新潟県が大雪被害の山梨県に職員派遣

今回の豪雪で、普段は大雪が降らない地域は大変な思いをされています。

一方で、今回の大雪被害が比較的少なかった新潟県が、山梨県の支援を行うことが大きな話題になっています。

世界最強の除雪機甲師団の1つ? 新潟県内部隊(官民混成)+北陸が山梨県に即参上までの経過

(尚、リンク先の冒頭で「(機甲師団は大げさな表現で、実際にはありません。除雪隊あたりが妥当ではないかと。) 」と付記されています)

今回のことで、田中角栄の一生を描いた津本陽著「異形の将軍」のこんな一節を思い出しました。

—(以下、上巻 p.262から引用)—

 豪雪の季節には、重病人は家族、親戚が総出でソリにのせて曳いてゆく。ソリも動かせない吹雪のときには、医師の手当てもうけられないまま息をひきとる病人が、めずらしくなかった。
 …
 東京の官僚は、数十億円の経費でかけ橋を架けるのであれば、利用者は最低数十万人が必要であるという。
 角栄はそのような官僚の考えを打ちくだいた。
 「トンネルの利用者が百五十人しかいなくても、その人たちに欠かせないものならば、億単位の金をつぎこみ、トンネルをつけるのが政治だ。橋をかけるのも同様だ。
 都会ではトンネル一本、橋一本が地域住民の生活を左右するようなことはない。橋一本の重みが、東京と新潟とではまったく違うということを、君たちは考えたことがあるか」

—(以上、引用)—

引用の冒頭で描いた場面は、これまで大雪の恐ろしさを体験したことがない我々が身近に感じたことであり、山梨県を中心に孤立されている方々がまさに体験していることでもあります。

他人の痛みを自分の痛みと感じる。新潟県の対応は、まさに「共感の行動」ですね。

 

ここ数年間、大地震、大雨、台風、大雪と日本は災害が続いています。財政が厳しい中で過剰な公共投資は控えていただきたいですが、限られた予算で効果が最大化できる対策を望みたいですね。

 

2014-02-19 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「コーヒー豆」は、実は豆じゃありません

…というと、意外に思われる方は多いのではないでしょうか?

コーヒーはマメ科の植物ではありません。

コーヒーノキというアカネ科の果物の実が、コーヒーのおおもとです。

この赤く完熟したサクランボウのような実(コーヒーチェリー)の種が、コーヒーの生豆です。「コーヒー豆」と言いますが、実は種なのですね。

 

コーヒーチェリーから種を取り出して乾燥させ、焙煎し、粉砕して、湯を注ぐと、1杯のコーヒーが出来上がります。

一言で書いてしまいましたが、この作業はすごく人手がかかっています。

 

まずコーヒーノキからコーヒーチェリーという実を取る作業。機械を使ってガーッとやってしまう方法もあるそうですが、コーヒーノキが傷んでしまいます。完熟豆を見極めるスキルを持った人たちが、人手をかけて摘んでいく方法が理想です。

さらにその果実から果肉を除去し、さらに内皮の粘質を除去して、水洗いし、天日で乾燥させ、豆を選別するのもとても手間をかけて作業しています。これでいわゆる「生豆」が出来ます。

さらにその生豆を、ブラジル、タンザニア、ジャマイカといった生産国から消費国へ輸入します。

しかし生豆は味も香りもほとんどありませんし、このままでは飲むことはできません。そこで、輸入した生豆を焙煎します。「ロースト」とも呼ばれます。熱い温度で加熱して、水分を飛ばして成分を化学変化させます。焙煎によりコーヒー豆は揮発性の素晴らしい香りを放つようになり、苦味、酸味、甘味等、コーヒー独特の風味も生まれます。UCC上島珈琲、AGF、キーコーヒーなどが焙煎業大手ですが、最近は自家焙煎のカフェも増えてきています。

焙煎した生豆をコーヒーミルで挽いて、ドリッパーなどで淹れるわけですね。

 

このようにコーヒーは実に手間がかかる飲料ですが、このステップ一つ一つの違いで、味わいが大きく変わってきます。

また最近は、新しいコーヒーのカルチャーとして「サードウェイブコーヒー」の波が起こっています。ちゃんとした定義はまだないようですが、産地や農園単位でコーヒー豆を厳選して焙煎し、豆に合わせた挽き方、抽出をして、一杯を楽しもう、というものです。

最近は、おしゃれで美味しい個人経営のカフェも、増えてきました。世の中も、「カフェはおしゃれだ」という風潮になってきています。

世の中に、もっと美味しいコーヒーと、居心地のよいカフェが増えるといいな、と思います。

 

箱根登山鉄道の名物車掌・落合伸哉さん、1月27日にご卒業

自宅から2時間程度で行けるということもあり、時々箱根に遊びにいきます。

私は車は持っていないため、移動は電車です。そこで箱根に行く際は箱根登山鉄道に乗ります。

この箱根登山鉄道には、「名物車掌」として名高い落合伸哉さんがいます。

FNNが番組で落合さんを紹介しています。落合さんの車内アナウンス、是非ご堪能ください。

落合さんの上司も暖かく見守っています。

幸運なことに、私も落合さんの電車に乗ったことがあります。とても癒やされました。

 

この落合さん、今年1月27日を最後に車掌をご卒業で、2月から運転士を目指して研修に入るそうです。

箱根登山電車の名物車掌 1月末で“卒業” 沿線魅力「しゃべり倒す」 今後は運転士に

「箱根登山鉄道を日本で一番バリアフリーが進んだ会社にしたい。どんな世代の方でも安心して利用できる環境をハード、ソフト両面で追求していく」

素晴らしい志ですね。

 

落合さんの今後のご活躍、楽しみです。

1月27日の箱根登山鉄道は、落合ファンで大変なことになりそうですね。

色々なモノを「見える化」しているサイトvisualizing.infoが素晴らしい

ある市場の市場規模を調べていて、「市場規模マップ」というサイトを見つけました。html5を活用して拡大縮小もでき、年度別の変化も見ることができますし、ソースも詳しく調べることができます。

Photo_7

  

このように見える化できるのは素晴らしいですね。

様々な調査で数字を調べる際も、見える化すると全体像をすんなり理解できますし、見える化することで相手にも伝わります。

 

このサイトはvisualizing.infoというサイトで、他にも色々なデータを見える化しています。

たとえば、こんな感じです。

Photo_2あらためて、国債負担と社会保障負担の重さ、公共投資の大きさが認識できる図ですね。

 

Photo_3

データとして参考にになりますし、自分がデータを見せる際にも見せ方の参考になります。

ご興味がありましたら、お時間がある時に是非どうぞ。

「商品」と「作品」は違う。しかし「商品=作品」を目指したい

一般的に、「商品」と「作品」は相容れないもの、と考えられ勝ちです。

 

そもそも、なぜ人は「作品」を作るのでしょうか?

それは、「表現したい」という強いパッションがあり、自分の表現で相手に感動を伝えたいからではないでしょうか?

私のライフワークは、写真です。写真を始めたのは、写真という「作品」で何らかの表現をし、感動を伝えたいと思ったからです。

自分の表現なので、「こうあるべき」と考えたものを試行錯誤しながら作っていきます。コストは考えざるを得ませんが、収益はあまり考えたことがありません。

例えば写真展を1回行うと50万〜100万円かかりますが、ほとんどが持ち出しです。

そんな写真展で、「作品を売って欲しい」というお申し出をいただいたことが何回かありました。

大変嬉しいことなのですが、「収益化しよう」と思ってやっていることではないので、正直言って値付けには悩みました。

実際には、「よかった」「感動した」という一言が嬉しいのですよね。

一方で、顧客ニーズはあまり考えていませんでした。

時には「つまらない作品だ」と言われることもあります。これは大変残念なことですが、その方と私の価値観が違うのだ、と考えます。

 

一方で「商品」の場合は、必ず顧客がいます。

ビジネスです。

顧客は商品が提供する価値に対して、対価を払います。これが「価格」です。

「商品」ではあくまで顧客が主体。顧客ニーズを徹底的に考え、応えることが必要です。

ですので私も、例えば講演などの場合は、お客様がどのような課題を抱えていて何を望んでいるかをお伺いし、それにあわせて講演内容を変えるようにしています。

中には私の講演では期待にお応えできないということがわかる場合もあります。このような時は、辞退させていただくこともあります。

講演の前は、毎回ビデオ撮影しながら事前リハーサルしたり、講演の様子もビデオ撮影して、結果を反省するようにしています。

加えて毎回アンケートも採るようにし、どのように改善できるかを毎回考えています。

実はプレゼンには苦手意識があり、いつも上達したいと思っています。

そして、何とかしてお客様の期待値を上回ろうと考えます。

さらに、ビジネスなので収益も考えます。

 

これに対して、私は写真作品を作る場合は、顧客ニーズを徹底的に考えたり収益を考えるということはありません。あくまで「表現したい」というパッションが出発点です。

 

では、「商品」と「作品」は相容れないものなのでしょうか?

実は私自身も、「『商品』を『作品』として届けたい」という気落ちはあります。

なぜそう思うのかというと、ビジネスでも感動を伝えたいからなのですよね。

 

これらをあえて、「収益」「価値/感動」の軸で整理して図にすると、こんな感じでしょうか?

Photo

 

常に「商品=作品」を目指していきたいものです。

 

ただし、「商品=作品」を目指すには、あくまで「商品」として顧客に価値を届けることが第一歩。

「作品」に育つのは、その次のステップなのかな、と思います。

 

 

2013-11-11 | カテゴリー : 写真, 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

フィリピン台風と足尾台風 ー 情報の大切さと、社会インフラの課題

今年最大規模の台風がフィリピンを襲いました。

死者は1200人に達する恐れがある、という報道もあります。

【東京新聞】フィリピン台風被害 100人超遺体 現地報道、75万人避難

【日経新聞】フィリピンに台風30号が直撃 死者1200人超か 被災428万人に

亡くなられた方々のご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。

 
 
日本では、最近は事前情報がかなり詳細かつリアルタイムに伝わるようになったため、大型台風でも被害は減少傾向にあります。

しかし数十年前までは、台風で数百人・数千人単位の方々が亡くなっていました。

例えば、明治維新以後で最大の被害をもたらしたのは1959年の伊勢湾台風で、死者4,697名、行方不明者401名でした。

小規模の台風でも大きな被害が出ているケースがあります。

例えば、1902年に「足尾台風」という台風がありました。

Wikipediaによると、比較的暴風域の規模が小さい豆台風だったものの極めて強力。最低気圧は955.8hPa(館山)、最大風速は筑波山で72.1m、銚子で44.8m(ともに補正値)だったそうです。

足尾台風は以下のような被害をもたらしました。

■神奈川県では高潮が発生。横浜港では停泊中のドイツ郵船「プロイセン号」が流され浅瀬に座礁、汽船「カーリー号」も防波堤に乗り上げ、小型蒸気船や臨時税関の工事船も沈没。

■栃木県では、死者・行方不明者219名、家屋の全壊・流失約8,200戸。足尾で雨量315mm、渡良瀬川が洪水。足尾町内では神子内尋常小学校が流出。日光中宮祠では土石流発生。中禅寺湖に流れ込んだ土砂が3mの高波を起こした。

■茨城県では、死者・行方不明者118名、家屋の全壊・流出20,164戸を記録。

豆台風にも関わらず被害が大きかった理由の一つは、当時は海上の気象観測網が極めて貧弱で、気象情報が得られず、上陸直前まで観測網にひっかからなかったためでした。

最初にこの台風の存在が確認されたのは、1902年9月28日の明け方で八丈島の北東。

その日の朝8時に房総半島上陸、10:20に栃木県足尾付近を通過、11:30に新潟県から日本海に抜けました。

恐らく当時の人達は、朝、何も知らずに普段通りに目が覚めたら、いきなり台風のまっただ中にいた、という感じだったのではないでしょうか。

 

現在であれば、気象情報も進路予想も正確に把握できますし、建物も頑丈になっています。

ですので、事前対策でかなり被害を押さえられます。

しかし当時は、台風は上陸するまで分からないことが多かったのですね。

 

現時点でフィリピン台風の被害の実態はまだ詳細が分かっていません。

「75万人が避難した」ということなので、これでも事前情報でかなりの人達が助かったのでしょう。

しかし一方で、今回は最大風速90mというとてつもなく強力な台風でした。

台風に耐えられる社会インフラ構築も、新興国ではこれから課題になってくるのかもしれません。

 

「10万年後の安全」を考えるために、「10万年前」のことを調べてみた

日本国内の原発では、現在25,000本分(1本当り500Kg)に相当する「高レベル放射性廃棄物」と言われる使用済み核燃料が溜まっています。

「高レベル放射性廃棄物」は、十数秒で人間の致死量に達する放射能を出します。完全封印が必要です。これが膨大な量になっているのですね。

この「高レベル放射性廃棄物」は、放射線を出しながらゆっくりと原子核が他の安定した原子核に変わることで、徐々に放射能レベルが下がっていきます。人体に影響がないレベルまで放射能レベルが下がるには、10万年かかります。現代の科学ではこれを加速化する現実的な方法はありません。

ですので「高レベル放射性廃棄物」は、10万年間、安全に保存し続けなければなりません。

よく「10万年の安全は守れるか?」と言われているのは、この点です。

 

しかし私は、「10万年後の世界」と言われてもなかなかイメージできません。

そこで視点を変えて、「10万年前から現代まで」何が起こってきたかをWikipediaで調べてみました。下記がサマリーです。

 

100,000年前:人類はネアンデルタール人。アフリカ大陸を出て各地に移住開始

81,000年前:地球温暖化で急速に海面上昇

73,000年前:スマトラ島トバ火山大噴火。地球の気温が数年間3度低下。人類人口は1万人以下に大激減

50,000年前:クロマニョン人登場。アメリカアリゾナ州に隕石が衝突し大クレーター形成

40,000年前:オーストラリアに人類が渡島

30,000年前:ネアンデルタール人が絶滅

25,000年前:姶良火山(鹿児島湾と桜島を囲む巨大カルデラ)が大爆発

20,000年前:ウルム氷期ピーク。現在より気温は7〜8℃低く、海水面は100mから最大130m低かった。ベーリング海峡は地続き。ユーラシア大陸から無人のアメリカ大陸に人類が移住

16,000年前:海面上昇により、陸続きだったベーリング海峡が海没。大陸と地続きだった日本も徐々に島化

13,000年前:日本列島が大陸から完全に離れ、ほぼ今の形に。海面上にあった宗谷海峡が海水面下に没す

12,000年前:ナイアガラ滝形成が始まる。初期の滝は現在より10kmほど下流にあり、年1mのペースで後退し現在の姿に

10,000年前:ヨーロッパ中部の火山活動が終息へ

5,300年前:鹿児島南方の鬼界カルデラで大噴火

4,000年前:海面は現在よりも数m(4m〜10m)高かった

 

結構、色々なことが起こっています。想定外なことも沢山あります。

改めて、「10万年の安全」というのは、まさに人知を超えた世界なのだと実感します。

 

現代の私たちは、後世の子孫に責任を負っています。

10万年前の祖先だったネアンデルタール人たちは、私たちに負の遺産は残しませんでした。

現実に存在している「高レベル放射性廃棄物」は、仮に今すぐに全世界の原発の運転を停止しても、決して消滅することはありません。

つまり原発停止で確かに新たな「高レベル放射性廃棄物」は生み出さなくなりますが、それだけで解決できる問題ではありません。

改めて、人類として考えていかなければならない課題だと思います。

 

第15回世界経営者会議のメモ書き (その3) GE・イメルト会長、明確なビジョンと戦略

一昨日のブログ昨日のブログに続き、日本経済新聞社主催「第15回 世界経営者会議」の内容をご紹介します。

今回は2日目の講演から、ゼネラル・エレクトリック会長兼CEO ジェフリー・イメルト氏のお話しをご紹介します。

非常に明確なビジョンと戦略を持っておられることを、改めて認識しました。

自分への備忘録も兼ねて、雑記的に書いていますが、ご了承下さい。

・GEの基盤は技術。GEはインフラの会社なのだ。65%の受注が米国外からあるグローバルな企業だ。そして成長がビジネスでは重要だ。

・競争力を形成する上で、重要なことが4つあると考えている。

・一つ目は、天然ガス(シェールガス)。安価なガスの時代がやってきて、他燃料を置き換える。

・二つ目は、インダストリー・インターネット。インフラとして設置されているGE製品毎に30〜40個のセンサーが取り付けられ、データを分析し、価値を生み出す。例えば、ジェットエンジンのセンサーデータにより燃費を数%改善すると大きな価値を生み出す。物理的な世界と、アナリティカルな世界が一緒になる時代なのだ。事業会社と分析をする会社が別々だった時代は、終わる。

・三つ目は、高度な製造業。低コストの人件費を求める時代の終焉だ。今は、例えばサプライチェーンの変革のように、生産プロセスや材料がより重要なのだ。

・四つ目は、徹底した現地化。迅速に新地域でビジネスができることが必要だ。現地化をしない限り、ビジネスはできない。サプライチェーンの現地化も必要だ。

・現在、GEの歴史の中で、最も深い文化変革が起こっている。シンプル化の動きだ。小さなスタートアップ企業は、顧客が全てであり、全社で情報を共有しており、本社組織もない。シンプルだ。彼らの強みをGEでも持ちたいし、GEを筋肉質にしたい。管理をなくして、本社を軽くし、シェアード・サービスを展開する。そしてグローバルに分散したリーダーシップを持たせる。プロセスの数を減らし、ITをシンプルにし、問題を素早く解決していく。シンプル化を推進していくのだ。

・「米国民は日本をどのように認識しているか?」という質問に対して….。日本のことが好きだ。私は安倍首相を評価している。まず財政施策など、手を付けやすいことから先に始めている。そしてモメンタム(弾み)を作り、より大きな課題に挑戦している。

・「福島原発に絡んで、原発ビジネスについてはどうか?」という質問に対して….。三つある。一つ目は、福島原発問題については、日本の人達をご支援したい、ということ。二つ目は、短期的には低コストの代替エネルギー開発を考えていきたい。実際、他の代替手段も生まれている。三つ目は、長期的には2030-2050年頃に原子力がなくなるということはない、と思っている。原発も安全でより低コストなものになるだろう。ただし、世界も変わっているのでこの先はわからないかもしれない。例えば10年前にシェールガス革命は誰も想像できなかった。

・ソフトウェアは重要。今は、GEの全ての事業会社でソフトウェアは重要になっており、サービスの中に埋め込んでいる。導入機器からのデータを分析することが、ビジネスになるのだ。将来的には、GEをソフトウェア会社にしたいと考えている。IBMはデータベースをビジネスにしているが、GEもデータベースをビジネスにしていく。領域によってはIBMがライバルになる、ということだ。自分がGEに入社した頃は米国内で売上80%だった。今は米国内は35%だ。だから境界を設けて「できる」「できない」と考えてはいけない。市場(顧客)が大切であり、市場の動きを理解することが大切だ。

・「地域戦略で重要と考えているのは?」という質問に対して….。重要なのは地域ではなく、国だ。韓国、中国、日本はどれも違う。マクロではなく、ミクロで考えることが重要だし、全てのところにチャンスがある。例えば、ガスタービンは米国よりもアルジェリアの方が売れる。ナイジェリアでは40Gwの電力不足がありGEにとっては大きなチャンスだ。もちろん透明性の観点でリスクもある。正しいリスクを取り、見返りを見極めることが必要だ。

・「日本のGEビジネスのメインは何か?」という質問に対して….。医療だ。優れたエンジニアもいる。新しいMRIを日本で最初に始めた。日本は材料科学が素晴らしい。テクニカルパートナーは日本で持つべきだ。GEとしても活用していきたい。

・「あなたは5年前に『リセット』という言葉を使った。今はどの程度『リセット』されていると考えているか?」という質問に対して….。金融危機を乗り越えて、世界は変わった。今はリセットされた経済だ。今後どうするかは、新しい視点で考えなければならない。

・「リーダーに必要なことは何か?」という質問に対して….。リーダーに必要なことは、いかに早く学ぶか、だ。かつレジリエンシー(トラブルがあっても復旧・回復する力)が必要だ。いい時代でなくても、乗り越えていく。賢いだけでなく、状況が明確でないときでも、モノを見通すことが必要だ。

 

残りの2日目の様子は、また後日ご紹介します。

 

 

第15回世界経営者会議のメモ書き (その1) 「グローバル化」「透明性」「相互信頼」「日本経営の復活」「イノベーション」

昨日(10/21)と本日(10/22)、東京帝国ホテルで日本経済新聞社主催「第15回 世界経営者会議」が行われています。

この世界経営者会議、実は申し込めば抽選で参加できます。(有料です)

ということで、勉強のために参加してきました。

 

初日の講演者は、米国を除いた、欧州・アジア・日本といった様々な地域出身の経営者でした。世界が多極化していることを実感した会でもありました。

そこで何回かに分けて、ご紹介していきたいと思います。

自分への備忘録も兼ねて、雑記的に書いていますが、ご了承下さい。

なお、本日(10/22)の日本経済新聞朝刊にも、各講演の様子が掲載されていますので、併せてご参照下さい。
 

■エアバス社長兼CEO:ファブリス・ブレジエ氏

・ブレジエさんはフランス出身。

・今や航空機需要の1/3はアジア。またリース事業のパートナー戦略の上でもアジアは重要。

・様々な需要がLCCから生まれている。近距離大量輸送用のワイドボディなどがそうだ。さらに地域によってニーズは異なる。これらに対応することが必要だ。

・エアバス社は100カ国以上の国籍からなる社員で構成されている。そのため透明性と信頼に基づき、相互理解を促進していく上で、グローバルコミュニケーションが必須となっている。

・このような環境で、経営の軸を伝えるのはトップリーダーの責任だ。隔月で1500名のマネージャーと意見交換する場を作り、さらに隔年の全社員サーベイでキーポイントが伝わっているかを確認している。

・経営判断上の軸は、あくまで顧客の要望だ。

 

■IHHヘルスケア社長 リム・チョクペン氏

・チョクペンさんはシンガポール出身。医師。

・シンガポール、トルコ、マレーシアなど9カ国で32の病院を運営。病床数は5100。統合医療を提供している。

・ほとんどの国で医師を社員としては採用していない。フリーの優秀な医師と契約している。

・「日本の医療についてどう思うか?」という質問に対して….。品質が高い。日本だけでなく他国に対しても、日本は医療ツーリズムのハブとなり得る。実際、ベトナムから日本に高度医療を受けに来ている人もいる。シンガポールの医師も東京大学で学んでいる。

・ただし日本の医療の問題は規制だ。クロスボーダーの医師免許制度が必要だ。例えばシンガポールの医師が日本で治療ができるようにすれば、患者にとってもメリットがある筈だ

 

■サハ・パタナピブン会長 ブンチャイ・チョクワタナー氏

・チョクワタナーさんはタイ出身。

・現在の成功は、明日の失敗の始まりだ。イノベーションは大切だ。

・学習することでチャンスに変えることができる。1997年の経営危機でイノベーションを日々実践するようになった

・この際に、MOPという手法を編み出した。Mission Objective Policyの頭文字を取ったものだ。社員が心から情熱を持って動けるように、かつ長期的政策と短期的なプロジェクトを実践していくものだ。この仕組みを導入してから、売上も利益も大きく伸びた。

・私たちの経営哲学は、古き良き日本の経営哲学と変わらない。終身雇用、誠実さと健全さ、収益を社会に還元、だ。

・「日本企業の停滞についてどう思うか」という質問に対して….。成功を一旦経験すると、そのモデルを変えるのは難しい。日本は経済大国になった。だから変えるのは難しくなった。しかし20年の停滞の後、安倍首相になって変わった。今まではゆったりとしたダンスを踊っていた。誰もがそれに慣れていて、それによる経済の影響を認識していなかった。今はロックンロールを踊っているかのように素早い。

・「日本企業への期待は何か?」という質問に対して….。海外でビジネスをするためには、地元の人が何を求めているかを肌身で理解する必要がある。タイと日本は比較的近いモノの考え方をするものの、日本の考え方を押しつけてはいけない。そのような企業は、タイでは失敗しているのが現実だ。

・「日本市場の参入について、どう考えているか?」という質問に対して….。できればと思っているが、実際には難しい。恐らく日本は世界一参入が難しい市場ではないか?カルフールも2回試みて失敗している。

 

■楽天会長兼社長 三木谷浩史氏

・米国のIT経営者(セルゲイ・プリン、ザッカーバーグ、ラリー・エリソン、等々)は、一見するとネジが一つか二つ吹っ飛んだ考え方をしているかのように見える。しかし実は「素直に考えると、将来はこうなる」という鳥瞰の眼を持って、技術を判断している。新しい発想をどんどん取り入れて、「できない理由」でなく「できる方法」を探していくことが必要だ。

・楽天社内の英語化により、グローバルで均質な情報共有ができるようになった。人材も多国籍化している。外国籍社員は10.2%、海外勤務比率は3割、外国籍の新卒は3割、外国籍の新卒エンジニアは7割だ。コンピューターサイエンス専門の大卒は、日本は2万人だが、米国は32万人、中国は100万人、インドは200万人。しかし日本語が壁になっていると2万人の中からしか採用できない。実は日本は暮らしやすいので、「日本企業で働きたい」と思っている海外の人は多いが、日本語が壁になっている。社内英語化で、この数百万人に門戸を開けるのは、当社にとってもメリットだ。

・「日本語と英語の両方を準備するのはコスト高になるのでは?」という質問に対して….。実際には他言語でも用意しなければならない。まず英語で用意して、それを日本語、中国語、フランス語….と作っていく。だから逆にコスト削減に繋がっている。

 

■ストラタシスCEO デビット・ライス氏

・ライスさんはイスラエル出身。

・ストラタシスは3Dプリンター大手。

・教育セグメントは大きい。子ども達のイマジネーションを育てることができる。

・製造業で、3Dプリンターが全てを置き換えることはない。大量生産は従来の射出成形が引き続き使われるだろう。しかし短納期・カスタマイズ・パーソナライズの需要は、3Dプリンターがまかなっていくことになる。今は存在しない新市場を創造することになるだろう。デザイン業界は大きく変わっていくはずだ。

 

■ヘンケルCEO カスパー・ローステッド氏

・ローステッドさんはデンマーク出身。

・ヘンケルは接着剤大手でドイツ企業。

・CEOに就任した6年前、社内公用語をドイツ語から英語に変えた。

・さらに2年間をかけて社内の価値観を変革し、その後4年間で定着させ成長を図った。

・あくまで顧客を前面に出した。顧客が第一である。顧客をもって行動を定義した。

・当初、経営陣40名が集まり、各自が考える10の価値観を話し合った。全員がちゃんと書けなかった。そこで1年かけて残したい価値観を5つに絞った。そして6ヶ月間かけて4万人の全社員に展開した。

・その結果、ドイツ的なビジョンから、グローバルなビジョンに大きく変わった。

・価値観・ビジョンを定義するに当たっては、基本的な言葉を使うようにした。例えば「ソリューション」という言葉は国によって意味が異なる。だから使わなかった。

・「アジア、特に日本の役割は?」という質問に対して….。アジアは製造の中心。日本は自動車や電機業界でリーダー。大きな投資をしている。

実は多くの欧州企業が、アジアの成長にいかに取り組むか、苦労している。欧州企業のチャレンジは、アジアを理解すること、アジア人がアジアの法人を運営するようにすることだ。そのためには信頼と共通の価値観が必要なのだ。

・アメリカ人なら1回の話し合いで納得できることでも、アジアではなかなか納得できない。それに意見もなかなか話さない。これが現実だ。多様な、異なる文化を、信頼して受け容れることが必要だ。

 

■HUBROT会長 シャン・クロード・ビバー氏

(ビバーさんのお話しは特に面白かったので、後日ご紹介します)

 

■堀場製作所 最高顧問 堀場雅夫氏

・社是は「おもしろおかしく」。経営陣はなかなか受け容れなかったが、6年かけて認めさせた。

・仕事は苦労してはダメ。疲れていてはダメ。いい発想ができない。「これは面白い!」と思うと、どんどん発想が生まれてくる。

・「日本企業の問題は?」という質問に対して….。リスクマネジメントという言葉がある。本来の意味は、リスクを取る際に損害を最小化する方策を採ること。しかし今の日本ではリスクを取らないことになってしまっている。だから日本が元気がない。

・「88歳になっても、そのように立ったままずっと講演をなさっている元気の秘訣は?」という質問に対して….。病の99%はストレスだ。特に経営者はストレスが多い。だから少しでもeasy goingだ。迷惑をかけずに好きなことをやることだ。例えば会社の利益分配。「誰にいくらあげよう」と経営者が考え始めるととても大変。しかもその作業は価値を生まない。だから「従業員にxx%、株主へは配当性向30%、役員へは利益の6%」と決めてしまった。決めたので悩む必要がなくなり、その時間、価値を生むことに使える。

 

「グローバル化」「透明性」「相互信頼」「日本経営の復活」「イノベーション」が大きなテーマとなった初日でした。

 

第1日目のビバーさんと、第2日目の様子は、また後日ご紹介します。

 

 

落合博満さんに学ぶ、「プロは、自分の弱点を決して言わない」

私はプロ野球選手のWikipediaを見るのが好きです。

活躍した選手の各年度成績の移り変わりを眺めながら思い出を追体験したり、その選手の人生観や人柄に触れたりできるからです。

ちょっとした本を読むのと同じ体験が得られるので、知らない間に1時間も読み込んだりすることがあります。

 

先日も、落合博満さんのWikipediaを見ていたら、興味深いことが書いていました。

落合さんは510本の本塁打を打っており、そのうち176本は右翼方向です。

アウトコースの球を払うように流し打ちし本塁打にしてしまう技術に感嘆したスポーツライターの山際淳司氏は、著書『ナックルボールを風に』で、落合を取り上げています。

しかし、当のご本人は「俺の弱点はアウトローだった。俺ほど外の球を打つのが下手なのはいない」と語っています。

—(以下、引用)—

実際に落合が得意としていたのはインコースをセンターから右に打つことだった。そのため、ライト方向へ多く飛ぶので「アウトコースは危ない。勝負するならインコース」と落合対策を練る他球団が増え、得意なコースばかり球がきて苦手なコースにはあまり投げ込んでこず、落合本人はそのことをほくそ笑んでいたという。

—(以上、引用)—

人は自分の弱点を口にしてしまい勝ちです。

しかしそのように口にしてしまうのは、もしかしたら自分の心の弱さなのかもしれません。

勝負の世界で生きるプロフェッショナルには、このようなしたたかさが求められるのだな、と思ったエピソードでした。

 

「不格好経営―チームDeNAの挑戦」を読んで

皆様からちょっと遅れましたが、南場 智子著「不格好経営―チームDeNAの挑戦」を読了しました。

先日の名古屋出張のお供に持って行きました。

読み始めるととても面白く、行き帰りの新幹線で一気に読み終えてしまいました。

 

経営ではいいことばかりではありません。実際には失敗の方が多いのが現実。その失敗から学び続けることが必要です。

しかし一方で、経営者が書くビジネス書は、色々なしがらみもあって、失敗については大っぴらに書けないのもまた、現実だと思います。

本書は、南場さんならではの軽妙な文体で、ご自身のプライベートも含めて自分の失敗もそのままさらけ出し、ご自身の言葉で語っていることに価値があるのだと思います。

これだけ売れているのは、当たり前のことですが、本書が面白いからなのですね。

本書と出会えてよかったと思います。

 

一方で、ちょっと驚いたのが、アマゾンの書評。

現時点で、アマゾンの本書レビュー数は113件あります。

内訳は、★ 5つが62件、★4つが32件、★3つが11件、★2つが3件、★1つが5件。

全体的にとても高評価です。

しかしアマゾンの本書トップページに掲載された書評は、全てこの★ 1つの5件の書評から選ばれています。それは、これらの書評の「このレビューが参考になった」という率が、他と比べて高いからです。

確かにこれら★ 1つの書評も、一理ある内容です。しかし一方で、読者全体の意見を代表しているようには思えませんでした。

実は私もこの書評を見て「買うのは止めようかな」と思っていました。しかし友人達の「面白い」という話を聞いて、実際に読んでみたら面白かったのですよね。

もしもアマゾントップページの書評だけを見て本書を買うのを止める方が出ることがあれば、ちょっと残念なことだな、と思いました。

 

福島第一原発のルポルタージュ「いちえふ」

本日2013/10/3発売のモーニングに、福島第一原発で作業員として働いていた作者が描く渾身のルポルタージュのコミック「いちえふ」が掲載されています。

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ともすると、福島第一原発の現場はセンセーショナルに報道され勝ちです。

しかしこの作品では、淡々とした日常の中で、「いちえふ」(福島第一原発)と戦う現場の圧倒的な現実が描かれています。

第34回MANGA OPEN大賞受賞作です。

原発問題を語る方は、読んでおいて決して損はない作品だと思います。

 

2013-10-03 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧 新版』読了。生きる意味を考えさせられました

遅めの夏休みを利用して、昨晩から読み始め、今朝も読み続けて、一気に読み切りました。

『夜と霧 新版』(ヴィクトール・E・フランクル著、池田香代子訳、みすず書房)

淡々と事実が綴られる文章に接して、生きる意味、死生観、人間が持つ弱さと強さについて、色々と考えさせられました。

特に生きることについて書かれた、下記の文章には、圧倒的されます。

—(以下、引用)—-

p.129-130より
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない。…もういいかげん、生きることの意味を問うのをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。

….ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

p.134より
自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

–(以上、引用)—

この文章は、人間の尊厳がすべて奪われた、考えられる限り最悪の状況に置かれた被収容者に対して述べられた文章であることを思い起こす必要があります。

豊かな一方で様々な課題に直面している現代日本で生きる私たちに向けて、「生きることへの問い」を迫っています。

 

—(以下、引用)—

p.110より
…たとえほんのひと握りあったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまいかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。

—(以上、引用)—

自分の人生は、他の誰でもない自分自身だけのもの。これをどのように創っていくのかも、自分だけに与えられた自由です。

 

他にもここで引用したい珠玉の言葉が沢山ありました。

この本に出会えたことに感謝です。

 

なお、本書は1977年に刊行された原典の新版を訳して、2002年に出版した新訳本です。

実はもう一冊、『夜と霧――ドイツ強制収容所の記録』(霜山徳爾訳)があります。これは1947年に書かれた原典の翻訳です。実はこちらの本は先に購入していましたが、途中で読みかけです。

比較すると、新訳はとても読みやすくなっている反面、旧訳にあった約70ページ分の資料や写真等の歴史背景は割愛されています。

エッセンスは新訳ですぐに得られると思いますが、旧訳だとさらに細かいニュアンスも掴めるかと思います。改めて旧訳もじっくり読み比べたいと思います。

 

ちょっと遅い短めの夏休みで、上高地に来ました

今日から上高地に来ています。

自宅を朝出発し、電車を乗り継いで午後3時頃に到着しました。車を持っていないので出かけるときはいつも電車ですが、運転しなくて済むのでぐっすり電車の中で休めるのは本当に楽ですね。

河童橋のあたりです。とても涼しく、快適な空気です。

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森林浴の効果は1ヶ月間続くそうですが、最後に森に入ったのは昨年12月頃。

森の中にいるだけでとても癒やされ、生き返った気分がします。

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しばし充電し、また仕事に戻って頑張ろうと思います。

 

2013-09-25 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

【今夜、半沢直樹・最終回】ところで、実際にあり得るのか?倍返し?10倍返し?100倍返し?

今夜、あの人気ドラマ「半沢直樹」が最終回を迎えます。

回を重ねることに視聴率はグングン上昇、周りでも話題にする人が急激に増えてきました。最終回の今夜が楽しみです。

 

ところで、「半沢直樹」と言えば、

「倍返し」

第一部の最後ではこれが「10倍返し」になり、今夜の第二部最終話ではさらに「100倍返し」になると言われています。

 

確かに会社に勤めていると色々と腹ただしいこともあります。

「この借りは倍返ししてやる」と思ってしまうこともあるでしょう。

しかし、実際に会社でそれを口にすることは、あり得ません。

理不尽な仕打ちをされたとしても、実際は、相手には止むにやまれぬ事情があることも多いのです。あるいはもしかしたら、自分側に落ち度があり、自分が気がついていないだけなのかもしれません。

さらに様々な人々が集まる会社は、人間関係で成り立っています。

腹ただしく思う場面では、相手に向かって内心「倍返しだ」と思うことはあっても、実際に口にすることはあり得ないのです。

「倍返しだ」はドラマだから許されるし、普段自分たちが会社で言えないことを、堺雅人演じる半沢直樹が言ってくれるから、スカッとするのですね。

 

だからこの「半沢直樹」、実は「会社では『倍返し』と言うことはあり得ない」という前提で見る大人向けのドラマなのだろうと思います。

 

しかし一方で、その前提がわからない人も出てくる可能性もあります。

仮にそれが0.1%だったとしても、視聴者が数千万人規模になると、数万人単位になります。

職場で上司や先輩に向かって

「倍返しだ」

「もし私が正しいと証明されたら、土下座してもらいます」

という人も出てくるかもしれません。

そのうち、メディアで「困った『倍返し社員』」という特集も組まれるかもしれません。

 

あくまで「倍返し」は、ドラマ「半沢直樹」の状況で、堺雅人演じる半沢直樹が言うから成立するのであって、大人のビジネスパーソンは、くれぐれも真似をしないようにしたいものです。

本当に倍返しすべきは、恨みではなく、「いただいたご恩」なのではないかな、と思います。

上司や先輩から受けたご恩は、後輩や社会に「倍返し」していきたいものです。

 

東京メトロ・永田町駅に、駅チカ施設「Echika fit」誕生

いつも永田町駅近くにある平河町ライブラリーを利用しています。

先日、半蔵門線・永田町駅を降りて、改札に向かって歩いていると、数日前まで何もなかった空間に、なにやら賑わいが。

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なんと駅チカ施設「Echika fit」が誕生していました。

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よさげなお店も沢山入っています。

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東京メトロのサイトに詳しい店舗案内が出ています。

一番早い時間にオープンする店は、朝7:00からです。

これは、いつも朝7時前に永田町に到着し、平河町ライブラリー開始の朝8時まで外でカフェを探して作業をしていた私にとっては、嬉しいですね。

まだお店に入ったことがないので、楽しみです。

 

それにしても、何も活用されていなかった空間に、このような商用施設を生み出し、人々を集めて、新しい価値を創造する。

折しも、近くの赤坂見附にはBic Cameraも開店したばかりです。

素晴らしいマーケティング戦略ですね。

 

 

誤報だった、昨日の緊急地震速報

昨日夕方、スタバで仕事をしていたら、店内にいるお客さん全員のスマホやら携帯が、いきなり一斉に鳴り響きました。

なかなか経験できない貴重な体験でした。

すぐにTwitterのタイムラインをアクセスしたところ、緊急地震速報で「奈良県でM7.8、最大震度7」とのメッセージ。

奈良県の北西には原発がたくさんあります。とても心配です。

こういう時はすぐにYahoo!の地震情報にアクセスするのですが、アクセスが殺到しているためか、なかなか表示されません。

何回か試したところ表示されました。大きな地震の情報はありませんでした。

そのうちTwitterで「奈良県だけど、何もないよ」とのメッセージ。

誤報だったことが5分後にわかりました。

 

ITmediaニュースに記事が掲載されています。

緊急地震速報、過去最大規模の“誤報” 原因は「地震計のノイズの途切れ」

 

いきなり「ドン」と大きな揺れが来るよりも、間違いであっても、事前にわかった方がいいですよね。

たとえば自宅にいて、地震が来る前に10秒程度の余裕があれば、大きな冷蔵庫や本棚の近くにいたら離れたり、火を使っていたら消したりすることで、圧死や火事のリスクを大きく下げることができます。

毎日誤報があると「オオカミ少年」になってしまいますが、確実に知らせることが出来るのであれば、ある程度の誤報は許容すべきなのではないかな、と思いました。

 

それにしても、5分程度で誤報だったことが個人で調べられるとは、便利な世の中になったものです。

 

 

1分1秒でも無駄にしない女性は、企業を変える

2013/6/26の日本経済新聞の連載記事「Wの未来 会社が変わる② しなやかな革命」で、人材派遣パソナにて抜群の営業成績を誇る7名のチームが紹介されています。

その7名に共通するのは、①いち早く帰宅する②子育て中の女性の二つ。この「キャリアママチーム」の成約率は男女一緒の他チームの2倍だそうです。

—(以下、引用)—-

「1分1秒でも無駄に出来ないからこそ知恵が出てくる」とチーム長の矢野美紀子(38)はほほ笑む。

(中略)

日本は欧米諸国に比べ労働生産性が低く労働時間が長い。かねて指摘されながらままならなかった日本の長時間労働の改善に、短期集中という新たな武器を働くママたちが持ち込んだ。

—(以上、引用)—

確かに「時間をかければよい」と考えて、長時間労働しがちな日本の職場の風潮は、なかなか改善が難しいですよね。

一方で私が勤務する職場では、マネジメント分野・プロフェッショナル分野ともに、女性で活躍されている方々がたくさんおられます。

そのような方々を見ていていつも感じるのは、仕事への集中力の高さです。

キッチリと仕事を仕上げて、定時退社される方が多いように思います。その集中力たるや、素晴らしいです。

私自身、ダラダラと時間を過ごすのは何よりも苦痛で、仕事を短時間で集中して仕上げたいと考えるタイプです。

私のチームは女性比率が8割ととても多いのですが、このような方々と仕事をするのはとても楽しいですね。

ですのでこの記事を拝読し、まったくその通りだな、と実感しています。

 

解説記事では、帝人・大八木成男社長の言葉が紹介されています。

—(以下、引用)—

女性が増えて職場の雰囲気が変わってきた。育児中の女性は効率的に働く努力をする。そうした女性の働く姿は男性社員に様々な面で影響を与えている。

—(以上、引用)—

確かに企業が変わってきますね。

 

このように考えると、「女性の活躍推進のために『3年の育児休暇』」は、現実と矛盾している提言のようにと思ったりします。

むしろ、育児中の女性にも男性と対等に働く仕事の場を提供し、育児と仕事を両立する環境を提供することが日本が強くなることに繋がると思います。

さらに「育メン」という言葉も浸透してきています。「育児は女性の役目」も見直して、男性も積極的に子育てするようにしていければいいですね。

 

モノポリーな考え方に基づく組織は環境変化に弱いもの。一方で多様な考え方は、組織をしぶとく強くします。

男性価値観中心の日本の職場が変われば、日本企業も強くなると思います。

 

 

人生の時間

実は私たちの人生って、結構時間が限られています。

何もやることがなくて暇をもてあましたりしている時はあまり感じないかもしれませんが、あとでふり返るとあっという間に時間が経っています。

 

つい先日「いよいよ50歳になったかぁ」と思いましたが、気がつけば今は51歳+6ヶ月。これも気がつくと愕然とします。

 

また、私は正月が誕生日です。ふり返ってみればある大晦日で「明日の元旦で29歳か。ってことはあと1年でついに30代突入ってこと!?」と愕然としたのはほんのちょっと前だったように思います。

でも考えてみれば、それから既に22年6ヶ月が経っているのですね。その時に生まれた赤ちゃんは、もう立派な大人です。

ではその22年6ヶ月で何をやってきたか?

たくさんのことをやってきたようにも思いますし、やるべきことは実はもっとたくさんあるような気もします。

 

歳を重ねると時間の速さが加速するようなので、恐らくあっという間に60歳、70歳、80歳になるでしょう。

今は割と気力が充実しており、身体的体力は落ちているものの、知的体力は自分が30代・40代の頃と比較して向上しています。

でもこの気力が充実している状態がどの程度続くか….。70歳まで20年程度は続くかもしれませんし、あるいは10年程度かもしれません。

この10年・20年で何ができるか。

その10年・20年は現在の無限の積み重ねです。では現在、自分はやるべきことをやっているのか?

そして最後に、「いやぁ、いい人生だったなぁ。まったく同じ人生、もう一度やってみたいなぁ」と言えるか。(ニーチェの永劫回帰ですね)

 

私は割と健康に過ごしてきた方だと思いますが、それでも人生の時間は、意外と限られていて少ないなぁ、なんてことを、今日はお休みをいただいて考えています。

 

 

2013-06-14 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「ものごとを変えるのは、強いパッションと、小さな一歩を踏み出す行動力」…かものはしプロジェクト村田早耶香さんに、会社で講演をいただきました。

昨年12月、「朝カフェ次世代研究会」でNPO法人かものはしプロジェクト共同代表・村田早耶香さんに、「カンボジアの子ども達の笑顔のために ~カンブリア宮殿、NHKで話題の社会起業家が語る~ 」と題してご講演をいただきました。→この時の講演の様子はこちら

19歳の女子大生だった村田さんは、東南アジアで起こっている児童買春のひどい現実に出会いました。

多くの場合は、ここで「ひどいことが起こっている」と共感して終わると思います。しかし村田さんはここで、具体的に行動を起こしました、

まず本当にこんなにひどいことが起こっているのかを自分で調べ、現実はもっとひどいことを知りました。そして大学の授業ジャックをして、このひどさを訴えて書名を集めるところから行動を起こしました。

様々な問題に直面しながら「かものはしプロジェクト」を立ち上げ、10年間継続して徐々に成果を生み出して行かれました。

 

村田さんのお話しから、「ものごとを変えるのは、強いパッションと、小さな一歩を踏み出す行動力。この二つがあれば、世の中は変えられる」ということを学びました。

「これは私だけが知っているのはもったいない。是非会社の仲間とも共有しよう」と思いました。

幸い、私は日本IBMのソフトウェア事業で人材開発の仕事をしており、「朝塾」という社内早朝勉強会を行っています。

そこで昨日の朝、村田さんをお招きし、ご講演をいただきました。

早朝からオフィスに集まった参加者は約60名。直後に実施したアンケートからは、参加者の真摯な声が伝わってきました。

「まず自分で行動しよう」「まず自分が情報発信することが大切」というコメント多数でした。

「ものごとを変えるのは、強いパッションと、小さな一歩を踏み出す行動力」

私たちは忘れないようにしたいですね。

また、「永井さんがオープニングで村田さんをお招きした理由(「パッションと行動を学んで欲しい)を明確に伝えたので、今回の講演の意図がよくわかった」とのご意見もありました。1−2分程度でも、オープニングはやはり大切ですね。

 

ご講演をいただいた村田様、サポートしてくださった川口様には感謝です。

 

 

ほとんどの怒りの理由は、自分の中にある。だからコントロールできる

NIKKEIプラス1に2013/5/25掲載されていた記事「怒りを鎮めて失敗防ぐ」は、まさに「我が意を得たり」と感じました。

—(以下、引用)—-

….対人関係療法専門の精神科医、水島広子さんは「怒りのほとんどは『予定狂い』が原因」と教える。

 何かが自分にとってあるべき状態ではないことを示す感情が怒りである。例えば、相手に「こういうふうに動いてほしい」と期待しているのに、その通りに動いてくれないときに怒りが生じる。

—(以上、引用)—

つまり、相手が思った通りに動いてくれないから、怒ってしまうのですよね。

しかし相手は別の人格です。だから、そもそも100%こちらが思ったとおりには動くことはあり得ません。

そして怒りは自分の中に生まれる感情なのです。だから、自分が主体的に解決できるはずです。

 

たとえば、相手としっかりコミュニケーションを取って意思疎通を確実にする。これだけでもかなり改善されるはずです。

それでも思った通り動いてくれない場合は、自分のコミュニケーションが足りなかったと考えて、意思疎通を改善する。

あるいはコミュニケーションが十分なのに思ったとおり動かないのであれば、相手がなぜ動かないのか、その事情や理由を理解する。

これでほとんどの場合は解決できるのではないでしょうか?

なぜ動かないのかが理解できない場合もあります。そんな場合は….「そういうものなのだ(残念な人だった)」とあきらめるのも一つの手ですよね。

 

一方で、特定の個人を対象としない怒りは、必ずしも悪とは限りません。

例えば「世の中、こうなるべきだ」という社会的な怒りが、世界をよりよきものに変えることは、多くあります。社会起業家にはこのような方が多いですね。

私もビジネスの世界で起こる様々な理不尽な状況に対して、「こうすればもっとよくなるのに」という社会的な怒りを感じることがよくあります。これがブログを書いたり、本を書いたりする原動力になっているようにも思います。

自分の中に生まれる怒りを、うまくコントロールしたいものです。

 

 

冷泉彰彦氏『「橋下発言」はアメリカからどう見えるか』を読んで

ニューズウィーク日本語版に、冷泉彰彦氏のメッセージが掲載されています。

「橋下発言」はアメリカからどう見えるか

短いメッセージなので引用は割愛しますが、橋下氏発言問題に対して秀逸な論点を提示しています。

このような問題はともすると、「自分はこう信じている」「ケシカラン」という感情論に走り勝ちです。

しかし冷泉さんの文章を読むと、このような問題こそ、感情論に走らずに事実を整理して議論することが必要であることがよく分かります。

そして政治家たちの感情的なメッセージを受けて、私たち国民が将来の日本を誤った道に向かわせないためにも、「教養」が必要であることを痛感します。

昨日、当ブログのエントリー「読書は、私たちの頭脳を徹底的に鍛える」を書いた際にも考えたことですが、「もっと本を読むべきだなぁ」と再認識しました。

 

 

異なる視点の本を読み比べることで、読書から得られるものはより深まる (セブン・イレブンとローソンを例に)

読書で素晴らしい本に出会うことは、幸せなことです。

たとえば田中陽著「セブン・イレブン 終わりなき革新」という本。

下記エントリーでもご紹介した通り、セブン・イレブンの素晴らしい経営を理解できる名著です。

田中陽著「セブン・イレブン 終わりなき革新」は、真の顧客中心主義とは何かを教えてくれる

セブンイレブンはなぜ自動発注をしないのか?…田中陽著「セブン・イレブン 終わりなき革新」 

 

しかしこれが唯一解ではありません。

コンビニエンスストア業界の雄・ローソンの経営を描いた池田信太朗著「個を動かす」は、まったく別の視点を提供してくれます。

 

このコンビニ業界について書かれた2冊に基づいて、両社を比較してみると、

■「ゼロからの出発」だったセブンに対して、「マイナスからの出発」だったローソン

■「単品管理・ドミナント戦略の追求」を図るセブンに対して、「多様化の追求」を図るローソン

■「徹底した中央集権」を図るセブンに対して、「徹底した権限委譲」を図るローソン

しかし「顧客中心主義の徹底追求」「事実に基づく、仮説検証の徹底実践」という考え方は同じです。

 

この2冊を読み比べてみて、私は下記を学びました。

■解は、一つではない。模索し続ける

■解に、王道はない。愚直に継続

■ヒントは本社にない。お客様と接する現場にある

■しかしあくまでヒント。徹底的に考えなければならない

■考えた結果が、正しいとは限らない

■だから事実に基づいた、あくなき仮説検証の徹底

そして、「社員も、管理職も、経営者も、等しく義務を負っている」

 

同じテーマについて異なる視点の2冊を読み比べて異なる点と共通点について考えていくことで、読書から得られるものはより深まると思います。

 


 

 

新日本型経営の誕生へ ….NHKスペシャル「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ」

昨晩(2013/5/11(土) 21:00)のNHKスペシャル「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ 第1回 ニッポンの会社をこう変えろ」を見て思ったこと。

  • 日本人のものづくりの強み(高品質、信頼性)がなくなったわけではない
  • 世の中が多様化し変化が急激になっているのに、日本の組織が、ものづくりの考え方(大量生産・大量供給)を高度成長期から変えておらず、イノベーションが起きていないことが問題である
  • だから、組織の壁(個人間/事業部間/会社間)と考え方の壁(自分の専門分野)を壊して、日本が持つ強みを活かして、新しい領域にチャレンジし、イノベーションを起こせば、日本は必ず再生する
  • それはかつての黄金期のメイド・イン・ジャパンの復活ではない。まったく新しいメイド・イン・ジャパンの誕生である
  • 既に様々な成果が生まれている

日本が独自に持っている強みを否定するのではなく、活かせるように発展させていくのですよね。

 

今晩(2013/5/12(日) 21:00-)、第2回を放映します。

メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ 第2回 新成長戦略 国家の攻防

国の政策に焦点を当てるとのこと。必見です。

 

なお、昨晩の第1回の再放送は5/16(木) 1:39AM-2:37AMの予定だそうです。見逃した方は是非。

 

 

読書が大切と思う二つの理由

最近改めて思うのが、読書の大切さです。

 

自分で経験できることには、限界があります。

さらに、自分の経験の意味を自分自身で考えて学ぶことにも、限界があります。

読書はこの両方を増幅してくれます。

 

読書は、他の人たちが経験したことを極めて短い時間で疑似体験できます。

ビル・ゲイツは伝記をよく読んだそうです。恐らく偉人たちが何を考えたかを現在自分がビジネスで置かれた状況と照らし合わせて追体験しつつ、読んでいたのではないでしょうか?

 

さらに読書をしていると、「ああ、これは自分が経験したあの状況と同じだ」と思うことがあります。

たとえばジェフリー・ムーア著「キャズム」という本を読んだ際に、自分が企画してプリセールスを担当した新製品がなかなか売れなかった時のことを思い出しました。

セールス活動をしていると、自分の考えで速断即決で買い徹底的に使い込む少数派と、新製品のことは色々調べるものの実際のユーザー事例が出てから本格検討する多数派の2種類の見込み客がいることに気づきました。

本書で紹介された「キャズム理論」では、前者をアーリーアダプター、後者をアーリーマジョリティ(またはレイトマジョリティ)と呼びます。

このように、自分が経験したことの意味を、自分自身で再度ふり返って考えて、学びをずっと深めることができます。

 

1−2時間程度で読める本でも、執筆には多くの人が関与し、さらに手間と時間がかかっています。著者だけでなく、色々な人たちの知恵が詰まっていて、それが効率よく吸収できるようになっているのですよね。

本を書く立場になると、改めてよくわかります。

自分に合った本を見つけて、読書をすると、自分の経験がすごく増幅され、学びを深めることができると思います。

 

 

2013-05-08 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

ちょっとした一文に、「自己顕示欲」「自己愛」「劣等感」「満たされぬ欲求」が現れる

日経Bizアカデミーで、臼井由妃さんが「ほんのひと言の違いで、好かれる人にも、嫌われる人にも」という記事を書いておられます。

たとえば、次のような違いが紹介されています。

あと3日しかない
あと3日もある

○○さんは、文字は、きれいですね
○○さんは、文字が綺麗ですね
○○さんは、文字も綺麗ですね

ショートカットが似合うね
ショートカットも似合うね

「しかない」と「もある」、「は」と「が」と「も」といったひと言の違いで、相手が受ける印象がだいぶ違いますよね。

 

自分で書く文章も、見直してみるとこのような違いを発見することがあります。

これは自分の心の中を探ってみると、自分の潜在意識が現れているのですよね。

田坂広志著「プロフェッショナル進化論」で次のような文章があります。

—(以下、引用)—

「文章を書くこと」とは、究極、「人間を磨くこと」であり、「人間力を身につけていくこと」であることを、知るべきであろう。

文章を書くとき、まず、自分の内面を見つめ、そこにある「自己顕示欲」「自己愛」「劣等感」「満たされぬ欲求」を静かに見つめることであろう。

「文章の力」とは、実は、その透徹した「エゴ・マネジメント」から生まれてくる。

—(以上、引用)—

実際に自分の文章を何回も見直しているうちに、ここに書かれている「自分の自己顕示欲」「自己愛」「劣等感」「満たされぬ欲求」といやがでも向き合うことは多く経験します。

気づくのは辛い場合もありますが、考えようによってはとてもいい訓練です。

毎日ブログを書く意味も、そんなところにあるのかもしれません。

 

 

2013-05-04 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

一勝三敗一分けだったプロ棋士 vs.コンピュータ。写真の世界でこの30年の間に起こったことと近いことが、将棋界でも起こっているのかもしれない

五種のコンピュータ将棋ソフトと、五人のプロ棋士が戦う第二回電王戦は、プロ棋士の一勝三敗一分けでした。

2013/4/27の日本経済新聞の記事「文化 将棋界、電脳時代の妙手は」では、プロ棋士の感想や新しい取り組みを紹介しています。

—(以下、引用)—-

…既にその先を見据える棋士もいる。(人間対コンピュータという)この構図に違和感を覚えるという森内名人は「コンピュータはあくまで道具。人間とは能力も役割も異なる」と話す。

…パソコンを持ち込んだ人間同士が戦う「アドバンスドチェス」という新種の対戦も試みられている。局面の形勢判断に優れる人間と、圧倒的な量・速度の読みの能力を持つコンピュータが力を合わせることで、さらに質の高い対局を作りだそうという試みだ。

…「コンピュータに頼るなんていかがなものか」。プロアマ問わず一部に残るそんな偏見も、すぐに薄れることだろう。プロ棋士とは、将棋の真理を探究する天才たちである。探究に有効な手段があるのなら、敬遠する方が不自然だ。

—(以上、引用)—-

この記事を拝読し、写真の世界でも数十年前に起こったことを思い出しました。

 

「自動露出・自動焦点」という言葉が分かる方は40代以上の方でしょうか?

長い間、カメラは基本的に露出はマニュアル、ピントも人間が合わせるのが普通でした。

私が学生の頃、自動露出カメラは既に普及していましたが、私はマニュアルで露出を決めていました。

当時は露出計を使わなくても、「この天気なら、ISO 100のフィルムだと1/60秒、F5.6」と露出が読めたものです。

またピントをすぐに合わせられることも大切なことでした。私も暇があればファインダーを覗いて被写体にピントを合わせる練習をしていました。

写真の仲間内では、この手の腕を競い合っていました。

 

その後、カメラの自動露出の精度は上がっていき、次第に自分で露出を決めることはなくなりました。

ピント合わせも、1980年代後半にミノルタαやキヤノンEOSといった本格的な自動焦点一眼カメラが登場して自動焦点の精度と速度が上がり、自分でピント合わせに手間と時間をかけることもなくなりました。

露出ミス、ピンぼけといった初歩的なミスは激減、シャッターチャンスをものにできる確率はかなり向上しました。露出とピント合わせという点では、プロに近い技術をアマチュアも手にしたわけですね。

さらに以前は銀塩リバーサルフィルムは露出がとてもシビアでした。しかしデジカメをRAWデータで撮影すれば撮影後の補正はかなり余裕を持って行えるようになりました。

露出合わせ、ピント合わせ、各種補正という面では人の手間を大幅に削減され、「よい写真を撮る」という写真を撮る目的が達成できるようになりました。

 

「いやいや、露出もピントも、人間が自分で決めることに価値がある」という考え方も、もちろんあるでしょう。

しかし、「そういうことは機械に任せて、人間はいい写真を撮ることに集中すべきだ」という考え方もあるはずです。

 

記事の中の「コンピュータはあくまで道具。人間とは能力も役割も異なる」「探究に有効な手段があるのなら、敬遠する方が不自然」という話を読み、将棋の世界でも、コンピュータと将棋ソフトの実力が上がり、これと近いことが起こっているように思いました。

 

 

「クラウド化の流れは近いうちに止まる」…それは事物がらせん的に発展しているから

日経ITProに「『クラウド化の流れは近いうちに止まる』、ガートナーがITの近未来を予想」という記事が掲載されています。

ガートナー ジャパン主催イベントの基調講演で、ガートナー フェローのスティーブ・プレンティス氏が「今後5年間でITに影響を与える最重要トレンド」と題して話した内容の一部です。

記事では以下のように書かれています。

—(以下、引用)—

「2014年までに、SaaSを利用する企業の30%がサービスレベルの低さを理由にオンプレミスに転換する」—。

プレンティス氏の予想では、これまで先進企業が積極的にけん引してきたクラウド化の流れが、近い将来に止まるという。重要なシステムは社内に置きなおすべきだと考える企業が増え、2014年までに、ITサービスベンダーのトップ100社中20%が市場から姿を消すと予測する。

—(以上、引用)—

 

「クラウドはなくなる」と言っているのではなく、「クラウドへの過度な期待は徐々に収まり、オンプレミスへの揺り戻しがある」と言っているのですね。

 

これはまさにヘーゲルが述べた「事物のらせん的発展」です。

「事物のらせん的発展」は田坂広志著「使える弁証法」に詳しく書かれていますが、ここで簡単にご紹介します。

「ものごとは直線的に発展するのではなく、あたかもらせん階段をあがるように発展する」という考え方です。

らせん階段を登る人を横から見ると、上に向かって登っていますが、上から見ると円を描いて歩いています。

例をあげると、昔は定価がなく「指し値」や「競り」で物品を販売していました。この方法は非効率なので近代産業社会で一旦消えました。しかしインターネットの発達で「ネットオークション」という形で復活しています。一見すると昔懐かしい「競り」の復活ですが、「競り」は参加者はその場にいる人たちだけでした。ネットオークションでは世界中から参加できます。つまり新しい性質を獲得しているのです。

ある事象(競り)が、新しい事象(近代産業社会)で否定されて消え、その新しい事象が再び否定されて新しい性質を獲得して復活する(ネットオークション)。

このように原点回帰しながら、あたかもらせん階段を上がるように世の中は発展しているのです。

  

このように考えると、このクラウド化の流れの位置づけも分かるのではないでしょうか?

■1940年代に生まれたコンピューターは、集中処理でした。全業務は大型コンピュータで処理されていました。当初のユーザーインターフェイスはパンチカードや紙、後に専用ディスプレイになります。ユーザーインターフェイスは貧弱で全く融通性がありませんでした。

■1970年代にパソコンが生まれました。それが1980年代後半から1990年代に分散コンピューティングという考え方に進化します。ホスト集中処理は「クライアントサーバー」という形態に変わります。「ホストコンピュータは死んだ」と言われたのもこの時代。「エンドユーザーコンピューティング」という言葉も生まれたように、ユーザーインターフェイスの大幅な改善が図られました。

■一方で1960年代にARPANETとして産声を上げたインターネットは、パソコンに一足遅れて1990年後半から一般普及が始まります。社内全社員のパソコンに専用ソフトを導入管理するのは大変でしたので、PC側に専用クライアントソフトを導入せずに、Web経由で使う形態が普及し始めます。そしてリッチクライアントという考え方も生まれます。

■2006年にGoogleのエリック・シュミットが「クラウドコンピューティング」という言葉を使い始めて、クラウドの考え方が普及し始めます。社内に沢山のサーバーを置くのではなく、クラウドでまとめてしまおうという考え方です。昔懐かしい集中処理の復活です。しかしリッチクライアントと組み合わせることで、ユーザーインターフェイスは格段に向上します。そしてパブリッククラウドとして社外にデータを預ける動きが出てきました。

■そして記事にあるように、再びオンプレミスに回帰していく。その時のオンプレミスは、クラウド技術やリッチクライアントを活用したものになっていることでしょう。(いわゆるプライベートクラウドですね)

 

このように時間軸を広げて俯瞰して見ると、改めてIT業界はらせん的発展を遂げていることが分かります。

 

「事物のらせん的発展」という考え方は、IT業界で起こっている様々な事象が大きな歴史の中でどのような意味があるのかを思索する上で、ヒントを与えてくれると思います。興味のある方はご一読をお勧めします。

 

 

 

人間は、エゴを克服できるのか?

いま私たち人類が悩んでいる問題 — 身近なものから国家レベルまで — の多くの原因は、「人間のエゴ」にあると思います。

このエゴというものは非常に厄介なものです。気がつかないうちに色々な害をなしてしまいますし、無理になくそうとすると知らない間に肥大します。

 

なぜ人間はこの厄介なエゴを持っているのでしょうか?

 

それは恐らく、必要とされていたからだと思います。

 

昔は人間が必要とした仕組みで、今は必要性が失われているものは沢山あります。

例えば、人間は過剰に摂取した食べ物を脂肪として蓄積する仕組みを持っています。だから沢山食べると太るのですね。

これは、飢餓に備えてエネルギーを脂肪として蓄積するためだそうです。人類の歴史のほとんどの期間、飢餓が大きな課題でした。だからこれは合理的な仕組みだったのでしょう。

一方で私たちが先進諸国で飢餓から解放されたのは、つい最近のこと。ものが豊富にある社会になると、この過剰な食物を脂肪として貯める仕組みが、成人病など様々な問題を起こします。

これも、昔は人間にとって必要だった仕組みが、今はデメリットになっている例だと思います。

 

エゴの話に戻ると、エゴ(エゴイズム)は「利己主義」という意味です。

長い歴史で人類が生き延びるためには、自分自身や家族を守るために戦うことが必要であり、だから利己主義にならざるを得なかったのではないでしょうか?

1万年前に文明が始まり文明社会が生まれました。

文明社会同士も生き延びるために衝突して戦争が起こり、19世紀には産業革命で世界中がつながるようになり、20世紀にはさらに規模が拡大して世界大戦も2回起こりました。

数多くの戦争を経て、「世界は一つにまとまらなければならない」という認識が広がりつつある一方で、やはり多くの地域間・文明間の争いは残っています。そしてその多くは、エゴが生み出しています。

長い歴史の中で、人類が生き延びるために必要とされたエゴは、次第にその必要性を失いつつあるのかもしれません。

 

先日ご紹介した、田坂広志さんの「風の便り 特選」の第13便(2011年9月20日配信)で、ちょうどこのことが書かれていました。

ちょっと長い引用ですが、ご紹介します。

—(以下、引用)—

 「歴史」が幕を開けるとき

 すでに「過去」となりつつある、20世紀。
 「戦争の世紀」と呼ばれたその時代を回顧する
 ドキュメンタリー・フィルムを観ました。

 そのなかで、最も心に残ったのは、第二次世界大戦。
 アウシュビッツ、ゲルニカ、硫黄島、広島、長崎・・・。

 それらの映像の中に映し出される
 無数の人々の、極限の生。

 世界中が戦いの渦に巻き込まれ、
 6500万の人々が命を失った。

 この戦争の記録を観るとき、
 一つの問いが心に浮かびます。

  あの無数の人々が、
  いまの我々の姿を見るならば、
  何を思うだろうか。

  平和に慣れ、豊かさを当然と思い、
  他者の悲惨に無感覚になっている
  いまの我々の姿を見るならば、
  はたして、何を思うだろうか。

 そのことを考えるとき、
 一つの言葉が心に浮かんできます。

  人類の「前史」

 我々は、未だ、戦争と貧困に苦しむ
 人類の「前史」の時代を歩んでいる。

 その言葉が、心に浮かんでくるのです。

 では、人類の本当の歴史は、いつ始まるのか。

 それは、我々が、
 一つの真実に気がついたときでしょう。

  あの無数の人々の姿は、我々自身の姿である。

 そのことに気づいたとき、

 我々の本当の歴史が、
 幕を開けるのでしょう。

—(以上、引用)—-

 

現代に至るまで、人類は環境に合わせて着実に進化してきました。

だからこそ、エゴが害をなすようになった今、人類は再びそれを克服していくでしょうし、人間はその叡智を持っていると思います。

 

 

2013-04-21 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「天皇・皇后両陛下、20年ぶりにダンスを披露」

昨日の日経第三面で写真入り記事を見つけたのですが、TBS NewsのYouTubeチャンネルでも見つけました。

とても素敵ですね。

天皇・皇后両陛下とも過酷なお仕事をされ、ご家族の問題も一部のマスコミに取り上げられています。

ご心労は想像もできないほど過酷と思いますが、そんなことは微塵も感じさせない、お二人のお人柄を感じる映像です。

一時期、Facebookでもこんな写真がシェアされていました。

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国外のVIPや王室の方々にも、お二人のファンは多いとのこと。

 

いつまでもお元気でおられますように、願っています。

 

 

2013-04-14 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「かものはしプロジェクト」も朝活

先日「朝カフェ次世代研究会」で講演いただいた「かものはしプロジェクト」も、朝活を始めたそうです。

名付けて「朝かも」

こちらに詳細があります。

4月は、4月11日(木)と23日、電源カフェbeez渋谷で行うとのことです。(7:30開始、8:30終了)

【概要】日本事業統括の山元圭太が売られる子どもの問題について説明し、その後かものはしが行なっている問題解決のための事業内容・戦略についてお話します。また、元コンサルティング会社に努めていた山元が転職し、NPOで活動することを決めた想いについてもお話致します。

申込みはこちらから。

「かものはしプロジェクト」に興味がある方は、是非この機会にいかがですか?

 

 

2013-04-10 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「全員責任」が「全員無責任」になる理由

「全員が平等に責任を持とう」という組織をよく見かけます。

しかし「全員責任」という考え方が破綻し、悲惨な結果を招くこともあります。

 

たとえばある村で、お世話になった牧師が村を去る際に、村人が感謝の気持ちを伝えるために皆でワインを一杯ずつ樽に入れて、ワインで満たされた樽をプレゼントしようとしました。

しかし樽をあけたところ、中身のワインは真水になっていた、という不思議な話があります。→詳しくはこちらのリンク

 

また実話では、2ヶ月ほど前に当ブログでご紹介した「台湾沖航空戦」もその例です。

日本軍は航空機300機を失うも、米国海軍を相手に大戦果を挙げ、それを受けて大兵力をフィリピンのレイテ島に集結して決戦を計画しました。

しかし実際には米国海軍はほぼ無傷。レイテ島決戦では8万人の犠牲者が出ました。

日本の航空部隊にはなんとなく「敵艦を撃沈できたかどうか分からない」という空気があり、「撃沈できたような気もするし、していないような気もする」と言っているのを「敵艦撃沈」と集計した結果が、世紀の大虚報になりました。

 

「全員が責任を持つ」が、「誰かが、責任を持ってやるはず」となり、「自分はやらなくても大勢に影響はない」となり、そのうち誰もやらなくなり、このような結果を生み出しています。

「全員責任」が、「全員がちょっと無責任」になり、最終的に「全員無責任」になる。

「全員責任の社会」ではなく、「私たち一人一人が責任を持つ社会」にしていきたいものです。

 

以前、当ブログに書いた「ビジネスパーソン2.0」という考え方は、ビジネスパーソン一人一人が責任を持ち、自分の名前で情報発信するような社会になれば、と願って提唱させていただきました。

実は私たち一人一人がその気になれば、出来ることは意外に多いはずです。

そして世の中は変えられるのではないかと思っています。

 

 

新映像4号機爆発写真…この重い現実を忘れてはいけない

事故から2年が経過し、東京電力から新たな福島原発事故の際のテレビ会議の映像が公開されています。

これはその映像を紹介した番組ですが、福島原発事故はまだまだ私たち自身が抱えている重い現実であることを実感します。

新映像 東電テレビ会議 4号機「爆発写真」 投稿者 tvpickup

また、極限の状況の中で頑張っている方々の想い、現場と本部の対応の差、情報が錯綜とする中での混乱、等、私たちが自分自身の状況に置き換えてみても学べることが色々とあります。

コメンテーターに多摩大大学院教授で元内閣官房参与として原発事故対策などに取り組まれた田坂広志先生も出演されています。

30分弱の番組ですので、春分の日の今日、時間があればご覧になってもいいかもしれません。

 

 

2013-03-20 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

全ては自責に突き当たる。しかし、それが間違っていることもある

色々と起こる問題。その問題の原因も、「なぜ」を5回繰り返すと必ず自責になります。

仕事の場合、自責になればしめたもの。自分が主体的に解決できるからです。

 

しかし、そうではない場合もあるのではないでしょうか。

例えばDV。相手から暴力を受け続けていても、「自分が悪いんだ」「だから自分が我慢すればいいんだ」と考えて、DVがエスカレートしても逃げられなくなります。

第三者から見ると「なぜ逃げられないのだろう」と思います。

しかし、なぜを5回繰り返すと必ず自責になります。そして被害者は、この問題を真剣に徹底的に考え続けています。「なぜ5回」どころか、「なぜ10回」「なぜ100回」を、ずっと考え続けています。

そして自責に突き当たる。

「相手にもいい点がある。結局自分が悪いんだ」→「だから我慢すればいいんだ」

他の要因が考えられなくなる。そして被害にあい続ける。

 

ビジネスとは状況が違います。

だからこそ、そっと「これは自責じゃないんだよ。逃げてもいいんだよ」と言ってあげる人も、必要なのではないでしょうか?

 

 

 

2013-02-19 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

自分たちで考え、自分たちで実行するところから、新しい時代が始まる

世の中では「あちらが立てばこちらが立たず」ということばかりです。

例えば社会保障を充実させるためには、税金などの収入が必要。

一方で減税するには、国が提供するいくつかのサービス(社会保障など)を削減する必要があります。

しかしともすると、「社会保障はもっと手厚くして欲しい。でも税金は下げて欲しい」という議論になりがちです。

「あちらを立てて、こちらも立てる」という無理なことを、私たち有権者は政治にまだ期待しているように思います。もしかしたらこのような状況が、日本が行き詰まらせているのかもしれません。

 

本来、意志決定には実行責任が伴います。

この状況を打開するには、自分が出来るところから、自分たちで考え、自分たちで実行することが必要なのではないかと思います。

 

「デモクラシー2.0イニシアティブ」では下記のような1.0→2.0の進化を提唱していますが、目指すところは「私たち一人一人が、身近な様々なことを、自ら考え、自ら実行する」ということなのではないかと思います。

観客型民主主義 → 参加型民主主義
社会の意思決定への参加 → 社会の変革への参加
政策決定の間接民主主義 → 政策実行の直接民主主義
税金による間接民主主義 → 寄付による直接民主主義
政府による公的サービス → 民間による公的サービス
官僚機構による政策立案 → 国民参加による政策創発
政府から国民への広報 → 政府による国民からの広報
劇場型政治 → 広場型政治
強力な指導者 → 賢明な国民
国民の意志表明 → 国民の学びと成長
二項対立的討論 → 弁証法的対話
マスメディア → ソーシャルメディア
自由としての権利 → 責任を伴う権利
現在の世代の利益 → 未来の世代の利益

 

 

2013-02-17 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

現在の安定は、誰かの頑張りに依存している

私達が立っているこの基盤は、意外に脆いものかもしれません。特定の人の頑張りで成り立っていることも多いのです。

 

例えば福島第一原発の事故処理現場。河北新報社のサイトには、汚染水の入った円筒形のタンクが所狭しと並べられている写真が掲載されています。→リンク

事故から2年が経過しようとしていますが、この汚染水、増加の一途です。

現場の方々の懸命のご努力で、現在の日本は支えられている。汚染水タンクはその一つの象徴です。

 

このようなことは、私達の身近にも、意外と至る所にあるような気がします。

そしてその頑張りが続くことは、必ずしも保証されていません。私達は誰もが、意外と脆い基盤の上に立っています。

ふと周りを見回すと、自分はそのような方々の頑張りに、まるで当たり前のように依存しているのかもしれません。

なかなか気がつくことはないかもしれません。しかし気がついたら感謝したいものです。

 

 

2013-02-12 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

実は、ライフワークに使える時間は、業務時間に匹敵するという話

私は平日は会社員として通常の業務をしています。

その一方で、年2-3冊のペースで本を執筆し、毎日ブログを書き、勉強会を行ったり、仕事から離れた講演をしたりしています。さらに今年4月からは大学院で週末に講義を持たせていただく予定です。(これに先だち公開講座を2/21に予定。詳しくはこちら)

 

よく「仕事が忙しいのに、なんでそんなに出来るんですか?」と聞かれます。

実は、ライフワークのために使える時間は、発掘してみると意外とあるからなんですよね。

 

1年間は24時間x365日、つまり8,760時間あります。

これを細分化すると、

■会社の業務時間は、2,460時間。
….残業しなければ1,800-2,000時間ですが、やや多めに見積もっています。

■睡眠・食事・風呂などの生理的な時間は3,300時間。
(平日は睡眠6時間+食事・風呂で2時間、休日は睡眠8時間+食事・風呂で3時間)

■家族と過ごす時間は、人それぞれですが、1,000時間としましょう。
(平日は2時間、休日は4時間)

残りは2,000時間になります。平日は通勤時間+朝や夜の自由時間、休日は自由時間がこれに該当します。この時間は色々なところに分散して埋没しています。

 

この時間を、ボーッと過ごしたり、遊んだりするのも確かにいいかもしれません。しかし小まめに積み重ねると意外と色々なことができます。

私はこの時間を使ってブログを書いたり、講演の準備をしたり、本を執筆しています。

さらにこの2,000時間以外の時間、例えば家族との時間や、あるいは風呂や食事や寝ている最中にアイデアを思いつくこともあります。仕事からも学びが得られます。

このように考えると、会社員として本業を抱えていても、実はライフワークに使える時間は業務時間に匹敵するだけ持っていることが分かります。

実際に私自身の実感として、業務時間に匹敵する充実した濃い時間を、ライフワークで得ています。もちろん家族との時間も大切にしています。

さらにライフワークの時間で得た学びを、業務で活かして、より質の高い仕事を目指すことも出来ます。

 

せっかくの1度しかない人生。

色々と有意義なことにチャレンジすることは人生を豊かにしますし、それは社会にとってもよいことなのではないかと思います。

 

 

2013-02-10 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

正義感

バットマン「ダークナイト ライジング」では、悪役としてベインが登場します。

当初ベインはバットマンを圧倒、窮地に追いやってしまう程の強い精神力を持っていました。

 

なぜベインはそのような強い精神力を持っていたのか?

それは極めて強い正義感なのかもしれません。

ベインは師の遺志を継ぎ、ゴッサムシティの壊滅を目指していました。

「ダークナイト ライジング」ではベインはその強い精神力で、「ゴッサムを市民の手に取り戻す」として、ゴッサムシティの人々を扇動していきます。

 

強い正義感と強い信念を持ち、自分の正義感や信念と相容れない相手には厳しい一撃を食らわせる。そして強い精神力で空気を作り人々をリードする。

このベインの姿、誰でも「ああ、そう言えば」と思い当たるケースはあるのではないでしょうか?

 

しかし正義感はあくまで主観的なものであり、絶対ではありません。思い込みや勘違いもあります。

そしてほとんどの正義感は、自分自身の中にある隠れたエゴから生まれているように思います。

傍から、その構図は見ているとすごくよく分かります。

しかし当の本人はなかなか分からない。

そして自分がベインにはならないとは決して言い切れない。

ベインも実は守るべきものを持っていました。

 

とても怖いことです。

 

 

 

2013-02-04 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

渡辺淳一「私の履歴書」完結を読み、津本陽「私の履歴書」を思い出し、考えたこと

今月、日本経済新聞に連載されていた渡辺淳一先生の「私の履歴書」が、本日完結しました。

経営者や学者の「私の履歴書」だと、1ヶ月連載の最後の5日間は一仕事を仕上げて引退後の活動を描くことが多いのですが、渡辺先生の場合は最後4日間になってもまだ30代、相変わらず華やかな女性遍歴を描いていました。

Twitterなどでも話題になっていましたが、私も「このまま終わるのか?」「どう終わるのか?」と思っていました。

本日の最終回では、冒頭から

—(以下、引用)—

ここまで、「私の履歴書」を書いてきたが、ここから先は、改めて書くまでもない。

なぜなら、これ以降のことは、このあと書いたわたしの作品を読んでもらえば、ほぼ分かるからである。その意味では、わたしは私小説作家であるのかもしれない。

—(以上、引用)—

で始まっています。

今回の「私の履歴書」自体、渡辺先生にとってある種の私小説だったのかもしれません。

 

数年前に作家である津本陽先生も「私の履歴書」を書いておられました。

この時も津本先生は、連載1ヶ月間の残り10日というタイミングで、まだ学生時代の戦争体験のことを丹念に書いておられました。この激しい戦争体験で得た死生観が、その後の執筆活動に大きく影響を与えたとのことです。

 

お二人に共通することは、ご自身の原体験を書いておられることです。

そしてその原体験が執筆活動の原動力になっている。

ご自身の深い体験に基づいて書いているから、説得力があるし、文章に言霊が宿っている。

 

私もプレゼンなどをする際に、人の言葉を借りて話してもなかなか説得力がないことを痛感しています。

しかし自分自身の経験を元に学んだことを話すと、不思議と相手に言葉にならないものが伝わるのですよね。

 

ビジネスパーソンが仕事の学びを本に書くことも同じで、自分自身が実体験した中からの学びを社会に伝えていくことが求められているのかな、と思いました。

 

 

2013-01-31 | カテゴリー : 社会 | 投稿者 : takahisanagaicom

「ビジネスパーソン2.0」という考え方

ここオルタナティブブログでブログを書いている方々は、経営者もいれば企業の会社員もいます。皆さんは日々の仕事をしながら、実名で主体的にメッセージを出しています。本を書いている方も沢山おられます。

このようなビジネスパーソンのあり方は、一昔前には考えられなかったように思います。

  

右肩上がりの高度成長期は、会社が成長することで自分の活躍の場も広がる、しんどいながらも幸せな時代でした。仕事は大変でしたが、「滅私奉公」という言葉もあるように、会社に自分の未来を投影できた時代でもありました。

多くのビジネスパーソンにとって「会社での仕事が自分の人生」だったのではないでしょうか?

「24時間戦えますか?」というCMが話題になったのも、この頃です。

ちなみに私、27歳だった1989年に会社勤務の傍ら写真の個展を行いましたが、この時は「かなり変わった奴がいる」という目で見られました。

 

その後バブルが崩壊。終身雇用も崩れ、少子高齢化が進んできました。一方でバブル崩壊数年後にインターネットも登場しました。

「会社=自分」だったのが、どうも「会社≠自分らしいぞ」ということになってきました。

多くのビジネスパーソンが、漠然と「自分ブランドの確立」を考え始めます。

またでワークライフバランスという考え方も出てきました。

そして「24時間戦えますか?」とは真逆の「育MEN」という言葉が広がりました。

このような時代、多くのビジネスパーソンが「自分はいかに仕事に関わっていくべきか?」ということを改めて考え始めているように思います。

そしてそれは、「いかに自分の人生を生きるか?」ということなのではないかと思います。

 

このように考えると、ビジネスパーソンのあり方が進化しているのではないでしょうか?

仮に高度成長期までのビジネスパーソンのあり方を「ビジネスパーソン1.0」、現代のビジネスパーソンのあり方を「ビジネスパーソン2.0」と名付けてみます。

「ビジネスパーソン1.0」は、あくまで「組織の中の個人」。

一方で「ビジネスパーソン2.0」は、「組織の中の個人」でありながら「独立した個人」という面も持っています。ちょうど冒頭で書いたオルタナティブブロガーの皆さんは、そんな人達なのかもしれません。

 

あえて「ビジネスパーソン1.0」「ビジネスパーソン2.0」を比較してみると、こんな感じでしょうか?

 

ビジネスパーソン1.0

働く意味:自己実現=会社の成長
立場:インサイダー
会社と家族:滅私奉公
コミュニケーション:社内が主体
ソーシャルメディア:匿名参加

 

ビジネスパーソン2.0

働く意味:自己実現=自分ブランド確立
立場:インサイダー+アウトサイダー
会社と家族:ワークライフバランス
コミュニケーション:社外コミュニティへの参画
ソーシャルメディア:実名参加

 

インターネットなどで様々な情報を収集・発信したり、コミュニティを作ったりできるようになったことで、個人の能力も、高度成長期と比べて格段に大きくなりました。このことが「ビジネスパーソン2.0」の能力をも非常に大きくしていると思います。

実際に昨年のビジネス書のベストセラートップ10を調べてみたところ、半分がビジネスパーソンが著者でした。たしかに仕事の学びは日々実務に携わっているビジネスパーソンしか書けません。

ビジネスパーソンは、「ビジネスパーソン2.0」に進化することで、可能性が大きく広がる。

それは社会にとってもとても良いことなのではないか、と最近考えています。