瞬間しかあり得ない」という決定的瞬間を収めたものばかり。

写真ばかり撮っていた学生の頃に、この写真集を見た時の衝撃は今でもよく覚えています。

ただこの写真集はとても高く、若かった当時は書店で見たり、鎌倉で行われた写真展を見に行ったりしていました。

この写真集に出会ってから約25年が経過したこの週末、出かけた先でふと入った書店で、アンリ・カルティエ=ブレッソンの各種作品を収めた写真集"the man, the image & the world"を見つけました。大判で400ページ以上の大作です。

思わず学生の頃を思い出して見入ってしましました。やはり一つ一つの作品が持つ力は凄いですね。同時に彼が20代だった1930年代と、60歳になろうとしている1960年代の作品が、全く同じメッセージを発しているのにも驚きました。

「このような写真集には、もうなかなか出会えないかもしれない」と思い、購入しました。

素晴らしい写真集は、単にシャッターチャンスや構図のような技術面だけでなく、その人の生き様や時代等、様々なことを教えてくれます。時間があるときにページをめくりながら、学んでいきたいと思います。

サーファーズ・パラダイスの静かな海岸

2ヶ月ぶりにお送りする壁紙です。

1996年、オーストラリアのサーファーズ・パラダイスで撮影したものです。

この時は、サーファーズ・パラダイスにあるゲストハウスに1週間滞在して、ゴールド・コーストの様子を撮影し続けました。空はあくまで青く、海岸はエメラルド色、気候も温暖で、住んでいる人達も人懐っこく、まるで天国のようですね。

この写真は、日の出前にゲストハウス近くの海岸で撮影したものです。早朝、宿からすぐ近くにある海岸に出たら、カモメたちが誰もいない海岸で時を過ごしていました。

こちらをクリックいただくと、1024×768の画像が表示されます。よろしければ、壁紙にお使い下さい。

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2006-12-18 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

年賀状、どうしていますか?

そろそろ年賀状を出す時期ですね。

正月に届く年賀状を見ると、それぞれの人のスタイルや生活が見えて、なかなか楽しいですね。

私の場合は、年賀状は自分の写真作品を見ていただく絶好の機会と考えています。考えてみると、数百人の人に写真作品を見ていただく機会はめったにありません。年賀状は、その数少ないチャンスの一つだと思います。

そのため、ここ20年近くは毎年印刷会社にお願いしてポストカードを作成しています。

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このポストカード、自分で言うのもなんですけど、店に置いても多分売れるのではないでしょうか? 例えばこんな感じです。(でも非売品です)

実は私、写真の印刷に自宅のプリンターを使ったことがありません。やはり正規に作成したポストカードの方が、自宅で印刷したものよりも品質がよいように思います。また、毎回1000枚作成していますが、版下作成代込みで2万円かからないので、1枚当りのランニングコストもプリンターで印刷するよりも実は安くつきます。(もちろん1000枚も年賀状を送る訳ではなく、大量に余ったポストカードは色々な折に人に差し上げています)

ということで、そろそろ印刷会社から仕上がったポストカードが届けられる頃なので、この週末は年賀状書きにいそしむことになりそうです。

2006-12-15 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

デジカメ写真セレクションにiPODは使える!

最近、あるテーマで写真を撮り続けています。これまでに5,000枚程撮影し、その中から350枚をセレクションしています。

写真展開催を目標にしているので、ストーリーに合わせた上で、ここからさらに50枚程度に絞り込むことになります。(さらにこれから追加で撮影する分もあります)

今まで銀塩フィルムで作品を撮影していた時は、プリントやリバーサルフィルムのスライドを何回も見直して、構成を考えていました。

デジカメの場合は、画面の一覧性がないために、なかなかこのようにいきません。確かにプリントすれば銀塩フィルムの場合と同じように出来ますが、せっかくデジタル化されているので、他に方法がないかと思っていました。

そこで、iPODに写真で取り込んでみましたが、これが結構使えることが分かりました。

何よりもスクローリングが非常に速いのがよいですね。

ちょっと時間が空いた時や電車の中等で、作品をパラパラと見直すことで、どの作品を選ぶべきか、だんだんとコンセプトがまとまってきます。

写真展の質を向上させるためにも、結構なスグレモノですね。

深瀬昌久「家族」

東京・銀座にあるNIKON PLAZA Ginzaで、「私という記憶」という名前の写真展を11月14日まで開催しています。

深瀬昌久さん、荒木経惟さん、石内都さん、鈴木清さん、古谷誠一さんといった写真家が、様々な作品を展示しています。

どれも素晴らしい作品ばかりでしたが、この中で特に立ち止まって何回も見入ってしまったのが、深瀬昌久さんの「家族」というタイトルの10枚の作品。

深瀬昌久さんのお父様の助造さんが、北海道で「深瀬写真館」を経営されていた1971年から亡くなる1989年までの作品を、ほぼ時系列で並べています。1枚目と10枚目を除き、全て(恐らく助造さんが経営されていた深瀬写真館の)スタジオで撮影された作品です。

1枚目は、1974年に撮影された、「深瀬写真館」全体の写真。天気の良い日で、道端に止めているフォルクスワゲン・ビートルと馬の間に、助造さんが立っています。

2枚目は、1971年に撮影された家族全体の写真。深瀬さんのご両親、奥様、弟夫婦、妹夫婦、甥っ子、姪っ子が計10名、にこやかに写っています。深瀬さんの奥様は上半身裸で、長髪を胸にたらしています。家族の深い結びつきを感じさせてくれる写真です。1枚目の写真を撮った当時の深瀬写真館では、このように家族の大勢のメンバーの声で賑やかだったことを想像させてくれます。

3枚目は、同じメンバーが後を向いた写真。奥様だけ前を見ています。

4枚目は、1974年に撮影された深瀬昌久さんご自身の写真。ザルに小魚を持ち、眼光鋭く正面を見ているところを撮影したものです。

5枚目は、1972年に撮影された、助造さんと深瀬さんが2人並んで写っている作品。お2人ともブリーフ一枚の全身像です。当時深瀬昌久さんは40歳。助造さんは60歳か70歳でしょうか? 深瀬さんの身体は若々しい逞しさがあり、助造さんもまだまだ現役といった感じで、2人とも全身の筋肉にハリがあります。

6枚目は、1972年に撮影された、助造さんと深瀬さんのお母様のみつゑさんが並んで写っている作品。いい感じの夫婦です。

7枚目は、1974年に撮影された助造さんの写真。羽織を着て、威風堂々といった感じです。

8枚目は、11年後の1985年に撮影された助造さんと深瀬さんの写真。2人とも上半身は裸です。助造さんの筋肉はすっかり削げ落ち、53歳の深瀬さんの風貌は15年前のお父様に酷似しています。

9枚目は、1987年に撮影された「父の遺影と家族」というタイトルの作品。2枚目とほぼ同じメンバー。ただしお父様と一人の姪っ子は遺影になっており、2枚目にいた最初の奥様は離婚されたのか写っていません。全員にこやかで、とても明るい雰囲気の写真です。

10枚目は、1989年に撮影された「廃業が決まった深瀬写真館」というタイトルの作品。1枚目が写真館正面で撮影されたのに対し、これは斜めから撮影されており、どこか寂しげです。

写真展では、1991年に発刊された写真集「家族」からの一文が引用されています。一部抜粋します。

「…….。2代目を継いだ父は4年前に亡くなり、母も一昨年特別養護老人ホームに入った。弟は離婚し、その息子と母は東京で自活している。妹夫婦は国鉄民営化で退職し札幌郊外のスーパーのマネージャーになった。私の生家の「深瀬写真館」は人手に渡り、家族は四散した。」

尚、深瀬さんは1992年の新宿ゴールデン街での事故により制作中断を余儀なくされ、現在も療養中とのことです。

「家族とは何なのか?」「我々はこの今の瞬間を思いっきり生きることでしかその存在を確認できないものなのか?」ということを深く考えさせてくれる、素晴らしい10枚の作品でした。

2006-11-12 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

セレクションとは、「選ぶ」作業ではなく「捨てる」作業

大里さんのエントリー「戦略とは捨てること」を読んで、1年半前に私が写真のメルマガ「プロェッショナル・サンデー・フォトグラファーへ!」の「第五の心得」で書いた記事を思い出しました。

写真の場合も、作品セレクションで一番必要なことは「選ぶこと」ではなく、「捨てること」です。この点に限れば、アートの世界もビジネスの世界と全く同じと言えそうです。

ちょっと長くなりますが、「第五の心得」の要約をそのまま引用します。

—(以下、「プロェッショナル・サンデー・フォトグラファーへ!」第34号から引用)—

●第五の心得とは、「自分の作品に一番厳しい批評家は自分である。作品セレクションが撮影以上に大切と知っている」です。

●「写真はパッションだ」ということで、衝動の赴くままに撮影し、一切セレクションせずに、「これがオレの表現したかったことだ!」と発表しても、素晴らしい作品にはなりません。

●一つ目の理由は、様々な技術的未熟さや企画段階の未熟さにより、「自分はいい」と思っていても、作品としての完成度が低いからです。

●二つ目の理由は、写真はその人にとっての真実、言い換えると自分そのものを写しますので、自分自身が自分の作品に対して厳しくしなければならないからです。

●言い換えれば、セレクションとは、「選ぶ」作業ではなく、「捨てる」作業です。作品の完成度は、いかに不十分な作品を捨てるかにかかってきます。

●プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーには、自分の作品に対して厳しい姿勢を求めらます。

●写真を鑑賞する立場でセレクションを考えるとよりセレクションの重要さがわかります。

●例えば、自分が写真展に行ったときのことを考えてみてください。興味が沸かない作品は素通りしますよね。その作品を何回も眺めて何故自分が評価できないかを徹底的に考えたり、写真展会場にいる作者に声を掛けて作品の意図を理解できるまで問いただすことは、通常行わないと思います。

●自分が写真展を開催している場合も同じです。あなたの写真展の来場者は、あなたの作品に興味が沸かないとそのまま素通りします。

●人は、自分自身は興味が沸かない他人の作品には無関心であるにも関わらず、自分が作品を発表する立場になると他人に自分の作品に最大限の関心を持って欲しいと思ってしまうのです。

●マザー・テレサは、「愛の対極にあるのは、憎しみではなく、無関心である」と語りました。人は評価しない作品に対しては決して悪口は言いません。単に無視するだけです。

●だからこそ、自分自身が一番厳しい批評家として、自分の作品をセレクションしなければならないのです。

●しかし、プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーは、他人や市場の評価を作品セレクションの基準とすべきでないのです。何故でしょうか?

●職業的プロフェッショナル・フォトグラファーの場合、クライアントの要求・要望・市場の評価が写真セレクションの絶対基準です。何故なら写真はお金を得るための手段だからです。

●一方、プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーにとっては、写真はお金を得るための手段ではなく、自分自身の表現手段であり、写真評価軸はあくまで自分自身の厳しい作品選定基準です。市場評価を作品セレクションの基準にすべきではないのです。

●ゴッホは、生前は作品は全く評価されず極貧の生活を送っていました。評価されるようになったのは、死後10年以上経ってからです。しかし、死の直前の2年間の素晴らしい作品を見ると、創作活動とその時点の市場評価は全く別物であることがよく分かります。

●自分の厳しい選定基準をクリアしていれば、市場が受け入れなくても、それは問題と考えるべきではないのかもしれません。

●以下は英国の宰相・ウィンストン・チャーチルの言葉です。

 誠実でなければ人を動かすことはできない。
 人を感動させるには、自分が心の底から感動しなければならない。
 自分が涙を流さなければ、人の涙を誘うことはできない。
 自分が信じなければ、人を信じさせることはできない。

●セレクションの一つの基準は、自分自身が心の底から感動しているかどうか、かもしれません。

●逆説的に言えば、セレクションは必要悪と言えます。撮影の段階で、作品の最終イメージが確定し、かつその通り作品を仕上げる実力を持っていれば、撮影した時点で作品は出来上がっている筈であり、セレクションは不要です。 ⇒加納典明の事例参照

●しかし、残念ながら我々は必ずしも写真の天才ではありません。また、プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーに対しては、他人は誰も厳しいことを言ってくれません。

●そこでセレクションという作業が必要になってくる訳ですが、何が写真のセレクションを難しくしているのでしょうか?

●それは、自分自身の作品への思い入れ、被写体への思い入れ、迷い、エゴ等です。

●実は、自分の作品に一番甘いのは自分なのです。

●プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーは自分の作品の隅々に責任を持たなくてはいけません。一箇所でも納得できない場所があれば、それは作品として世の中に出すべきではありません。

●セレクションは、撮影した写真作品から技術的未熟さやエゴを洗い流すために必要な作業である、と考えることも出来ます。

●参考までに私が心掛けている方法は以下の方法です。

・今、自分が死んで、作品だけが残った。
・人々はその作品で自分という人間を評価することになる。
・その場合、自分は、ここでセレクションした作品のみで自分という人間を評価されて、納得できるのか?

●しかし、実際には難しい点もあります。例えば、統一テーマで写真展を行う場合です。

●数十点の作品で流れを作る際に、流れの中で作品に強弱を付ける必要も出てきます。また同一テーマで数十点の作品を揃えるには非常に高度な技量が必要で、どうしても弱い作品も出てきます。

●しかしながら、それでもやはり、このような心掛けを常に持って作品を選んでいかなければならないのではないか、と思っています。

—(以上、「プロェッショナル・サンデー・フォトグラファーへ!」第34号から引用)—

2006-10-25 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

『一瞬の永遠』 ニューヨークで不動の地位を築いた、禅的思想の写真家

昨日、東京都写真美術館で行われているHASHI[橋村奉臣]さんの写真展「一瞬の永遠」を見てきました。写真展の案内はこちらにあります。(10/29まで開催)

肉眼では知覚できない瞬間を10万分の1秒という超高速スピードライトで捉え永遠の時間の中に凍結した、超現実的な作品約40点が展示されています。

これはまさに写真だからこそ表現可能なアートですね。全て圧倒的に力強い作品ばかりで、感動いたしました。

会場の入り口に、HASHIさんのメッセージがありました。

私が以前から瞬間のアートである写真について、色々と思っていたことを見事に言い表している素晴らしいメッセージで深く共感いたしました。会場内は撮影禁止とのことでしたので、20分ほどかけて書き写してきましたので、ご紹介します。

—(以下、会場のメッセージから引用)—

『一瞬の永遠について』 橋村奉臣

(前略)

私たちが日常目にする「モノ」は、日常のある一瞬に、見る、聞く、触るといった動作を通じて知覚されたものである。それは仮の姿や形に過ぎず、私たちの周りに存在するすべての「モノ」は、常に変化し続け、一瞬たりとも同じ姿を留めることはない。それが「色即是空、空即是色」の考え方である。しかしそうした仮の姿を通じてでしか、私たちは生きている証を手に入れることはできない。私が常に「モノ」を追いかけ、その変化の一瞬に私の感覚を鋭くする理由がそこにある。

私たちは日常生活の中で、知らず知らずのうちに数え切れないほどの「モノ」とすれ違い、時にはその存在すら気付かないでいる。普通の人が見過ごしそうな、または見過ごしてきたモノに対して、私の感性は反応し、シャッターを切った「十万分の一秒の出会い」。私はそういった「縁」を大切にしている。被写体との「一期一会」。それは私の作品を目の前にしたからこそ共有できる、一生にただ一度の出会いなのである。

私がもっとも大切にしている瞬間、それはシャッターを切る一瞬である。その被写体との出会いの一瞬に、「モノ」が私の感性に強く訴える。私は正面から向き合う。その姿勢は、比叡山の千日回峰行に取り組む修行僧の姿にも似ている。彼らはお経を唱えながら、「草や木や、一切のものは、仏になる可能性がある」との教えから、「一木」「一草」に仏性感じ取って祈りを捧げ、普段は見向きもされないモノへの礼拝を繰り返すことで、「自分は全てのモノの中で生かされている」ことを感じ取っていくのである。

私が、水や石、木、草、ガラスといったこの世に存在する「モノ」にレンズを向ける際、姿形だけでなく、それらが持つ魂の叫び、言わば命の語りかけにシャッターを切るのである。私はその自らの創作行為を「得魂草木」と名付けた。その意味するところは、私の第三の目であるレンズを通し、被写体とフィルムに定着させ、永遠の命を吹き込むということである。私がシャッターを切る時、それが「十万分の一秒」が永遠になる瞬間なのである。

他の人には、一見、何の変哲もない出来事でさえ、私には大きな意味を感じ取る時がある。私がひとたび興味を持てば、その「モノ」たちとの一瞬のすれ違いから起こる尊い出会いを大切にし、その尊い時間をじっくりと共有する。まるで座禅で何かを悟るように、私が「モノ」と本気で向き合うと、「何か」が閃いてくる。その一瞬の出会いに反応し、写真という手段でその瞬間に存在するフォルム(形)だけでなく、魂をもフィルムに定着させるのが、私のやり方なのである。その時、私の感性は、人々の心の中に無限に広がり、「一瞬の永遠」が誕生するのである。

(青字部分は永井が注記)

—(以上、会場のメッセージから引用)—

禅的な東洋思想、日本人がモノに感じている仏性についても見事言い当てており、かつそれを写真の思想に昇華させています。

HASHIさんの素晴らしいアート作品は、このような哲学的思想がベースにあってこそのものなのですね。

活躍のベースとしているニューヨークで写真家として不動の地位を築き上げたのも、まさにこのような骨太の思想があるからこそ、ですね。

関連リンク: 仏像は走っている!?

米国の青空

時々、お送りしている壁紙です。

この写真は、1985年に米国・ワシントン州・ヤキマでの撮影です。もう21年前ですね。

ヤキマは人口3万人の小さな街です。高校1年の時、2週間にホームステイしました。
社会人2年目で米国東海岸に1ヶ月出張した際、帰国途中でシアトルに降りて、8年ぶりに訪れた際に撮影しました。

米国の青い空とコダクロームは、とても相性がよいようです。

こちらをクリックいただくと、1024×768の画像が表示されます。よろしければ、壁紙にお使い下さい。

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2006-10-09 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

カメラ業界の大激震7:市場シェア大変動

デジタル一眼レフカメラの国内販売シェア争い、最近はますます激しいですね。

こちらに、ここ数ヶ月のランキング推移が機種別・メーカー別に掲載されていますが、まさに週替りです。

家電メーカーが7月と9月に参入した影響で、ここ数ヶ月間、競争がさらに激化している様子がチャートにも反映されています。

初級・中級機種は1年程度で新機種が出るようになっていますが、実際に売れる期間は3ヶ月から半年といった感じになっているのではないでしょうか? まさに企業の体力勝負。

思い起こせば、銀塩フィルムカメラの時代、1機種が数年売れ続けていたように思います。

プロ用カメラの場合はさらに長く、10年でモデルチェンジしていました。私の場合も、Canon F-1とNew F-1の2台をメインのカメラとして合計15年間使っていました。

デジタル化でこれが全く変わりました。現在、私はプロ用デジタル一眼レフを2年間使っていますが、あとどれ位の期間使うことか….。

このように価格性能比の向上が著しい市場では、計画的陳腐化をいかに主導権を持ってコントロールしていくか、がカギのように思いますが、これだけ競争が激しくなってくるとこれもなかなか難しいかもしれません。

ただ、ここにあるメーカーが全て日本メーカーであるところは、さすがですね。

2006-10-04 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

本当にデジカメの高画素化は必要なのか?

ドイツ・ケルンでのフォトキナが終わりましたが、デジカメの高画質化競争は続いているようです。

中判カメラのデジカメも出たりして、プロ用デジカメの高画質化は、4×5大判カメラを置き換えてしまう可能性もありますね。これはなかなか楽しみです。

一方で、コンパクトデジカメでも高画質化が進んでいます。

しかし、コンパクトデジカメの場合、サービスサイズ程度に印刷できる画質であれば、本来は十分な筈。コンパクト・デジカメに1000万画素を超える素子が本当に必要なのか、私はよく分かりません。

もしかしたら、そもそも「印刷」という概念が古いのであって、記憶デバイスはどんどん安くなっているので、ずっと保存する画質は高いに越したことはない、といった考え方もアリかもしれませんが….。

また、パソコン画面上で一部を拡大して楽しむ、といったマニア的な方もいるかもしれませんが….。

最近購入したコンパクトデジカメでは、ファイルサイズを小さくするために画質を落として撮影している私としては、今一つ納得がいかないのです。

ライカM8デジタル:「伝統の象徴」と「ムーアの法則」の出会い

ライカのサイト(英語)で詳しく掲載されています。

以前から予告されていたこととは言え、改めて写真を見ると、デジカメなのにまさにMシリーズそのものですね。

個人的には、ライカMシリーズは「伝統の象徴」と感じていました。

1954年に登場したライカM3の先進性と完成度は、前モデルのバルナック型ライカを目指してレンジファインダー・カメラを開発していた日本のカメラメーカーに大きな衝撃を与えました。

多くの日本メーカーに対してレンジファインダー・カメラ開発を中止し、一眼レフカメラに開発資源を注ぎ込むきっかけを与えたとも言われています。

ライカのすごいところは、この50年前のライカM3が今でも現役で立派に使えることです。

ちなみに、私は1960年代発売のライカM2を以前持っていましたが、全く問題なく使えました。衝撃でレンジファインダー部分がおかしくなった時も、銀座にある独立系の修理店で修理可能でした。

M3発売後、ライカはM2⇒M4⇒M5⇒M6⇒M7と、50年をかけて、巻き上げレバーが付いたり、露出計を内蔵したり、絞り優先自動露出を内蔵したり、とゆっくり進化していきました。

この進化から断絶し、M8になっていきなりデジカメに変わっても、外見があまり変わっていないのはさすがですね。

例えば、トップカバーと底蓋は削り出しの真鍮製だそうです。触ってみないと分かりませんが、恐らく輪島の高級漆塗りを想起させる手に吸い付くような質感も変わっていないのではないかと思います。

ちなみに、デジタル系の主だったスペックは下記のようになっています。

  • 18×27mmの1,030万画素CCD
  • SDメモリーカードで、4GBまでをサポート
  • USB 2.0インターフェイス

Mシリーズの進化については、恐らくライカ本社内部で大きな議論が行われてきたことと思います。M8は、その結果として世の中に生まれたカメラです。

ちなみに、11月下旬発売、577,500円だそうです。

先代のM7まで数十年の寿命を誇ったMシリーズですが、「伝統の象徴」と「ムーアの法則」が出会った時、どのようになるのでしょうか? 今後を見守りたいと思います。

仏像は走っている!?

「篠山君。仏像はね、走っているんだよ!」

写真家・土門拳が、篠山紀信に生前語った言葉だそうです。10年程前に、篠山紀信が村上龍の番組に出演した際に語っていました。

ちなみに、「徹底したリアリズム写真」を提唱し報道写真の鬼として世界的に知られた土門拳は、ライフワーク「古寺巡礼」を残しています。

この言葉は重いですね。

普通に考えると、古寺での仏像撮影は非常にゆったりしたものではないかと思いがちです。しかし、土門拳が覗くファインダー上ではその刹那がめまぐるしく動いており、土門拳はその「決定的瞬間」を捉えるために全身全霊でシャッターを切っていたのではないかと思います。

写真以外の世界でも、我々は様々な「決定的瞬間」に巡り合っていると思います。このような「決定的瞬間」、神経を研ぎ澄まさないと、なかなか見えないものなのではないでしょうか?

2006-09-24 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

白い世界の景色(2)

2週間前にお届けした景色の続編です。

1994年、カリフォルニア州から丸2日間車で東に走って到着したニュー・メキシコ州のホワイト・サンズ国定公園で撮影しました。

石膏のような真っ白い砂が一面に広がる幻想的な世界でした。風が作った模様の上に、人の足跡が残されていたところを撮影しました。

こちらをクリックいただくと、1024×768の画像が表示されます。よろしければ、壁紙にお使い下さい。

関連リンク:白い世界の景色

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2006-09-16 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

白い世界の景色(1)

砂丘の写真では、植田正治さんが鳥取砂丘で撮影したモノクロ作品が有名ですね。

私もこんな世界がカラー写真で撮れないものか、と思っていたのですが、米国にまさにこのような世界がある、と聞き、そこまで行って撮影してきたのがこの写真です。

1994年、米国南西部を車で2週間回った時に撮影しました。カリフォルニア州から車で丸2日間東に走り、ニュー・メキシコ州のホワイト・サンズ国定公園に到着しました。

まさに見渡すばかりの真っ白な幻想的な世界でした。

夕暮れの白い砂漠は空よりも明るく見える、ということを発見したのも、この時でした。


こちら

をクリックいただくと、1024×768の画像が表示されます。よろしければ、壁紙にお使い下さい。

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2006-09-03 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

20年間以上売れ続けている写真集

写真集というのは、非常に寿命が短い商品です。書店の棚のスペースが小さいところへ、毎月新しい写真集が次々と出されるというロングテールの典型的な商品だったので、今までは仕方ないところかもしれません。

しかし、小学館が出版している「Peace – ウインダム・ヒル写真集」は、20年以上前に出版され、今でも販売されています。(ただ、Amazonでも新品在庫がないようなので、さすがに入手困難になりつつあるかもしれません)

ウィンダム・ヒルは、1976年に60名の若者が5$づつ持ち寄り資本金300$で設立されたレコード会社で、「自然と人間の調和」を統一ポリシーとしています。

この写真集はその活動と連動したもので、様々な写真家が様々な場所で撮影した自然の景色93作品掲載されています。著名になる前の竹内敏信氏、水越武氏、宮嶋康彦氏等の作品もあります。場所も日光、アルプス、ヨセミテ、ペルー、アラスカ等、世界中に渡っています。

20代の頃、掲載されている写真の美しさに感動して購入したものですが、今でも全く色褪せていません。

現在、書店の写真集コーナーでは、この写真集と同じく正方形スタイルで60-100ページ程度の風景写真集が多く陳列されていますが、この写真集はそれらの原型と言えるかもしれません。 しかしながら、改めて眺めて見てみると、最近のこの手の写真集とは明確に違う、非常に高レベルの作品ばかりです。

一般的に、複数の写真家による写真集はメッセージが拡散し、散漫になり勝ちですが、この写真集は極めて高品質です。

何故、この写真集はこのように高品質なのでしょうか?

私は、この写真集が、「自然と人間の調和」という明確な信条・思想・意思を持っていることが最大の理由と思います。

このような様々な撮影者・被写体から構成されているにも関わらず、しっかりとした思想をベースに、的確なセレクションが行われているからこそ、心に訴えるメッセージを20年間も放ち続けているのでしょう。

廃刊される写真集が非常に多い中、20年間続けて販売していること自体、この写真集の高い評価を反映しています。

また、姉妹本として「Love」というタイトルの写真集もあります。こちらも素晴らしい出来です。

ウィンダム・ヒルは多くの音楽CDを出しています。彼らの音楽を聴きながらこの写真集を眺めるのもいいかもしれません。

次期主力デジカメ&レンズに迷う

最近、新しいテーマで写真を撮り始めているのですが、この機会に機材を一新したいと考え、検討を開始しています。

現在のテーマは、室内楽の指揮者の撮影なのですが、あまり明るい撮影条件ではないので、現在デジカメ一眼レフカメラに70-200mm/F4の望遠ズームを付けて、ISO 400程度でF4で1/30秒程度で撮影しています。

それなりに作品は仕上がるのですが、現在使っているデジカメが2002年発売の35mmフルサイズCMOSセンサー搭載機種なので、本来の画質は非常に高いものの、高感度にしているためかなりノイズが乗ってしまいます。

写真展でかなり大伸ばしにすることを前提に考えているのですが、現在の画質であればA2が限度のような気がします(主観の問題ですが)。 できればA1又はA0程度に伸ばしたいところです。

また、1/30秒では指揮棒がかなりブレるので、できれば1/125秒以上を切りたいところです。そうすると、最低でもISO 800程度でF2.8が必要になります。感度をISO 800まで上げると、ノイズはさらに厳しそうです。

2004年以降に発売しているデジカメであればISO 800程度の高感度でもかなりノイズは低減されていますので、これとブレ防止の大口径望遠ズームレンズを組み合わせるとかなりイケそうです。

某カメラメーカーの色々な機種を調べているのですが、過去の製品サイクルを考えると、半年くらい待つと新機種が出てきそうですね。

ということで、非常に迷っている今日この頃です。実はこのようにどの機材を買おうか、あれこれ調べて迷っている時期が一番楽しかったりします。

そうそう、金策も考えなければ、ですね。(^^;

2006-08-29 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

納涼画像その2

ここ数日、猛暑も一休みという感じでしたが、この週末はまた暑くなりそうですね。

そこで、少しでも涼しくなればと思い、第二弾として「ヨセミテの森」の壁紙をお送りします。

12年前に米国南西部を二週間かけて車で走り回った際に、ヨセミテの森を朝の清々しい光の中で300mmの望遠レンズを使って撮影したものです。クリックするとXGAサイズの壁紙になります。

ちなみに私、「風の写真館コレクション」というメルマガで、隔週で壁紙用写真を配信しています。この写真も先週配信したものです。配信ご希望の方は、こちらへどうぞ。

関連リンク:納涼画像

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レバノン空爆の捏造写真:加工前と加工後

ロイター通信のレバノン人契約カメラマンが、イスラエル軍によるレバノン空爆の写真2点をパソコンで修正・変造したというニュースがありました。

実際に加工前と加工後の写真を見ると、明らかにスタンプツールを使って加工しており、小さい写真でも煙がより多く立ち上がっているように見せているのが分かります。写真への加工という点では、あまり高度な技術ではありません。

想像ですが、恐らくレバノンの被害をより強烈に世界に伝えたい、という動機があったのではないでしょうか?

考えてみると、デジタル写真出現以前でも、赤色フィルター+増感現像にコントラストの強い印画紙を組み合わせてハイコントラストな写真に仕上げたり、覆い焼きで周辺を焼き込んだりして、印象を強める作業は、表現手段の一環として普通に行われてきました。

芸術とは常に現状を打破して発展してきたものなので、芸術の表現形態として様々な形で写真を加工すること自体は責められるべきではないと思います。

しかし、実際に存在しているモノを追加・削除・又は変更することで、写真を見る人に異なる印象を与えることを目的とした場合は、もはや今までの写真という概念では括れないのではないでしょうか?

今回の件は、言うまでもなく真実を伝える義務を持っているジャーナリストとしての行動が問われています。報道写真の場合は、写真を見る方々は、真実が加工されずに写されていることを前提に見ている訳で、このような状況での被写体への加工は読者の信頼を損ねる行為であり、許されるべきものではないと思います。

尚、私が撮影する写真はジャーナリズムのような硬派な写真ではなくアート系の写真ですが、写真への加工は銀塩写真で可能だった覆い焼きや若干の色調調整程度に留め、被写体そのものに対する変更は行うべきではない、という立場で写真を撮っています。

変わりつつあるクラシックカメラ市場

小寺信良さんがITmediaで『変わりつつあるクラシックカメラの世界』という記事を書かれています。

私も15年程前までクラシックカメラにハマっていましたが、この頃はまさにオジサマの世界でした。

中古カメラ店にはどんよりとした、というか、ディープ、というか、独特の雰囲気がありました。当然、店の中には女性はほぼ皆無。

当時、パソコン通信の写真関連BBSで管理者をしていました。女性の参加者も多くオフ会で撮影会等も企画していたのですが、コアなクラシックカメラを嬉しそうに見せ合っている一団に対して、女性はややひき気味でした。

小寺さんの記事では、「オンナのクラカメ道」というブログを主宰されている入倉さんが紹介されています。

最近女性のクラシックカメラ愛好家が増えているとか。私自身は、デジタル化が進んだ最新カメラに対して、アナルグな温もりを持つクラシックカメラに「癒し」を求めているような印象を受けました。

そう言えば、久し振りに銀座レモン社の中古カメラ店に行きましたが、場所が変わり、広々として明るくいい感じの店内になっています。最近中古カメラ店にも女性の姿を見かけることが多くなりましたが、この市場の変化を見据えてのことかもしれませんね。

中古カメラ全体の相場も、一時期と比べて下がっています。以前はLeica M5の中古は20万円以上でしたが10万円台に下がっていますし….。アルパが高いのは残念ながら相変わらずです。

最近、私も撮影はデジカメ主体ですが、たまには学生時代の愛機だったCanon 旧F-1にFD35mm/F2とFD 85mm/F1.8の2本を携えて、スナップ撮影に出かけるのもいいかな、と思った次第です。

カリスマの凄さ

この週末、アマチュアオーケストラの演奏会で、ある指揮者の方に密着して撮影する機会をいただきました。

1週間前のリハーサル、当日午前のリハーサル、午後の本番、その後の打ち上げと撮影させていただきました。

本番の撮影は、舞台両袖のドアに付いた覗き窓からしか撮影できません。そこで当初は、行動の制限が少なく撮影条件が良いリハーサルに全力投球して写真を撮り、本番は押さえとして撮る、という方針を立てました。

リハーサルでは、オーケストラ団員の方々の邪魔にならないにように、舞台の袖から撮影したり、曲目で団員が入れ替り舞台上の開いた場所で指揮者を真正面から撮影しました。指揮者の全身から漂う熱気と真剣さがオーケストラ全員を覆い、当初狙った通りの写真が撮れました。

午前のリハーサルが終わって昼休みになり、本番が近づいてきました。

本番直前にも関わらず指揮者は非常にリラックス。アシスタントの指揮者の方や、楽屋裏に遊びに来る友人達と軽口で冗談を言い合い、非常に和らいだ様子で、ゴムボールでキャッチボールをしたりしています。

舞台裏で出演を待つオーケストラ団員とも和やかに談笑しています。

本番になり、団員は一人ずつ舞台に出て行きます。最後に指揮者が満員の会場から拍手で迎えられて舞台に登場しました。

リハーサルでよい写真が撮れたので、一応押さえに本番も、と思い、覗き窓からカメラのファインダー越しに舞台を見た私は、当初の私の想定が全く間違っていたことに気が付きました。

小さな覗き窓のガラス越しからも、はっきりと伝わる臨場感。

100名近くのオーケストラ団員が一体となって醸し出す、ピンと張り詰めた緊張感。

本番前のリラックスした感じからは想像も出来ない、指揮者の圧倒的なオーラと豊かな感情表現。

全てが、リハーサルの時には全く存在していなかったものでした。

防音のために両側がドアで挟まれた真っ暗で息苦しい狭い空間の中で、私は2時間の演奏の間、シャッターを押し続けました。ポジション等の撮影条件が悪いにも関わらず、写真の出来はリハーサルをはるかにしのぐものでした。

「ここ一番」でオーケストラ指揮者が出すオーラの凄さに圧倒されました。

考えてみれば、本番前のリラックスも、もの凄い量の積み重ねとオーケストラとの事前準備による自信があるからこそ、でしょう。また、絶対的な立場でオーケストラ全体をリードする指揮者は、自分の心のわずかな揺らぎがオーケストラ全体に大きな影響を与えることも、よく理解しているのだと思います。だからこそ、直前に自分の心を常に平静に保っているのでしょう。

この辺りは、ビジネスの世界のリーダーと全く同じですね。

結局、「指揮者が本番で発するオーラは、舞台を共有しているオーケストラの団員だけが一番身近に感じることができる」ということが分かりました。この舞台上にカメラマンがいると、空気を微妙に乱してしまい、全体の緊張感が維持できなくなるような気がします。このような場にいられるのは、まさにオーケストラ団員の特権なのでしょう。

ビジネスの世界でも、リーダーの凄さは一緒に仕事をしている部下にしか分からないのではないでしょうか?いわゆる「カバン持ち」は、そのようなリーダーの凄さに接することができる素晴らしい一つの方法のような気がします。

カリスマの凄さを実感した、非常に充実した週末でした。

2006-07-31 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

カメラ業界の大激震6:コラボレーションが生む価値

ミノルタCLEというカメラ、ご存知ですか?

こちらに詳しい解説があります。

このカメラは非常にコンパクトですが、ロッコールレンズの描写力とCLEの相性は素晴らしく、私はこのカメラでこれとかこんなのとかこのような作品を撮りました。

ということで、私はかねてからミノルタに対して「丁寧で高性能なカメラを作るメーカー」というイメージを持っていました。

その後、ミノルタはコニカと合併、さらに一時期はカメラから撤退、という話もあり、大変残念に思っていましたが、開発チームはソニーの元で新たにデジタル一眼レフカメラを発表して、その精神を脈々と引き継いでいるようです。

本日(2006/7/19)の日経産業新聞「反攻の足音」では、ソニーが旧コニカ・ミノルタのカメラ開発チームと一体となってカメラ市場に参入する様子が書かれています。

記事によると、ソニーのデジタル一眼レフは、1996年のVAIO以来の新ブランドだそうです。「中鉢社長就任後の初めての成長戦略」とのこと。

確かに、デジタル一眼レフカメラは、コニカミノルタの光学技術・一眼レフでの経験、ソニーのCCD技術・エレクトロニクス技術といった、両者の強みを存分に活かせる分野であり、ソニーの中核部品全般に与える相乗効果は非常に大きいことと思います。さらにデジタル一眼レフカメラ市場で成功のカギとなる垂直統合体制を整えることも可能になりそうです。

デジタル一眼レフカメラ事業を担うAMC事業部は、旧コニカミノルタのお膝元である新大阪にオフィスを構えていますが、「巨大企業になる前のソニーに似た活気が満ちている」とのことです。

全く背景や文化の異なるチームがコラボレーションすることが、全く新しい価値を生み出す源泉であると言われていますが、その際に「組織の壁」が大きな障害になります。特に文化の融合は大きな難題です。

これを見事にクリアし、統合からわずか半年で製品発表にこぎつけたのも、この活気による賜物かもしれませんね。

ところで、ミノルタCLEの復刻版は、以前より多くのカメラファンが望むところです。最近ではニコンが銘機S3やSPを復刻し評判になりました。

一カメラファンとしては、復刻版を超えて、ソニーならではの味付けをした復刻版「CLEデジタル」(仮称)の登場を期待したいところですネ。

納涼画像

今日は暑いですね。予報では35度になるとか。

ということで、少しでも納涼気分になれば。

オーストラリアのバイロン・ベイでの撮影です。こちらをクリックするとXGAサイズの壁紙を入手できます。

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2006-07-15 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

カメラ業界の大激震5:銀塩フィルムは生き残るか?

カメラメーカー各社が銀塩カメラの生産を中止している中で、銀塩フィルムの将来は、銀塩カメラ・ユーザーにとって気にかかるところです。

ITmediaの「フィルムの死を食い止める使い捨てカメラ」という記事で、銀塩フィルムがレンズ付きフィルムによってしばらくは残るであろうことが書かれています。 (記事では「使い捨てカメラ」となっていますが、フィルム会社の呼称に従い「レンズ付きフィルム」とします)

記事によると、米国では昨年2億200万台のレンズ付きフィルムが売れたそうです。国民一人当たり年間約1本ですね。

一方で、日本で売れたレンズ付きフィルムは昨年4800万台で、10年前から半減しているそうです。国民一人当たり年間1本弱だったのが、0.4本に減ったということですね。カメラ付き携帯の普及が大きく影響しているようです。

販売数量は減っていますが、デジカメと違って袋や箱から出せばすぐにシャッターが押せるレンズ付きフィルムは、特に海外では根強い人気があるようです。

ある程度の販売量が確保できれば商品開発は継続できますし、実際、より高感度にしたフィルムも開発されています。まだ当分は、銀塩フィルムは残りそうで、この点は安心できそうです。

しかしながら、レンズ付きフィルムに組み込めないリバーサルフィルムや白黒フィルムは、厳しい状況になるかもしれません。

個人的には、コダックのコダクロームという外式フィルムは、独特の渋い発色がとても気に入っていて、これで数多くの作品を撮影してきました。50年間以上販売され続けているフィルムで、この発色は他のフィルムやデジカメではなかなか表現できません。このフィルムを長年愛用しているプロの写真家も多いので、このフィルムが販売中止になれば、結構大騒ぎになるかもしれません。

このように他では代替がきかないフィルムは、ある程度価格を上げて利益が出るような状態にしてでも、販売を継続していただきたいですね。

カメラ業界の大激震4:銀塩フィルムカメラはどうなる!?

各社が銀塩フィルムカメラを縮小する中で、銀塩フィルムの高級カメラ市場はどうなっていくのでしょうか?

6月15日の日経産業新聞の記事「高級フィルムカメラ輸出、コシナが本格化」で、光学機器メーカーのコシナが高級フィルムカメラ市場で攻勢に出ている様子が紹介されています。

「コシナ」と言っても知らない方が多いかもしれませんね。

実は、コシナは、自社ブランドのカメラに加えて、カメラメーカー各社の普及型一眼レフカメラをOEMで提供してきました。累計生産台数は恐らく数百万台を超えているので、気がつかないでコシナの一眼レフを使っている方は、きっと多いと思います。

これだけの台数を生産すると、カメラを成型するのに必要な金型の減価償却が完了しますので、これを土台にして様々なカメラを安価に開発することができます。

ここからがコシナが凄いところで、1999年から「フォクトレンダー」という欧州の老舗ブランドで、ライカやコンタックス等の高級カメラと互換性のあるレンジ・ファインダーカメラや一眼レフカメラ、レンズを立て続けに発売し始めました。

2004年からは、同様に欧州の老舗ブランドである「ツァイス」シリーズも出しています。

普及版カメラよりも高価格ですが、ライカ等の舶来超高級カメラよりはずっと安い、という微妙なプライシングです。

現在の製品ラインアップはこちらを、フォクトレンダーの歴史に興味のある方はこちらをご覧下さい。

カメラにあまり興味がない方々には全く理解できない世界かもしれませんが、この製品ラインアップは、カメラ好きには堪えられないモノがあります。

カメラ店でフォクトレンダーやツァイスに触っているうちに正気を失ってしまい、ふと気がつくと店の外でカメラを持っていて財布が軽くなっていた、という方も多いのではないでしょうか?

銀塩フィルムカメラから各社が撤退する中、コシナはこれをチャンスと捉え、銀塩フィルムにこだわるユーザー層をターゲットとして攻勢をかけています。記事によると、コシナは現在3割のカメラ事業の売上比率を拡大する計画とのことです。

普及カメラから高級カメラにシフトしてきた、ということで、一見、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」にある破壊的イノベーションのようにも思えますが、コシナの場合は必ずしも目新しい破壊的技術があった訳ではないようです。

以前、何かの本か雑誌でコシナの小林社長のインタビューを読んだのですが、これらのシリーズは、カメラやレンズが好きで、品質にこだわり続けた結果、生まれたものです。

夢中でお客様が喜ぶような商品を追求しているうちに、結果的にビジネス・モデルのイノベーションを行っていた、ということなのかもしれません。

カメラ業界の大激震3

昨日(2006/6/6)、ソニーが同社初のデジタル一眼レフカメラ「α100」を発表しました。

1020万画素の自社製高画質CCDに、コニカ・ミノルタから継承したボディ内蔵型手ぶれ補正を組み込み、実売10万円程度だそうです。アンチダスト機能が付いているのも嬉しいですね。CCDのゴミには結構悩まされますので。

改めて写真でソニーのロゴが付いているデジタル一眼レフを見ると、なかなか感慨深いモノがあります。10年前に、ソニーが一眼レフカメラ業界に参入することを予想する人は極めて少なかったのではないでしょうか?

本日(2006/6/7)の日経新聞朝刊によると、今年度、ソニーはデジタル一眼のシェア10%、デジカメ全体のシェア20%を狙っているそうです。

2週間程前に「カメラ業界の大激震2」で書きましたように、デジカメ業界の基幹部品はCCD等の画像センサーに移っており、新製品投入サイクルは半年程度に短縮しています。

CCDを内製しエレクトロニクス技術とデジタル技術に優れ、製品サイクルが短いコンシューマー業界で確たる地位を築いてきたソニーと、先進的な光学技術を持つ旧コニカ・ミノルタの開発技術陣が組み合わさったことで、この業界も新しい展開が生まれる可能性が出てきました。

前回も述べたように、製品性能(デジカメの場合は画素数)が市場ニーズに追いついたことで、市場の競争基盤が変わり、顧客は利便性やカスタマイゼーションに割増料金を払うようになります。

今後αは、ソニーが得意としているデジタル家電と連携し、新しい生活スタイルを提案する方向に進化していきそうです。考えてみると、私もコンパクトデジカメで動画を撮ってパソコンに保存することが多くなりましたし、将来的にはビデオとデジカメの境界線もなくなっていくかもしれません。

松下電器産業もオリンパスと組んでこの秋にフォーサーズ規格のデジタル一眼を出すそうです。ソニーがカールツァイス・レンズをラインアップしているのに対し、松下電器がライカレンズを組み込んでいるのも興味深い点です。そう言えば、かつてミノルタとライカは共同で、ライツ・ミノルタCLや一眼レフのライカRシリーズ(初期)を共同開発していましたね。

成熟しつつあるように見えたデジカメ市場ですが、イノベーションの観点でも、ますます面白くなってきそうです。

2006-06-07 | カテゴリー : 写真 | 投稿者 : takahisanagaicom

カメラ業界の大激震2

本日(5/23)の日本経済新聞の記事「精密機器メーカー 選別の波」で、精密機器メーカーにデジタル化と価格下落の荒波が襲っている、ということが書かれています。

ここ数年間、高成長を続けてきたデジカメ業界ですが、基幹部品はCCD等の画像センサーに移り、PCと同様にコンポーネット化が進み、フィルム時代は数年に一度だった新製品投入サイクルは半年程度に短縮、価格も年率1割のペースで下落している、ということです。

先日、「カメラ業界の大激震」について書きましたが、これをさらに詳しく述べた内容になっています。

現在読んでいるクレイトン・クリステンセンとマイケル・レイナー共著の「イノベーションの解」で、この構造を説明する理論が紹介されています。

本書では、市場変化に合わせて製品アーキテクチャー戦略をいかに変えていくべきかを述べていますが、この理論を当てはめると、この業界の競争基盤はまさに転換点に差し掛かっていることが分かります。

製品の性能が顧客が必要とする性能よりも低い場合、つまり顧客ニーズを満たすにはまだ十分でない状況では、企業は出来る限り優れた製品を作ることで競争しなければなりません。この場合、独自仕様アーキテクチャーを基に性能を最適化する企業に、大きな競争優位が約束されます。

非常に単純化すると、デジカメの場合は、主に画素数や画質をいかに高めていくかで勝負してきました。

一方、製品の性能が顧客が必要とする性能を超えた時点で、市場の競争基盤が変わります

性能過剰な段階になると、顧客は「何が十分でないか」を定義し直すようになります。改良製品を喜んで受け入れるものの、それを手に入れるために割増価格を支払おうとはしません。むしろ利便性やカスタマイゼーション等に割増価格を支払おうとします。

デジカメの場合、例えばA4程度の大きさに印刷する際に必要な画素数と画質はほぼ達成済です。従って、プロフェッショナル用は別として、一般的な使用ではこれ以上の画素数は必要ありません。

この競争圧力により、性能不足の段階で有利だった独自仕様アーキテクチャーが、性能過剰な段階ではモジュール型設計に進化します。

モジュール型は、設計面で冗長度が高い標準インターフェイスに基づくため、性能面では妥協を強いられます。しかし性能過剰な段階ですのでこれは大きな問題になりません。

むしろ、全体を設計し直す必要がないため、新製品を早く市場に出すことで、競争優位を得られます。

記事の中で、「デジカメの基幹部品がCCD等の画像センサーに移った」というのは、まさにこのことを示しています。

本書はまた、「コモディティ化がバリューチェーンのどこかで作用しているときは、必ず(莫大な富を創出する)脱コモディティ化という補完的なプロセスがバリューチェーンの別の場所で作用している」と述べています。

パソコンの場合のCPUやOS同様、コモディティ化した完成製品としてのデジカメの場合は、画像センサー等がこれに該当しそうです。

カメラ業界の大激震

マミヤ・オービーがカメラ事業から撤退というニュースがありました。

私はMamiya New 6という中判カメラを使っていて、マミヤの丁寧な製品作りは好きでした。最近はMamiya ZDという6×4.5判サイズのCCD搭載のデジカメも投入していて注目していました。

昨年から、カメラ業界は大激震が続いています。

  • 2005年5月、フィルム大手のAgfaPhoto(ドイツ)が破産
    カメラ量販店でカラーフィルム10本パックを安売りしていましたのでよく使いました。日本では安売りイメージが強いのですが、実はヨーロッパ調の独特の色合いが何ともいえない味わいでした。
  • 京セラ、コンタックスブランド・カメラの出荷を2005年9月に終了
    ツァイスレンズは解像度で勝負するレンズではなく、立体感を表現できるレンズでした。コンタックスと言えば、写真家・故 林忠彦先生のCMも印象的でした。学生時代、コンタックス・ギャラリーで林忠彦先生の写真展を見にいきましたが、林先生が全倍プリントを前に嬉しそうに「このプリント、35mmで撮ったと思えないだろ。大判並だよなぁ。やっぱりツァイスはいいよ」と言っていたのを思い出します。
  • タムロン、1998年に買収したブロニカ・ブランドの中判カメラ事業から2005年10月撤退
    中判6×6サイズのブロニカSQAは、大学4年の卒業アルバム編集長の時に、研究室や学生団体の集合写真撮影で多用したカメラです。いつも三脚に付けてキャンパスを歩いていて、卒業式の時には一部の同級生から「あれ、写真屋さんじゃなかったの?」と言われました。写真屋が本業と思われていたようです。(^^;  それはともかく、ロングセラーの銘機でしたね。
  • 2006年1月、ニコン、銀塩カメラ大幅縮小を発表
    同じく卒業アルバム編集長時代、卒業アルバムのスナップはNikon FとF3で撮りました。これも寂しいですね。F6とFM10は当面残すそうですが、….。
  • ミノルタとコニカ合併⇒2006年3月、カメラ事業をソニーに移管
    Minolta CLEという、ライカマウントのレンジファインダーカメラは、小型にも関わらずすごくよく写りました。海外旅行にはいつもメインの一眼レフカメラが故障した際のバックアップ用に持って行き、色々と作品を撮りました。そう言えば、コニカ・ビックミニも、パーティ写真を撮るためによく使いました。

どれも、ユーザーとして思い出深いカメラばかりです。

考えてみれば、私はカメラユーザーとして保守的でした。いわゆる「破壊的イノベーション」であるデジカメを買ったのは3年前で、それまでは銀塩フィルムのカメラを使い続けていました。

恐らくカメラメーカー各社にとって、私のようなユーザーは、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」で描かれた、典型的な保守的顧客群だったのでしょうね。