最近、当ブログではあまり写真関連の話しを書いていませんが、私のライフワークは写真です。
いくつかテーマがあるのですが、その中の一つが東京湾岸の風景である"Tokyo Bay Area"。
私の写真サイト「風の写真館」 にも、下記のように東京湾岸の写真作品を掲載しています。
こちらに書いていますように、パソコンの壁紙にお使いいただくこともできます。
もしよろしければ、是非どうぞ。
最近、当ブログではあまり写真関連の話しを書いていませんが、私のライフワークは写真です。
いくつかテーマがあるのですが、その中の一つが東京湾岸の風景である"Tokyo Bay Area"。
私の写真サイト「風の写真館」 にも、下記のように東京湾岸の写真作品を掲載しています。
こちらに書いていますように、パソコンの壁紙にお使いいただくこともできます。
もしよろしければ、是非どうぞ。
久々の写真ネタですが….。
このたび発売のOLYMPUS XZ-1。
ITメディアの記事で知りましたが、なかなかいいですね。
まず、何といっても、あのZUIKOブランドを冠したレンズ。
F1.8~2.5で、しかも非球面レンズを6枚も使っているとか。DSA(大偏肉両面非球面)レンズ、HD(高屈折率非球面)レンズ、スーパーHR(超高屈折)レンズ、EDA(特殊低分散非球面)レンズ、….ううむ、よく分かりませんが、名前を聞くだけで凄そうです。
ISO 3200も、このレンズの明るさだと、とても活かせると思います。
重量275gも適度。
オリンパスのサイトにある作例写真の画質もいいですね。
私が現在持っているコンパクトデジカメは、3年前に購入したCanon PowerShot G9。
当時としては、このカメラも随分と頑張ったスペックですが、最近、私はiPhone4で用を済ませています。
もし一眼並の画質と、機敏な操作性が実現できていれば、是非検討したいところですね。
2月中旬の発売が待たれます。
カメラ・レンズ業界は、長い間、日本メーカーの独断場です。
一方で、韓国メーカーもこの市場にチャレンジしてきています。
現在、ドイツのケルンで、毎年恒例の「フォトキナ」が行われていますが、韓国メーカーも魅力的な製品を出展しています。
■サムスンのAPS-Cミラーレス「NX100」
ソニーのNEXと非常に似た印象を受けます。
■サムヤンの「35mm F1.4 IF UMC Asphrical」
発売は2011年第1四半期。価格は400ユーロ程度といいますから、5万円程度でしょうか?
半導体やケータイで世界シェアを獲得した韓国メーカー。
今後、カメラ・レンズ業界でも侮れない存在に成長していくのでしょうか?
昨日(1/20)の日本経済新聞最終面の記事「『執着』集めた企画展示、『一人快芸術』展」は、広島市現代美術館で開催中の「一人快芸術」展について書いています。
30年間増改築を続けた世界最大級のセルフビルド住宅「沢田マンション」を、数十枚の写真をつないで表現した写真とか。
以前、このブログでも紹介した佐藤修悦さんの鉄道駅での案内表示新作とか。
50年間、戦後広島の復興の様子を数十万枚の膨大な数の写真に収め続けた大段徳市の展示とか。
—(以下、引用)—
展示されているのは、何かの「行為」にこだわり続け、その成果の中に「芸術」が認められる数々の例だ。
……
執着が芸術を生むことが分かる個性的な企画展だ。
—(以下、引用)—
「行為」にこだり続ける、といことそのものが、芸術と評価されているようです。
このように考えると、私達の仕事も、こだり続けているのであれば、その仕事が一つの作品なのかもしれない、と思いました。
ばんちょ~より、「あの夏の思い出を書きなさい!!」という命令お題をいただきました。
ということで、19歳、10代最後の夏休みの思い出です。
「10代最後の夏休みの思い出」
….いいなぁ。
….なんか甘い響きですね。
でも、なにもロマンティックなお話しはありません。
1981年の夏、私は大学2年生。
一応、工学部の学生でしたが、勉強はほとんどせずに、写真部に入って写真ばかり撮っていました。
大学1年の頃から某社の一眼レフを使用していたのですが、あまりにハードに使いまくったせいか、かなり痛んできました。
例えば、セルフタイマーのレバーが外れたり。ペンタプリズムのカバーがボコっと凹んだり。
時々動かなかったり。(涙)
「ううむ、やっぱりプロ用の一眼レフじゃないと、ダメなのだなぁ」
と思い、キヤノンF-1(初代)を買うことにしました。
ちなみに、キヤノンF-1とは、当時プロ用カメラを持っていなかったキヤノンが5年の歳月と威信をかけて開発した、こんな感じのとってもかっこいいプロ用カメラです。
特にこれなんか、男心をとってもくすぐられますね。(画面下の2をクリックください)
あるプロが写真雑誌で、「海の上でもう何年間もハードに使っているが、動かなかったことは一度もない。すごく丈夫なカメラだ」と言っていたのを、今でも覚えています。
当時は高嶺の花で、もう欲しくて欲しくて、夢にまで出てきました。
でも、貧乏学生だったので、先立つもの(=お金)がありません。
「でも、写真もやらなければなぁ」
ということで、写真のバイトをすることにしました。
しかし当時は写真の腕はまだまだで、撮影で稼ぐなんて、とてもではありませんが、できませんでした。
そこで、夏休みに家の近所の写真の現像所で働くことにしました。
モノクロ写真専門の現像所で、所長1名、事務の女性2名、カメラマンの卵1名といった小さなオフィスでした。
給料は安かったですね。9:00-16:30まで働いて日給3000円程度でしょうか?
でも、お金をいただいて写真が勉強できるのですから、ありがたいことです。
結局、合計30日間、約9万円程稼いで、私の19歳の夏は終わりました。
毎日写真の現像の場にいたせいか、ありがたいことに暗室作業の腕はかなり上がりました。
(ちなみに、現在の私は全く違う仕事をしていますが….)
夏休みが終わり、秋になってあこがれのキヤノンF-1を購入しました。
のちにキヤノンニューF-1に切り替えるまでは、大学2年の終わりから20代後半にかけて、このカメラで様々なものを撮影しました。
このカメラ、まだ家にあります。完全メカニカルなので、今でもちゃんと動きます。
ただ、露出計のバッテリーが水銀電池なので、アダプターを介さないと露出計が動かないのが玉に瑕です。
でも、かっこよさはピカイチですね。
ちょっとジャリジャリ感がある巻き上げレバーと、「シャキ~ン」といった感じの音がするシャッターは、思わず「写真をどんどん撮ってやろう」という高揚した気持ちにさせてくれます。
「私のカメラ、現在十五代目」に書きましたように今まで色々なカメラを使ってきましたが、このカメラは特に思い入れがあります。
考えてみれば、当時の最高峰だったこのキヤノンF-1は定価78,000円でした。
一方で今年買ったEOS 5D Mark IIは実売30万円。
キヤノンの現在の最高峰であるEOS–1Ds Mark IIIは約90万円。
思えば、戦前戦後はカメラ1台が家一軒と言われましたが、高度経済成長を通じて劇的に価格が下がりました。
ちなみに、この時に仕事をさせていただいた現像所の所長曰く、「オレは戦後闇市でボロ儲けした。お金を貯めようと思ったから、当時家一軒分の価値があったローライというカメラを買った。でも今や数十万円なんだよね。そのうち事業に失敗してスッカラカン」
その後、プロ用カメラに限ると、逆にこの30年間で値段はもの凄く上がっているようです。もちろん、最新型に限りますが。
NHK番組で紹介いただくことになりました。
8月18日(火)22:00~放送予定「ダウンロードしてみよう」の回です。
紹介いただくのは私の写真のホームページ「風の写真館」で、画像をダウンロードし、個人で壁紙などで楽しむ例として番組で取り上げていただく予定です。
私のホームページ上にある著作権の注意事項についても紹介いただけるとのことです。
翌週8月25日(火)昼0時00分~0時25分にも再放送があるそうです。
二週間程前のことですが、丹沢で初めての沢登りをしました。
沢登り?
山登りは何回かやりましたが、沢登りがどんなものなのか、最初はイメージが掴めませんでした。
そこで、沢登りに誘っていただいた師匠に聞きました。
「沢登りって、どうやるんですか?」
「何でもあり」
ますます分からなくなりました。
そこで、早速沢登りへ。
この数日前に、モンベルで沢靴を購入。裏面にフェルトが付いていて、濡れた岩肌もしっかりと歩けるそうです。
朝五時、師匠に車でお迎えに来て頂き、七時半から歩き始めました。
この師匠、沢登りや山のすばらしさを教えることに命をかけていて、サービス精神旺盛です。
途中は省略。
二時間ほどで沢に着きました。
風がひんやりしていて気持ちいいですね。
そのまま水に入ってみます。すると沢靴にいとも簡単に水がジャブジャブ入ってきます。防水加工していないのですね。
そのままジャブジャブ水に入ったり、半分泳いだり、川原でソウメンを食べたり。
沢を登ること約三時間。普通の山登りではひたすら汗をかきかき修行のように山を登りますが、沢の場合は苔や水の流れ、魚の様子や、涼しい風やひんやりする川などを楽しみながら、あっという間でした。
なるほど、「何でもあり」とはこのことか、と納得。
生まれて初めての沢登りでしたが、心が洗われました。
車で一時間もしないところに、こんな桃源郷があったとは。(ちなみに、丹沢の某所です)
また行きたいですね。
ただ、初心者だけだと事故が怖いので、必ず師匠と一緒に行かなければいけませんが。
写真を撮りましたので、何枚か掲載します。
ちなみに、私の師匠はイワナを釣りましたが、そのまま逃がしました。
「私のカメラ、現在十三代目」というエントリーを書いたのが1年と4ヶ月前でした。
今年から、この手のお話しは控えて、なるべく硬めのエントリーにしようと思ったのですが、….岩永さんの「【週末ネタ】 一眼レフ市場はニコン――なぜ私はそうなのか?」で「アレ?」、と思っていたら、山口さんが「【週末ネタ】一眼レフ市場はキヤノン――なぜ私はそうなりかけているのか? 」で『プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーである某オルタナブロガー(=私か?)』のことを書かれていて、しかも冒頭記事にリンクいただいたので、私も参戦させていただくことに致しました。
ところで、冒頭記事で紹介した十三代の系譜は以下の通りでした。
一代目:オリンパス OM-1(購入:1978年)
二代目:オリンパス XA (購入:1979年)
三代目:キヤノン F-1N (購入:1981年)
四代目:ニコン F(使用:1983年)
五代目:ミノルタ CLE(購入:1986年)
六代目:キヤノン ニューF-1(購入:1988年)
七代目:キヤノン T90(購入:1992年)
八代目:キヤノン EOS-RT(購入:1994年)
九代目:キヤノン EOS-5QD(購入:1995年)
十代目:キヤノン EOS-1nRS(購入:1996年)
十一代目:リコー GR-1s(購入:1998年)
十二代目:キヤノン EOS-3(購入:2002年)
十三代目:キヤノン EOS-1Ds(購入:2004年)
26年間で十三代ということは、2年で一世代ということですね。
しかし、今世紀になってまだ二世代しか進んでいないってことは、さすがに私の物欲も衰えたか…..。
…..すいません、その後の1年4ヶ月間で、実は二世代進んで、現在十五代目となっています。
十四代目:キヤノン PowerShot G-9
購入:2007年年末
一千万画素を超えたPowershot。「これは作品作りで使える!」と思い、購入。往年の名機キヤノネットを彷彿とさせるデザインと質感、銀塩並の画質。ということで、2008年はこれで身近なものの写真を結構撮影しました。
十五代目:キヤノン EOS-5D Mark II
購入:2009年年初
2008年後半に発売されたEOS-5D Mark II。先代のEOS-5Dから3年間というデジ一眼としては非常に長いインターバルを置き、満を持しての登場。その圧倒的なスペック。そして発売直後から、私の苦悩が始まりました。
「買おうかなぁ」
「もう少し様子見かな?」
「でも、スペックはもう十分だし、やっぱり買っちゃおうかなぁ」
「でも三十万円近いしなぁ」
時々、カメラ店やキヤノンサロンで実機を触ったりしているうちに、
「でもさ、やっぱり欲しいんでしょ?」
「結局、買うんでしょ?」
「時間の問題でしょ?」
「どっちにしても買うんなら、早めに買っちゃった方がいいんじゃない?」
という声がどこからかした気がして、気がついたら、パソコンの前で、kakaku.comで最安値の店に発注していました。(^^;
何よりも驚いたのは、その高感度性能。自宅に届いた夜、真っ暗な自宅の庭を50mm/f1.8のレンズで手持ち撮影したら、芝生の一本一本が見事に写っていました。これは撮影対象が大幅に広がりますね。しかもEOS-1Dsと比べて軽いこと。
巷では、EOS-1系カメラとの作りの違いがよく言われています。確かに明確に違います。しかし、OM-1(一代目)でも、EOS-5QD(九代目)でも、結構軽快に写真を撮れました。気持ちの問題かもしれませんね。
ところで1996年に買ったEOS-1nRS(十代目)は中古で16万円、EOS-5D Mark II (十五代目)は25万円、いつの間にか昔のEOS-1系並のお値段になっているのですね。
まぁ、今度こそ、この十五代目があれば、当面はカメラを買わないでもいいかも、と思っています。….ホントか?
そう言えば、足利幕府も、徳川幕府も、十五代で交代しましたね。あ、全然関係ない話しですね。(^o^;)ゞ
Nikon D3やD700も素晴らしく魅力的なカメラなのですが、既にEOS系レンズ 9本(うちLレンズ 3本)という状態で、完全にキヤノンのマーケティング戦略にロックインされている状態なので、涙をのんで断念しました。…でも、お金があれば買っていたかも….ナイナイ。
ただ、重量が1kg近くある28-70/2.8Lの代替用に、重量が半分のTamron SP 28-75/2.8導入を検討中です。
ちなみに現時点でも、既にお蔵入りしているF-1/New F-1用のFD系レンズを7本所有しています。色々な写真を撮った思い出が詰まっているし、魂入っていますから….。やっぱり、単なるカメラ・バカですな。
ちょっと古い放送ですが、6月3日のNHKのプロフェッショナル 仕事の流儀で、坂東玉三郎さんが次のように語っていました。
茂木さん「玉三郎さんにとって、理想の踊り、というのはどういうものなんですか?」
玉三郎さん「極論ですけれど、見ている人も、踊っている人も、踊っていた時間というものを忘れるような時間だと思います。それで何かニュアンスとか、魂とか、一瞬の喜びとかがすっと飛来して、何だったのだろう、と思えたらいいかな、と」
先日ここでご紹介した井上雄彦「最後のマンガ展」の反応についても、モーニングの29号で井上雄彦さんは以下のように語っています。
「言葉にできない」
そんな感想に正直心がふるえます。
言葉に言い表せないからこそ、
体全体で読んでもらうしかない、
空間に挑んだのは、そんなものを目指したからです。
手をつないだような気分です。
コミュニケーションとしてのアートの目指す姿が、ここにあるのではないでしょうか?
先日「「人に伝わる」とはどういうことなのか? 信長の「朽木越え」におけるシニフィアンとシニフィエ」で、記号論の観点で、シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容または記号意味)の考え方をご紹介しました。
シニフィアン(記号表現)は、玉三郎の踊りであり、井上雄彦の絵でもあり、アートの様々な表現形態でもあります。
しかし、アーティスト本人が伝えたいことは、踊りでもなければ絵でもないのでしょう。
そして、それの伝えたいことを、シニフィアン(記号表現)を通じて伝えられるのがアートであると思います。
そして究極の姿は、相手の中に、シニフィエ(記号内容または記号意味)のエッセンスだけが残り、シニフィアン(記号表現)そのものが何だったかは全く残らない、そんな世界なのでしょう。
私も写真を通じて、そのような世界を実現したいものです。
現在のデジカメの基本原理は、16世紀頃のカメラ・オブスクラと全く変わりません。
カメラ・オブスクラは、大きな暗い部屋の壁に針穴(ピンホール)を開けて、反対側の壁に穴の先の風景を上下反対に写す仕組みです。
当時は画家がこの箱の中に入って風景の下絵を作っていました。
19世紀初めに、この仕組みと感光材を組合わせることで銀塩写真が生まれました。
この感光材がいわゆる銀塩フィルムに発展し、我々がよく使っていたフィルムカメラになりました。
デジカメは、このフィルムをCCDやCMOS等のデジタル感光素子に置き換えたものです。
いずれにしてもレンズ(またはピンホール)で上下反対の像を作り、その画像を記録する、という仕組みは、400年前のカメラ・オブスクラも、最新のデジカメも全く違いがありません。
しかし、この原理を大きく変える技術がIDFで発表されました。
「【IDF上海2008】新しい写真スタイル、360度の眼――デジタル技術の本領発揮はこれから」によると、空間にある光線を3次元的に捉えて画像データに収め、ソフトウェアで様々な形で加工できます。
例えば、今まではある特定部分にピントを合わせた写真を、別の場所にピントを合わせるように加工するのは不可能でした。
この技術では、撮影後にフォーカスエリアや被写界深度を修正できます。
こちらの論文(英語、1MB)によると、感光素子の前にマイクロレンズの配列を配置することで3次元空間の情報を記録するようです。
また、こちらの動画(英語、74.4MB)を見ると、実際にいかに3次元情報が瞬間に記録されているかが分かります。
水しぶきが上がった瞬間を記録した高速写真でも、しっかり3次元情報が記録され、自由にフォーカスを変えられるのを見ると、ちょっとした感動モノです。
ソフトウェアでの画像情報処理を前提にすると、このようなことも可能になるのですね。
コンピュータの能力は、創造力次第で、まだまだ活用の余地が沢山残されていると実感します。
小学館「広重 名所江戸百景/秘蔵 岩崎コレクション」を購入。非常に重い本ですが、カバンに入れて、通勤の行き帰りに眺めて一人悦に入っております。
1万円近い豪華本ですが、「名所江戸百景」全120図が上質の紙に素晴らしい印刷で表現されています。
浮世絵師・歌川広重の素晴らしい色使いや大胆な構図、改めて感動です。浮世絵というのは、素晴らしいですね。
私はこの20年間、東京湾岸の写真を撮影しています。
夜の群青色から徐々に青い色に変わる空気や、赤や黄金色の朝焼け等の鮮やかな色使いで、東京湾岸の透明な空気感を表現することを狙っています。
広重が描いた江戸百景も、まさに透明な空気感が表現されています。
幕末の江戸で、広重によって描かれたこのような素晴らしい作品を見ると、改めて創作意欲が大いに刺激されます。
表現手段は版画からカメラに変わり、時代は150年程経過していますが、少しでも広重に近づけるようになりたい、と思います。
何回か書きましたように、私はライフワークの写真で東京湾岸の写真を撮影しています。
東京湾岸を撮り始めたのは1980年代中頃ですから、中断しながらも、20年間以上撮り続けていることになります。
最近感じるのは、昔と今では撮影の方法が変わってきて、より撮影結果が思った通りに仕上がるようになってきた、ということです。
これは、機材や写真技術が大きく進化したり、自分の撮影スキルが少々上がってきたという面以外にも、Google Mapの活用が大きいと思います。
東京湾岸の写真は、地形や建物の状況に左右されます。活発に建設が行われていることもあり、以前撮影に行った場所が1年後に変わっていることもよくあります。
数年前までは、自分の過去の撮影経験に基づいて、時々地図(紙モノ)をチェックし、撮影に臨んでいました。しかし、どこに何があるかを事前に十分に把握できずに出かけていたこともあって、半分「出たとこ勝負で撮影」という感じでした。
最近は、撮影に出かけるにあたって、Google Mapでその場所を詳細に事前確認し、どの地点からどちらの方向を向くと何が撮れるかを把握した上で、その日の撮影ポイントを選ぶようにしています。
例えば、私の場合は夜から明け方に撮影することが多いので、太陽が昇る位置は結構重要です。
何回か撮影を繰り返して撮影場所と太陽が昇る位置を憶えておき、季節変動を考慮することで、次回の撮影で太陽が昇るポイントがかなり正確に把握できるようになりました。
普通の地図でも確認可能ですが、割と古い情報のままになっている地図よりも、実際に最新の建造物が写真で写っているGoogle Mapを使うことで、より正確に分かるようになったと思います。
おかげで、狙ったものを撮影できるようになり、撮影の歩留まりは大幅に向上しました。
さて、東京湾岸の写真を撮影していると、改めて東京湾岸の上には実に様々なものがあることを再認識します。
Google Mapで東京湾岸の上にあるものをまとめてみました。ご存知のものもあると思いますが、結構意外なものもあります。ご参考までに。
■猿島
最近のコンパクトデジカメも1000万画素を越え、数字の上ではデジタル一眼レフと同等の画素数を持つようになってきました。
写真で作品を撮ろうと考えている人達にとって、実際のところ、コンパクトデジカメやデジカメ一眼が昔の銀塩フィルムと比較してどの程度の画質を持っているのか、気になるところです。
そこで、実際に調べてみました。
被写体として使ったのは、お台場にあるフジテレビの社屋で、深夜に撮影しました。
昨年同じ日に書いたエントリー、「長時間露光環境における、銀塩フィルムとデジカメの描写性能の違い」にもあるように、銀塩フィルムの想定使用範囲を超えた環境です。しかし、ある程度の限界を超えた条件は、解像度を把握するためには適切である、という見方も出来ます。
使用機材は下記の通りです。
銀塩フィルム
・Canon EOS-1RS、EF 28-70/2.8L
・コダクロームプロフェッショナル64で撮影、Nikon CoolScan IV ED(*)でデジタル化
・コメント:35mmフィルムでのベストな画質を得られるように考慮
デジタル一眼レフ
・Canon EOS-1Ds、EF 28-70/2.8L、RAWデータ撮影 (ISO 100)
・イメージセンサーは1110万画素、CMOS 35mmフィルムフルサイズ(35.8×23.8mm)
・コメント:5年前の2002年11月発売当時は、最高画質デジカメ。現時点でも普及タイプデジカメ一眼と比べて全く遜色はありません
コンパクトデジカメ
・PowerShot G9、RAWデータで撮影 (ISO 80)
・イメージセンサーは1210万画素、1/1.7インチCCD
・コメント:2007年9月発売の製品 (発売当時の価格は約6万円)。現時点では多くのメディアでコンパクトデジカメの中では最高評価を受けています
結果は本エントリーの最後に掲載しています。(文字と画像を混在して掲載すると配列が崩れるため)
尚、RAWデータで撮影したものについては、オリジナル画像と補正画像の両方を掲載しました。
このようにしてピクセル等倍で並べて見ると、コンパクトデジカメの画質は、いまや銀塩フィルムを凌駕している、と言ってもよいのではないでしょうか?
一方で、デジタル一眼レフとコンパクトデジカメでは、同じ画素数でも画質の差は歴然です。
ちなみに、PowerShot G9のイメージセンサーは1210万画素ですが、イメージセンサーのサイズは通常のコンパクトデジカメと同等の1/1.7インチCCDなので、12mmx9mmで面積は108平方mm。
一方のEOS-1Dsのイメージセンサーは1110万画素ですが、CMOS 35mmフィルムフルサイズ(35.8×23.8mm)で面積は852平方mm。
ということで、EOS-1Dsのイメージセンサーの面積は、PowerShot G9の約8倍ということになります。
普及版のデジカメ一眼でも、イメージセンサーのサイズは、EOS系の22.2×14.8mm(329平方mm)や、Nikon・Sony系の23.6×15.8mm(373平方mm)等は、PowerShot G9の3倍の面積です。
作例で見ましたように、同じ画素数でも、デジカメ一眼がコンパクトデジカメよりも画質に優れている理由は、このイメージセンサーの大きさの違いにあるのでしょう。
一方で、コンパクトデジカメには携帯性という圧倒的に有利な点もありますので、これを活かして機動性のある撮影を行うこともできます。実際私は、特に高画質が必要ではない作品については、最近このPowerShot G9で様々な作品を撮り始めています。
このように、画質の特性を中心に考えつつ、各種デジカメの特性を把握した上で、デジカメを使い分けていくとよいのではないでしょうか?
(*) 2008/1/5 20:45訂正:当初Nikon CoolScan IIIと記載していましたが、正しくはCoolScan IV EDでした。訂正します。
2008/1/7 22:00 追記:今回の比較は、銀塩フィルムをフィルムスキャナーで読み込むことによるアナログ⇒デジタル変換に加え、本文にも記述の通り、相反則不軌が起きる条件で比較しているので、銀塩フィルムに不利な条件になっています。後日、機会がありましたら昼間の写真で、銀塩フィルムとデジカメのプリント同士の比較を行いたいと考えております。
サンプル画像
「全体」と書かれているのは全体画像、「等倍」となっているのは右上箇所のピクセル等倍画像です。
また、「RAW」と書かれているのはRAW画像を無補正でJPEG形式にしたもの、「補正」と書かれているものはRAW画像に対して色温度などの補正を行ったものです。
普段、デジカメ一眼レフを持ち歩くのはちょっとキツいのですが、やはり作品はいつでも撮れる様に、ある程度の画質のカメラは常に持ち歩けるようにしたい、と思っていました。
一方で、コンパクトデジカメを何機種か使ってみて、やはりどうしても作品を撮るには画質の点で厳しいことを実感してきました。
そう思っているうちに、最近、コンパクトデジカメも1000万画素を超える機種が出てきました。
1000万画素とは言え、同じ画素数でもイメージセンサーのサイズがずっと大きいデジカメ一眼レフと比べると画質は落ちます。
しかし、サンプル画像を見たところ、機種によっては作品を撮影するのに耐えられそうな画質が得られる機種もありました。
ということで、先日、Canon PowerShot G9を購入しました。
実際に使ってみましたが、明らかに今まで使ってきた2年前の600万画素クラスのコンパクトデジカメと比較すると全く違う画質が得られます。作品の大伸ばしにも耐えられそうですし、RAWモードが使えるのもいいですね。
ご参考までに、数日前に撮影した写真を掲載致します。RAW画像処理でコントラストや色調を調整したものを640×480に縮小しています。クリックすると拡大します。オリジナルは4000×3000です。
ちょっと不思議な画像かもしれませんが、ティーカップの水面に窓が映りこんだものです。ワイド端で1cmまでのマクロ撮影もできます。
道具としての質感も、結構いいものがありますね。カメラにとっては、非常に重要なことだと思います。
もう少し使い込んでみた上で、また後日ご報告します。
ちなみにこのG9、私はamazonで購入しました。
価格.comで出てくるPowerShot G9の価格ランキングとamazonの価格が、あまり変わりませんでした。
ご参考までに、この記事を書いている2007/12/27時点では、価格.comの最安値店が43,585円であるのに対して、amazonは41,586円。結構意外ですね。
ハッセルブラッドH3D II-39MS、2月の発売です。詳しくはこちら
6,825,000円というお値段といい、3900万画素という画素数といい、これこそまさに超弩級カメラですね。
一つの画像をRGBごとに1枚画像を得てカラー画像を合成するそうです。原理的にモアレが発生しないとか。
「ここまでやるか?」、って感じですね。
主にブツ撮り用にスタジオで使用されることと思いますが、どんな人が使うのでしょうか?
最近の雑誌の表紙モデルの方々、皆様本当に美しいですね。
最近は女性誌も多様化してきて、様々な年代の方が表紙モデルを務めることも多くなりました。
ただ、全くシワやホクロやシミがなかったり、信じられない位スラっとスリムだったり。
やはり、厳しく節制しているのかなぁ、と思ったりしますが、…。
この記事を見ると、どのように修正しているかがよく分かります。
オリジナルのモデルの方も魅力的とは言え、それにしても、すごい変わりぶりですね。
ちょっと見ただけでも、以下の点が相当レタッチングされています。
・肩の肉の盛り上がり
・腕の太さ
・背中や腰のライン
・右手の処理
・髪の処理
・肌のきめ細かさ
・頬骨のはり
・目じり
・くちもと
・髪の分け目
・あごのライン
・くちびる
・等々
ほとんど「間違い探し」のような感じですけど。(^^;
それにしても、これだけレタッチした画像の自然なこと。すごい技術、匠の技ですね。
よくあるケースは、やりすぎてこんなアニメ調な画像になったりします。
それはともかく。
Photoshop等の画像編集ソフトがない時代から、写真の改変は行われてきました。特に全体主義社会で当局が政治的に行っていた時代もありました。
とは言え、これだけ画像編集ソフトが一般の人にも普及し簡単に修正できるようになった現代、写真をそのまま信じられない時代になってしまったような気がします。
らばQで見つけた写真です。⇒リンク
本当に美しいですね。
絶妙なシャッターチャンスが素晴らしいことは言うまでもありません。
と同時に、美しい色彩の水の写真を撮るコツは、水面に写り込む背景をどうするかが全てであるということが、この写真でよく分かります。言うまでもなく、水は無色透明ですから。
しばしの間、日頃の疲れを癒してくれる写真ですね。
ランドマークタワーの展望フロアから撮影したもののようです。
こちらにあります。
東京湾岸をテーマに写真を撮り続けていますが、このようなサイトを見るととても刺激になりましたので、紹介させていただきました。
先日、「私のThinkPad、現在九代目」というエントリーを書きましたが、今回はカメラ編です。
と言っても、実に色々なカメラを使ってきましたので、そのうち作品を撮るのに使った機種に限定して書いてみたいと思います。
初代:オリンパス OM-1
購入:1978年
高校生の頃に購入した、初めての一眼レフです。「なぜオリンパス?」と思われるかもしれませんが、当時は小型軽量で大人気のカメラで、カメラのことを全く知らなかった私は「カメラと言ったらオリンパス」という認識でした。お恥ずかしいことに、ニコンはかろうじて知っていましたが、キヤノンやペンタックス、ミノルタというカメラの存在を全く知りませんでした。このOM-1は大学2年生になるまで使っていました。
二代目:オリンパス XA
購入:1979年
高校の卒業アルバム撮影用に買いました。非常にコンパクトで絞り優先の本格派、しかも写りがよいので重宝しました。大学に入ってから最初の頃は、OM-1をメインで使いながら、これで夜の街のスナップ等も撮影しました。シャッター音が極めて小さいのがよいですね。
三代目:キヤノンF-1N
購入:1981年
大学2年生になり、プロ用カメラが欲しくなり、夏休みの1ヵ月半、現像所のバイトを1ヶ月間行って貯めたお金で買いました。美しいボディに、確実に作動するシャッターは、信頼性抜群。今でも持っていますが、完動品です。
四代目:ニコンF
使用:1983年
大学の卒業アルバムの編集長をしている際に、F3とともに愛用しました。学校の機材でしたが、時々作品も撮影しました。まさに武骨な「道具」といった趣きで、大好きなカメラです。
五代目:ミノルタCLE
購入:1986年
サブカメラとして購入。当時、Contax Tと比較してどちらにするか迷いましたが、レンズ交換できるということで、拡張性を重視して購入しました。標準のM-Rokkor 40mm/F2を付けましたが、その後28mm/F2.8と90mm/F4を追加しました。海外旅行の時にメインのカメラが壊れた場合のバックアップとして活躍してくれました。
六代目:キヤノン・ニューF-1
購入:1988年
「摩周湖事件」で、旧F-1とCLEが10ヶ月間行方不明になり、機材一新の際に買いました。モータードライブを付けて買った初のカメラです。重いカメラですが、これも信頼性バツグンで、今でも問題なく動きます。Tokyo Bay Areaシリーズの撮影で使い込んだ結果、色々な箇所の真鍮が出ていて、実にいい味を出しています。もしかしたら、私が持っているカメラで、一番カッコいいカメラかもしれません。
七代目:キヤノンT90
購入:1992年
旅行等のバックアップ用に、中古で安く買いました。でもあまり使わず、友人に譲りました。
八代目:EOS-RT
購入:1994年
初めてのオートフォーカスカメラ。28-105mmを付けて中古で買いました。ペリクルミラーで、撮影中も画像が見えるので、レンジファインダーのように使えます。
九代目:EOS-5QD
購入:1995年
二台目のオートフォーカスカメラ。この機種で、マニュアルフォーカス(MF)のキヤノンからオートフォーカス(AF)のEOSへ移行しました。きっかけは、海外旅行で、ヒント合わせに手間取って決定的瞬間を何枚も逃してしまったことでした。当初はMFにこだわっていましたが、この経験で、「私はいい写真を撮りたいのであって、MFカメラを使いたいのではない」という当たり前のことに気付き、移行することにしました。
ちなみに、この時のことは、Capaのムックに記事として書かせていただいたことがあります。⇒記事はこちら
十代目:EOS-1nRS
購入:1996年
…ということで、EOS系もやはり最終的にプロ用カメラに行き着きました。EOS-5QDも素晴らしいカメラですが、中級機種とプロ用カメラの違いは歴然。F-1同様、信頼感抜群でした。これもRT同様ペリクルミラー。その後、キヤノンはペリクルミラー機を出しませんね。待っています。
十一代目:リコー GR-1s
購入:1998年
「小さくて高性能のサブカメラが欲しい」と思い、購入。見た目はあまり目立ちませんが、レンズの描写力が素晴らしいの一言。でも、「小さいカメラで、撮影時の手荷物を減らそう」と思っても結局全部持っていくので、「小さいカメラを買っても、荷物は減らず、結局増えるのだ」という法則を学んだカメラでもありました。(^^;
十二代目:EOS-3
購入:2002年
デジカメに切り替える直前、やや重めのRSの代わりに愛用しました。
十三代目:EOS-1Ds
購入:2004年
初めてのデジカメ一眼。発売はもう5-6年前の機種ですが、その解像度の高さは今でも銀塩フィルムを凌ぐ性能です。
他にも、下記のカメラを使いました。
ゼンザ・ブロニカSQ-A、オリンパス Oプロダクト、コニカ・ビッグミニ、フジ・ティアラ、マミヤ・ニュー6、Pentax ME、Leica M-2、キヤノンFTb、キヤノンIXY(初代)、オリンパスE10、IXYデジタル400、IXYデジタル800IS
製品名を全て丸暗記してスラスラ出てくる点、われながらあきれてしまいますが….。
特に90年代の機種に集中しているのは、恐らく当時某パソコン通信で写真の会議室のシスオペをしていて、会議室にいた濃~いメンバーの方々から毎日のように物欲の刺激を受け続けたためだと思います。
ということで、買うときはそれなりに真剣なのですが、そのまま使わないのが結構あったりします。中には売ったのもありますが、かなりの数が結構自宅に残っていて放置されています。….単なるカメラ・バカですね。
今年2月のエントリーで、コダクロームの販売中止と国内現像中止のことを書きました。
10月30日付で、コダック株式会社から、「コダクロームフィルム国内処理終了のお知らせ」というプレスリリースが正式に出されました。
12月20日以降は、米国Dwayne’sラボが全世界で唯一コダクロームフィルム処理が可能な現像所となるそうです。
写真の一つの時代が終わったという感じですね。
ちなみに、コダックのコダクロームの説明はここです。
オリンパスがデジカメ一眼レフのフラグシップ機 E-3を発表しました。記事はこちらです。
ちょっと前衛的デザインだった先代のE-1と比べて、一般的な一眼レフカメラらしいフォルムになりました。重量810gは、現在のフラグシップ機の中では軽量ですが、小型軽量カメラが多いオリンパスの中では結構重量級ですね。
これでフォーサーズのラインアップもかなり厚みが出てくるのではないでしょうか?
実際、こちらを見ると、オリンパス・パナソニック・ライカ各社が出しているフォーサーズのカメラも増えてきていますし、こちらにはオリンパス・パナソニック・シグマ各社が出している専用レンズの一覧もあります。
これに、今回の新機種が加わることになります。
ちなみに、動物写真の世界的第一人者である岩合光昭さんは、インタビューで「メイン機材をEシリーズに切り替えた」と語っておられます。まさにプロフェッショナルの道具に対する考え方が分かり、参考になりますね。
実は、私が初めて使った一眼レフカメラはオリンパスOM-1で、次に買ったのがオリンパスXAでした。O-Productという知る人ぞ知るというカメラも持っています。
ということで、個人的にオリンパスには結構思い入れがあります。頑張って欲しいですね。
「世界を震撼させた20世紀の衝撃写真」、知っている写真も多かったのですが、初めて見る写真も結構ありました。
特に、下記の写真は衝撃的でした。
写真が持つ力は凄いですね。
現在をありのまま写す写真は、現在は変えられませんが、未来は変えられる可能性を持っているのだ、と再認識させられます。
いい写真を撮影する上で、構図は言うまでもなく重要な要因の一つです。
ここでの一つのキーワードは、「黄金分割」です。
ITmediaにも9/19に「黄金分割でワンランク上を狙う」という記事が掲載されています。
一方で、自分が写真を撮る際をふりかえってみると、ほとんど無意識に構図を決めています。
いい写真を撮る上で「構図」と同様に重要なのは「シャッターチャンス」です。
従って、構図を決める際に黄金分割の構図を顕在意識レベルで時間をかけて考えるよりも、瞬時に潜在意識レベルで無意識に構図してその結果が黄金分割になっている、というのが理想です。
では、瞬時に無意識に黄金分割を身に付けるためにはどうすればよいでしょうか?
私の方法は、以下の2通りです。
・名画やいい写真を沢山見て、「よい構図」というものはどんなものか、潜在意識にたたきこむ
やはり、名画やいい写真の構図は素晴らしいですし、基本に忠実です。沢山の素晴らしい作品に接し、様々な黄金分割のパターンを見て、構図のよさを楽しむことが、自分の作品にも活きてくるように思います。
・実際に自分で沢山写真を撮り、自分の作品のセレクションに時間をかける
このセレクションでは、やはり構図がよいものが選ばれます。このセレクションの過程で、自分の構図がどうあるべきかを考え、肌感覚として身に付けることが、次回の撮影に活きてきます。
ちょっと遠回りかもしれませんが、確実に自分の身に付けることが大切なのではないかと思います。
当ブログの前回のエントリーから11ヶ月ぶりのこのテーマですが、デジタル一眼レフカメラの市場がすごいことになっています。
BCNランキングの記事にここ1年半のメーカー別シェア推移がありますが、その入れ替わりの激しいこと。
2006年03月 C(50%), N(30%), P(10%), O(7%), S(0%)
2006年07月 C(34%), N(27%), S(22%), P(15%), O(4%)
2006年12月 N(50%), C(35%), P(10%), S(4%), O(1%)
2007年07月 N(44%), C(33%), O(12%), P(7%), S(4%)
(N:Nikon, C:Canon, P:Pentax, O:Olympus, S:Sony)
新機種が登場するたびに、わずか数ヶ月単位で激しく順位が入れ替わっています。
2006年7月にはソニーのα100とペンタックスのK100Dが登場し、ニコンとキヤノンから大きくシェアを獲得しました。
その後、ニコンが中級者用のD80と初心者用のD40を出して、昨年末にトップシェアを獲得。
しばらく5位にいたオリンパスも、かつてのOMシリーズを彷彿とさせる超小型一眼レフカメラの投入で、半年で二桁のシェアを獲得し3位に浮上しています。
8月31日にはキヤノンがEOS 40Dを発売しましたし、ニコンは11月にD300を発売、ソニーもα700を出してきました。
この激烈なシェア争いは当分続きそうですね。
これだけ性能アップした新製品が目まぐるしく出てくると、ユーザーとしてはいつデジタル一眼レフカメラを購入すべきなのか判断に迷うところですが、結局、「本当に欲しくなった時が、買い時」ということなのでしょうね。
10日前に書いたエントリー「シャトルで使われている6年前のプロ用デジタル一眼レフ」で、NASAの公式カメラがKodak DCS760であることを書きましたが、一昨日(8月22日)にニコンがNASAからデジタル一眼レフカメラと交換レンズを受注したというニュースが入ってきました。
Nikon D2XSが76台、交換レンズ2種計39本、スピードライト(ストロボ)64台、その他アクセサリーとのことです。
船外活動(つまり宇宙空間)で使用するNikon D2XSは、潤滑剤をNASAの指定品に変更することをのぞけば、ほぼ市販品と同じとのこと。この後NASAの審査があるそうです。
ボディ台数と比較して交換レンズ本数が少ない気がしますが、現行のKodak DCS760はニコン・ベースですし、そもそもNASAはNikonをずっと使い続けてきていますので、これらのレンズを継続して使用するということなのでしょうね。
日進月歩のデジカメの世界ですので、さすがに6年間も使っていると、新型の方が圧倒的に高性能です。
例えば、D2XSは解像度は1240万画素、レリーズタイムラグ(シャッターを押してから撮影するまでの時間差)は世界最短約37msです。
私が大学4年生の時に卒業アルバムを製作していた際、学校の卒業アルバム委員会の機材であったNikon FやNikon F3に35mm F2 + 85mm F2 + 80-200mm F4.5を使っていました。実に質実剛健で寡黙に確実に作動し続けるFやF3には、大きな信頼を置いていました。
このFやF3も、宇宙で活躍していました。この最新式ニコンも同様に、宇宙空間で寡黙に作動し続けるのでしょうね。
この時期になると、一昔前は雑誌でよく心霊写真特集等をやっていましたね。私もよく怖がりながら見ていました。
その後、私は写真を始めて10万枚近い数の写真を撮影してきていますが、自分が撮影した写真で「これぞ正真正銘の心霊写真!」と思える写真は、今まで一回も撮れたことがありません。
子供の頃、心霊写真と思っていたものの多くは、実は写真の技術面でほとんど説明できるものでした。
世の中の心霊写真の中には、もしかしたら意図的に作られるものもあるかもしれません。実際に意図的に心霊写真を作るためには、昔なら多重露光や二重焼き等、写真の知識が必要でしたが、デジタルの時代になって、今ややろうと思えば何でも出来てしまいます。
したがって、ここでは意図的なケースは割愛させていただき、意図せずにあたかも心霊写真のように写ってしまうのは何故かを考えてみたいと思います。
原因を大きく分けると、次のように分類されるのではないでしょうか?
■1:石や壁、草むら、水の流れ等の中に偶然出来た人間に似たパターンを、心霊的なものと解釈してしまうケース
⇒小学校の修学旅行で日光の華厳の滝を撮影した際、滝の至る所に人間の顔みたいなものが写っていてクラス全体で騒然となりましたが、今考えてみると、水流を人の顔に見立てていただけでした
■2:レンズのゴーストによるもの
⇒光源に対してゴーストの位置は画面中心に点対称の位置に出来るので判別できます
■3:カメラのストラップ等がレンズの前にかかってしまったもの
⇒ストラップが前ボケになるので分かります。特にストロボを使ったりするとストラップが真っ白に飛んでボヤけて写るので、エクトプラズムっぽく写ります
■4:窓ガラスを通じて撮影した際に、その窓に人間の姿が反射して映ってしまったもの
⇒「スイッチを消しているテレビに、人の顔が写っている!!」というケースですが、「被写体とカメラの間に窓ガラスがあって、ガラス上に反射した人の顔が写っている」と想定して改めて眺めると、分かったりします
■5:カメラの蓋を開けたり、フィルムのパトローネに隙間が出来てて、フィルムが感光してしまった場合
⇒全体的に画面の上や下からオレンジ色っぽい光が被っている場合は、このケースです
■6:あるはずの人の手がなかったりするケース
⇒例えば、手をブンブン大振りしている状態で1/10秒程度のシャッターで撮影すると、手がゆがみ、かつあたかも肘の先が消えてしまったように写ります
■7:集合写真で、ある筈のない手が誰かの方に置かれたように写っていたりするケース
⇒色々なケースが考えられますが、誰かの後ろにいて写っていない人の手だったりすることもあります
■8:フィルム送り不良による多重露光
⇒次のコマの人の顔が風景に二重写しになったりします
■9:レンズの至近距離にある雨等がストロボで光り、ぼけて大きく丸く光る光球が写るケース
⇒人魂のように写ります
いわゆる「心霊写真」の多くの原因は、「ブレ」「ボケ」「スローシャッター」「ガラス面の反射」「ゴースト」「不用意な感光」「ストロボの光が至近距離のものに当りボケたもの」と言ったところにあるのではないでしょうか?
他に、意図的に人間の手や顔を写真に貼り付けたりして人為的に作成することも可能です。
もちろん、全く未知の現象で、霊的なモノが写る可能性もゼロではありませんし、そのような現象が起こった場合は頭から否定せず、しかるべき調査するのが科学的態度であると思います。
しかしながら、心霊写真のほとんどは写真の技術上の問題として説明できるものがほとんどであるような気がします。
いずれにしてもそこにあるのは物理的現象である感光作用を起こして記録された写真である訳で、それを心霊写真と思うかどうかは、結局は人の心が起こしている現象なのではないか、と思います。
昨日、EOS-1Ds Mark IIIとEOS-40Dが発表されました。
先日のエントリー「デジカメ版ムーアの法則に基づく、次期新型EOSの予想」では、可能性が高い順に、
・中級機種(EOS-40D?)
・中・上級機種 (EOS-5D N?)
・プロ用高画質機種 (EOS-1Ds Mark III?)
と予想しておりました。二番目は外した格好ですが順当といったところでしょうか?まぁ、最近のキヤノンの製品ロードマップはかなりしっかりしているので、スペックも含めてかなり正確に予想できます。
ところで、EOS-1Ds Mark IIIは2110万画素で、解像度5616×3744になります。サンプルをダウンロードしてみましたが、そのファイルサイズ、JPEGで9.5MBです。すごいサイズですね。
ただ、記憶媒体の価格性能比向上は、デジカメの解像度の進化をはるかに上回っているので、画像ハンドリング上の問題はあまりないかもしれません。
EOS-1Ds Mark IIIも、EOS-40Dも、昨年後半と今年前半の機種に搭載された新機能(14 bit A/D変換処理、EOS Integrated Cleaning System、3.0型大型液晶モニターの搭載、デュアルDIGIC III (1Ds MkIIIのみ)、軽量大容量のリチウムイオン電池(1Ds MkIIIのみ)、等)の横展開が非常にうまくいっているようです。製品開発チームの役割分担がきちんとしているようですね。
レリーズタイムラグが改善しているところも見逃せないところだと思います。40Dは59msで、30Dの65msから10%改善しています。
しかし、1000万画素を超えたデジカメの姿が10年後がどのようになるのか、大変興味があるところであります。
technobahnの記事「スペースシャトルで見つかった耐熱パネルの剥離箇所」で、スペースデプリにより耐熱パネルが損傷したスペースシャトル「エンデバー」の損傷箇所をどのように特定したかが解説されています。
2003年2月の「コロンビア」の事故で教訓を得て、NASAは、シャトルが軌道に投入されると高解像度のプロ用デジタル一眼レフカメラであらゆる方向からシャトルを撮影し、耐熱パネルに損傷が生じていないが調べているそうです。
記事によると、
「元画像はプロ用の一眼レフ・デジタル・カメラを用いて撮影したものなので、3032x 2008ピクセルの大きさがある。」
とのことです。
この損傷箇所を撮影したカメラがどの機種か興味があったので調べたところ、Nikon F5をベースにコダックが開発したKodak DCS760のようですね。
こちらにDCS760がスペースシャトル搭載カメラに正式採用されたという記事がありますし、コダックのサイトを見ると、DCS760は解像度は3032 x 2008とのことなので、間違いなさそうです。
2001年というと、もう6年も前になります。
NASA正式採用のカメラというと、ミノルタ・ハイマチック、ハッセルブラッド、そして何といってもNikonの一連のNASA特別仕様カメラが思い起こされますが、このように正式採用されるとある程度の長期間(恐らく10年単位で)使用されるようです。
考えてみると、私も2002年に発売されたデジタル一眼レフカメラで作品を撮り続けていますので、日進月歩のデジカメと言えども、それなりに長期間使えるものなのですね。
ハチドリという鳥はご存知でしょうか?
体重2-20g程度の最も小さい鳥で、名前の通りハチに見間違えそうな鳥です。
海外に出かけると、よく花の周りで見かけることがあります。花の蜜を主食にしているためのようです。
このハチドリ、動きが昆虫のように素早くかつ用心深いので、撮影しようとしてもすぐに逃げられてなかなか撮影できず、いつも断念してきました。
そんなハチドリですが、ハチドリが鮮明に写っている写真を『航空の現代』というサイトで見つけました。こちらです。
まさか、あのハチドリを餌付けできるとは、想像もしませんでした。このような写真が撮れるものなのですね。
しかしハチドリの羽ばたきの素早いこと。Wikipediaによると、毎秒55回の羽ばたきだそうなので、かなりの高速シャッターでないと止められないようですね。
「キヤノンEOS 40D発表」という、とても刺激にあふれたタイトルが付いた奥川さんのエントリーに触発され、次期新型EOSについて考察してみました。
尚、ここで書かせていただく情報以外に、私個人はEOSの将来機種に関する情報を一切持っておりませんので、その点ご了承下さい。
まず、EOSデジタルは下記のようにほぼ半年毎に新製品がリリースされています。
2000年後期 EOS-D30 (中級用)
2001年後期 EOS-1D (プロ用/高速)
2002年前期 EOS-D60 (中級用)
2002年後期 EOS-1Ds (プロ用/高画質)
2003年前期 EOS-10D (中級用)
2003年後期 EOS-Kiss Digital (初級用)
2004年前期 EOS-1D Mark II (プロ用/高速)
2004年後期 EOS-20D (中級用)
2004年後期 EOS-1Ds Mark II (プロ用/高画質)
2005年前期 EOS-Kiss Digital N (初級用)
2005年後期 EOS-5D (中・上級用)
2005年後期 EOS-1D Mark II N (プロ用/高速)
2006年前期 EOS-30D (中級用)
2006年後期 EOS-Kiss Digital X (初級用)
2007年前期 EOS-1D Mark III (プロ/高速)
このように単に並べると分かり辛いのですが、よく見ると一定の規則が読み取れます。
■初級用は、1年半毎にリリースされている。
EOS-Kiss Digital (600万画素) ⇒2003年後期
EOS-Kiss Digital N (800万画素) ⇒2005年前期
EOS-Kiss Digital X (1000万画素) ⇒2006年後期
従って、今後もこのパターンを踏襲すると仮定すると、次期Kiss Digitalは2008年前期の可能性が高い。
■中級用も、最近は1年半毎にリリースされている。
EOS-D30 (300万画素) ⇒2000年後期
EOS-D60 (600万画素) ⇒2002年前期
EOS-10D (600万画素) ⇒2003年前期
EOS-20D (800万画素) ⇒2004年後期
EOS-30D (800万画素) ⇒2006年前期
従って、今後もこのパターンを踏襲すると仮定すると、次期中級機種(40D?)は2007年後期の可能性が高い。
■プロ用/高速機種は、2年半から、最近は3年毎にリリースされている。
EOS-1D (400万画素) ⇒2001年後期
EOS-1D Mark II (800万画素) ⇒2004年前期
EOS-1D Mark II N (800万画素) ⇒2005年後期
EOS-1D Mark III (1000万画素) ⇒2007年前期
従って、今後もこのパターンを踏襲すると仮定すると、次期プロ用高速機種(1D Mark IV?)は2010年前期の可能性が高い。(但し、Mark II Nのように、2008年後期に現行のEOS-1D Mark IIIのマイナーバージョンアップを出してくる可能性も高い)
■プロ用/高画質機種は2年間隔でリリースされていたが、現時点で前モデルがリリースされて既に3年が経過している。
EOS-1Ds (1100万画素) ⇒2002年後期
EOS-1Ds Mark II (1700万画素) ⇒2004年後期
従来のパターンを考えると、次期プロ用高画質機種(1Ds Mark III?)が2007年後期に出てくる可能性もある。(しかし、何らかの理由で見直している可能性もある)
■中上級機種のEOS-5D(1300万画素)が2005年後期にリリースされてから2年が経過している。このシリーズを継続すると仮定し、かつ、中級機種で1年半・プロ用で2年半というリリース間隔の中間が適用されると仮定すると、2007年後期か2008年前期に新型がリリースされる可能性が高い。
EOSウォッチャーであればある程度ご存知のことをまとめてみました。
ということで、今年8月に発表される新型EOSデジタルは、可能性が高い順に、
・中級機種(EOS-40D?)
・中・上級機種 (EOS-5D N?)
・プロ用高画質機種 (EOS-1Ds Mark III?)
のいずれか、又はこの複数の組合せ(参考例:2004年後期は20Dと1Ds Mark IIをリリース)ではないか、と個人的に想像しているのですが、いかがでしょうか?
個人的には、EOS-5Dに対してEOS-1D Mark IIIの技術(デュアルDIGIC III + A/D変換14 bit + 高感度撮影時の高画質 + ノイズ軽減 + 3インチ液晶 + 電池性能)が組み込まれた35mmフルサイズ版が30万円程度で出てくると、気絶してしまうほど嬉しいのですが….。画素数は現行EOS-5Dのままでもよいです。
それはともかく、…。
銀塩フィルム時代は、プロ用フラグシップ機は10年に一度新機種が発表されてきました。
しかし、「半導体の集積度が18~24ヶ月で倍になる」というムーアの法則に支配される時代になり、製品ポートフォリオ毎に、1年半-2年毎に新機種をリリースする製品開発計画を立てているキヤノンさんの戦略は、まさに「デジカメ版・ムーアの法則」に基づいています。
但しこのように製品リリース計画を立てても、現実には開発の遅れや部品供給の問題等があって、なかなか実現しないものですが、この6年間、正確にリリースを続けるキヤノンさんの製品ポートフォリオ戦略と製品開発力には脱帽です。
2年半程使っていたケータイですが、メモリー効果のために電池の消耗が激しくなってきたこと、2年半前当時のデジカメ最高画素数の機種を買ってしまいこれが結構重くデザイン的にもイマイチなことから、この度、買い換えました。
あのiPhoneが日本で販売されていたら即買いなのですが、今の日本の状況を見ると、これは当分ムリそうです。
スマートフォンも検討したのですが、これも重いことと、結局PCをいつも持ち歩いているので文書編集はPCを使うことから、こちらは断念。
電車等で移動中はパソコンを使っていたり本や雑誌を読んでいて、ワンセグを視聴する機会もないので、ワンセグ端末は選択肢にはありませんでした。
結局、軽くて、デジカメの画質もそこそこ良くて、できればパソコンとの連動度が高いものを、と探した結果、Nokia N73 (ソフトバンク 705NK)にしました。
買ってから約1週間経過しました。感想です。
■デジカメ画質が「使える」レベル
前の機種のデジカメは画質的にほとんど使えないレベルだったのですが、「この画質なら、普通のデジカメとして使える!」といった感じです。
個人的には、こってり色が乗っているような発色で好きです。ちなみに、左の写真は、本日オフィスを出たところで撮影した夕景です。
N73のレンズはカールツァイスのテッサーです。銀塩フィルムカメラも含めて、カール・ツァイスのレンズを使うのは実は今回初めてですが、結構いいですね。恐らく光学系のレンズ性能だけではなく、周りの設計もよいのでしょうね。
但し、シャッターを押してからのレスポンス・タイムはひと呼吸遅れますし、次の撮影が可能になるまで5秒程度かかります。これは2-3年前のデジカメと同じレベルで、人のいい表情を捕らえるのはちょっと難しいかも。
記録写真はNokiaで、ちゃんとした写真は普通のデジカメで、というように役割分担して使うとよさそうです。
■操作系が、日本のケータイと全く違う
噂には聞いていましたが、最初は全く使えず、マニュアルと首っ引きでした。未だに迷っています。考えてみると、日本のケータイはメーカーが違っていても操作系は統一されていたのですね。
ただ、これは慣れの問題だと思います。よく使う機能に限って言うと。今はこちらの方が使い易い位です。
■PCとの連動度が高い
PowerPoint/Word/Excel文書を表示できます。ただ、大きめ写真イメージを貼り付けたPowerPoint資料を表示しようとしたら、ハングアップしてしまいました。基本的に文字ベースの資料を使うのが良いようです。
Notesカレンダーと連動することも可能です。
私は最近のケータイ事情に全く疎いので、恐らく他社でも素晴らしいケータイは色々とあるのではないかと思いますが、あくまで使ってみた感想ということで書かせていただきました。
まだまだ使い始めですが、外見が普通の割に、結構凄い機能を持っていますね。
私のように、ノートパソコンがあるからスマートフォン程の機能はいらないし、ケータイメールも使いこなせないけど、ケータイで色々とやりたいし写真も撮りたい、という人にはいいかもしれません。
愛着が沸くデザインも、結構気に入っています。
他にも音楽が聴けたり、写真を保存したり、と色々と出来るようなので、また分かりましたらご報告します。
写真の大敵がブレ、ボケであることは改めて申し上げるまでもありません。
その観点で申し上げると、ITmediaの「ブレさせん! ブレなどさせん! 写真の天敵「ブレ」を追放する」という記事はとても参考になります。
一つだけ補足させていただくと、ブレやピンボケを克服すると、現代のカメラとレンズはもの凄く素晴らしい画質になる、ということです。
30年前までは必ずしもそうではありませんでした。
30年前、レンズ設計でコンピュータはそれ程活用されていませんでした。従って、昔のレンズは数少ない珠玉のレンズがある一方で、性能の悪いレンズ(よく言えば、「味のあるレンズ」)も結構ありました。
例えば、20年以上前に廃刊になった毎日カメラでは、流通している多くの交換レンズの画質を比較するムック本を出していましたが、記事を一通り読んで、「高画質レンズは少ないなぁ」と実感したことをよく憶えています。
現代のレンズ設計ではコンピュータを使うのが当たり前になりました。このため、CAPAが毎年出版している「交換レンズ」シリーズでも分かるように、レンズの描写性能の平均点は昔からは信じられない位向上しました。(逆に、「最近のレンズは個性がなくなった」という批判もあったりします)
実は、我々はこのレンズの性能向上を十二分に活用していないのです。その二大原因がブレとボケです。
さて、ブレやボケを克服して、この素晴らしい性能をモノにする方法があります。
三脚を使って撮影するのですが、コツがあります。
まず、しっかりとしたブレない三脚を使うこと。
私は20年来ハスキーの三脚を使っています。この程度のスペックの三脚であれば、35mm一眼レフカメラに中望遠レンズを付けて長時間露光をしてもビクともしません。しかし、コンパクトカメラ専用の小さい三脚に一眼レフを付けても、まぁ、手持ち撮影よりはマシですが、必ずしもブレは防止できません。
次に、三脚を正しく使うことです。しっかりとした三脚を使っても、ネジが緩くてガタガタしていては意味がありません。締めるところは全てキッチリ締め、少々触っても動かないことを確認しましょう。
そして、ファインダー上でしっかりピントを合わせる。オートフォーカスの場合は、合焦をしっかり確認する。
その上で、撮影の際にはリモートレリーズを使って静かにシャッターを切り、カメラを動かさない。
高画質で記録するために、できればフィルムは低感度フィルムを、デジカメの場合は画質優先でISO100程度で撮影する。
これらを守ることで、驚くほどシャープで高画質な画像が得られます。
しかも、じっくり構図を考えるようになるので、写真の腕も上がる筈です。
デジカメでも銀塩フィルムカメラでも、この原理は全く同じです。むしろ銀塩フィルムの画質を凌駕し始めた1000万画素級の一眼デジカメでこそ、しっかり撮影する重要さはますます増しています。
実際、私が撮影を続けている"Tokyo Bay Area"という作品、写真展を行うと「中判カメラか、大判カメラで撮影されたのですか?」という質問をよくいただきます。実は35mmフィルムを使い、35mm一眼レフを三脚に付けて撮影しています。
是非、お試し下さいませ。
私は大学生の頃に一番沢山の写真作品を撮影しました。写真の基礎が固まったのもこの頃です。
この頃の使用機材は、大学1年-2年はオリンパスOM-1にZuiko 35mm/F2.8とタムロン90mm/F2.5でした。
酷使が祟ったためか、大学2年の後半にOM-1が壊れてしまい、夏休みの間、フィルム現像所のアルバイトで貯めたお金でCanon F-1とFD 35mm/F2とFD 85mm/F1.8に買い換えて、大学4年まで使い続けました。
人がちょっと広めに空間を見る時の画角は35mm、軽く注目して見る場合の画角は85mmになっているようです。
この広角と中望遠レンズにマニュアルカメラの組合せにより、35mm/85mmの画角を身体で覚えて露出の勘も養えた訳で、結果として写真を基礎から勉強するのには最適なスペックだったと思います。
ところで、4月に書いたエントリー「カメラボディ専業メーカー?」でご紹介した「ケンコ-フィルム一眼レフカメラボディー:ニコンFマウント (仮称)」が、KF-1N/KF-2N/KF-3YCという名称でいよいよ8月に発売だそうです。
詳しくは、ケンコーのサイトに掲載されています。
カメラ自体は、まさに「道具に徹している」といった感じで、華やかさはありません。
しかしスペックを見る限り、ニコン版は、一時代を築いたマニュアルカメラNikon FMと遜色ないばかりか、一部性能は凌いでいます。
価格はオープンですが、一部サイトでは25,000円程度から3万円程度で予約受付中です。
35mmと85mmのNikonの中古レンズ2本を1-2万円程度で入手し、このカメラと組み合わせれば、実は写真を基礎から勉強するには最適なスペックなのですよね。
デジカメ全盛の世の中で、難点は銀塩フィルム・カメラのランニングコストがデジカメよりも高い点ですが、やはり写真を基礎から勉強するにはメカニカルなマニュアル・カメラがいいのではないかと思います。
いい写真は、作品自身がパワーを持ち、我々に色々な気付きを与えてくれます。
そのようないい写真に出会う方法は、言うまでもなく写真展で本物の写真プリントに接することです。
実は、世の中では色々なところで写真展を行っています。
しかも、その多くは無料です。(もちろん、有料のものあります)
無料でも、すばらしい写真展は多くあります。
特に銀座界隈には多いようです。
とは言え、「写真展には行ったことがない」という方も多いのではないでしょうか?
ご参考までに、こちらの記事には、様々な写真ギャラリーの案内が掲載されています。非常に網羅的で、それぞれのギャラリーの性格もよく分かります。
この週末、東京に出かける方で、1時間位余裕がある方は、時間潰しに近くにある写真展に立ち寄るのもいいかもしれません。
金曜日は、三好和義の写真展「楽園写真展 ハワイアンスピリッツ」にも行きました。
三好さんは「楽園」をテーマに精力的に作品を撮り続けています。
私が三好さんを初めて知ったのは、三好さんが"RAKUEN"という作品で当時最年少の27歳で木村伊兵衛賞を取った頃です。
それまでは浅井慎平さんの「風の絵葉書」等の作品に強く影響を受けて作品を撮り続けていたのですが、三好さんの作品は私にとって非常に衝撃的で、その後の私の写真作品では大きな影響を受けました。
その三好さんの最新作品。
普通の人がイメージするハワイとはかなり違う姿が捉えられています。1500年前にカヌーでこの島に渡ってきた古代ハワイアンによる古代フラが、今回の写真展の原点です。
今回の写真展で、ハワイのイメージがかなり変わりました。
今回の写真展は大伸ばしで100点以上。すべて今回の写真展のためにデジカメで撮影した新作で、カラー・プリンターで出力されています。カメラメーカーとプリンターメーカーも協賛していました。
私も写真ギャラリーで何回か写真展を行ってきましたが、通常の写真展での作品数は40点程度で構成します。100点も新作で構成する苦労は大変なものですね。
日本橋三越本店新館7階ギャラリーで、6/24(日)まで開催しています。
本日は、午後の仕事を休んで、お台場で6/24まで開催しているノマディック美術館のAshes and Snowに行ってきました。
これは、グレゴリー・コルベール氏による大型写真作品、映画、映像で構成されたものです。
このノマディック美術館自体が作品になっていて、2005年3月にニューヨークで初披露された後、2006年1月にロサンゼルス、今年3月からはお台場で披露されています。
お台場の東京テレポート駅近くにある駐車場に、コンテナを積み上げて出来た、巨大で不思議な空間が、このノマディック美術館です。
中は暗く、生暖かい空気が流れており、木の板で作られた道の両脇には、セピア調の巨大プリントが展示されています。また、大型プロジェクターでは独特の音楽とともに、映像が流されています。
象やヒョウ等の動物と、人間が渾然一体となり同化している、不思議な映像です。
これは写真作品なのでしょうか? 映像作品なのでしょうか?それとも、全く新しい何か別のものなのでしょうか?
かつて、土門拳や木村伊兵衛は、絶対非演出の写真にこだわって作品を作り続けました。私も、写真は非演出であるべき、という考えが頭の奥底にあります。
しかし、グレゴリー・コルベールによるこれらの作品は、演出なしではあり得ない映像です。
しかし一方で、演出そのものがまたアートでもあります。
非常に大きなスケールで提示されたアートに、圧倒されました。
ところで、会場では三種類の写真集を売っていました。
一番安い写真集は手漉きの紙を使ったこだわりの小型のモノクロ写真集で、16,800円。
大型のモノクロ写真集は、同じく手漉きの紙を使ったもので875,000円。
一番高いのは、カラー写真集で350万円。
350万円とか875,000円の写真集は別格として、16,800円の写真集は結構売れていたようです。
本日はウィークディにも関わらず、館内は結構混んでいました。週末はかなり混雑しているそうです。
マーケティング的にも、成功しているようですね。
今でこそ私は写真をライフワークとして続けていますが、あるきっかけで、写真を辞めようと思ったことがありました。
20年ほど前の9月、2週間の休みを取り、念願の北海道への撮影旅行に出かけました。
飛行機で釧路に到着し、2週間かけてレンタカーで根室半島、知床半島、サロマ湖、稚内と走りながら写真を撮り、稚内から飛行機で帰る計画を立てました。
北海道の景色は雄大で、根室半島をひた走って日本最東端・北方領土まで数Kmの場所まで行ったり、知床の大自然に出会ったり、と、関東にいては決して出会えない風景の連続でした。
旅の日程の真ん中で、摩周湖に到着しました。
裏摩周展望台に車を止めましたが、ここからの風景は今ひとつでした。
駐車場から湖面に下りる道があったので、カメラバックを肩に担いで片道15分の急斜面を降りましたが、残念ながら湖面で撮影した写真もイマイチ。仕方なく、下った道を登り始めました。
急な斜面を登り、駐車場まであと1-2分という場所に差し掛かったところで、大きな倒木がありました。
倒木を乗り越えようとしたところ、肩からスルリとカメラバックが落ちました。
カーキ色のカメラバックは、そのまま坂をコロコロと転げ落ちて、あっという間に視界から消えました。
一瞬、何が起こったか理解できませんでした。しかし、考えてみたら、カメラバックの中には全てのカメラ機材、帰りの飛行機のチケット、ホテルの宿泊券、免許証、カード、その他、旅行を続けるために必要なモノのほとんど入っています。
この時、午後2時頃でしたが、この日は藪の中を夕方までカメラバックを探したものの、見つかりませんでした。
夕暮れの駐車場はライトも付いていないため薄暗く、私の車が一台だけ止まっています。周囲数Kmには恐らく誰もいません。手持ちで数万円とレンタカーのカギは持っていたのは不幸中の幸いでした。
宿泊予定だったホテルに電話したものの、「宿泊券がないと泊まれない」とのこと。30Km程車で北上し、緑という町の民宿に宿泊しました。
翌朝、警察に紛失届を出した上で、再度探し始めましたが、午後2時になってもカメラバックは見つかりません。カメラ機材とホテル宿泊券がない以上、残り1週間の旅行は続けられないと判断、釧路空港経由で帰ることにしました。
駐車場にある売店に、カメラバックを落とした旨の張り紙をし、釧路空港まで車で走ってレンタカーを返却し、最終便で東京に帰りました。
ということで、カメラとレンズを全てなくしてしまった私は、再び写真機材を購入して写真を続けるべきか考えました。現在のように写真展も行っておらず、写真を自分のライフワークと考えるようになる数年前のことでした。
色々と考えた末、この年に暮れ、写真を続けることを決め、Canon New F-1, FD 20-35mm/F3.5L, FD 80-200mm/F4L, FD 50mm/F1.4を購入し、写真活動を再開しました。
東京湾岸の写真を本格的に撮り始めるのは、この翌年からです。
この時に写真を続けることを決めていなければ、その後の写真展もなかった訳で、私の人生も大きく変わっていたかもしれません。
尚、翌年の7月、北海道から紛失したカメラバックが届きました。初夏の摩周湖のけもの道を歩いていた人が見つけてくださったそうです。
摩周湖で一冬、大雪の中に埋もれていたことになります。
恐る恐るバックを開けたところ、普及版の一眼レフは内部までサビていて使い物になりませんでした。
しかしCanon F-1(1970年代発売の初代の機種)は修理したところ完動品として復活しました。今でも手元で動いています。Minolta CLEも同様に復活しました。
プロ用機材と普及用機材の違いは、こんなところにあるのでしょうね。
写真業界では、各社のカメラ用にレンズを作っているカメラレンズ専業メーカーがいます。
タムロンやトキナー、シグマ等というメーカーが有名で、各社とも個性的なレンズを提供しています。
しかし最近は別パターンも出てきました。
先月、東京ビックサイトで行われたPIE2007で、フィルターで有名なケンコーが「ケンコ-フィルム一眼レフカメラボディー:ニコンFマウント (仮称)」を発表しました。
既にコシナがライカやコンタックス、トプコン、M42等のレンズが付けられるカメラを出していますが、これを加速する動きですね。
機械式メタルフォーカルプレンで電池がなくても動き、アルミダイカスト+金属外装のボディーというのがいいですね。
平成19年夏からの発売だそうです。
林容子著「進化するアートマネージメント」を読んでいます。創作活動について、今まで私が持っていた問題意識が明確に書かれていて、大変興味深く読んでいます。
感じたことを引用しながらまとめてみました。
—(以下、引用)–
日本では「アーティストは好きな仕事をやっているのだから、貧乏でもしようがない」という声がよく聞かれる。…..つまり、アーティストという存在自体、アーティストの創作活動を「社会に不可欠の生産活動と見ていない」ということになる。
…..
ヨーロッパやアメリカではアーティストをtalented people (才能を与えられた人々)とみなし、尊敬の対象にしている。キリスト教的発想から、アーティストは才能(talent)を神より与えられた人であり、アーティストの存在を個人の問題ではなく、「人類の問題」として捉える歴史的視点である。欧米においてアートは個人の考えや個性を表現する重要な媒体であり、精神を解放し、自由にしていくものとしても捉えられている。
—(以上、引用)–
日本と欧米のアーティスト感の違いですが、これは痛感しています。
私の知り合いの写真家でも、日本では純粋な創作活動ができないため、海外で活動している人も多くいますし、国内で写真家を続けてきた人も「写真家になったのに、自分が本当に撮りたい写真が撮れない」ということで写真家を廃業した人も多くいます。
—(以下、引用)–
日本において、プロの芸術家あるいはプロのアーティストを定義しようとすると、それは「芸術創造活動で生計をたてている人」ということになろう。….それ以外のアーティストはアマチュアということになる。
….
アメリアのニューヨーク市は1971年から「芸術家証明書」なり公文書をプロの芸術家に発行している。….証明書の申請資格を有するものは、次の三つであると規定している。
1.商業的芸術ではなく、純粋芸術-すなわち絵画、彫刻、振り付け、映画、作曲その他を含むものの創作を、不断に進行させている個人。
2.自己の表現形態に真剣かつ不断に傾倒してきたことを証明できる個人。
3.現時点でも、その表現形態に専心、従事している個人。—(以上、引用)–
欧米では、どれだけ真剣に創作活動に携わっているかが問われていて、創作活動に伴う収入は関係ない点がポイントですね。
—(以下、引用)–
最近の傾向として、作品を商品化せず、真に自分の創作活動を行いたいがために、あえて一般の職業に就き、作品の創作・発表をする人が増えてる。
—(以上、引用)–
これはまさに私が提唱してきた「プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファー」ですね。
このような生き方が、現在の日本では現実的なアーティストとしての生き方なのでしょうね。
上記の欧米との違いを考慮すると、日本独自の芸術感なのでしょうか?
本日、国立新美術館で行われている「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005」を見てきました。
今回の展示では、フランスのジョルジュ・ポンピドー国立芸術センターが所有する20世紀初めから今日までの美術作品6万点の中から、パリで活躍した外国人作家の作品約200点を紹介しています。
特に1900年から1940年までのパリは、自国にはない自由で開かれた街に憧れた外国人芸術家が集まり、米国人評論家のハロルド・ローゼンバークが呼んだように「20世紀美術の実験室」でもありました。
今回展示されている作品は、ピカソ(スペイン)、シャガール(ロシア)、モディリアーニ(イタリア)、藤田嗣治(日本)、ブラッサイ(ハンガリー)、ウイリアム・クライン(アメリカ)、マンレイ等。まさに時代を代表する芸術家が集まり、お互いに切磋琢磨して高めあっていた様子が、伝わってきます。
作品を見ていて、田坂広志さんの「パリで画家が育つ理由」を思い出しました。まさに、本物の絵が、パリにはあふれているのですね。「パリで画家が育つ理由」はこちらにも掲載されています。
ここに、国境を越えて全世界の人々が分かち合えることができる新しい文化が生まれたことは、その後のグローバライゼーションの精神的なバックボーンになったのではないでしょうか?
ところで、今年1月21日にオープンした国立新美術館は、東京メトロ千代田線・乃木坂駅から直結しているという立地の良さにも関わらず、空間を贅沢に使った美術館でとても落ち着きます。カフェやショップは入場券がなくても入れるので、都内を散策している途中に立ち寄って休むにもいい場所かもしれません。
展示会は5月7日まで開催しています。アートに興味があって、まだ国立新美術館に行ったことのない方は、お立ち寄りになってはいかがでしょうか?