「カタコリ」という日本語を聞いて初めて欧米人は肩凝りを実感した、らしい

BRUTUS 2007/1/1*15合併号によると有名なエピソードらしいのですが、全く知りませんでした。

この号では、世界中でブームになっているジャパン・クールの特集をしていますが、ブラジル全体では指圧が大流行中だそうです。SHIATSUという言葉も、ジュージュツやアニメに続いて公用語になりつつあるとか。

欧米人が「肩凝り」を知らなかったとしたら、欧米市場で指圧市場の調査を行っても、何も結果が出なかった訳で、市場調査の限界を示していますね。

市場調査は既にあるニーズを定性的・定量的に把握するためには非常に有用ですが、まだ顕在化していないニーズは決して分かりません。

「カタコリ」という日本語を聞いて初めて欧米人は肩凝りを実感したように、このようなニーズを発掘するためには、そのニーズを何らかの形でお客様自身に気づいていただき、さらに実体験していただくことが必要になります。

さらに普及のためには「面白そうだし、まだ周りで誰もやってないし、クールだから、指圧をやってみよう」というユーザー層から、「怪しいモノだと思っていたけど、結構周りでも流行っているし、変な話も聞かないので、やってみようか?」というユーザー層に拡大することで、市場に定着する必要があります。

これは普及のための壁であるキャズムをいかに超えるか、という話ですね。前者のユーザー層はビジョナリー(Early Adapter)で、後者は実利主義者(Early Majoroity)になります。両者の行動原理は正反対なので、この壁をいかに越えるかがマーケティングの腕の見せ所でもあります。

かくいう私も、ちょっと肩凝りな人です。

創造性が育てられる最適環境

本日(2007/1/7)の日本経済新聞「私の履歴書」では、江崎玲於奈さんが同志社中学に入学する頃のことを書いています。

ちょうどこの頃、お父様の仕事が大恐慌のあおりで破産状態に追い込まれて余儀なく家を離れることになった状況で、お母様は子供達を育てることになりました。江崎さんを逞しく育ててくれたこのような貧しい環境について、江崎さんは以下のように語っています。

—(以下、引用)—

私は、"失敗は成功のもと"だと信じている。失敗すれば立ち直るべき活路を求めて、暗中模索、試行錯誤を繰り返すことになる。これこそ成功のもととなる創造性が育てられる最適環境なのである。同じ理屈で、"貧しさは豊かさのもと"といえるのではないか?

—(以上、引用)—

現在、失われた10年を通じて、多くの企業が経費を大きく削減しています。非常に限られたマーケティング予算で効果を求められているマーケティング担当者も多いでしょう。

月並みな言い方になってしまいますが、江崎さんが書かれているように、まさにこのような環境こそ知恵の出しどころだと思います。

実際、私が今まで行った中で一番効果があったマーケティング・プログラムは、非常に低予算で実施しました。

ほとんど予算がない中で、事業部の戦略に基づいて、対象セグメントを大きく絞って1000人程度のターゲットを抽出して何回もフィードバックをかけることで精度を上げ、バリュープロポジションを訴求するために関係する社内外のステークホルダーとWin-Winの関係を構築することで、大きな成果を上げることができました。

逆に、潤沢な予算があることは、もしかしたら必ずしもよいことではないかもしれませんね。

塩野七生さんのインタビューに、マーケティングの要諦を見る

本日(2007/1/4)の日本経済新聞に、塩野七生さんのインタビューが掲載されています。指導者としての政治家について語ったものですが、マーケティングの観点でも非常に示唆に富んでいますので、引用します。

—(以下、引用)—

マキアヴェッリは「民衆は抽象的な問いかけをされると間違える場合があるけれども、具体的に示されれば相当な程度に正確な判断を下す」と言っています。

—(以上、引用)—

「民衆」を「市場」や「潜在顧客」と読みかえれば、まさにマーケティング・コミュニケーションの要諦そのものですね。

—(以下、引用)—

ある政治家が「政治家は有権者のニーズをくみ上げて….」と言うから、私は「有権者は自分のニーズをはっきりと分かっていない。あなたはそれを喚起すればいい」と言ったのです。問題を指摘して、有権者が「そういわれればそうだ」と反応してくれれば勝ち。

—(以上、引用)—

これも同様で、「政治家」を「企業」、「有権者」を「市場」「潜在顧客」「ユーザー」と詠みかえれば、商品マーケティング戦略です。

—(以下、引用)—

私は一度だけ小泉さんにお会いしたことがあります。彼は私が書いた「マキアヴェッリ語録」の最後の「天国に行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである」という言葉が一番好きだと言いました。

—(以上、引用)—

常に最悪の事態と撤退戦略(exit strategy)を想定する、リスク管理の考え方ですね。

—(以下、引用)—

私は日本の政治家はテレビの使い方が変だと思います。テレビの前で話すときは、カメラの向こうに何千万人がいると考えるのではなく、たった一人を相手にしていると考えればいいのです。私は自分の本の読者は複数ではなく単数だと思っています。一人に分かってもらいたいという思いで書いている。そこを小泉さんは分かっていた。一億人を前にしていると思えば「俺は死んでもいい」なんて言えますか。

—(以上、引用)—

これも、マーケティングでは必要なことだと思います。マーケティング・コミュニケーションではマスで考え勝ちですが、ある具体的なお客様を想定し、そのお客様に語りかける、という方法がますます重要になっているように思います。

塩野七生さんは、「ローマ人の物語」全15巻の執筆に15年間を費やされました。大作ですが、読む価値は非常に大きいように感じました。

歳末にあたり、市場の流動性とパターン化を考える

11月から徐々に盛り上がってきたクリスマスの雰囲気も、12月26日にはすっかりなくなり、大晦日になりました。

これが1月1日になると、歳末気分も一掃されて、新年祝賀の雰囲気になります。正月に見るテレビにも新しいCMが多く目に付き、新しい年を迎えたことを実感します。

12月24日から1月1日まで、わずか9日間で、世の中の雰囲気がこれだけ二転三転する訳で、考えてみるとすごいことですね。

これは日本独自なのでしょうか?

日本人は、過去のことをすっぱり忘れる気質ですが、これは地震や台風、火事等の災害に多く見舞われながら、過去のことを引きずらずに立ち上がるということを繰り返しながら身に付けた気質である、という説もあります。

日本人のこの切り替えの早さは、マーケティングの観点で見ると、非常に流動性が高い市場を形成しているとも言えます。

一方で、年末にこれだけ切り替えが早くできる理由は、そのパターンがある程度ルーチン化しているからではないでしょうか?

確かに、クリスマスの後にいきなりお盆がきて、その後正月になる、なんてことはありえません。

笑点の最後には必ず大喜利が来て、水戸黄門では8時36分に由美かおるの入浴シーンがある、というお約束パターンが定番として定着する市場でもあります。

従って、市場に定着するためには、ある程度のパターン化も必要になります。

実際、消費者もその定番パターンを楽しんでいます。

例えば、クリスマスはケーキとシャンパンで祝い、大晦日には年越し蕎麦を食べて、正月はお屠蘇をいただいて初詣に行く、といった感じです。

間違っても、クリスマスは寿司と日本酒で祝い、大晦日にはパスタで年越しし、正月は七面鳥を食べてアラーにお祈りする、ということにはなりません。

従って、流動性が高いから、と言って、いきなり新しいモノを訴求しても、受け入れられるかどうかは未知数です。この辺りが、日本市場の難しいところかもしれません。

ちなみに、日本市場でこの新しいパターンを作って成功した例が、バレンタイン・デーです。

モロゾフが1936年2月12日に「バレンタインデーにチョコレート」という広告を出したのが最初で、1958年2月にメリーチョコレートが新宿・伊勢丹のバレンタインセールでチョコを発売し、翌年「女性から男性へ」ということでハート型チョコを発売したのがきっかけで徐々に浸透していったようです。

これが世の中に定着したのが1970年代ですので、新しいパターンが定着するのには時間がかかるということですね。

思い込みによるマーケティングは怖い

皆さん、「シニア・マーケティング」と聞いて、最初にどのように感じますか?

「お金と暇はありそう」
「介護関係のこと?」
「団塊世代だよね?」
「とりあえず字だけは大きくしておこうか」
「でも、実際は儲からないでしょ」

恥ずかしながら、私はこんな感じでした。皆様はいかがでしょうか?

昨日、株式会社シニアコミュニケーションの山崎社長の講演を伺いました。マーケティングの話として非常に勉強になりましたので、ちょっと長くなりますがご紹介します。

株式会社シニアコミュニケーション「シニアのことが世界で最もわかる会社」を目指して2000年5月に設立され、2005年12月にマザーズに上場した会社です。

1000社以上のクライアント企業へのシニア・マーケティングに関するサポートやコンサルティング、共同開発、投資などをビジネスとしています。

シニア・マーケットに対する市場調査を行う一方で、市場調査の限界も熟知しています。たとえば、市場調査では全体の方向感は分かりますが、細かい方向付けは指し示してくれません。実は、ビジネスではその細かい方向付けが大切な点です。この辺り、全く同感です。

そのため、シニアに直接アクセスできるように、シニアを対象としたメディアを作りました。例えば30万部でカラー印刷したフリーペーパーで、アルバイトを活用して百貨店等で50代以上に配布したそうです。このような様々なメディアを展開することで、シニアの実像を把握し、実践的なサポート力を付けています。

山崎社長のお話を聞いて痛感したのは、現実と数字を十分に理解した上でマーケティングを行う重要性さと、思い込みによるマーケティングの怖さです。

実際、冒頭に挙げたような先入観でシニア市場に商品やサービスをマーケティングし、うまくいっていないケースも多いようです。

いくつか例を挙げてご紹介します。

■■「倍化年数」という数字があります。総人口に対する65歳以上の高齢化率が7%から14%に上昇するのに要した時間で、高齢化社会に進むスピードの指標です。

米国の場合は、これは71年(1942→2013年)です。
これに対し、日本はわずか24年(1970年→1994年)でした。

世界の中で、まさに日本は高齢化社会の先頭を走っており、世界も日本に注目しています。

まさに先日のエントリーにもある「課題先進国日本」ですね。

ちなみに、韓国の倍化年数は20年(2000年→2020年)です。最近になって出生率が急激に低下している韓国では、日本を上回るペースで急激に追いかけています。実際、シニアコミュニケーションでも、韓国に現地法人を作ったところ引き合いが多いそうです。一人っ子政策を行った中国も、急な勢いで日本を追いかけてきます。

■■日本では2003年1月時点で成人人口の半数が50歳以上になりました。2025年には全人口の半数が50歳以上になります。

実は消費構造がガラっと変わるのが50代です。子供の独立、定年、趣味を始める、などが契機になります。

たとえば、肉を買うケースを考えてみると、
30代では、「うちの子供達はいっぱい食べるから、安い肉を沢山買おう」
50代では、「我々夫婦はあまり食べられないから、少なくてもいい肉を買おう」

となります。昔はこの30代的な伝統的家族が過半数でしたが、現代は少数派になっていますし、企業側も対応が必要になってきます。

■■60代のマーケットは「夫婦の距離感マーケット」とも言われ、「適度に距離を保とう」とします。これはリフォームで顕著に現れるそうです。

たとえば、なぜ夫婦別寝室なのか? 今まではリビングは妻のモノでした。定年後、夫がいつもリビングにいます。従って、妻として自分だけの居場所が欲しい。それが自分の寝室である、ということのようです。

夫が書斎を持つことに対して妻が寛容なのも、妻が自分の居場所を持ちたいという理由の裏返しのようです。(これは全体の傾向であり、夫婦別寝室は絶対駄目という夫婦ももちろんいます)

■■時間消費の意識:お金をかけても有意義にその時間を消費したい、ルーティンな家事などには時間は消費したくない、と考えます→これが自動皿洗い機がシニア世代に売れた大きな理由です

■■本物志向の意識:シニア世代は、「本当にそうだろうか」とまず疑ってかかります。たとえば、「これだけお金をかけているのだから高くなっているのだろう」と考え、マス広告には踊らされません。

これは、会社で50代後半の部長や役員等の諸先輩方を見ていると、よく分かりますね。確かにお客として考えると、一筋縄ではいかない人達ばかりです。

■■山崎社長によると、逆説的になりますが、『実は「シニア・マーケット」というものはない』とのこと。

これは「ヤング・マーケット」という概念が現代では役に立たないのと同様です。通常、我々が若者向き市場を考える場合は、「ヤング・マーケット」と一括りにするのではなく、市場をセグメント化して考えます。たとえば、アキバ系とか、サーファー系等です。

それがシニア・マーケットになった途端に、何故か「シニア」で一括りする傾向にあります。実はもっとセグメント化されている、というのが山崎社長の持論です。これは膨大な情報と経験に裏打ちされているからこそ言えることでもあると思います。

確かに、一筋縄で行かない人達が均質の市場を形成していることはありえないですね。

 

今回の話を伺って、改めてマーケットの現実を、生の声や数字で十分に理解してマーケティングを行う重要さ、理解しないで思い込みでマーケティングを行う怖さを実感した次第です。

ということで、最初の質問に戻りますが、シニア・マーケティングの第一印象、

「お金と暇はありそう」
「介護関係のこと?」
「団塊世代だよね?」
「とりあえず字だけは大きくしておこうか」
「でも、実際は儲からないでしょ」

約1時間の話を伺って私はだいぶ変わったのですが、皆様はいかがでしょうか?

ヒット作のロングテール化

昨日のエントリー「何故、ヒット商品の寡占化が進んでいるのか?」で紹介した記事に掲載されたヒット商品上位ランキング50のうち、名前を聞いたこともないのが結構あることに気が付きました。私の場合、10個近くあります。

以前でしたら、上位50は誰もが知っている商品であることが多かったのではないでしょうか?

ITmediaの記事「小さくなるヒット、伸びるロングテール」で書かれている内容も、同じ視点のように思います。

つまり、ヒット商品を生むメーカーが寡占化している一方で、ヒット作そのものはロングテール化している、ということなのですね。

これは、市場の細分化が急速に進んでいることと表裏一体でもあると思います。つまり、個人の個別ニーズに応え続けた結果、商品やヒット作が細分化され、ヒット作も小さくなり、結果として、ロングテール化が急速に進んでいる、ということなのでしょう。

そう言えば、昭和の頃は、国民の老若男女誰もが口ずさめる歌謡曲というものがありました。

年末に行われる紅白歌合戦は、そんな背景があり、歌手たちが集まってその年の流行った歌を歌い、家族はお茶の間に集まって今年1年をふり返り、1年を締め括るという意味合いもあったのではないかと思います。しかし、そのような曲に、いま、あまり出会うことがなくなってるような気もします。

紅白出場歌手を見ても、初出場の歌手はほとんど知らない歌手です。(さすがに今井美樹や徳永英明は分かりますが)

ただ、これは単に私がオジサンになった、というだけのことなのかもしれませんネ。

何故、ヒット商品の寡占化が進んでいるのか?

日経ビジネス 2006/12/11号で、「ヒット連打の新法則」という特集が掲載されています。

この記事によると、2006年ヒット商品ランキング上位50中、松下電器産業が5商品、キリンビール、シャープ、任天堂の3社が3商品を送り込んでいます。いわば、ヒット商品の寡占化です。

この記事ではヒット商品を生む企業に共通する要因を分析していますが、私自身は、ヒット商品を生むための組織作りを行っていることが、共通要因なのではないか、と感じました。

■■資生堂の「TSUBAKI」の場合。

「ブランドごとに研究開発から販売までを1人で全面的に管理するブランドマネージャーという役職を前田社長が新設」し、「同時に事業企画部という部署を新設」しました。事業企画部は「ブランドの枠を超えて全社最適を判断する。そのため、全社的な投資判断からブランドごとに割り当てられた予算を再分配する検眼まで与えられて」います。

これにより、定番商品の座を狙うために、発売から7ヵ月後に10億円以上と見られるキャンペーン費を投じて大攻勢をかけることができました。

■■松下電器産業の「フィルターお掃除ロボットエアコン」や、「ヒートポンプ式ななめドラム洗濯乾燥機」の場合。

両方とも成熟市場の代表格である白物家電ですが、前者はエアコンに掃除機の技術を、後者は洗濯機にエアコンの技術を、それぞれ組み込んでいます。

従来、事業部製の縦割り組織のため、事業部をまたぐ商品開発は非常に難しく、このような商品を開発するのは難しかったそうです。しかし、2001年の中村邦夫会長が進めた改革の結果、AVのパナソニック・ブランド、白物家電のナショナル・ブランドそれぞれでマーケティング本部制を作りました。この結果、各本部で横断的に商品開発を統括する体制が生まれ、これらの商品誕生に結び付いたそうです。

■■キリンビールの発泡酒「円熟」、ビール「一番搾り無濾過(生)」、及び第3のビール「のどこし(生)」の場合。

2001年、アサヒビールに首位を奪われ会社の危機を感じていた荒蒔会長は、「うまいものを作れ」「市場の要求に100%応えるだけの体制を組め」というたった2つの指示を出しました。

前者は当然のこととして、後者は「品切れを起こさない」ということに尽きます。

このため、流通の仕組みを徹底的に見直しました。問屋などに"押し込む"ノルマ営業は止め、正しく消費者ニーズをつかめるように、売り場の実数を本社で集約し、各部門で共有できる体制に移行しました。顧客の販売動向を反映したPOSデータをもとに、本社が立てた需要予測にのっとって工場は全体最適を考えた生産体制を敷き、物流は配送計画を作るようになりました。

 

それぞれに共通しているのは、開発部門、営業部門、又は単一事業部だけの努力でヒット商品を生んでいるのではなく、全社最適化を通じてヒット商品を生んでいる、という点です。

言い換えると、「縦割りの弊害」を克服し、「全社最適」を達成することで、顧客ニーズに応えているのです。

イノベーションを生むために必要な要因は、「オープンであること」「コラボレーションを進めること」「統合すること」「グローバルな取り組みを進めること」と言われています。これらの観点を持って、これらの事例を学んでみると面白いのではないでしょうか?

プロジェクトX等では、「全社方針に反対し、ある事業部の有志でこっそり開発していた技術がやっと陽の目を見て、大輪を咲かせ….」というようなロマンを感じさせる話がありましたが、フラット化が進む現代、ますますこのようプロジェクトの進め方は難しくなってきているのかもしれませんね。

むしろフラット化された現代、こっそり開発するのではなく、社内外に積極的にオープンにし、協力を集める方法がマッチしていると思います。

広告は、「芸のない」モノと、高度に洗練されたモノに、二極化していく

日経BP掲載の須田伸さんの「“芸のない広告”が求められているのかも」は、現代のマーケティング・コミュニケーションのあり方の一面を語っており、興味深い記事でした。

かつて、顧客が購買行動を起こすには、AIDA (Attention-注意⇒Interest-興味⇒Desire-欲求⇒Action-行動)というプロセスを経ると言われていました。

「広告は面白くなければならない」と言われていたのも、このAttention(注意)とInterest(興味)を獲得するためでした。

一方で、コンテンツ連動型広告では、このAとIのプロセスは、広告を掲載しているメディアが既に果たしています。

従って、コンテンツ連動型広告は、後半のDesire(欲求)とAction(行動)を促す役割を担います。凝ったart workはあまり必要なく、十分に練った簡潔なテキストの勝負になります。

私は個人的にコンテンツ連動型広告サービスを使うことがありますが、経験的に、凝った仕掛けやデザインは逆に「クリックというアクション」を遠ざけるように感じます。逆に、簡潔で分かり易い文章、どこに何のコンテンツがあるか分かり易いWebサイトを用意することで、成果が向上することが多いように思います。

では、広告は面白くなくてよいのか、というと、そんなことはありません。むしろ、高度に洗練されたものに進化していくのではないでしょうか?

須田さんは書籍「勝手に広告」を例に挙げておられますが、私がこのケースで思いつくのは、「LEON」「STORY」「VERY」等の雑誌です。

これらの雑誌は内容もゴージャスで非常にお金がかかっていますが、そのコストを考慮すると、雑誌そのものは考えられない位安価(600-800円程度)です。

このようなゴージャスな雑誌が安価に提供できるのも、メーカーとタイアップした結果です。

一方、読者もこの構図を無意識に分かっていて、雑誌編集部とメーカーがタイアップして提案してくるライフスタイルを確信犯的に楽しんでいるように思います。

須田さんは、

『今日の消費者は、情報の受け手として「あらゆる情報の中から自分にとって役立つ部分、楽しい部分だけを抽出して、それ以外は排除してしまう能力」いわゆる「メディアリテラシー」がどんどん進化しています。』

『「情報の受け手」としてのスキルが向上したわけです。 』

『その結果、今日の消費者はさまざまな広告の仕掛けをあっさりと見抜いてしまいます』

と述べておられますが、まさにその通りなのではないでしょうか?

関連リンク:なぜスティーブ・ジョブスは、顧客を熱狂させるのか?

冷蔵庫購入で、マーケティングを考えてみる

13年間、黙々と稼動し続けてきたウチの冷蔵庫が、ついにこの数週間、怪しい音を立て始めました。扉の隙間から冷気も漏れているような気もします。

そろそろ寿命のようなので、昨日、某家電量販店で冷蔵庫を購入しました。平日で休暇を取っていたため、じっくり選べました。もちろん、事前にネットの価格比較サイトや消費者コミュニティで事前調査していきました。

そこで、気がついたこと。

  • 「平日特価」というモノがある。平日の昼間に家電量販店に行かない私にとっては、結構新鮮でした。確かに、お客さんも少ないでしょうし店員さんの稼働率も低いと思いますので、平日に来てもらう動機付けにはなりそうですね。ただ実際、休日と比べてどの程度安くなっているかは分りませんが。

ここで、改めて「価格」というものの意味を考えさせられました。

平日に来ていた私は、どうしても「平日だから安い⇒今日、買わなければ」という意識が働きます。

ただ、実際に値段交渉してみると、休日と違いがあるようには思えません。「平日特価」とは、やはりお客さんに割安感を持ってもらうことが狙いなのでしょうか?

  • 「省エネ基準達成率」が年度によって変わっている。180%とか250%とかの達成基準値を示している機種が多かったのですが、お目当ての機種は平成18年度基準で80%でした。店員さんに質問したところ、今年度で達成基準の省エネ目標値が変わったそうです。まぁ、法で制定したものなので基準が変われば達成値も変わるものですが、ちょっと分かりづらいような気もします。
  • 同様に、消費電力の指標が変わっている。冷蔵庫を開けると、扉の裏に消費電力が書かれていますが、13年前のウチの現行機種は310リットルで28kWh/月。これが、購入した新型416リットルで600kWh/年 (= 50kWh/月)でした。冷蔵庫はここ10年で一ケタ省エネが進んだといわれていますので、数字が大きくなる筈がありません。最新のものは、06年新測定方法というものを基準にしているようです。この消費電力の基準値も変わったということでしょうね。

ということで、数字をマーケティング・メッセージで使う意味について考えさせられました。

数字を出す際には、当然メーカーはその基準を明示していますが、なかなか分かりづらいのも現実です。消費者マーケットだけでなく、法人マーケットにもそのようなケースが多いですね。(例えば、サーバー性能値を示すトランザクション処理能力等) 

消費者は、基準となるモノで変えられてしまう数字の大小には惑わされず、自分にとっての本来の価値を常に意識することを求められているように思います。ベンダー側に立場を変えて考えると、これはソリューション・マーケティングそのものですね。

  • 冷蔵庫の店頭展示品在庫処分の場合、寿命が数年短くなる。理由は、毎日頻繁に開け閉めするので扉のパッキンが疲労し、冷却効果が落ちるためだそうです。電源は入れていないのでモーター等は問題ないとのこと。ということで、展示品処分よりも正規品の方が5000円程高かったのですが、結局正規品を購入しました。

店員さんはなかなかこのような本当のことを教えてくれないことが多いように思います。その意味では、今回はいい店員さんに巡り合いました。

商品到着は明後日ですが、実際、どの程度消費電力が減るのか、確認したいと思います。

「よいもの」≠「人気なモノ」なのか?

昨晩、観にいったコンサートで、マーケティングの役割について少し考えさせられました。

■ ■ ■ ■

築地にある浜離宮・朝日ホールで、ロシアのピアニスト、アレキサンダー・コブリンのコンサートが行われました。

叙情的な、素晴らしい演奏でした。
演奏が終わっても拍手が鳴り止まず、アンコールは数えること5回。

普通、アンコールというのは5回も行わないのではないでしょうか? アンコールだけで、後半と同じ位の時間弾いていました。1曲弾き終わるたびに舞台袖に引っ込んではまた登場し、最後はちょっと笑っていましたが、全く手を抜かない演奏でした。

演奏会の後はCDのサイン会。家に既にあるのと同じCDをバックアップ用に買い、サインの間に「素晴らしい演奏会でした」と言ったところ「サンキュー」と答えてくれました。

■ ■ ■ ■

ただ、これだけ素晴らしいピアニストにも関わらず、あまり人気がありません。

定員500名の浜離宮・朝日ホールで、観客は半分ちょっとでした。

Googleで「コブリン」と検索すると、3番目と6番目は彼でない「コブリン」がヒットし、7番目に私が書いたこのエントリーが出ることからも、あまり世の中ではメジャーでないことが分かります。(2006/11/14現在)

しかし、色々な見方があると思いますが、素人である私から見ても、世の中でもてはやされている有名ピアニストと比べると、テクニック、表現力とも明らかに上だと思います。

■ ■ ■ ■

これは、

  • よいものが、必ずしも世の中で人気があるとは限らない
  • 逆も真なり。世の中で人気があるものが、必ずしもよいものとは限らない

ということなのでしょうか?

もしかしたら、後者についてはマーケティングが一役買ってしまっているのではないかと思ったりします。

私は、「過剰にお化粧すること」が本来のマーケティングの役割ではないと思います。
いかに真の姿が持つ価値を、その価値を求めているお客様に伝え、実現させるか、が、マーケティングに求められていることだと思います。

その前に、いかに真の姿があるべき価値を持つようにするか、ということも、マーケティングに求められる大切な役割なのではないでしょうか?

 

関連リンク:ロシアの天才ピアニスト、コブリン

 

学園祭が電車ジャック

電車の広告というのは、意外と強力なメディアです。

何しろ、満員電車等で一人で立っていると、本や雑誌等の読み物を持っていなければ、目に入るものと言えば、いつも見慣れた沿線風景を眺めるか、電車の広告を見る位しかない訳です。(物騒な世の中、乗客をジロジロ見るのも不審者っぽくてはばかられますし)

しかも、電車の中で過ごす時間は数十分程度ありますので、電車の広告は他の広告と比べて隅から隅まで精読される可能性が高くなります。

実際、電車広告専門の広告代理店も多くあります。

ただ、車内に掲載される広告は多種多様で、その中で目立たせることはなかなか難しいものがあります。

このような環境で大きく目立たせる方法が、広告貸切電車。全て同一の広告で埋め尽くされた電車に乗った経験がある方も多いと思いますが、あれです。

実は、今朝私が乗った電車が広告貸切電車でした。沿線にある某大学学園祭の広告で車内が埋め尽くされていました。ポップ調のデザインが目を引きました。

広告貸切電車はよく見ますが、学園祭のものは、今回初めてでした。面白い試みですね。広告貸切電車の料金は高いようですが、もしかしたら学園祭の時期だけということで期間を限定し安く仕上げているのかもしれません。

ただ、ちょっと残念だったのが、この学園祭が11月11日/12日開催だったこと。今日は11月13日です。

広告主が余分な日を契約する訳はないので、鉄道会社の広告差替タイミングが合っていなかったのかもしれませんね。

ブログ時代の広報 = 正直者がバカをみない世界

長く生きているとどうしてもウソを言わざるを得ない状況にも出会いますが、私はこのような状況でも、どうしてもウソをつけません。

まぁ多くの人がそうだと思いますし、「ウソをつくのが大好き」という人はあまりいないでしょうけれども。

■ ■ ■ ■

一方で、非常に稀ですが、世の中には平気でウソをつける人もいます。

ただ、よく観察してみるとこのような人達の行動にも一貫性があるようです。

「絶対、相手を傷つけたくない」とか「とにかく相手に自分をよく思われたい」という絶対基準が自分の中にあり、これを守るために結果的にウソをつく、という人もいるようです。(これが全てではなく、他のタイプもいると思いますが)

このような人達は、ウソをついたこと対して全く罪悪感がなく、むしろ「自分は敢えてウソをついてまで相手を傷つけなかった」という自己犠牲の気持ちを持っていることも多いようです。ある意味、他人と対立できないすごく優しい人達なのかもしれませんが、その場その場で相手によく聞こえるウソをついているので、他の当事者と情報を照らし合わせるとすぐにウソが分かってしまいます。

ウソをつくと、そのウソを裏付けるためにまたウソをつく。そのウソをさらにウソで上塗りし、上塗りしたウソを守るためにまたウソをつくことになります。そのうち、どれが本当なのか自分でも分からなくなってします。

■ ■ ■ ■

実は企業も同様で、「大切なお客様や株主、従業員に、とにかくよく思われたいし、守りたい」と近視眼的に考え、不祥事が起こることが多いような気がします。

このような不祥事で、お客様や株主、従業員が振り回されたり、ウソをついた当事者が自己犠牲の気持ちを持っていたりするのも、個人と同様です。情報を照らし合わせるとすぐにウソがばれたり、ウソをウソで上塗りして実際にどれが本当なのか分からなくなってしまうのも似ているような気がします。

このようなことを思いながら、ITmediaの記事「ブログ時代の“うわさ”対応広報術」を読みましたが、非常に共感しました。

  • 「広告であることを隠さず、透明性を保つことや、他媒体にない貴重な情報を提供すること、ユーザーからの反応には迅速に対応すること」
  • 「消費者を尊重し、信頼を裏切らない姿勢」

これは、現代の企業にとって極めて大切な姿勢になっていると思います。

■ ■ ■ ■

考えてみると、我々が個人として他人と接する場合には、相手を尊重し自分を偽らず信頼を裏切らないように行動する訳で、「ブログ時代の広報対応術」とは、企業が極めて常識的な行動倫理が求められているということに他ならないのではないでしょうか?

迅速な対応が必要となるのは企業にとっては大きな負担ですが、正直者であることがバカを見ない世の中になってきた、ということは非常に素晴らしいことだと思います。

脳の領域に入る「ニューロマーケティング」

モノを選ぶとき、人は実質的な便益で選ぶのでしょうか、ブランドで選ぶのでしょうか?

一概に答えが出ない問いですが、これに回答する試みとして、11/6の日本経済新聞「マーケティング新手法―消費者心理MRI分析」で、米ベイラー大学のリード・モンタギュー教授が行った実験が紹介されています。記事から一部抜粋します。

—(以下、記事より一部抜粋)—

コカ・コーラとペプシ・コーラそれぞれのファンを集め、好きな方を飲んでいるときの脳の活動をMRIで測定したところ、

  • コカ・コーラ好きの人の場合:ブランド名を教えた場合は脳の前頭葉や海馬が強く活動していた。伏せた場合はこの現象は起こらなかった。
  • ペプシ好きの人の場合:ブランド名がわかっても、わからなくても、活動はなかった。

という結果だった。モンタギュー教授は「ペプシ・ファンは味で製品を選び、コカ・コーラ・ファンはブランドの影響をより強く受けている。それだけコカ・コーラのブランドイメージが深く浸透している証し」と分析。

脳科学を販売戦略や製品開発に生かそうとする研究は「ニューロマーケティング」と呼ばれる。脳内を観察する技術の発達とともに、ここ数年で急速に注目を集めるようになった。

ホンダは、正面から見るとまるで怒った人の顔のようなデザインをしたバイクを開発、注目を集めた。人間の脳には特別に顔を認識する神経回路「顔ニューロン」があり、顔のようなものに敏感に反応する。これを利用し、正面衝突しそうな状況で、バイクが向かってくるのを相手の運転者にいち早く気づかせ、事故を防げないか――。こんな発想が開発のきっかけ。MRIで実験の結果、バイクを認識するのが〇・一―〇・二秒早まる効果が期待できる。

—(以上、記事より一部抜粋)—

現代のマーケティングは心理学の世界まで入ってきていますが、これがさらに進んで脳科学の領域まで入りつつある、ということでしょうか?

現時点で適用されているのは個人の反応に関する実証レベルですが、コンピューター処理能力の増大に伴い、今後これが個人の集まりである市場やマーケットに適用される可能性もあります。

バイクのデザインに適用して事故を防ぐ、という健全な応用はますます行うべきですが、集団に対する操作主義的応用に繋がらないようにしたいですね。

年末商戦、ムード高まる

この週末、近所のデパートに行ったら、もうクリスマスツリーが売られていました。

「まだ7週間もあるのに、ちょっと気が早いなぁ」と思いながらデパ地下に行ったら、各地名産おせち料理の予約コーナーが大きく陣取っていました。

ついこの前まで残暑でしたし、陽気がよい日はTシャツを着て外出するような気候ですが、年末気分を盛り上げようとしているようです。

もう年末商戦が始まっているのですね。

….と思っていたら、昨晩11時頃帰宅する際に、このデパート前を歩いていたら、大型のクリスマス・ツリー・イルミネーションの準備をしていました。

赤いnano、ピンクのデルタ航空、ピンクのキャンベルスープの共通点

アップルが発表した赤いiPOD nano
発表されて3週間が経過し、通勤途中でも見かけるようになりました。遠目にもクールなデザインですね。

通常のnanoと同じ価格ですが、売上のうち1台あたり10ドルが「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」(世界基金)に寄付されるそうです。

また、ブッシュ大統領が「10月は米国乳がん意識向上月間だ」と言って始まったピンクリボン活動のことが日経BPの記事「ピンク一色に染まる米国企業のなぜ」で紹介されています。

ピンク色のキャンベルスープとか、ピンク色のデルタ航空、ピンク色のレンズ付フィルム、等、新鮮で美しいデザインで、見ているだけでも楽しめます。

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このようなマーケティング手法はCause-Related Marketingと呼ばれるそうです。日本では「コーズマーケティング」と呼ばれています。

恥ずかしながら初めて聞く言葉なので、調べてみました。

これは、企業が自社の財・サービスの販売を通じて、社会的大義(=Cause,コーズ)を同じくするNPO等市民活動団体の資金調達を支援するマーケティングです。詳しくはこちらに説明があります。

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商品の差別化が難しい現代、コーズマーケティングは消費者に「その商品を選択する大きな理由」を提供することで、企業は売上を拡大し、その収益の一部は慈善活動に提供され、消費者も社会貢献という満足を得られます。三方一両得です。

このように慈善活動で企業側が収益を上げることについては、日本では例えば「慈善活動で利益を計上するとは何事だ」といったように、違和感を感じる面もあるかもしれません。

しかし、記事を見る限り、米国では慈善事業に対する実質的な見返りがあることを評価している慈善団体も多いようです。非常に現実的ですね。

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現時点では日本ではまだそれ程一般化していませんが、将来的に「コーズマーケティング」が世の中一般に普及してくると、慈善活動団体は大企業から大きな活動資金を日常的に得られるようになるかもしれません。

逆に「コーズマーケティング」を行っていない企業にとっては、そのことが逆に「その商品を選択しない大きな理由」を消費者に提供することになりかねません。

ただ、現在様々な分野に普及しているポイントカードシステムやマイレッジ・プログラムのように、あまりに多くの企業が同じことをやると、逆に企業の収益を圧迫する可能性もあります。

信念が問われるのは、このような状況になった時でも、続けるかどうか、ということかもしれません。差別化の手段と考えてはいけないということなのでしょうね。

個人的には、コーズマーケティングがごく当り前のことになる世の中は、なかなか素敵だなぁ、と思います。

プロダクト・アウトは悪なのか?

先日のエントリー「顧客満足度を高めれば、必ず売上があがるのか?」でも書きましたが、現在、顧客中心主義がまっさかりです。

このような状況の中で、「プロダクト・アウト思考は捨てて、全てマーケット・インに転換するべし」との意見が見受けられ、巷ではプロダクト・アウト的な考え方はまるで悪のように扱われてしまう面があります。

確かに、お客様を中心に考えることは非常に大切なことです。

しかし、「プロダクト・アウトは悪である」という考え方は、物事を単純化し過ぎていないでしょうか?

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昨晩のNHKの番組「プロフェッショナル」で、玩具企画開発の横井昭裕さんの仕事を特集していました。放送された概要はこちらにあります。

この番組で、プロダクトアウトと顧客中心主義を考える際のヒントがありました。

横井さんの会社は、10年前、世界中で4000万個を売ったあの「たまごっち」を開発したことで有名です。

あるとき、営業からお客さんの要望として、「たまごっちに一時停止ボタンをつけて欲しい」という要望があったそうです。

確かに、手が放せない状態の時に世話をしなければならないのは、ユーザーからするとかなり困る話なので、真っ当な要望です。

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これに対して、横井さんは、「そもそも、飼い主の言うことをきかないのがペットだ」として、「世話をする面倒くささ」という当初のコンセプトを貫き、一時停止ボタンは入れませんでした。

そう言えば、たまごっちが流行っていた頃、某TV番組に出ていたTVタレント(確かビビアン・スー)が話している途中に「あ、ちょっと待って。今たまごっちにエサをやらなきゃ」と言ってたまごっちにエサをやっていましたね。ただ、もしかしたら、これは台本に書いてある通りなのかもしれませんが。

たまごっちが爆発的ヒットになったのも、このコンセプトを貫いたからではないでしょうか?

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お客様を中心に考えることは大切ですが、全てお客様の言う通りに行うことが正しいとは限りません。

カルロス・ゴーンも、「5年後の車について消費者は答えを持たない」と語っています。

お客様に対して、お客様が気が付かなかった新しい商品やサービスを提案することは、企業の責任でもあります。このためには、商品やサービスに拘り続けることも必要なのではないでしょうか?

忘れてはいけないことは、商品やサービスを中心に考えてはいけない、ということでしょう。商品やサービスに拘り続ける視点の先に、常にお客様の姿を見ているかどうか、が大切なのではないでしょうか?

商品やサービスに拘り続けることが、顧客中心主義に繋がるのではないかと思います。

孫さんの周到なマーケティング戦略

既に何人かのAlternativeBlogerの方々が書かれていますが、ソフトバンクモバイルの昨日の発表は、「価格戦略」がマーケティング上非常に重要な要素であることを改めて認識させてくれました。

もちろん単純な価格戦略ではなく、サービス内容と機種のラインアップ(Product-商品)、販売店戦略(Place-チャネル)、販売促進戦略(Promotion-プロモーション)等のマーケティングミックスと一体化されてこそ、相乗効果が出ることは言うまでもありません。

実際、MNPが始まる24日ではなく26日にサービスをスタートする理由として、孫さんは、

—-(以下、ITmedia記事から引用)—

「本件は、販売店にも営業にも言っておらず、ごく一部の役員と関係者しか知らなかった。今、同じ時間に“決起大会”という形で並行して販売店への説明をしている。従業員の教育や、ポップやチラシなど店舗の準備を進めるにも、2日くらいは必要だろう。テレビ局へコマーシャルフィルムを納めたのも今。明日、明後日は準備期間だと思ってほしい」

—-(以上、ITmedia記事から引用)—

と言っています。

2日間という極めて短い時間で、販売店へのスキルトランスファー、販促展開、宣伝等が行えるように準備を進めてきた周到さは素晴らしいですね。さらに、それだけの準備を進めながら緘口令が徹底できたことも、孫さんならでは、ということでしょうか?

昨日から明日にかけて、ソフトバンクモバイルの人達は準備に追われていらっしゃることと思います。

この孫さんのリーダーシップとスピードこそが、現在のソフトバンクの強さの源泉なのでしょうね。

さらに、MNP前日という絶好のタイミングを狙って発表したのも特筆すべきと思います。現代では、マーケティングミックスの4Pに、時間(Point of time)を加えてもいいかもしれません。

日本一売る人達の、いい顔

「日本一のセールスマン」と聞いて、あなたはどんな人を想像しますか?体育会系の押しの強い人とか、この道一筋xx年という人とかを真っ先に考えるのではないでしょうか?

実際は、かなり違うようです。

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日経ビジネス2006/10/23号の特集「日本一売る!逆風を商機に変えた人たち」で、各業界の日本一のセールスが写真つきで合計18人登場しています。プロフィールは下記の通りです。

●ベンツ販売(ヤナセ、34歳男性)
●機内販売(日本航空、40歳女性)
●薄型テレビ販売(ビックカメラ、20歳女性)
●タクシー運転手(中堅タクシー、43歳男性)
●旅行販売(JTB、35歳女性)
●マンション販売(大京、37歳男性)
●投資信託販売(日本郵政公社、42歳男性)
●東京ドームビール売り(21歳女性)
●試食販売(日本ハム関東エスピー、45歳女性)
●シューズ販売(ライトオン、24歳女性)
●社葬販売(公益社、39歳男性)
●飲食業界店員(グローバルダイニング、25歳女性)
●化粧品販売(カネボウ化粧品販売、36歳女性)
●同人誌販売(同人誌販売会社、34歳男性)
●生命保険(明治安田生命、67歳女性)
●婦人靴(伊勢丹、51歳女性)
●通信販売(ジャパネットたかた社長)
●ヤクルト販売(群馬ヤクルト販売、39歳女性)

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詳しくは記事をご覧いただければと思いますが、「例え石ころでもお客に売ってみせる!!」といったタイプの凄腕セールスマンは皆無です。

実際、最初はお客様に声をかけられなかった、という人もいるようです。

また経験値は必ずしも必須ではありません。実際、「薄型テレビ販売日本一」は経験2年半の20歳の女性です。「平均で平日は10台。土日は20台」売っているとのこと。

記事を読んで感じたのは、実直でひたすら努力する人が多いということです。

営業の基本は、お客様を理解すること。言うまでもなく当り前のことですが、この18人に共通するのは、この当り前のことを単なる精神論で終わらせずに、「お客様をどのように理解するか?」「理解したお客様に対して、何をして差し上げるか?」を、自分の目の前のお客様に対して必死に実践している点です。

ちょっとした差が、大きな差になっていると感じます。

また、記事を読む限り、この18人には「競合と差別化するために、何をするか」といった視点はありません。愚直にお客様のことだけを徹底的に考え、愚直に実行している姿がそこにあります。

■ ■ ■ ■

新原浩朗著「日本の優秀企業研究」でも、日本の優秀企業の条件は、「自分たちが分かる事業を、やたら広げずに、愚直に、まじめに自分たちの頭できちんと考え抜き、情熱をもって取り組んでいる企業」としています。

共通したものがあります。これが日本人の成功パターンなのかもしれませんね。

しかし、みんな本当にいい顔をしています。

日本一になるのは、単なるテクニックではなく、全人格な深い「思い」がそこにあるためなのではないでしょうか?

記事を読んでいて、何故か、ジーンと来ました。

顧客満足度を高めれば、必ず売上があがるのか?

CRM関係者の間では有名な「ジョン・グッドマンの法則」という法則があります。

顧客窓口部門での対応が、いかに再購入率に結び付くかを研究したものです。具体的には、

  • 商品・サービスの不満情報は、満足情報の2倍の量で伝達されていく
  • 苦情を言った客がその後満足すると、80%以上が再購入する。これは、苦情を言わなかった客の再購入率60%よりも高い
  • 一方で、苦情を言った客が企業の対応に不満を抱くと、再購入率はゼロになる。

ことほどさように、コンタクト・センターでの対応品質は、企業の収益に直接影響します。これは、多くの業界で普遍的なものです。

一方で、顧客満足度を高めればそれだけでよいか、というと、必ずしもそうではないケースもあります。

例えば、数年前に顧客満足度が業界で最高だった米国のあるメーカーは、業績不振に陥りました。コンタクトセンターでのサポート品質は極めてよかったのですが、逆に過剰なサポートコストが利益を圧迫し、かつ、顧客満足を売上・利益に結び付ける仕組みができていなかったためです。

巷では、「顧客満足度を高めれば売り上げも必ず上がる」「これは疑いようもない真理である」というメッセージを、割と見かけます。

確かに顧客満足は極めて大切であることは全く同感です。

しかし、顧客満足だけを徹底的に高めれば、他のことは忘れても売上は上がる、というような単純なものではないと思います。

全体での最適化を考えて、顧客満足をいかにビジネスに結び付ける仕組み(=ビジネスモデルやビジネスデザイン)を作るかが大切なのではないでしょうか?

メッセージのエッセンスを抽出して単純化することは、マーケティング上重要です。しかし、このような行き過ぎたメッセージにより、本来は素晴らしいものであるCRMの概念の大切な「何か」が欠落してしまうことを危惧します。

欧米ではコペルニクス的転回だった顧客志向への転換。日本では!?

企業の考え方が「はじめに製品ありき」から「はじめに顧客ありき」へシフトするようになったのは、セオドア・レビット教授が1960年に「マーケティング・マイオピア(近視眼)」という考え方を主張したことがきっかけです。

もう46年も前なのですね。ただ、実際に多くの欧米企業が顧客志向に大きくシフトし始めるのに20年程必要でした。

モノつくり絶対主義という自己中心の世界から、顧客満足追求へのシフトは、当時「コペルニクス的転回」であったようです。

この背景には、昔は需要が供給を上回っていたので生産志向で行けばよかったのに対して、世の中が豊かになり供給が需要を上回ったので需要サイドを考慮した顧客志向にならざるを得なかった、という見方もあります。

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しかし、日本人の視点では、「はじめに顧客ありき」という考え方は当り前のように思えます。これは物資が少なかった昔も同様だったのではないでしょうか?

実際「お客様は神様です」という言葉もありますし。

松下幸之助翁が「水道哲学」を考えたのも昭和7年のこと。顧客中心的発想がなければ辿り着けない考え方です。

むしろ、「はじめに顧客ありき」をコペルニクス的転回と受け止める欧米的な考え方に、何となく違和感を感じてしまいます。

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以前のエントリー、「なぜ日本人は一生懸命働くのか?」でも書いたように、日本人は「お客様のために」からさらにレベルアップして「世の中のために」という意識が強いような気がします。

我々日本人の精神の中には、顧客中心主義は根付いているのではないでしょうか?

日本にいる時はあまり意識しないのですが、確かに海外から帰国して国内の店等に行くと、客に対する日本人の心配りのきめ細かさについて、認識を新たにします。海外では、あくまでサービスを提供する側と顧客は対等であるように思います。

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一方で、顧客中心主義の重要性を認識し始めた欧米では、CRMのように仕組みでそれに対応しようと試みています。

顧客中心主義が精神に根付いている日本。
もう一方で、顧客中心主義の重要性に気付き、CRMという仕組みでこれに対応しようとしている欧米。

実際には、このような単純な二元論で割り切れるものではないと思いますが、世の中がますます多様化していく中で、お互いのよさを学びあうことで、さらなるイノベーションを促進することが出来るのではないでしょうか?

関連リンク:1/4インチ・ドリルとソリューション・マーケティング

価格戦略とコストを混同する間違い

「価格競争が激しいので、低コスト構造に変えて競争に打ち勝たなければならない」という議論をよく見かけます。

これは正しいでしょうか?

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価格とコストに対する考え方の違いについて、ソフトバンクモバイルの松本副社長がITmediaの記事「携帯電話ビジネスのプロは、なぜソフトバンクに移ったのか──ソフトバンクモバイル松本氏に聞く(前編)」で明快に語っておられますので、ご紹介します。

–(以下、引用)—

  • (私の)ソフトバンクモバイルでの最大の使命は、ネットワーク、端末、サービスのすべてでローコストかつ高品質なものを提供できる体制を作ることです
  • 他社やユーザーはいま、ソフトバンクモバイルが価格競争を仕掛けるんじゃないかと固唾を飲んで見ていると思いますが、価格とコストは違いますね。価格は政策であり、コストは事実です。前者は取るべき戦略によってはコストを下回ることもあるし、利益を取ることもある。これは経営であり、マーケティングです。ここに私は関与しません
  • コストを下げるための努力をしっかりとしていれば、経営戦略の幅が持てます。ですから私は、ソフトバンクモバイル全体に高品質なものをローコストで実現する環境を作っていきます

–(以上、引用)—

松本副社長はまた、日本の携帯電話メーカーが世界のプレーヤーになり、量産効果により高品質・ローコストを実現して欲しい、という思いも語っています。

■ ■ ■ ■

松本副社長も語っているように、価格とコストは本来別個に考えるべきものです。

価格競争が激化している状況への対応方法は、単純に低価格化だけではありません。付加価値を上げる方法、別セグメントにフォーカスする方法、市場から撤退する方法、等、他にも選択肢はあります。

これとは別に、低コスト化は企業努力として常に継続して行っていく必要があります。

往々にして、両者をリンクし、場合によっては一緒にして考え勝ちですが、松本副社長のインタビューは、両者を分けて考えていく重要性を指摘されていると思います。

価格はマーケティング戦略によって決まるものとすれば、コスト構造は経営の土台を支えるもの、と考えると、分かりやすいかもしれません。

■ ■ ■ ■

話は変わりますが、同記事で松本副社長は、携帯電話ビジネスのプロの目から見たソフトバンクモバイルについて、

  • それはもうカオスですよ。混沌のさなかにあります。しかし、よいものや新しいものは混沌の中から生まれるというのも事実でしょう。決まり切ったものの中からは、大きな革新は生まれない。ただ、これまで社風の違う会社同士が融合したわけですから、異なる文化がまとまるのが大変なのは確かでしょう

と語っておられます。

これはまさに複雑系の思想で言うところの、「カオスの縁で自己組織化が始まり、飛躍が生まれる」ことを語っています。

翻って我々自身に当てはめると、「何もかも決まっていない」「もう、グチャグチャ」という状況は、まさに大きく飛躍するためのチャンスと考えたいですね。

ワイン試飲コーナーで見た、営業の真髄

ワイン試飲コーナーのお話し、シリーズ化した感もありますが、続編です。

この週末、件のワイン試飲コーナーに行きました。妻が担当している企画でお客様にワインを出すことになっているのですが、この試飲コーナー担当の方がワインセレクションの案を作って下さったとの連絡をいただき、出かけました。

一本2000-3000円程度のワインを8本程度なので、それ程高い買い物ではないのですが、用意していただいた案を見て驚きました。

十数種類のワインを組み合わせて、3つの案が分かり易く表形式にまとめられています。しかも、これらのワインの産地、品種、ヴィンテージ、造り手、ラベル、コメントが写真付きでまとめられています。

これを作るだけでも、かなりの時間と手間が掛かっている筈。感激してしまいました。

この案について色々とお話しているうちにまた試飲させていただいたのですが、その傍らで、この担当の方のお得意さんが次々とこのコーナーに立ち寄ってワインを買っていきます。

その中の一人で、ある女性が1700円のドイツワインを1本買おうとしていました。

このコーナーの担当の方は、「来週から1990円ですよ」と説明。「じゃあ2本買うわ」ということで、このお客さんがもう1本手に取ったところ、「3本で2割引ですよ」との説明。「じゃあ3本」ということで、結局このお客さんは3本購入しました。

ワインを3本手に持ちながら、このお客さんは私達にこのワインがいかに美味しいか、いかにお買い得か、嬉しそうに説明してくれます。なんでもお子さんがこのワインが大好きだとか。

周りには試飲コーナーが数箇所ありますが、この担当の方のコーナーには常にお得意さんが立ち寄って、次々とワインを買って行きます。

曰く、

「だって、私、ワインが大好きですから」

単にワインを売っているのではなく、ワインの楽しみを伝えているのですね。

嬉しそうなお客さんの顔を見ながら、営業の真髄はこんなところにあるのではないか、と思いました。

関連リンク:
ワイン試飲コーナーで考える、顧客中心主義のあり方
「そこまでやるか!?」18,000円のワインの試飲

ダイアモンドIXY、eBay出品中

恒例のフォトキナ2006がケルンで開催中ですが、報道関係者向けイベント「プレスカクテル」で、キヤノンヨーロッパがダイヤモンドIXY「Digital IXUS Diamond Edition」をお披露目したそうです。

IXUS(日本名:IXY)の10周年を記念し、IXY DIGITAL 80をベースに、10個のダイヤモンドをボディに埋め込んでいます。

詳しくはこちらの記事をご覧下さい。

マーケティング的に、なかなかやるなぁ、と思ったのは、eBayのチャリティーオークションに出品中で、収益金は赤十字に寄付する、ということです。

ちなみに、eBayで検索すると、こんなのが出ていました。日本時間2006/9/27 12:00時点で1,500-1,800ドルですね。

単にこういう特別なカメラを見せて話題作りを狙うに留まらず、欲しい人がその気になれば主体的に参加できる仕組みを作るあたり、さすがですね。

ちなみに、「Super Diamond IXUS」というのもあって、こちらはダイアモンド350個、コストは4万ユーロ(約600万円)。残念ながら非売品とのことです。

「ミリオネーゼ」

「シロガネーゼ」「アザミネーゼ」は聞いたことがありましたが、「ミリオネーゼ」は初めて聞く言葉でした。

9月20日の日経流通新聞で、この「ミリオネーゼ」のことが特集されています。

月収100万円が転じて、「年収1000万円以上あり、経済的に自立してバリバリ働き、恋も遊びも楽しむおしゃれな女性」のことを差す言葉だそうです。起業家や外資系企業勤めが多いとのこと。

ちなみに、出版社のディスカヴァー・トゥエンティワンが商標登録しているそうです。

以下は記事からの抜粋です。

  • 月々の生活費以外で「最も優先的に」お金を使う対象として多かった答えは外食、衣料品、次いで同率で美容と旅行
  • 別荘やリゾートホテル保有率は15.2%で、購入予定と将来保有したい層を合わせると40%が前向き。一般層の約85%が「保有の意志や計画なし」としたのと対照的。細かく見ると、1000-1200万円の保有率は8.0%に対して、2000万円超の保有率は46.2%。同じミリオネーゼでも、後者は富裕層
  • 家事代行サービスを利用しているのは13.1%、1年以内に利用を始める層を含めると2割近く。一般層は1.4%とのことで、時間を作るための外注を必要コストと見る傾向
  • インタビュー調査によると、ミリオネーゼのお気に入りは….
    コンシェルジェ常駐マンション、地球人倶楽部、My Taxi、TSUTAYA TOKYO ROPPONGI、セレヴィーナ、ミニメイド・サービス、アルファリゾートトマム ガレリア・タワースイートホテル、新興国投資、ジェオグラフィカ、カロリーメイト、バレンシアガ、amazon.co.uk、BADOIT(バドワ)、ジュリークのローズシリーズ、ラ・フラーム、アムールスパ、クリーニング・カラキヤ、J.M.ウェストン、YOKO D’OR(ヨーコドール)、ライフリトル、がんこ高瀬川二条苑

ちなみに、私が知っているのは、「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」と「カロリーメイト」の二つだけでした。(^^;

これは新しい市場セグメントですね。

最先端市場ということで、ミリオネーゼ市場で人気が出た商品やサービスが、コモディティ化して世の中に広がっていく流れも考えられます。(さすがに別荘がコモディティ化するのは難しいかもしれませんが)

その観点では、テスト市場として考えても、面白いかもしれませんね。

75%の人は、合理的に損得勘定できない

あなたは、買った住宅や家がズルズルと値段を下げている場合、損が出るのを承知でスパっと売却するタイプですか? 又は、「今売ると損が出るし、いつか上がるから、しばらく持っておこう」と判断を保留するタイプですか?

よくある状況ですが、このような場合に人間はどのように反応するかということは実は研究対象になっていて、「プロスペクト理論」という名前が付いています。

■ ■ ■ ■

例を挙げて考えてみましょう。

例1: 報酬をもらうことになりました。Aは確実に800万円もらえます。Bは1000万円もらえますが、くじ引きにより15%の可能性でゼロになります。あなたはどちらを選びますか?

例2: お金を支払うことになりました。Cは800万円必ず支払うことになります。Dは1000万円支払いますが、クジ引きにより15%の確率で支払わないですみます。あなたはどちらを選びますか?

調査によれば例1では全体の72%がAを選び、例2では78%がDを選んだそうです。

実は、期待収益(又は期待損失)を計算すると、Aは+800万円、Bは+850万円、Cは-800万円、Dは-850万円です。合理的に判断すると、例1ではBの方が得で、例2ではCの方がより少ない損失に抑えられます。つまり全体の3/4の人は、合理的な判断を行っていないことが分かります。

ここから分かることは、人は何かを得る際にはリスクを嫌い、何かを失う場合にはリスクを取る傾向にある、ということです。

■ ■ ■ ■

売り手と買い手の力関係で、一般的に買い手有利になるのも、これが一つの理由となっています。

人はものを「買う」(お金を失う)場合はリスクを取るようになり、例え値段が上下する状況でも時間をかけて積極的な交渉をして大きな値引きを勝ち取ろうとします。

一方で売り手(お金を得る)の場合はリスクを回避するようになり、将来的に値段が上下する可能性があってもなるべく現在の価格で交渉をまとめようとします。

同様に、企業が利益が上がっていない事業からなかなか撤退できないのも、同じ心理が働いている要因が大きいのです。

プロモーション戦略や撤退戦略を立てる際、このことを理解しておくと非常に役立ちます。

冒頭の投資などで損切り出来ないのも同じ理屈です。

「認知的不協和」を紹介したこちらのエントリーで述べましたように、首尾一貫して「自分は正しい」と思いたい人間の性質はここでも出ています。

■ ■ ■ ■

マクロ経済学では、個々の人間は合理的判断を行う存在、という前提で理論が構成されてきました。しかし近年、これが見直されてきています。経済学や経営の世界に心理学が入ってきたのも、必然かもしれません。

ところで、株式投資で大きな評価損を出している株を抱えていて、売却すべきかどうか悩んでいる場合、よく言われるのは「今、その株を持っていない状況で、新たに現在の価格でその株を買うとして、私は買うかどうか?」という基準があります。これは、我々がプロスペクト理論の呪縛から逃れる一つの方法でもあります。

ちなみに、冒頭の質問ですが、かくいう私も前者のケースが多く、75%の中に分類されるようです。

非常に怖いバリュー・プロポジションの誤解

以前、こちらのエントリーでバリュー・プロポジションの考え方についてご紹介しました。

特に法人営業ではバリュー・プロポジションは極めて重要です。バリュー・プロポジションを誤解すると、ビジネス上の必死な努力が無駄になりかねません。

■ ■ ■ ■

Harvard Business Review 2006年10月号で「最強の営業力」という特集を組んでいますが、この中の論文「法人営業は提案力で決まる – バリュー・プロポジションへの共感を促す」で、この点について非常に的確に指摘した事例が出ていましたのでご紹介します。

*** 以下、HBR 2006/10 p.120から引用 ****

  • ある特殊樹脂メーカーの事例。価格は少々割高だが、厳しい環境基準を満たし、かつ高い性能を維持した新しい化学樹脂を開発
  • しかし試用した塗料メーカーの反応は意外にも冷ややか。規制で求められない限り、塗料の種類を変えることはないという。
  • 盲点を突かれた樹脂メーカーは顧客価値調査に乗り出した。建築塗装業者にフォーカス・グループや実地試験を実施し、データを収集した。
  • この結果、バリュー・プロポジションに関するヒントをいくつか得た。特に注目すべきは、塗料が塗装業者のコストに占める割合はわずか15%だったこと。かたや人件費はコストの大半を占めていた。
  • そこで、塗料によって塗装業者の生産性が向上する、例えば乾燥時間が短く、8時間で二度塗りできるならば、割高でも売れるだろうという(仮説を立てた)
  • また、顧客ニーズをくまなく調べて見直した結果、環境基準は重要とはいえ、コアとなるものではなかった
  • 新しいバリュー・プロポジションは「この新しい化学樹脂を用いた建築塗料は塗膜が厚い。また一日に二度塗りできるため、生産性が高い。なおかつ、環境基準も満たしている」
  • このバリュー・プロポジションは塗装業者の反響を呼び、価格を標準的な製品の4割増しに設定できた。

****以上、引用*****

想定していたバリュー・プロポジションと実際のバリュー・プロポジションのミスマッチは、特に市場が大きく変わっている場合に起こり易いものです。お客様のニーズが大きく変わっているからです。

特に、近年の様々な市場でコモディティ化の流れが進展しています。クレイトン・クリステンセンが「イノベーションのジレンマ」で指摘していた「破壊的技術」も様々な分野で起こっています。

■ ■ ■ ■

このような場合、数年前までのバリュー・プロポジションを想定してマーケティングを実施しても、全く成果が上がらないばかりか、逆に市場にネガティブ・イメージを与えることになりかねません。

一方でベンダー側では、「これだけ製品力があるのにおかしい。努力が足りないせいだ」と考え、さらに努力を重ねることになります。

実際にセールスがお客様に会って説明すると、お客様は納得される場合もあります。しかし実際に起こっていることは、当初想定していたバリュー・プロポジションをベンダー側がじっくり説明しているうちに、お客様ご自身がベンダーのメッセージを自分の価値に翻訳していることだったりします。

しかしながらこれを以って、「このようなメッセージ(=当初想定していたバリュー・プロポジション)を受け入れるお客様は他にも沢山いる筈。我々の努力が不足しているのだ」と考え、当初想定していたバリュー・プロポジションは変えずに、さらに努力を重ねることも、往々にして発生します。

■ ■ ■ ■

マーケティングに際しては、バリュー・プロポジションがいかに分かり易くお客様に受け容れられるかがカギなので、もし当初想定していたバリュー・プロポジションが受け容れられない場合は、再度見直しを行う必要があります。

引用の中で述べられている「フォーカス・グループ」とは、そのようなアプローチの一つです。バリュー・プロポジションがお客様にどのように受け止められるか、実際に何組かのユーザーに集まっていただき、実際にインタビューを実施するものです。

ここでは、予め立てておいた複数の仮説シナリオ(=バリュー・プロポジション)を、実際のユーザーを対象に検証することで、より効果的なバリュー・プロポジションを見つけ、検証していくことになります。

企業の製品プロモーションにかける多大なワークロードが見返りあるものかどうかを決める際に、当初のバリュー・プロポジションが妥当性が与える影響は非常に大きいものがあります。

ある程度の手間は惜しまずに、じっくり考えていきたいものです。

お印=ブランド?

皇室系の話題はAlternativeBlogでは何故かタブーの感がありますが、ちょっと気になったので書きます。

新宮さまのお名前が「悠仁親王」、お印は「高野槇(コウヤマキ)」になった、との発表がありました。

ところで、「お印」という言葉、私は浅学にして知りませんでした。ちなみに、これは「おいん」と読むのではなく、「おしるし」と読むそうです。

で、調べてみました。

「お印」とは、皇族の方々が自分の名前の代わりに身の回りのものにつける印章だそうです。植物が多いとか。

ちなみに、現在の皇族の方々のお印は、次の通りになっています。

天皇陛下:榮(えい)
皇后陛下:白樺(しらかば)
皇太子殿下:梓(あずさ)
皇太子妃殿下(雅子様):ハマナス
皇太子同妃両殿下お子様(愛子様):ゴヨウツツジ
秋篠宮文仁親王殿下:栂(つが)
秋篠宮仁親王妃紀子殿下(紀子様):檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)
秋篠宮文仁親王殿下お子様(眞子様):木香茨(もっこうばら)
秋篠宮文仁親王殿下お子様(佳子様):ゆうな
清子内親王殿下(清子様):未草(ひつじぐさ)
(ご結婚により皇族の身分を離れられました)

例えば、清子様が結婚された際、結婚式の引き出物のお菓子入れには、黒田家の家紋と清子様の未草のお印が付いていたそうです。素敵ですね。

ちなみに、陛下の場合は、植物ではなく「榮」という文字がお印になっています。

ところで、このお印、恐らく皇室の方々の将来を花や文字に託されて命名されるのではないかと想像しているのですが、そもそも「お印を付けること」とはどのような意味があるのでしょうね?

私が「お印」が気になった理由は、マーケティング的に考えるとブランド・アイデンティティに近いように思ったためですが、このように言い切ってしまうのはちょっと短絡的のような気もしています。そもそも国民の多くが知っている訳ではないですし….。

ということで、当初の疑問点は、結局よく分かりませんでした。

もしお詳しい方がおられましたら、お教え下さい。

「サブリミナル効果」によるマインド・コントロール

サブリミナル効果ってご存知ですか?

こちらによると、一時期は一般のテレビ番組でも色々と行われてきたようです。

サブリミナル効果については、この本に詳しく記述されています。特に、映画「エクソシスト」を事例として取り上げて詳しく検証されています。

私はこの本を読んだ後、実際に「エクソシスト」をビデオで借りて、該当箇所をコマ送りで見てみましたが、実に様々な仕掛けがあり、興味深いですね。

カラス神父が道を歩いている所で、悪魔が笑っている映像が1/48秒挿入されていることもありましたし、デスマスクも何箇所か挿入されていたりし、他にも映像や音声で様々なサブリミナル・メッセージが挿入されています。

この本によると、これらのメッセージに気が付かない人ほど影響を大きく受ける、としています。

—(単行本p.152-153から引用)–
エクソシストを見終えたばかりのおよそ100人の人々にインタビューした結果、約1/3がデスマスクに全く気がついていなかった。約1/3が見たかどうか曖昧な人々で、残り1/3が意識的にそれに気づいていた。つまり、顧客の2/3は、デスマスクを見たことを、意識していなかったわけである。デスマスクに気づいた人々の多くは、その記憶をどうにか処理しようと必死になっていた。そして、奇妙なことに、この映画を見て、最も大きな感情的インパクトを受けたのは彼らではなく、その知覚を意識下で抑圧し、表面上は何も見なかったと信じている1/3の人々の方であった。
—-(引用終わり)—-

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要は、無防備で心の準備をしていない状態で、あるメッセージを伝えると、潜在意識がそのまま素直に反応してしまう、ということのようです。

このメカニズムについては、こちらに詳しく解説されています。顕在意識に対するメッセージが遮断されてしまうのに対して、潜在意識に対するメッセージはそのまま素通りして心に届いてしまう、ということですね。

また、こちらの記事によると、最近はついにインターネット上でもサブリミナル効果を狙ったスパムも出現しているそうです。

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さて、問題は実際どの程度の効果があるのか、です。

「サブリミナル効果」の発端はWikipediaの「サブリミナル効果」の説明に詳しく書かれていますが、学術的に効果を統計分析して明確に裏付けた実験は存在しないようです。

ただ、「言葉は魂を持っている」とか「潜在意識は他人と自分の区別をしないので、他人に対するネガティブな言葉は、自分に跳ね返ってくる」とも言われますし、人間の心に対して何らかの働きかけを行う効果があることは確かなように思います。

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尚、サブリミナル効果を狙ったマーケティング手法や広告は禁止されていますので、ご注意下さい。

相手に知らしめないで、相手の心をコントロールしようと試みること自体、ちょっと怖いことですよね。

間違っているんじゃないかなぁ、と思いつつ、つい他人と同じことをやってしまう

人は、間違っているんじゃないかなぁ、と思っても、つい他人と同じことをやってしまいがちです。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言われますが、実は、みんなで渡らないと不安になる、という面もあるようです。

このことをアッシュという人が実験で裏づけました。

被験者に対して、図の上に描かれた同じ長さの棒を交互に見せます。但し、二枚目は、棒の近くに別の長さの棒を描いて、わずかに錯覚が起きやすくしておきます。

この被験者に対して、「どちらの棒が長いか?」と質問します。「同じ長さ」が正解です。

特に何も細工をしない場合は誤答率は0.7%でしたが、間違った答えをするサクラを混ぜて質問をすると、誤答率はなんと37.0%になってしまいました。

ちなみに、これはドイツでの実験だそうです。「日本人は同調しやすい」と言われますが、実際に実験したところ国によって大きな違いはなかったそうです。

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この「他人がやっているから自分もやる」と人間の同調行動は、マーケティング上でも非常に重要です。

例えば、既にその商品を購入して、役立てたり楽しんだりしているお客さんがいると、安心して購入に踏み切れます。

一方で、その商品に悪い評判が立って買う人が少なくなると、人々は同調するので、売上は加速度的に一気に落ちます。

インターネットでクチコミがあっという間に広がる現代では、その傾向がさらに顕著になっています。

従って、シェアを獲得し、他のユーザーが満足していることを示すことが、マーケティング上ますます重要になってきています。

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一方で、このことはダークサイドも持ち合わせています。

例えば、組織全体で犯罪行為が行われている場合、周りの人達に同調せずに断固として同じことをしない、というのは、かなり強い精神力が求められるのではないでしょうか?

やはり、社会的動物である人間は、個人となると弱い存在です。

このようなことを防ぐのが「コンプライアンス」ですが、同調行動をいかに防ぐかは大きな課題ですね。

なぜ、買った商品の記事が気になるのか?

こんな経験はありませんか?

  • クルマを買った後に、そのクルマの記事ばかり見ている
  • 高価な服を買った後に、ファッション雑誌でその服のことが記事になっていると気になる

高額商品を買った場合、買った後なのに何故かその商品の記事や広告をじっくり見てしまう、という経験は、多くの方々が経験されていると思います。

実際、宣伝を一番じっくり見るのは、その商品を買った人間である、ということが多いようです。

何故こんなことが起こるのでしょうか?

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実は、人は「一貫性のある自分」でいたいのです。
従って、購入後、「自分は正しい選択をした」、と思いたがっています。
そのために、「自分が正しかった」ということを証明する情報を集めようとします。

これは「認知的不協和」と呼ばれます。マーケティングプロモーションや市場調査を行う際、この考え方は非常に重要です。

消費者は、自分の購入判断が正しかったことを支持する情報が得られれば、それを他の人にも伝えますので、結果的にクチコミで顧客も増えます。さらに、将来的に既存顧客は再購入します。

従って、ユーザーに「この商品を選んでよかった」と思っていただくことが極めて重要です。

また、広告やプロモーションは、必ずしも購入前の潜在顧客(プロスペクト)だけを対象にしていません。既存顧客(ユーザー)が、「この商品を選んでよかった」と思わせる効果も持っています。

このように考えると、先日紹介したこちらの衣料ブランドのケースは、「しまった。あそこで買わなければよかった」という大きな認知的不協和を発生させてしまうわけで、非常に問題があるということになります。

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認知的不協和を一生懸命に解消しようとするのは、一般的に欧米人が多いそうです。

確かに、欧米人はロジックに厳しいですし、東アジア人は一般的に矛盾にも寛容です。この辺りは、一神教と多神教の違いが関係しているのかもしれませんね。

近年、マーケティングや経済では、心理学にも踏み込んだ研究が行われています。

従来の経済学では人間は合理的な存在と考えられてきましたが、実際にマーケットや経済を動かしているのは生身の人間です。

私達は、ロジックだけで割り切らず、人の心の機微まで考えることが必要なのでしょうね。

あぁ勘違いのKPI

「KPI、大事ですね。ウチでも設定しましょう。じゃぁ今期の売上目標が●●億円だから、アナタの今期のKPIは●億円ね」

….っていうのは、大きな勘違いです。

KPIはKey Performance Indicatorの略で、モノゴトがうまく行っているかどうかを確認するための指標のことです。望ましいパフォーマンス(Performance)を生み出すための主要(Key)な指標(Indicator)です。

人事評価や組織の運営でも、KPIはよく設定されます。

重要な点は、KPIはモノゴトがうまく進んでいるかどうかを判断するための中間指標であって、結果ではないのです。

従って、結果である売上や利益は、KPIとは呼びません。

ある売上や利益目標を達成するために必要な要因を洗い出し、その要因ごとに設定した指標がKPIになります。

例えば、下記のようなものがKPIになり得ます。

  • マーケティング・キャンペーンの場合、その集客数、顧客満足度、そこから生まれた案件の数
  • 商品販売のために必要なセールス担当者のスキル向上の目標値
  • ビジネス・パートナーの数とそのスキル・レベル

ちょっと分かりにくいかもしれませんね。

例えば、長い水道管に貯水槽から水を流すとして、出口の取水口で必要な水量を得るために何をすればよいかを考えて見ると、理解し易いかもしれません。

取水口での水量(=結果)だけをチェックしていても、目標とする水量がなぜ得られないのかは、分かりませんよね。

実は、売上や利益をKPIに設定するのは、これと全く同じことをやっているのです。

本来やらなければならないことは、最初に必要な水量を得られるために確認が必要な要因を洗い出すことです。

例えば、貯水槽から水道管に水を送り出す際の圧力や水量、各水道管を繋ぐ繋ぎ目がしっかり締まっているかどうかとか、水道管に穴が空いていないか、等が、要因として出てきたとします。

この場合、貯水槽から水道管への圧力・水量、繋ぎ目の閉め具合、水道管の表面の検査、等が、取水口で必要な水量を得るために必要な確認事項です。

これを指標化し、定常的に確認できるようにしたのがKPIである、と考えれば分かり易いかも知れません。

KPIを設定する方法論として、例えばバランス・スコア・カードのような手法があります。しかしビジネスの世界で、この結果との因果関係を持つ要因を洗い出すのは、水道管のような単純な物理系とは異なり、なかなか難しいのです。

だからこそ、ともすると人は結果そのものをKPIとする誘惑にかられ勝ちなのでしょうね。

大リーグ選抜から22奪三振したサチェル・ペイジ

サチェル・ペイジという投手をご存知ですか?

2500試合以上に登板、2000勝以上し完封勝利は350以上、ノーヒットノーラン55回、1930年には大リーグ選抜との交流戦で22奪三振完封勝利、という記録を持っています。

しかし、これらの記録は公式なものではありません。

実は、サチェル・ペイジは米国ニグロ・リーグの選手でした。

ベイ・ブルースの時代、大リーグには黒人選手の参加が許されておらず、黒人だけで構成されたニグロ・リーグというものがありました。その実力はメジャー以上だったそうです。

ニグロ・リーグで大活躍したサチェル・ペイジは、42歳で初めて大リーグに登板しその年に6勝、59歳まで現役だったとか。ただ、ニグロリーグの時代は大リーグのような公式記録が残っていなかったのが残念です。

何故、ニグロ・リーグがあったか、というと、米国の「分離平等政策」によるものです。英語では、"Separate, but equal."

1860年代に南北戦争で黒人奴隷は解放されたが、蔑視が続いていました。1950年代までは、交通機関や学校、レストランでは黒人と白人を分離していました。

今からは考えられないことですが、「平等だけど、分離する」という考えの下で、米国ではこのようなことが当たり前に行われていたのです。

昨年日本で公開された、レイ・チャールズの生涯を描いた映画"Ray"。映画の冒頭、シアトルに向かう17歳のレイ・チャールズを乗せたバスには、黒人専用の席がありました。これもこの「分離平等政策」によるものです。

この分離平等政策に対して、1954年のブラウン判決を機に公民権運動が盛り上がり、64年の公民権法制定により、法的側面からの人種差別が撤廃されました。

21世紀の現代に生きる我々は、「人間は平等である」というのは当たり前の考えである、と思っています。しかしこれが実現できたのは、ついこの数十年のことです。

当たり前のことが当たり前に出来ている、というのは、実は結構凄いことはのではないでしょうか?

状況は違いますが、マーケティングやビジネスでも根本的なところは同じではないかと思います。「それ、当たり前じゃん」と思えることを当たり前に行うことが、非常に難しいのです。

マーケティング戦略でも、「それは皆考えていることだけど、それが出来ないから大変なんだ」ということが多いのです。

マーケティング戦略で実行が大切、と言われているのも、この点にあるのではないかと思います。

「安くなるかも…」→事業撤退した事例

価格戦略が一貫していることって、非常に大切ですね。最近、価格戦略の失敗が事業の失敗に繋がる、という事例を経験しました。

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私の家族が、ある海外の衣料ブランドをとても気に入っていました。品質もデザインも良いモノでした。

このブランドはデパート等の直営店で売っていましたが、一点だけ、とても気になることがありました。

価格が一貫していない、ということです。

例えば、ある直営店で正価で買った同じ日に、別の店で全く同じ商品が7割引で売られていることもありました。意外だったのは、アウトレットものではなくシーズンもので、かつ正規店だったことです。

こういうことがあると、どんなによい商品でも「買ってよかった」とは思えなくなります。「実は他の店でもっと安く売っているのではないか?」と考えてしまい、正価で商品を買う気持ちが起こらなくなってしまいます。

最近、このブランドは日本から撤退してしまいました。

魅力的な他ブランドが上陸し市場の競争が激化した、等、色々と事情があると思いますが、顧客の立場で考えると、ブランドの価格戦略が一貫していなかったのは大きな原因の一つだったのではないかと想像しています。

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恐らく各直営店舗では、仕入れ値と売れ行きをじっくりと考慮して、その店の判断で個別商品の値下げを行っているのでしょう。つまり、「局所最適」ですね。

しかし、直営店全体で統一した価格戦略を持ち、同一商品は同一価格とすべきだったのではないでしょうか?つまり、ブランド全体で「全体最適」が必要だったのではないかと思います。

例えば、「この店は時々大幅な安売りをする」と分かれば、価格に敏感な消費者(=バーゲンハンター)は買い控えて安い時期のみを狙って購入するようになります。こうすると、通常価格の期間はあまり売れずに、値下げした時期のみ売上が上がる、という悪循環になりかねません。

従って、商品の品質がよいのであれば出来るだけ価格は下げないようにし、消費者もある程度高い価格でも安心して購入できるようにすべきです。(品質が高く、消費者が高価格を受け入れることが条件ですが)

一見逆の路線であるウォルマートのようなEDLP (Every Day Low Price)戦略、つまり常に一番安い価格で提供する、というのも、実はこの考え方に沿って行われています。

「単なる安売り」で利益が低いと思われがちですが、消費者から見ると常に一番安い価格で販売しているので買い控えをすることもなく安心して購入できます。実は単品当たりの利益が1/2でも4倍売ることで利益が2倍になる高収益のビジネスプロセスなのです。

但し、過当競争の危険性が常に付きまといますので、コスト削減のために徹底したビジネスプロセス見直しを行うことが、戦略のもう一方の片輪になります。ウォルマートがRFID等の新規技術を真っ先に展開することで他社に先駆けてさらなるコスト削減を図っているのも、このためです。

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「たかが価格、されど価格」、まさに企業の生命線です。

商品寿命40年の写真用品

この商品寿命が短くなっている時代に、40年間基本デザインが変わっていない写真用品があります。

米国クイック・セット社が販売しているハスキーという三脚で、発売は1960年代だそうです。

こちらに朝日新聞写真出版部長をなさっていた方の詳しい解説がありますが、この方も30年以上使っていたそうです。驚異的な商品寿命ですね。

私もこの三脚を20年前に購入しましたが、非常に使いやすく、全く故障もなく、写真もブレないスグレモノです。恐らくこれからも一生使うことになるでしょう。

最近、カーボン樹脂等のより軽い素材を使った新商品も多く出ていますが、この三脚は使っていて何か安心感があります。ちなみに、現在の価格は7万円前後です。

現在40年目くらいですが、この分では50年、60年と、まだまだ商品寿命が伸びそうですね。

ナショナルのこちらのプロ用ストロボの基本モデルも、私は学生の頃から使っていました。その後、電子回路等は進化しているようですが、大容量の積層電池による大光量・低ランイングコストと、簡単にバウンス撮影ができる操作性を持った基本デザインは変わっていないようです。このストロボも丈夫でした。

プロ向け商品の場合、シンプルで使いやすく丈夫であることは、商品寿命が長い条件の一つかもしれませんね。

お金を目当てにすると、やる気がそがれ、品質も低下する?

あなたは、面白い仕事に巡り合うと、俄然やる気が出るタイプでしょうか?
それとも、「お金が出る」と言われると、俄然やる気が出るタイプでしょうか?

これは「動機つけ理論」という研究テーマです。研究成果によると人は後者の傾向が強いそうです。

上記のうち、前者の動機付けは「内発的動機づけ」と呼ばれます。これは、その行動自体から得られる自分自身の満足を得るために活動を行うケースです。….というと難しく聞こえますが、要は「楽しいからやる」ということです。

これに対して、後者は「外発的動機づけ」と呼ばれます。活動そのものと満足の間に固有の結びつきがなく、報酬を得るために活動が遂行されます。これも難しく聞こえますが、要は「報酬目当てでやる」ということです。

人間はどちらの方がより動機つけられるのかを検証するために、1971年、ディシという人が、大学生を対象にある実験を行いました。

大学生を2グループに分け、あるパズルを時間内にある形に作る課題が与えられました。グループAには制限時間内に解き終えると報酬が出ますが、グループBには報酬が出ません。課題終了後は、各グループは自由に何をしてもよいという指示が与えられました。

この自由時間に課題であるパズル解きを行った時間が、内発的動機つけの程度として評価されました。

結果は、グループBの方が、グループAよりも課題終了後にパズル解きを続ける意欲を持ち続けていることが分かり、金銭報酬が内発的動機づけを低下することが確認されました。

"Stop the pay, stop the play."ということですね。

詳細は割愛しますが、1973年にはレッパーが幼児を被験者に実験を行い、同様に報酬を予期するという認知的要因が内発的動機づけを低下させることを示しました。

また1970年代には、ティトマスという人が、アメリカとイギリスで血液の流通制度について調査した結果、ボランティアによる献血が主流のイギリスよりも、売血制度のアメリカで供給されている血液の方が、ヘルペス等の病原体が発見されることが多いことを示し、外発的動機づけが情報非対称性による機会主義的行動を招き、質の低下を招くことを示しています。

また、リーナス・トーバルズも、「それがぼくには楽しかったから」の中で、楽しいことがOSS活動の原動力である、と語っています。

この動機付け理論は、ネット上の利他的行動と深く関係しているように思います。

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これは私自身もこのブログを書いていて感じていることです。

このブログを書くにあたって、原稿料はいただいていませんし、会社から命令されているわけでもありません。つまり、外発的な動機つけはほとんどありません。

では何故続けているか、というと、単に自分の考えをまとめて情報発信することが楽しいからです。特にいただいたコメントを見る時は、ちょっとワクワクします。

写真のHPやメルマガも全く同様で、自分なりの自己表現を皆様に見ていただくのが楽しいから、写真のHPも10年間続けていますし、写真の個展も自腹で数十万円の持ち出しにも関わらず何回も開催しています。

私は決して裕福な人間ではありませんし、金銭的な欲望は人並みにあります。しかし、ことブログや写真活動に関しては、お金をもらうことが目標になってしまうと、確かに意欲が低下してしまい、結果的に内容の品質も低下してしまうような気もします。

これは、他のブロガーも同じなのではないか、と思います。ブログやHPを持っている方々のご意見を伺ってみたいところですね。

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ところで、内発的動機つけは、あくまで個人の内面的なモノだと思います。

企業側で「内発的動機つけ」の仕組みを企業の中に構築しようと考えることは大賛成ですが、このことを逆手に取り「内発的動機つけを与えれば、金銭的待遇は低くてもよいのだ」という操作主義的な考え方が出てくることは、危険なことだと思います。

 

関連リンク:ネット上の利他的行動を、行動形態と行動目的の観点で、歴史的に位置付ける試み

市場調査レポートが出た時点で、既に市場が変化しているというジレンマ

世の中で出回っている市場調査レポートの多くは、過去のデータに基づいて分析を行っています。

例えば、市場規模予測のほとんどが、現在の傾向が今後しばらくは続くという仮定の下、現在を延長して未来を予測しています。

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しかし、この方法は万能ではありません。例えば、CRM (Customer Relationship Management)ソリューション市場の大きな転換点だった2002年年初のCRM市場調査は、まさにこの典型でした。

私は2002年の初めからCRMソリューションのマーケティング・マネージャーを担当しました。AlternativeBlogのブロガーの方々もこの時期にCRMを担当していた方が多いようなので同じ体験をなさっていると思いますが、当時はまさに市場全体がホットな状態でした。

ある調査ではCRMを導入予定のお客様は全企業の20%を超え、またある調査では市場全体の成長を年率20-30%と見込んでいました。

しかしこの時期、実際には、お客様のCRMプロジェクト投資案件の多くが採算性の観点で見直しをされていました。

ある調査会社が2001年の中頃に行った調査では、CRM導入予定のお客様は6%に下がった、と報告されました。つまり半年前の20%と比べて1/3になった、ということです。

つまり、ハイプカーブでいうところの「幻滅期」に入ったのがこの時期で、実際、お客様のCRMに対する考え方が技術志向からよりビジネス志向に変わりました。 これは日・米でほぼ同時期に起こったようで、米国では"post technology era"とも言われていました。

導入予定のお客様が1/3に減る、ということは、営業の現場の感覚では、実案件は70%減どころではなく、ほとんど消滅したような状況になります。 実際、市場調査レポートの成長率を前提に経営計画を立てていたCRMソリューション各社は、どこも厳しい状況にあったようです。

その後、CRMはハイプカーブに沿って世の中に普及し、こちらに書きましたように10年をかけて着実に世の中に定着しつつあります。

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さて、マーケッターにとって市場調査レポートは、市場という地形を歩くための「地図」に相当します。

知らない場所を歩くためには、地図は必須です。

しかし最近の市場では、この地形が頻繁に変わっています。

それも、単に新しい建物が建っている、というレベルではありません。山(=目標)がなくなったり、谷(=障害)が出来ていたり、新しい海(=新市場)が広がっていたり、という地殻変動レベルの変動が起こっています。

しかも、現代はこれが極めて短い期間に発生しています。

例えてみると、地形を測り地図が出版されるまでの数ヶ月という短い期間に、地図を書き換えなければならないような地殻変動が頻繁に発生している、ということです。

それでは、市場調査レポートは無意味なのでしょうか?

私自身は、これは逆で、現代において市場調査レポートはますます重要性を増していると考えています。

世の中が激しく動いているからこそ、市場を客観的に把握し続けていくことが重要である、と思います。

まず、全ての市場が地殻変動を起こしているわけではありません。このような場合、市場調査レポートはまさに地図の役割を果たします。

また、地殻変動が起こった後でも、地殻変動前の地形の性質は現在の市場にもある程度残っています。

さらに、何故変化が起きたかを考察することで新しい洞察を得ることができ、アクションに結びつけることができます。従って、地殻変動前・後の地形を理解するためにも、継続性を持った市場の把握は極めて重要です。

市場調査レポートを分析して市場の変化を見極めるとともに、市場調査を鵜呑みにせずに必ず自分の目で実地検証することが必要なのではないでしょうか?

先のCRMの例でも、実際の営業の現場の様子から、2001年年末の時点から既に市場全体の中で何かが変わっていることは感覚的には感じられました。 一方で、この傾向を分析・反映した市場調査レポートが出されたのは1年近く経過した2002年後期でした。

しかし、実際のセールス活動でお客様の生の声を聞くことで個別案件毎の状況は分かりますし、さらに、セミナーでのお客様アンケート等でお客様の投資優先順位や重視事項の調査を行うことでお客様の考え方が変わってきていることは2002年前半にははっきりと把握できました。

つまり、その時点で最新の市場調査と、実地検証で得られた結果を突き合わせて仮説検証を行うことで、市場で何が起こっているかは把握できるのではないでしょうか?

■ ■ ■

さらに、現代は自分自身で地殻変動を起こして地図を変えうることが可能な時代です。

田坂広志さんが「複雑系の経営」の「未来を『予測』するな、未来を『創造』せよ」という章で述べられているように、これからの時代に求められることは、明確なビジョンにもとづく「市場創造」です。

一人の小さな動きが市場全体に波及しうる、という、以前には起きにくかったことが容易に起こりうる社会です。非常にエキサイティングな時代になりました。

私達は、市場調査の重要性を理解した上で、その市場調査のみを付与条件として囚われることなく、さらにどのように市場を変えていくか、ということも考えていきたいですね。

 

関連リンク:未来は現在の直線上にはない

市場の変質と製品戦略

7月10日のエントリーで、以下のことを述べました。

  • 腕時計市場が変質している
  • 時間を知るだけならケータイでコトが足りる。しかし、腕時計の目的が、当初の「常に携帯して現在の時刻を知る」から、「自分自身を表現する」へと大きく再定義された結果、携帯電話の影響で大きく縮小する危機にあった市場が再成長した
  • 実際、2005年の腕時計市場は金額で前年比8%増、このうち7割がスイス製の高級品

一方で、8月19日の日経朝刊「『携帯世代』腕時計回帰の兆し」で、ケータイ世代にも腕時計が復権しつつあることが紹介されています。

1992年の国内出荷数約2600万個から1/3に減少していたそうですが、昨年の腕時計の出荷数は約840万個で、出荷台数は前年比+4%増を見込んでいるそうです。

「就職を機に」と買い求める人が多く、「いちいち携帯をポケットから出して時間を見るのは格好悪い」という意見があったり、就職活動の面接や筆記試験等でも携帯電話の電源を切る必要があったりして、腕時計は必需品の地位を回復しつつあるそうです。

考えてみれば、私が学生の頃は携帯がなかったために、時間を知るためには中学・高校の頃から腕時計は必需品でした。しかし現代では、とりあえず時間を知ることは携帯電話で足りるために、腕時計が必要とされるシーンが変わってきた、ということですね。

従って、「腕時計回帰」と言っても、市場そのものが変質していますので、腕時計各社の製品戦略も市場の変化を反映したものに変わっているのではないでしょうか?

 

さて、一般論としてよく市場が低迷していることをビジネスが低調の理由に挙げることがありますが、そのような場合は市場が再び成長を始めても、自社だけ成長から置き去りにされることがよく起こります。

市場低迷期に、市場そのものが変質しているからです。実際、そのような市場低迷期にも、同一市場で大きく成長している企業もあります。ユーザーのニーズを的確に捉えているからです。

従って、ビジネスが低調な場合、景気の悪さだけに原因を求めるのではなく、自社の戦略が市場にあったものなのか、変更すべき点がないかを常に見直し続けることが必要になるのではないでしょうか?

関連リンク:あなたは腕時計、していますか?

ネット上の利他的行動を、行動形態と行動目的の観点で、歴史的に位置付ける試み

ネット社会になって、OSSやナレッジ・コミュニティ等、様々な分野で利他的行動が多く見られるようになりました。

Evolution_of_society

そこで、現代の利他的行動が、人間社会の進化の中でどのような位置づけになっているのか、行動形態と行動目的の観点で図にまとめてみました。

実はこの図、2001-2002年に修士論文を書いた際に序論部分用に作成したものですが、5年後の現時点で見直してみるとなかなか面白いので、ご紹介します。

下記はこの図の補足説明です。主に西側社会の観点で、非常に簡略化しています。

(1)部族社会:コミュニティの萌芽

人類が誕生し「群れ」が「部族」に発達しました。血縁社会で、平等主義・共有財産制を基本とし、自給自足で生産者と消費者の区別はなく、人々は資源の窮乏を克服するために利他的に行動しました。

リーダーとして酋長が部族をまとめましたが、部族社会はスケーラビリティを持たず、非効率でした。階層構造を導入し、効率的な支配と管理が可能な、より大規模な「国家」との競争に勝てずに、部族社会は次第に衰退していきます。

(2)封建社会:国家の出現

人類は農業革命により人類の歴史的な課題であった「飢え」の克服を図り、食料調達手段は劇的に変化しました。農業のために定住し毎年同じパターンで生活を繰り返すことが文化を生み出し、独自の文明が育っていきました。

農業では多くの人手と作業が必要です。管理・統治する組織として軍隊が、人々の価値観を共有する仕組みとして宗教が生まれ、軍隊と宗教が支配する封建社会へと発展していき、「国家」が生まれました。

階層的な社会構造でトップダウンによる統治が行われ、被支配階級(奴隷階級)の生産物を支配階級が消費する構造が生まれました。

15-16世紀の宗教改革者・マルティン・ルターが「世間の一般的職業は神より命ぜられた他人のための奉仕活動であり、職業を義務と考えて忠実に遂行することが神に喜ばれる唯一の道である」と説いたように、「如何に与えられた自分のミッションに忠実に生きるか?」が個人の人生の目標でした。

(3)工業化社会:企業と労働者の出現

18-19世紀の産業革命で生まれた「動力」は、奴隷を代替しました。奴隷制度の必要性が薄れ、生産・流通手段の所有者としての企業家・資本家と、生産・販売に従事する労働者が生まれ、市民革命により人権の概念が確立していきました。

アダム・スミスが「国富論」で、「各個人が利益を求めて自由に利己的な行動を行えば、マーケット・メカニズムにより全体で調和が取れ、効率的な配分が実現する。つまり、私益を追求することで『見えざる神の手』が働き万人の公共善をもたらす」と述べた『市場システム』の概念は、この時期に登場しました。

つまり、資源窮乏の克服のために、個人々々の利己的行動がマーケット・メカニズムを動かし需要と供給の最適調和を図る、という仕組みです。

市場ニーズにあった商品を提供した商人は多くの富を蓄積し、封建社会の領主をしのぐ力を得て、封建制度は崩壊しました。

(4)大衆消費社会:大衆の出現

20世紀に新聞・ラジオ・テレビ等の通信手段が広く普及し、企業や国家が均質の情報を大衆消費者に届けることが可能になりました。生産が需要に追いつき、消費者に購入を促すためにマーケティング技術が発達し、消費社会が生まれました。消費者は企業が発するメッセージや情報を受動的に入手するようになりました。

資源の窮乏はなくなりましたが、人々の行動原理は基本的に利己的のままでした。人々はより楽しむために利己的に振舞い、大衆文化が生まれました。

(5)ネット社会:グローバルコミュニティの出現

世界がフラット化し、コミュニケーションのための距離とコストの壁は事実上消滅した結果、個人が世界中のあらゆる人々にメッセージを発し、かつ、個人同士で対話することが可能になりました。

消費社会では情報を受動的に受けていた人々は、ネット社会になり、個々に情報をやり取りできるようになったことで、知識・情報の利用や操作能力の保有者として能動的に行動し、協調を通し価値創造が行われるようになりました。

つまり、人々はよりよく生きるために利他的行動を行うようになったのが現代である、ということになります。

 

このようにして見ると、数千年という長い歴史を経て、人類は再び利他的社会に還ってきたということになりますが、その目的は「資源の窮乏の克服」から「よりよく生きること」へと本質的に変化していることが分かります。

まさに田坂広志さんがおっしゃっている「ヘーゲル弁証法のらせん的発展」が起こっている、ということですね。

一方で、例えばOSSがビジネスの世界に普及してきたことで、当初は利他的行動を出発点としてきたモノも、より実利的な世界に波及し、大きな影響力を持って世の中を変えつつあるように思います。

頭で考えず、まず検索?

最近、仕事でもプライベートでも、何か分からないことがあると、すぐにGoogleやYahoo!で検索するようになりました。確かに非常に便利で、答えがネット上にありさえすれば、すぐに見つかります。

一方で、なかなか情報が見つからない場合もありますし、逆に非常に大量の情報が出てきて消化できないこともあります。

また、情報を見つけたことで、安心してしまうこともなきにしもあらず、です。

そんなことを考えていましたら、本日(8/18)の日本経済新聞朝刊の記事「ヒトはどこへ(1)30センチの世界、外出も会話もいらない?」で、与えられた宿題に対して、自分で考えて問題を解くのではなく検索で答えを見つける子供が増殖している、ということが紹介されています。

「ネットに答えがあるし早いもん」というのは、確かに子供たちにとっては正論かもしれませんが、本来は考える力をつけるのが目的です。先生方のご苦労、お察しします。

ところで、考えてみると、マーケティングでも状況は同じであることに気づきました。

マーケティングの仕事でも、ネットの検索機能は市場を理解する上で非常に力になります。

しかしネット経由で得られる情報や紙媒体の市場調査レポートを読んで、「市場を理解した」と考えるのは言うまでもなく早計で、大きな危険が伴います。

知識には大きく分けて「形式知」と「暗黙知」の二種類があります。

文章や図でまとめて表現でき、そのまま伝えることができるのが「形式知」です。ネットや紙媒体の市場レポートで得られるのは「形式知」です。一方で、個人が持っている経験や知識は「暗黙知」と呼ばれます。

ネット上の情報や書物で得られる「形式知」だけでは、決して市場の洞察を得ることはできません。「暗黙知」をどのように自分の中に構築するかが、市場洞察を得るためのカギです。

そのためには、実際に市場に接し、市場調査等の形式知と併せて自分の頭で考え抜くことが大切なのではないでしょうか? 考え抜くことで、自分なりの仮説が構築でき、その仮説を実際のデータで裏付ける(=検証する)ためには何が足りないのかが見えてきます。

その次のステップとして、例えばネットで検索したり市場レポートにあたり、仮説検証を行います。情報が見つからない場合、ある程度のお金をかけて市場調査を行う必要もあるかもしれません。

安易に世の中に出回っている形式知をそのまま使うケース、仮説を立てて検証を行うといった作業を地道に繰り返すケース、当初は一見して違いが見えません。しかし、実際に仕事を進めていくうちに、結果は違ってくるのではないでしょうか?

IT業界におけるマーケティング、あるべき姿

吉川さんのブログ鶴田さんのブログで、IT業界のマーケティングについて議論されています。

まさに私自身が日々取組んでいることなので、あくまで私個人の考えということで、考えをできるだけ整理して述べたいと思います。

IT業界のマーケティングを整理する次元は、大きく分けて二つあると考えています。

  • セグメントの次元:B2Bか?B2Cか?
  • フェーズの次元:市場インサイト⇒戦略⇒プロモーション/アウェアネス/チャネル・エネブリング

私はソリューション・マーケティング市場のマーケティング・マネージメントを担当しています。上記に当てはめると、セグメントの次元はB2B、フェーズの次元は戦略系を中心に、市場インサイトの下流部分と、プロモーション/アウェアネスの上流部分をカバーしている、ということになります。

そこで以降では、B2Bセグメントでの戦略系とプロモーション系/アウェアネス系の仕事について重点を置いて述べます。

まず戦略系については、私は「市場インサイトに基づくバリュー・プロポジション定義がマーケティング戦略構築の出発点である」、と考えています。バリュー・プロポジションについては、以前こちらに書きましたのでご参照下さい。

バリュー・プロポジションを定義するためには、市場やお客様ニーズ、競合を理解し、自分の強みと弱みを把握することが必要です。バリュー・プロポジションの定義に基づいて、対象セグメントやオファリングの中身、コミュニケーション・プラン、チャネル戦略等、その後のマーケティングの各フェーズで必要となる多くの要因が決まっていきます。

さらに、戦略系で極めて重要なことは、単にバリュー・プロポジションを定義するだけでなく、それを実際に構築し、戦略を実行することです。

企業内マーケティング・プロフェッショナルがコンサルタントがスキル要件としては重なる部分が多い一方、大きく異なる点は恐らくこのあたりではないでしょうか?

自社が提供する商品・サービスが、定義された対象セグメントでバリュー・プロポジションを発揮できるように、例えば、社内複数部門と交渉して製品・サービスを組み合わせてお客様に対する新しい価値を創造したり、他社とのアライアンスを通じてエコシステムを構築する、といったことも行っていきます。

プロモーション系/アウェアネス系は、上記で構築した戦略を受けて、市場に対して価値を訴求するフェーズです。戦略フェーズで定義されたバリュー・プロポジションを、ターゲットとなるセグメントに対して、いかに効果的・効率的に訴求するか、という点がポイントです。

メディアの選択も、バリュー・プロポジションの中身と時間軸の関係によって、目的が定義されることで、変わってきます。

例えば、いわゆる「イメージ訴求」、つまり新しいブランド(製品やサービスに留まらず、自社のバリュー・プロポジションそのものの場合もあります)の構築を狙ったアウェアネス獲得が目的の場合は、「広くあまねく」訴求することになるので、広告やTV CMを活用することが多くなります。このような場合も、メディアによるフォローアップ調査で効果把握を行っていきます。例えてみると、これは種を植えて苗を育てる段階です。

一方、ブランド構築とは別に、demand generationタイプのプロモーションもあります。例えてみると、これは稲を刈り取る段階です。

ソリューションの場合、セミナーやイベント等で獲得できた見込み客に対してコンタクトを継続し、セールスにlead情報を渡すことで実ビジネスに繋げていく、という流れが一般的で、こちらはこちらでカッチリしたプロセスがありますし、この業務を専業でなさっている会社もあります。

言うまでもなく、TV CMや広告でも、lead generation型のものがあります。最近の金額や電話番号/URLが明記されているPCの広告はほぼこのカテゴリーです。

さらに広報によるパブリシティ活動も重要です。会社によってはあまり宣伝を行わずにパブリシティ中心で活動をなさっているケースもあります。必ずしも自分達が思った通りのメッセージが伝わらないこともありますので、タイミング等も考慮し、他のマーケティング活動との相互補完関係を配慮する必要があります。

このようにして考えると、マーケティング活動では、戦略を出発点に全てがお互いに「価値(=バリュー)」という糸を通して密接に繋がっています。

ちなみに、米国マーケティング協会(AMA)によるマーケティングの定義も2004年8月に改定され、「価値」に重点を置いたものになっています。くわしくはこちらにあります。これも世の中の変化を受けてのことなのでしょう。

一方で、世の中は当初思った通りにはなかなか動かないものです。全く新しい市場を立ち上げる場合等は、市場インサイトそのものが極めて限定されるケースもあります。

このような場合は、取りあえず小さなところからスタートして早期に利益を確保してビジネスの継続性を担保し、走りながら考えて軌道修正していく、という創発的戦略もアリだと思います。