「六重苦」と言われる日本で、全交換レンズを会津で生産し、世界中で販売するシグマ

私が写真を始めたのは1979年頃。

当時のシグマも、現在と同じレンズ専業メーカーでした。

ただ、現在は高品質レンズを作っているシグマですが、当時シグマが作っていたレンズは、キヤノンやニコンといったカメラメーカー系のレンズ(純正レンズ)と比較して、廉価版という位置づけでした。

当時発行されていた「カメラ毎日」のレンズ白書でも、カメラメーカーの純正レンズと比較して画質の数字が見劣りしていました。

ということで、現在の高性能シグマレンズを知っている方々は想像もできないかもしれませんが、昔のシグマのレンズは、カメラ店でかなり安く売られていました。(現在も価格競争力がありますが)

シグマ製レンズの画質は1990年代頃から向上し始めました。「ライカのレンズは、シグマが作っている」という話もあるほど。確かに、最近のシグマのレンズは素晴らしい性能を誇っています。時代は大きく変わりました。

 

それがいかに実現できたか、ということが、@IT MONOistの本田雅一さんのコラム「超円高・デジタル化が生んだ“転機”、会津から世界を見据えるシグマのモノ作り」に書かれています。

実は、シグマは全交換レンズを、日本国内の会津で生産しているそうです。

その規模、敷地面積78000平方メートル、建坪35000平方メートル、従業員1500人。ほぼフル稼働で生産しているそうです。

しかも、材料以外の全てをこの工場で作っており、海外ブランドの多くのメーカーのレンズも生産しているそうです。(先のライカの話は記事には出ていませんが)

まさに記事にある通り、「一極集中の垂直統合」

記事によると転機は1990年代の円高で、他レンズメーカーは海外生産へ軸足を移す中、カメラメーカーも純正レンズとセット販売を始めたため、画質向上で勝負する方針を決めて徹底的に会津工場に投資、2000年頃から成果が出始めたそうです。

これも記事に書かれているように、ちょうどデジカメが出始め、誰でもピクセル等倍でレンズ画質を確認できるようになった時代です。

確かに、私が写真を始めた1970年代の頃は、そんなに簡単にレンズの性能は分かりませんでした。

そこで、シグマはデジタル時代を意識してブランド再構築を進めたそうです。

記事の中で、社長の山木さんは以下のように語っておられます。

「われわれの高品質路線への転換は、円高から止むに止まれず進んだ道でした。しかし、実際にやってみると、苦労は多くともそっちの方が楽しく、どうせどちらも苦労する道ならば“社員みんなが楽しめる会社でありたい”、そう思い始めました」

確かに、写真の世界では、ちょっとした違いに大金を投じる顧客が結構います。(私もそうでしたから)

詳しくは、是非本田さんの記事「超円高・デジタル化が生んだ“転機”、会津から世界を見据えるシグマのモノ作り」をご覧いただければと思います。

 

最近、よく新聞で「六重苦」という言葉を見かけます。

「円高」、「高い法人税」、「海外との経済連携の遅れ」、「電力不足」、「厳しい労働規制」、「環境制約」、といった「六重苦」が足かせになり、企業が日本から海外生産にシフトし「国内産業空洞化」が起こる、と言われています。

 

確かにコモディティ化が進んでいる世界では、安い価格で販売することを迫られてしまい、なかなか難しいでしょう。しかしそんな世界でも、本記事のシグマのように、こだわりの顧客に、高付加価値を提供している事例は存在します。

そのような顧客を見つけ、その顧客への価値提供をひたすらまじめに考えて実行していくことで、日本発でも十分な競争力が持てる可能性があることを、このシグマの事例は教えてくれるように思います。

 

しかも、シグマの会津工場は、福島県にあって頑張っているのですから。

 

 

フィレンツェの街並みと、日本人の公衆道徳

2年ほど前に、イタリアを旅行したことがあります。フィレンツェに滞在しました。

フィレンツェは、街全体がユネスコの世界遺産に登録されています。歴史的な街並みが広範囲にある美しい都市です。

昼間は気づかないのですが、夜から明け方にかけて街の撮影のために出かけると、市の職員と思われる方が丁寧にゴミを片づけて清掃しています。このような努力で美しい街並みが保たれているのですね。

私は街の中心部から歩いて10分ほどの場所にあるアパートに滞在し、近所をよく散歩していました。人通りの多いところは、街の中心地同様、きれいです。

 

ただ、一度だけ人通りが少ない通りに入ったとき、ちょっと驚いたことがありました。

ちゃんとした道なのですが、そこら中に犬の糞があって、汚臭がします。かなり気をつけて歩かないと、踏んでしまいます。

もし夜中に市の職員の方々の清掃がなければ、フィレンツェの美しい街並みも、このようになってしまうのかもしれませんね。

日本の場合、人通りが少ない場所がこのように汚い状態になっているのは、考えられません。日本の公衆道徳の高さも、同時に再認識した次第です。

 

進化を阻んでいるのは『話が違うじゃないか』という意見である気がする。ではどうするか?

今後の日本では、恐らく従来は考えられなかった様々なことを決定していくことが求められます。

従来は当り前だったことも、根本的に見直していくことが必要になってきます。

しかし、今までやってきたことを根本的に見直す状況になると、必ず「前はこう言っていたではないか。話の筋が違う」という強い意見が出てきます。

確かに「話の筋が違う」ということを強く言われると、誰も反対できなくなってしまいます。

しかし、最初から全ての要因が見えるということはなかなかありませんし、また、判断が完璧なこともありません。

だからといって一歩を踏み出せなければ、何も始まりません。

だから、最初はまずやってみる。

そして、結果を見て、柔軟に修正することが必要なのではないでしょうか?

 

しかし、「前はこう言っていたではないか。話が違う」という人にも、当然言い分があります。

「前こう言っていた」時に、「将来変えるなんて話、聞いていない」ということなのでしょう。

だから今後は、最初に意志決定をする段階で、「当面はこれで進めるが、結果を見て柔軟に変えていく」ということについて、コンセンサスを得ておくことが必要なのでしょう。

このようにコンセンサスを得ておけば、「話が違うじゃないか」という意見に対して、「最初に、柔軟に変えていくことは合意済」と言えるようになります。

ちなみに、以前『緻密な計画よりも、大雑把な計画の方がうまくいくらしい』で書きましたように、米国では「当面はこれで進めるが、結果を見て柔軟に変えていく」ということは、社会的にコンセンサスが得られているようです。

 

 

韓国の方が作った、被災地記録メッセージ。素晴らしいです

韓国の方が作った、被災地記録メッセージです。

ハングル語の歌が染みいります。

また、YouTubeのコメントも、元気づけられます。


 

ありがたいですね。

 

改めて、「私たち自身が、新しい日本を創っていこう」と思いました。

 

 

今回の災害を乗り越えた先には、新しい社会が待っているような気がする

経営不振に陥っている組織は、やるべきことは誰にも分かっているのに、なかなかそれが実行できない、という共通点があります。

それを阻むモノは、がんじがらめのルールだったり、グループ間の壁だったり、人々の間の壁だったりします。(「組織の病」といったりします)

例えば1990年代前半に史上最高の赤字を出して倒産の危機にあったIBM。当時、IBM社内にいた私自身の経験でも、やるべきことは皆分かっているのに、社内の様々な壁が、変革を阻んでいました。

大震災前の日本も、そんな状況だったように思います。

日本国が抱える課題や、やるべきことは、誰もが分かっている。

しかしながら、例えば政治は些細なことで貴重な時間を空費していました。外務大臣の前原さんが外国人から5万円の献金を受けたことで辞任したのも、ほんの10日前です。(今や、すごく懐かしい感じがします)

 

1990年代前半のIBMの場合は、外部からCEOとして就任したガースナーが、強力なリーダーシップで、あらゆる社内の壁を取り払い、社内のベクトルをお客様の方向に合せて、お客様から見た「1つのIBM」を作り上げ、業績は急回復しました。

一方で、大震災後の日本。

以前と比べて、事実を事実として捉え、本質的なことが本音で議論され、組織の壁がなくなり、国全体の心が1つになりつつあるような気がするのは、私だけでしょうか?

 

思えば、東京だけを考えても、全体が廃墟になるような災害に幾たびも見舞われてきました。

最近でも、1855年安政江戸地震、1923年関東大震災、1945年東京大空襲。

その度に、東京は立ち上がってきました。

今回の災害を乗り越えた先には、今までやりたくても、様々な見えない壁が阻んでできなかったことが、壁が崩れたことで実現できる、全く新しい社会が待っているような気がします。

そして、それを作るのは、他ならぬ私たちです。

 

一昨日の当ブログでも書きましたが、

「悲観主義は感情に属し、楽観主義は意志に属する」

いたずらに悲観主義にならず、意志の力で楽観的に乗り切り、新しい社会を創っていきたいですね。

 

 

【続:驚異的に格安で、高品質。しかも凄く速くてカンタン】freelancer.comで、30ドル(2500円)で依頼すると、どの程度のレタッチが出来るのか? (レタッチ前/後の写真を公開)

2月17日のエントリー「【驚異的に格安で、高品質。しかも凄く速くてカンタン】 freelancer.comで、新興国への外注サービスを、個人で使ってみた」には、多くの方々からTwitterはてぶで沢山のコメントをいただきました。

厚く感謝申上げます。

 

当ブログでいただいたコメントの中で、

「もっと大きい画像でどんな作業内容か見たい」

「レタッチ前と後を比較して見せて欲しい」

とのご要望をいただきました。なるほど、確かに、ごもっともですね。

実は、当エントリーを書いた2/17時点では、この写真を使用した新著の表紙カバーはまだ作成中でした。さらに舞台裏(=修正前の写真)を見せたくないとの思いもあり、写真の公開は差し控えていました。

しかし、せっかく多くの方々に当エントリーをご覧いただきましたし、お礼の意味で、当ブログでbefore/afterを公開致します。

 

なお、この写真をレタッチした経緯は、元エントリーを参照下さい。

 

写真をご覧に入れる前に、「そもそも、なんでレタッチが必要だったか」を説明します。

写真は私のライフワーク。私は基本的に自分の写真作品はレタッチしない方針です。(こちらに私の写真サイトがありますがレタッチ一切なしです)

しかし、今回は、必要に迫られてレタッチしました。

新著の表紙カバー写真で使うために、茶道の師範に「お茶を点てているところの写真を撮らせて欲しい」とお願いしたところ、今年1月に初釜を催して下さいました。

師範はその前日、茶席を用意するために、自宅の梅の枝を取ろうとして、誤って指に怪我をしたため、当日は指に包帯を巻いた状態で茶席を催して下さいました。

出来上がった写真はとてもいい感じでしたが、包帯の部分だけは違和感がありました。

茶席は一期一会。二度と撮れません。本の版下作成の締切りも迫っています。

そこで、包帯をしていない状態にレタッチで修正する必要があった、という訳です。

 

ではbefore/afterの比較です。まずは全体の写真から

■全体 (レタッチ前)

Beforeall

 

■全体 (レタッチ後)

Afterall

包帯が消え、和服と畳に散っている緑色のお茶の粉も削除されています。

さらに、当初は私からはお願いしていなかったのですが、下記も修正していただきました。

■畳の縁をなくし、畳にする

■より印象強く見えるように、手と器以外はモノクロトーンに変更

もちろん、事前に私の確認を取った上で、修正しないバージョンと修正したバージョンを作ってくれました。

 

それでは、問題の包帯はどの程度きれいに消えたか?

3861×2574ピクセルの画像の部分のみ拡大します。(クリックすると実寸大に拡大)

■部分 (レタッチ前)

Beforepart

 

■部分 (レタッチ後)

Afterpart

 

包帯が、見事に消えています。

私がfreelancer.comでこの作業を発注した際には、応札120件中20件で修正サンプルが付けられていました。

しかし他の19件は、自然な感じのものはほとんどなく、本当に玉石混合(というかほとんどが石)でした。

例えば、指のしわがなかったり、単調だったり、ひどいのになるとナメクジのようなのっぺりとした指だったり。

その中でも、セルビアに住む彼が応札で添付したサンプルは、際立って高品質。まさに「玉」でした。そこで、入札開始後24時間で、彼と契約しました。

このセルビアに住む彼は、お願いした部分だけでなく、自分で「こうすべし」と思ったら私に提案し、こちらの意向を確認した上で、追加作業までしてくれた、という訳です。

なお、彼が追加作業を提案し、作業を実施したのは、契約成立後です。

追加作業してもしなくても、彼への支払総額は30ドル(2500円)で変わりません。

そんな状況で、しかも契約が成立してから私に追加作業を提案し、数時間で作業を完了しました。

これだけの高品質な仕事がスピーディに出来るのに加えて、謙虚で誠実、そしてとてもプロアクティブで、常に顧客のための自分の付加価値を考え続けています。

プロフェッショナルとしての高いプライドを感じました。

 

私は写真のレタッチの専門家ではありませんし、専門家からご覧になると色々とご意見があるかもしれません。

しかし、発注主である私は、この仕上がりには大満足です。

 

それとともに、このようなプロフェッショナルな作業を、2,500円でグローバルにソーシングできる意味を、色々と考えさせられました。 

先日のエントリー「【驚異的に格安で、高品質。しかも凄く速くてカンタン】 freelancer.comで、新興国への外注サービスを、個人で使ってみた」に対するTwitter (Togetterで集計)はてぶのコメントを見ると、興味深いことに、二つの意見に分れているように思いました。

■一つは、「今の自分の仕事、ヤバい!」という人たち。

■もう一つは、「チャンス!」という人たち。

対極の意見ですが、両方とも真実でしょう。

私自身、「ヤバい。でも、チャンス」と思っています。

やはり、これからの時代、顧客に対する自分の価値をどのように考えて創っていくかが、問われているように思います。

 

ここからは、少しだけ宣伝が入りますが、ご容赦ください。

3/30に、3冊目の本「バリュープロポジション戦略 50の作法」を出版しますが、本書は、まさにこのような課題へどのように考えていくべきか、をテーマにしています。

顧客の要望に応えようと皆が努力した結果、自社や競合の差がなくなり価格競争の罠に陥っている状態から脱却し、本当の差異化により、顧客に価値を提供するには、どうすればよいのか?

マーケティングの現場で、私が実践してきた経験を踏まえ、その考え方を書きました。

こちらの目次で概要が分かります。(なお本書では、今回のグローバル・ソーシングに対抗するための具体的解決策は提示していません。いわゆる「バリュープロポジション」という考え方でいかに顧客中心主義を実践していくかが書かれています)

今後、いかに顧客視点で差異化を考えるべきか、皆様のヒントになれば幸いです。

販売はアマゾン限定で、現在予約受付中。発売直前の3/25に出版記念セミナーもあります。

なお、今回レタッチした写真は、本書の表紙カバーで使用しています。

 

 

さる方の4文字のつぶやきで、アクセス激増。そして、グローバルソーシングで、日本語→英語への翻訳の仕事はどうなるのか?

2月17日に、「【驚異的に格安で、高品質。しかも凄く速くてカンタン】 freelancer.comで、新興国への外注サービスを、個人で使ってみた」というエントリーを書きました。

20日近く過ぎた昨日になってアクセスが急増。

わずか3時間で、オルタナブログのアクセストップになりました。

理由は、フォロワー59万人のこの方がつぶやいて下さったおかげです。

Horie

 

このつぶやきの前は、はてぶは5件。つぶやきも数件。

堀江貴文さんが、「ヤバい!」とたった4文字だけつぶやいてから半日後の現時点で、はてぶは360件超、つぶやきも1000件超。

しかもまだまだ増えています

インフルエンサー恐るべし、です。

 

皆さんのコメントを読んで、改めて考えたことがあります。

それは、翻訳サービスがどうなるか、です。

実はこの画像レタッチ作業完了後、新著(日本語、4万文字)の英語への翻訳を、このサイトで外注できないか、検討しました。(元々、英語版をグローバルに出版したいとの思いがありましたので)

この時期、「新著の英語版の状況:日本人にとって分かりやすい英語でも、ネイティブにとっては分かりにくい。英語出版の壁は思ったよりも厚いと実感」に書いたように、40日かけて英語に自力で翻訳した結果が、なかなか自然な英語にならなくて、悩んでいました。

しかし検討した結果、このサイトで外注しても、満足のいくものが仕上がらないだろう、という結論になりました。

 

日本語の文章をそのまま英語に直しても、相手には伝わりません。

たとえば一例ですが、日本語でのロジック展開は「起承転結」です。

しかし、4年半前に「起承転結では通じない」に書いたように、グローバルコミュニケーションでは「転」の部分でロジックが変わることで、とても分かりづらくなります。

ですので、「起承転結」で書かれた日本語をそのまま英語に直してもダメで、グローバルコミュニケーションでは「起承結」にロジックを簡略化した上で、英語で分かりやすく書く必要があるのです。

同じような問題が、他の部分でもいろいろと起こります。

 

ですので、まず日本語で書かれたロジックを、欧米人にも分かるようなロジックに直す必要があります。

しかし、ここがなかなか難しいのです。

 

特にfreelancer.comでは、発注側が、応札側の納品物の品質をチェックできることが大前提です。

写真の場合、ある程度の画像処理の経験があれば、私のような人間でも画像の品質を判断できます。言語スキルに関わりはありません。

しかし、日本語から英語への翻訳の場合、翻訳した英語がネイティブにとって分かりやすい品質か、判断する必要があります。

そして残念ながら、ネイティブでない限り、この品質確認がとても難しいのです。

応札側の中には、Google翻訳にかけたものをサンプルとして提出する人もいるそうです。

さすがにGoogle翻訳にかけた程度の品質の英語なら分かりますが、様々な玉石混合の中から、本物の仕事をする人を見極める力が必要だということは、今回画像レタッチの外注をした経験で、身を以って理解できました。

 

ということで、新著の英語版をグローバルソーシングするのは、

1.「日本語ロジックになっている文章を、英語で分かりやすいロジックに直す数少ないスキルを持った人」を、

2.「当方で、英語の品質レベルがネイティブのレベルかを検証しながら見つけられること」が条件なので、

まず、応札側で必要な1.のスキルは、日本語と英語の両方をネイティブに理解できることが前提だと思います。日本人以外では極めて限られそうです。
また、発注側で必要な2.のスキルを持つ人は、英語を本業にしている人以外は、なかなかいないのではないでしょうか?

このように考えると、なかなか難しいな、というのが実感です。

一方で、画像処理や数値計算主体プログラミングのように、言語非依存サービスに関しては、どんどんグローバルソーシングが進む可能性がありますね。

 

ということで、現在、新著の英語版作成は、別の形で進めております。

後程、ご紹介できれば、と思います。

 

なお、今回のケースは、私が書いた本を英語版に翻訳する場合です。

中には日本語から英語に直訳してもちゃんと通じるロジックで書いた著書の場合は、グローバル・ソーシングが活用できる可能性も大でしょう。

あるいは、英語から日本語に翻訳する場合は、また状況が違うと思います。

私の経験談ですし、翻訳サービスの今後について明快な答えではありませんが、一つのご参考になればと思います。

 

ちなみに、「【驚異的に格安で、高品質。しかも凄く速くてカンタン】 freelancer.comで、新興国への外注サービスを、個人で使ってみた」で画像処理をお願いしたセルビアの方とは、私の写真サイトを紹介したりして、その後もメールでやり取りしてお付き合いさせていただいております。

このようなご縁もあるのですね。

 

実は、海外で評価が高かった菅首相

既に古い話題になりましたが、ダボス会議で菅首相が講演しました。

このダボス会議では、様々な国の国家元首がスピーチをしますが、「ワールドクラスのリーダーかどうか?」というところが見られるそうです。

BS11『藤沢久美のJUST in!』で、このダボス会議に参加された藤沢久美さんが「ダボス会議に学ぶ 国家元首スピーチの見方・聴き方」を述べておられます。(3分程度の動画です)


この番組で藤沢さんも語っておられますが、ダボス会議での菅さんの講演は大変好評だったようです。

藤沢さんがダボス会議参加中につぶやかれたTwitterをチェックして知ったのですが、菅さんのスピーチを聴いたある国家元首は、「菅さんのスマイルはpolitical weapon(政治的兵器)だ」という人もいたようです。

自国で人気が今一つのリーダーが海外で評価が高い、ということはよくあるそうです。逆のケースも多いのでしょう。

藤沢さんも番組で述べられているように「国内のスピーチと海外のスピーチでは、評価軸が違う」ということのようです。

スピーチのダイジェストは、内閣広報室がアップしたYouTubeの動画「第15話【外交】 ダボスに響いた「開国と絆」 」で見ることができます。残念なことに埋め込みコードが取れないようになっているので、興味がある方は上記リンクでご覧下さい。

 

財務省「我が国の財政事情」が提示する、私たちが考えるべき日本の将来

財務省主計局が発行している「我が国の財政事情(平成23年度予算政府案)」(リンク)という報告書があります。

社会人大学院でご指導いただいた先生のブログで紹介されていたので、読んでみました。

タイトルの通り、我が国の財政状況が分かりやすくまとまっています。

■「一般会計税収、歳出総額及び公債発行額の推移」(p.4)

1990年頃から一般会計税収は減り続けている中で、一般会計歳出総額が拡大し続けている状況

P4

■「利払費と金利の推移」(p.8)

金利が上昇に転じた時に、利払い費が急増し、国債が雪だるま式に増える状況

P8

■「一般会計歳出に占める主要経費の割合の推移」(p.9)

1960年度から2011年度にかけての支出明細の推移。国債費と社会保障費の比率が急増する一方、縮小する文教・科学振興費・防衛関係費

P9

 

掲載されているデータは、過去から現在までの推移です。

しかし、このまま進むと、この先に何が起こるかも、示唆しています。

私たち日本人は、これらデータから、何を読み取り、どのように考え、どのように行動するか、が、問われていると思います。

 

【驚異的に格安で、高品質。しかも凄く速くてカンタン】 freelancer.comで、新興国への外注サービスを、個人で使ってみた

出版準備中の新著で、写真のレタッチ(修正)を行う必要がありました。

かなり複雑な処理で、日本の知合いに確認したところ、「これはちょっと無理」と言われました。

レタッチ前の写真を何人かに見せたところ、「このままじゃ使えない」との意見が大多数。

「うーん、困ったなぁ。プロに発注すると数万円かかるなぁ」と思っていたところ、某宴会で大塚さんから、freelancer.comというサイトを紹介されました。

「インドとかに外注したら、2-3日間で数千円でやってくれますよ」

私は既にかなり酔っていましたが、酔っぱらった頭で冷静に「いかん、これは多分、すぐにサイト名を忘れるに違いない」と思い、パソコンにしっかりと「freelancer.com」とタイプしておきました。

 

翌朝には案の定、頭からはサイト名はすっかり消えていましたが、パソコンにタイプしていたおかげで、後日、freelancer.comにアクセスできました。

これは、サービス提供側と、サービス利用側のマッチングを行ってくれるサイト。

小口のサービスを、世界中のフリーランスの人に発注し、応札してきた中からベストのサービス提供者を選べる、というサービスです。

様々なサービスの発注や受注ができます。

たとえば、写真のレタッチ以外に、翻訳や、電話の受付、調査、分析、タイプ、プログラミング、その他もろもろ、あらゆるサービスがある、という感じです。

今までにのべ約100万件近いサービスがここで登録されているそうです。

そう言えば、海外で、大学生が自分の論文をインド等に外注していたことが話題になりました。

事の是非は別として、このようなサービスを使っているのですね。

ただし、全て英語です。

 

早速、私も写真のレタッチ作業を発注すべく、登録してみました。

まず特定業者に発注する前に、一般公募してサービス提供者に入札してもらう必要があります。

そこで、作業内容を4-5行の英語で簡潔に記述し、必要なスキルとしてPhotoshopを選択、レタッチ指示を記入した画像ファイルを添付。

登録料が5ドル必要で、ここで初めて料金が発生します。

PayPalというサービスを使えば、クレジットカード番号を知られることなく支払などの決済ができます。ついでに登録。PayPalの登録もとても簡単で、5分で完了です。

一般公募/発注する作業は「プロジェクト」と呼ばれますが、この時点でその「プロジェクト」が登録されました。(なお、未発表製品関連等の機密性の高い仕事は一般公募ではなく別の形で公募することもできます)

 

一般公募30分後にチェックしたところ、早くも5件の申込がありました。

反響の速さにびっくり。

あとで調べたら、freelancer.comの一般公募案件が流れるTwitterのアカウントがあって、それを常時チェックし、私の指定したPhotoshopとかレタッチというキーワードを見て、即入札した人たちのようです。

Freelancer.comは発注最低価格は30ドルですが、どれも入札価格は30-50ドルの範囲。

一般公募3時間後には、これが50件に増えていました。

入札リスト上では、受注元の人が所属する国が国旗であらわされます。

インドが40%、ブラジルが30%、他にルーマニア等の東欧諸国、インドネシアやマレーシア等のアジア諸国、といったところでしょうか。基本的に英語圏の国々です。

受注元に対する、過去の発注者の評価も見ることができます。

また、あるルーマニア人は、掲載したサンプルを修正して「どう?気に入った?」とメッセージを送ってきました。さらに20分後に「メッセージ、見た?返事待っているよ!」

このアグレッシブさは、見習うべきかも、です。

 

半日間様子を見て、実際の作業結果を見ないと発注判断できないことが分かりました。

そこで一般公募12時間後の翌朝、中程度の解像度のサンプル写真(1800×1200ピクセル)を追加登録しました。

作業依頼する写真の解像度は3600×2400ピクセル程度なので、その半分です。

一般公募24時間後、入札はなんと120件に。

そのうち20件は、登録した1800×1200ピクセルのサンプル写真をしっかりレタッチし、「よかったら、高解像度版を送ってくれ」とのコメント。

正直に言って、どれも少し不自然ながらもまぁまぁ許せるかなぁ、といった感じの品質。

「まぁ、こんなものなのだろうな」

と思いましたが、その中に1枚、とても自然にレタッチした写真がありました。

他の写真と比べると格段に高品質。セルビア在住の画家によるものでした。

一般公募24時間後に、このセルビアの方に、正式発注。

セルビアからの受諾の返事を待って、一般公募30時間後に高解像度の写真を送りました。

一般公募34時間後には、きれいに修正された高解像度の写真が送られてきました。

金額わずか30ドル(2,500円)。

かかった時間は、わずか合計34時間。

2011/3/9 0:05AM追記: レタッチ前と後の比較画像を掲載しました→「【続:驚異的に格安で、高品質。しかも凄く速くてカンタン】freelancer.comで、30ドル(2500円)で依頼すると、どの程度のレタッチが出来るのか? (レタッチ前/後の写真を公開)」

 

意志を疎通できる若干の英語コミュニケーションスキルがあれば、このような超格安で高品質な世界中のサービスを、個人が誰でも迅速に利用できる時代になったのだ、ということを実感しました。

 

逆に、グローバルの凄まじい競争社会の現実を実感しました。

私の一般公募に入札した人は合計120名。

うち、20名が実際に仕事を取るために先行投資して作業。

それでいて実際に発注したのは1名だけなのですから。

しかも、私が発注した先のスキルは、とんでもなく高いのです。

先日もブログ『「何でもできます」は、言わないようにしよう』でも書いた通り、「何でもできます」=「誰でも出来ることしかできません」だと、ここでは仕事にありつけません。

 

私たちはフラット化した世界の真っ直中におり、知らない間にものすごい競争にさらされているのですね。

今後、この動きは加速することこそあれ、戻ることはないでしょう。

 

私たちがこのようなグローバルの超格安・高品質・迅速なサービスを活用できるかどうかは、今後、大きな差になって現れてくると思います。

さらに言えば、このような社会で、私たちはどのようにより高い付加価値を創っていくのかを真剣に考えていく必要があると実感しました。

 

そういうことを色々と考えるきっかけになった経験ですが、写真はとてもきれいに修正でき、大満足です。

 

2011/3/7追記:この時、レタッチした写真です。3/30発売の新著の表紙カバーに使っています。クリックするともう少し大きめの写真でご覧になれます

バリュープロポジション戦略50の作法 – 顧客中心主義を徹底し、本当のご満足を提供するために

Facebookページも宣伝

 

「中国の時代」が終わった先には、何がある?

2011/01/25の日本経済新聞のコラム『一目均衡:「世界2位」の先にあるリスク』で、中国の時代について書かれています。

—(以下、引用)—-

「世界経済はアイドル(崇拝対象)が現れては消える」(UBSウェルス・マネジメント・リサーチのアンドレアス・ホファート氏)。1980年代の日本、90年代のアイルランドなど欧州周縁国、そして2000年代の米国。経済の強さの裏には必ずひずみが生まれ、永遠には持続しない。

今は中国をアイドルに見立てる。いつまで輝くだろうか。高成長を支える生産年齢人口はあと5年でピークアウト。輸出から内需主導の成長に向けた転換に使える時間はそう長くない。

—(以上、引用)—-

2011年1月11日の日経ビジネス「再び世界の先頭へ」で、2010年から2050年の人口変動が掲載されていました。(出典:日本経済研究センター作成「人口が変えるアジア-2050年の世界の姿」(2007年))

【人口縮小組】
日本:1.3億人→0.9億人
韓国:0.5億人→0.4億人
中国:13.3億人→12.6億人
EU:4.5億人→4.2億人

【人口拡大組】
米国:3.0億人→3.9億人
インド:11.1億人→17.3億人

日本の減少率はすごいですが、中国も、韓国、欧州同様、人口減少社会突入です。

逆に米国、特にインドの人口拡大は爆発的。

この辺りはパワーバランスに大きな影響がありそうです。

 

1980年代後半、私がIBMのアジア太平洋地区に対する製品企画に携わっていた頃、天安門事件が起こりました。

実際、一緒に仕事をしていて、中国IBMに勤務していた同僚のうちの何名かは、中国の将来に見切りを付けて、国外に移住しました。

当時、日本は絶好調。「エコノミック・アニマル」と言われたほどの勤勉な国民性、高い貯蓄率、製品の高い品質で、21世紀は日本の時代と言われていました。

アジア各国は皆「ルック・イースト」、つまり日本に学ぼうとしていました。

当時、今の中国の繁栄や、今の日本の停滞は、誰も予見できませんでした。

 

ことほどさように、未来とは分からないものです。

今から20年後、どの国が繁栄するか?

人口は一つの大きな要素ではあります。

しかし、競争の原理が今とは全く変わってしまい、現時点では全く想像できないところになっているかもしれません。

問題の原因は繁栄している時に生まれ、成長の芽は苦しんでいる時に生まれている、ということを考えると、それこそ、日本が再び繁栄していてもおかしくないかもしれませんね。

 

この20年間が、日本にとって「失われた20年」であることを明確に示すデータ

日経ビジネスオンラインの大前研一さんの記事を読んでいたところ、この20年間の米国、EU、中国、新興国、日本のGDP推移を比較した図が掲載されていました。

GDPの視点では、この20年が日本にとって、「失われた20年」であることが明確に表されたデータです。

ただ、ブログに引用したくても、著作権はこのチャートを作成した人にあるので、画像コピーはできません。

資料を見たところ、「資料:World Economic Outlook Database October 2010 (IMF)よりBBT総合研究所作成」と書かれています。

そこで、"World Economic Outlook Database October 2010 IMF"で検索したところ、生データがこちらにありました。

かなり詳細なデータが、自由にダウンロードできます。

早速、データをダウンロードし、自分で作成したのがこのチャート。

10分で簡単に作成できました。

Imf

しかし、この日本の低迷ぶり….。

今後、日本の生産人口も減少するので、生産人口=国内法人需要と想定すると、国内のみの法人ビジネス需要も確実に減少します。

この二つのデータからも、日本人はグローバルに出て行く他に選択肢がないように、改めて思いました。

 

 

どんなに悪くても”Good”と言う米国文化。実は京都人気質に近いかも?

昔、仕事をご一緒した、勤務先の米国人役員。

この人は、部下や同僚の仕事があまり満足のいくモノでなくても、口癖は"This is good."

しかし、相手にはしっかりと自分の意志を伝えていました。

例えば、マーケティングがあるプロジェクトを進めていて、セールスとちゃんと話していない場合、

「セールスと話ししたの?マーケティングだけで進めてもうまく行かないよ」

….なんて言い方は絶対しません。こんな感じです。

「This is good. このプロジェクトはまさに全社で必要としていることだ。ぜひ全社に拡大したいよね。セールスチームも、絶対興味あると思うよ。」

 

多様な価値観を持っているグローバル社会でのコミュニケーションなので、中にはプライドがすごく高い人もいます。

だから、相手の面子を考えて、かなり細やかな配慮をしているのですね。

この辺りは、きわめて細やかな気遣いをして、なかなか本音が分からない京都の人達と同じものを感じます。

 

では、米国人は決して相手のことを悪く言わないのか、というと、決してそんなことはありません。

親しくなると本音が出ます。

随分前に一緒に仕事をした米国人からは、「xxxxさん(別の米国人)は、全く物事を良くしようという考えは毛頭ないから、仕事で関わらない方がいいよ。私もそうしている」とアドバイスを受けたこともありました。

しかしこの人も、他の人にはこんな言い方は絶対にしません。

あるいは、「この人は限界。異動する必要があるな」等。

この辺りは、かなり現実的・具体的にアクションを考えています。

 

日経ビジネスオンラインに、「英米人は日本人より本音を言わない 『good』だけ使えれば、ネイティブと上手につきあえる」という記事が掲載されています。

この記事は豊富な実例でこれらのことを的確に表現しており、勉強になりました。

昨年、「日本人がYes/Noを明確に言うことで、実は欧米人は結構傷ついている、という話+そんな欧米人と、円滑に仕事するには?」というエントリーを書きましたが、まさにこの通りなのですよね。

 

「国力は欧米の1/20」と分かっていても、「見たくないものは見ない」と封印し、70年前に戦争を始めた日本。「見たくないものは、見ない」体質、現代は変わっているのか?

課題山積みの現代の日本に対して、今年から日本経済新聞で「三度目の奇跡」という読み応えがある連載を始めています。

1月3日は「開戦前、焼き捨てられた報告書」。

今の時代に警鐘を鳴らしています。

—(以下、引用)—-

70年前の日米開戦前夜。正確に日本の国力を予測しながら、葬り去られた幻の報告書がある。(中略) 英米との戦争に耐えられるかどうか、分析を命じられた秋丸。東大教授の有沢広巳、後の一橋大学長になる中山伊知郎ら著名学者を集め、徹底的に調べることにした。

(中略)

 調査開始から1年半を経た41年半ば。12月8日の日米開戦まであと数カ月の時期に、陸軍首脳らに対する報告会が催された。意を決するように、秋丸が言った。

 「日本の経済力を1とすると英米は合わせて20。日本は2年間は蓄えを取り崩して戦えるが、それ以降は経済力は下降線をたどり、英米は上昇し始める。彼らとの戦力格差は大きく、持久戦には耐えがたい」。秋丸機関が出した結論だった。

 列席したのは杉山元参謀総長ら陸軍の首脳約30人。じっと耳を傾けていた杉山がようやく口を開いた。「報告書はほぼ完璧で、非難すべき点はない」と分析に敬意を表しながらも、こう続けた。「その結論は国策に反する。報告書の謄写本はすべて燃やせ」

—(以上、引用)—-

この「日本の国力は、欧米の1/20」という事実を見ずに、いわゆる「国策」で始めた戦争の結果は、まさに悲惨の一言でした。

さて、翻って、現在の日本。

本記事にあるように、例えばこのままでは財政破綻したギリシャのようになり、日本国民の生活がとんでもなく悲惨になることは、誰の目にもあきらかです。

しかし、その事実に対して、誰も問題に手を付けない。付けられない。

では、なぜ付けられないのか?

その部分にメスを入れようとする日本経済新聞「三度目の奇跡」取材班の思いが伝わってきます。

 

ただ、一つ気になるのは、本日の連載を読むと、そのような問題が起こった事実は分かるのですが、なぜ「見たくないものは、見ない」という結論になるのか、どのようにすればその結論を回避できるのかが、提示されていないことです。

なぜそのような行動形態になるのか、その原因が分からない限り、ふたたび同じ行動を繰り返します。

実際、昨年の日本は、まさに70年前の日本の行動を繰り返していました。

 

例えば、3年前に当ブログで「極めて危険な、空気読み過ぎ+思考停止する日本」というエントリーを書かせていただきました。

自分のブログで恐縮ですが、再度一部を引用します。

—(以下、引用)—-

(前略)

津本さんが指摘されているように、あの頃も、ノモンハン、ガダルカナル、インパール、他の例を挙げるまでもなく、軍部では、論理ではなくその場の空気でモノゴトが決まっていきました。

そして世間では、戦争に向かう社会全体の空気に逆らう人に対して、当時は「KY」ならぬ「非国民」というレッテルを貼りました。

戦争末期には日本全体に厭戦気分が漂い「戦争は真っ平」という空気がありましたが、戦争の当初は日本全体が緒戦の戦勝に酔った空気が漂い、日本全体がズルズルと泥沼の中に入ってしまったこともまた、我々は認識すべきではないでしょうか?

論理が排除され、思考停止状態になり、空気でモノゴトが決まっていく日本。

これ、極めて危険です。

先日のエントリー「幻想の省エネ大国・日本?」でも述べた通り、最近、日本でもその兆候が見られます。

一旦、日本全体が空気だけでモノゴトが決まってしまうモードになると、論理的な議論が極めて難しくなります。

そうなる前に、思考停止状態に陥りかけている社会に対して、私達一人一人が自分の頭で考え、本来何をすべきなのかを問いかけていく必要があります。

—(以上、引用)—-

上記はあくまで一ブロガーの意見なのですが、このような視点で深掘し、新たな行動を提案するような、日本経済新聞ならではの考察が、「三度目の奇跡」シリーズにあっても、いいのではないか、とも思ったりしました。

あるいは新聞というメディアなので、その点は、読者に委ねられているのでしょうか?

この連載で、われわれ日本人一人一人が、自分自身で考えていければ、たとえ今年は厳しい年になっても、あとからふりかえると「2011年が転換点だった」と言われる年になるのではないか、と思います。

 

「まずは日本語でもいいので、自分のことを説明できること」 朝カフェ次世代研究会、首藤薫さんご講演『異文化とのビジネスコミュニケーション』 #asacafestudy

昨晩、首藤薫さんご講演による第16回 朝カフェ次世代研究会『異文化とのビジネスコミュニケーション』を行いました。

普段は朝6:30開始ですが、今回は第2期打ち上げを兼ねて、夜18:30開始です。

実は、首藤さんとは、20年近く前にIBM大和研究所の開発部門でご一緒させていただいて以来の長いお付き合いです。現在は、同じソフトウェア事業のマーケティング部門にいます。

ご講演では、外資系企業で、長年グローバルの人達と一緒にビジネスをやってきた首藤さんならではご経験談を中心にお話しされていました。

私も実際に経験してきたことも多く、共感する内容でした。

 

首藤さんもお話ししていましたが、日本のこと、自分が勤務する会社のこと、自分や家族のことを、言葉でちゃんと説明できることは、グローバルビジネスコミュニケーションでは、とても重要です。

実は、日本にいると、このようなことを言葉で説明しなくても、ほとんど問題ありません。相手が遠慮して聞かないので、説明しなければいけない場面は、すごく限られるのですよね。

しかし、グローバルコミュニケーションでは、自分とは何かをちゃんと説明できることで、相手も自分を認め、コミュニケーションが成立します。

普段から、まずは日本語で、これらを説明できるようにすると、いいのではないかと思います。

また、一例ですが、私が海外に行く場合には自分の写真作品で作ったポストカードをよく持っていきます。

プライベートの話しになった場合、このポストカードを上げたりすると、写真は万国共通言語ですから、すぐに私のことを理解してくれます。

ある英国人から、「ポストカードをくれた永井さんには、特別な印象を持っている」と言われたことがあります。

仕事以外の、アートや音楽、スポーツのような自分が打ち込んでいるものや、自分の普段の考えをちゃんと言葉で説明できることは、日本人同士のコミュニケーション以上に重要です。

私の経験では、これができると、たとえ自分の英語が不器用でも、意外と容易に心を開いたフランクなコミュニケーションができるように思います。

流暢な英語が話せるに越したことはありませんが、それは、けっして必須条件ではないのですよね。

 

Twitterのログをご覧いただくと、他の方々の意見もご覧になれて、議論の様子がよくお分かりになると思います。

 

 

首藤さん、ありがとうございました!

 

講演の後は、近所の飲み屋で、9月から始めた朝カフェ第2期の打上げを行いました。

いつも朝しかお会いしていない人ばかりで、このような形でお話しするのは初めての方も多く、とても楽しめました。

私も珍しく沢山お酒を飲んでしまい、ちょっとはしゃぎすぎてしまったかもしれません。

4月から『朝カフェ次世代研究会』を行い、今年は16回開催できました。

今まで知合う機会がなかった多くの方々とお知り合いになることができ、本当にありがたく思っております。

 

次回の朝カフェ次世代研究会は、第3期として、来年4月13日(水)から開催します。

引き続き、よろしくお願いいたします。

 

来年は、グローバル化が一人一人の大きなテーマ?

12月14日の日本経済新聞「一目均衡 日本は今も「通称国家」か」で、経済規模を考えると日本は世界でも有数の貿易が不活発な国だとの指摘がされています。

—(以下、引用)—
 貿易依存度という指標をご存じだろうか。(中略) その国の経済がどの程度貿易(外との交流)で支えられているかを示すものだ。

(中略)

…日本の貿易依存度は22%で、世界銀行によると世界178カ国中なんと175位。日本より下位には中央アフリカ共和国、米国、ブラジルしかいない。同じ工業国として日本と競う韓国やドイツは60~80%に達し、自国経済とグローバル経済の結びつきは日本よりはるかに深い。

 海外からの長期投資の受け入れでも「世界の孤児」の感がぬぐえない。日本への海外からの直接投資残高は約2000億ドルで、GDPの4%程度にとどまる。(中略) ..米国でもこの比率は20%前後、旧ソ連時代に長らく閉鎖経済を続けたロシアでも15%ある。

(中略)

少子高齢化の波が襲うなかで、国を開く努力を怠れば先細りは自明である。

—(以上、引用)—-

1970年代から80年代、日本企業は自動車の輸出攻勢で貿易摩擦を起こしたこともあって、輸出を差し控えようという時期もあったりしました。

しかし実態は、記事にあるように、世界で見ると、貿易依存度は世界178カ国中175位。海外からの長期投資もGDPの4%。

世界全体から見ると、鎖国状態に近い状態、と言えるかもしれません。

 

少子化で国内市場が縮小し、世界全体ではグローバル化が進んでいます。

来年は、グローバル化を考えることが、ビジネスパーソン一人一人にとって大きな意味を持ってくるように思います。

 

ということで、私も、来年の早い時期に英語の本を出すべく、がんばります。

 

「海外赴任?怖いし、自信がないなぁ」→それは当り前です

12月14日の日本経済新聞記事「海外赴任は「ノー」―「治安心配」しぼむ意欲、企業、研修に知恵」で、グローバル時代に逆行するように、海外赴任に対する若手社員の意欲がしぼんでいることが書かれています。

—-(以下、引用)—

産業能率大が今春の新入社員に海外勤務について尋ねたところ「働きたいと思わない」との回答は49%と6年前の調査から20・3ポイント増加。理由は「リスクが高い」が56%とトップで「能力に自信がない」が続く。

(中略)

大手自動車メーカー勤務の男性(28)は「命令されれば仕方なく行く」と海外赴任に消極的だ。海外研修に行った同僚から「現地で学んだスキルはあまりない」と聞くこともあり、海外へ出ても「出世が待っているというより、スペシャリストという特殊な立場に進んでしまいそう」と将来への不安もよぎる。

—-(以上、引用)—

この感じ、すごくよく分かります。

今ではブログで「グローバルで活躍しよう」と書いていますが、かく言う私も、グローバルで仕事をするのが苦手でしたから。

だから、決して「今の若い人達が世界に出て行きたくなくなっている」のではなく、「そもそも、海外に出ることは勇気が必要」なことなのですよね。

 

私は大卒でIBMに入りましたが、もともと海外に行きたくてIBMに入ったのではなく、アメリカが好きで、IBMという会社がよさそうだから入りました。

入社して1年間が経過した23歳の時、1ヶ月の海外出張の話しがありました。ある製品の現地でのテストです。

「ちょっと面倒くさいし、怖いなぁ」というのが、当時の正直な実感でした。

1985年の米国は「治安が悪い」という印象が強くありました。

入社時点で475点だったTOEICも、やっと600点をクリアしたレベルでしたし。

実際、ノースカロライナ州のラーレイに行きましたが、乗り継ぎが2回あって、初めての一人での出張は色々と大変でした。

英語のコミュニケーションも一苦労。当時は日本人ということで、ちょっと特別視されていました。

慣れない車の運転で、他の車のドライバーから怒鳴られることもあって、結構神経をすり減らしました。

仕事でのコミュニケーションも苦労の連続。

結構落ち込むこともありました。

 

でも、この時の体験は、現在、グローバルコミュニケーションを行う上での原体験になっています。

世界10ヶ国以上の人達と1ヶ月過しましたが、まさに異文化コミュニケーションの原体験になりました。

世界には、実に色々な考え方の人がいるのだな、ということ、そして英語力はなくても心の底の部分でお互いに分かり合うのは可能なのだ、ということがよく分かりました。

ここで色々と経験したことで、その後海外の人達とコミュニケーションをする上で、苦手意識がなくなりました。

 

先の記事は以下のように締めくくっています。

—-(以下、引用)—

IHIは今秋から、インドへの若手研修を始め、今月4日、6週間の日程を終えて15人が帰国した。現地ではバスがエンストしてみんなで押すなどトラブル続き。技術系の男性社員(26)は「慣れない食事などで最初は体がだるく、1カ月でホームシックになったが、乗り越えられたことで海外でも働ける自信がついた」と話す。

研修に同行した人事担当者は「企業訪問でも最初はおどおどしていた社員が、最後は自分から積極的に発言するようになった」と手応えを語る。

—-(以上、引用)—

同感です。

私達日本人はずっと日本国内で生まれ育っている人が圧倒的に多いわけで、海外赴任が怖いし、自信がないのは、今も昔も、当り前です。

でも、怖いと思っても、実際にやってみると、結構面白いものなのですよね。

なにしろ、当時、ビクビクして海外に行っていて、失敗ばかりしていた私が、その経験をお伝えしたいと思って、今では「グローバルと日本」というテーマでブログを書いている位ですから。

ですから、もし海外での仕事を受けるかどうか悩んでいる方がもしいたら、私は自信を持って「後悔することは絶対ないので、是非やってみましょう」とお勧めします。

 

内向き・無口になった日本人から、グローバルを意識し主体的に情報発信する日本人へ

12月12日の日本経済新聞の記事「ニッポンこの20年 長期停滞から何を学ぶ―第3部薄れた存在感(3)」で、元日本サムスン社長・鄭さんの談話が掲載されていました。

—(以下、引用)—

 「内需拡大」と言い始めたころから、日本はどんどん内向きになった。

大きくて成熟した市場があるから「このままでいいじゃないか」という空気が濃い。

韓国には何もないから、中国やタイで起業する人が多い。

その勢いがいまだに続く。

 

 日本人は無口になった。

バブル以降、きちんとあいさつする人が減った。

個人主義的になってきたということだろうか。

それで仕事に必要な情報をうまく交換できるのだろうか。

日本人は集団プレーが上手で、これが強みだったのだが。

—(以上、引用)—

確かに耳が痛いご指摘です。

日本企業(特に電機と自動車)は1980年代まで絶好調でした。

国内市場で多くのメーカーが同一業種で切磋琢磨し、自前主義・垂直統合によるすり合せで製品を磨き上げ、国際競争力を付けて、世界市場を席巻しました。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が出版されたのも、この頃。

そして日本は1980年代に円高に伴う内需拡大策に走り、バブルを迎え、絶頂期に至りました。

しかしバブルが崩壊し、債務・設備・雇用の「3つの過剰」を解消するのに10年を要す一方で、さらなる高度なすり合せ能力強化に走り、世界市場に目を向けず、国内回帰を図りました。

その一方で、グローバルレベルで、オープン分業型・モジュール化モデルを成功させた欧米+アジア勢に対して、国際競争力を失ってしまったのです。

世界でグローバル化が進み始めた1990年代、既に少子高齢化による日本国内市場縮小が予見できていたにも関わらず、内需拡大を志向し、世界に背を向けて、内向きに走ってしまったように思います。

鄭さんの談話を拝読し、2010年代の今からでも、グローバルを意識し、ビジネスパーソン一人一人が主体的に情報を発信していくことが、日本を強くしていくことにつながるのだ、と改めて思いました。

 

我々が知らない中国問題の一面

著書『暴かれた中国の極秘戦略』の宣伝で来日した中国人政論作家・袁紅冰氏が、10月31日に都内で行った講演会の内容が下記に掲載されています。

日中間対立、「民族問題ではなく 自由民主主義と中共強権との衝突」=袁紅冰氏

中共には経済危機存在しない・民主中国こそ日本の国益=袁紅冰氏来日講演(二)

–(以下、抜粋)–

今後、中共と他の自由民主国家の間で衝突を絶えないと思う。衝突の本質は中国人と日本人の間の衝突ではなく、中共独裁と自由民主社会との間の衝突、つまり全体主義と自由の衝突である。それをただ偏狭なナショナリズムとしか認識できなかったら、中国共産党の陰謀にはめられることになる。

…..

日本の読者に一つの事実を分かってほしい。今、2つの中国が存在している、一つは文化面ですでに滅亡した中国で、もう一つは中国共産党の暴政下に置かれている中国である。台湾、日本、世界中の他の民主国と衝突を起こしたのは、私の言った一つ目の中国ではなくて、中共暴政に制御されている二つ目の中国である。

–(以上、抜粋)–

今後、グローバル化していく世界を考える上で、中国の位置付けは必須です。

そこで何が起こっているのか、一つの考え方を知るためにも、一読しておくとよいかもしれません。

 

実は、日本は今年も、世界第2位の経済大国

大紀元というサイトに、「中国経済、世界第2位は無理? 急速な円高進行から予測」という記事が掲載されています。

新華社が報道したものです。

今年、マスコミでは、日本が世界第2位の経済大国の地位を中国に奪われると論調が多く見られます。

しかし、この記事によると、今年の日本のGDPは1ドル=85円換算で6兆3500億ドル。

対する中国の予測値は5兆6700億ドル。

米ドル換算です。つまり円高のためですね。

 

いまや、海外発の記事を日本語でネット上で自由に読めるようになりました。

常時ウォッチすると、日本の報道姿勢に影響されず、より世界の動きが把握できると思います。

 

日本人にとって、海外で勝負する壁は、実は思ったよりもはるかに低い

日経ビジネスオンラインに「日本企業の潜在力は第一級」という記事が掲載されています。

eBayの日本・台湾統括担当に対するインタビューですが、その中に、下記のような記述がありました。

—(以下、引用)—

問 海外向けの商品販売は言語の壁、商習慣の壁など立ちふさがる課題も多い。

答 …(中略)….ちょっとした壁を乗り越えるだけで、日本企業は多大な売り上げを期待できるはずだ。

にもかかわらず、残念なことに日本企業は世界市場における自身の持つ可能性にいま一つ気づいていないようだ。製品の品質、カスタマーサービスの強さなど、どれを見ても第一級なのに、だ。

(中略)

 日本人にとっては普通のことでも、ほかの国では普通ではない。このことに日本企業は気づくべきだ。

—(以上、引用)—

 

この記事にもありますように、日本人にとって、グローバル化の壁は、実はそんなに大変ではない、というのは同感です。

確かに英語は壁です。

でも、他のアジアの国々の人達が話す英語だって、ネイティブではないし、決して上手くありません。

それでも、彼らは気にせずに、英語でコミュニケーションしています。

ネイティブと同じ完璧な英語など、必要ないのですよね。

そもそも無理ですし、相手も日本人にそういう英語は期待していませんし。

しかも、記事でも書かれているように、日本で当り前のサービスは、世界レベルで見るとすごく高品質です。

eBayは国境を越えて商品を販売することを「クロスボーダートレーディング」と呼んでいますが、このような巨大な海外市場にアクセスするのは、現在、個人でも極めて容易です。

今まで、こんな時代はなかったのですよね。

必ずしも上手ではない英語でもいいので、とにかく現時点の英語力で、グローバルな世界で、色々な方法で自分個人の力を試してみる、というのは、チャレンジしてみると面白そうです。

 

外資系に勤めると、日本人のアイデンティティを強く意識する

日経ビジネスオンラインで、谷島宣之さんが「外資系に勤めるとなぜ“右傾化”するのか 欧米流と日本流、2つのやり方、考え方の板挟みになり…」という記事を書かれています。

この記事の最初に、ある日本のIT企業社長の発言が紹介されています。

「アメリカの企業でずっと仕事をしてきますと、愛国心が強くなってくるのですね」

私は外資系勤務26年目ですが、私はあまり自分が右寄りの考え方である認識はありません。

しかし、自分が日本人であることと、欧米人と日本人の違いは、日々意識させられます。

 

谷島さんは、「外資系勤務のビジネスマンが愛国心を発露する姿勢には3通りある」とおっしゃっています。

1つ目:「このままでは日本はダメになる。もっとしっかりしてくれ」というケース

例えば、外資系で普通に聞かれる次の質問に、日本企業の経営者が答えられない事例が紹介されています。

「どういう顧客セグメントに売るのですか」、「売るためのシナリオはどうなっていますか」、「シナリオ通りに進んでいるかどうかをどうやって確認しますか」、「シナリオ通りに進まなかった時、どう手を打ちますか」。

このことを嘆息していた外資系企業の社長は、退職して日本企業を支援する仕事に就いたそうです。

 

2つ目:「自分は欧米と日本の長所短所を知っている。両国の間に入り、欧米と日本を結びつける仕事をして、日本の役に立ちたい」というケース

 

3つ目:欧米本社の幹部と長年やり合っているうちに疲れてしまい、「白人は嫌いだ」などとつぶやくようになるケース。ただし、欧米本社の凄さを熟知しているので国粋主義には至らない。

 

なるほど、確かに周りを見ていて、この3つに分れるなぁ、と実感します。

私の場合、どちらかというと、最初は1つ目の考え方でしたが、徐々に2つ目の考え方に変わってきました。

ただ、恐らく3つ目にはならないと思います。

 

欧米社会と日本社会の考え方に戸惑う原因は、以前当ブログのこちらのエントリーで書かせていただいたように、コミュニケーションのスタイルが違うためです。

一言で言えば、弁証法をベースにロジックで議論をたたかわせて意志決定していく欧米社会と、和を以て貴しとし空気で意志決定していく日本社会の違いです。

弁証法で議論している世界でビジネスをしていくためには、やはりこちらも弁証法の手法を学び、実践していくことが必要だと思います。(なかなか厳しいですが)

さらにできれば、この弁証法的な考え方と日本的な考え方を、弁証法的アプローチで止揚していければいいですね。

実は、外資系企業は、それにチャレンジできるベストの環境なのかもしれません。

 

グローバル時代が生んだ、均質化によるGood enoughの状況と、過剰品質の罠と、差別化思想の重要性

円高が凄い勢いで進み、新興国が力を付けていき、世界が均質化する中で、日本の製造業は好むと好まざるとに関わらず、猛烈な勢いでグローバル化を進めています。

昨日10月14日の日本経済新聞の特集「ものづくり 逆風下の挑戦 人件費圧縮の限界」を読んで、改めてそのことを実感しました。

—(以下、引用)—

さらに自動化が進めば、世界のどこで作ってもコストは同じになる。もはや「中国や台湾の工場が強いのは、人件費が安いから」という常識は通じない。

(中略)

「台湾でも広島でも製造コストは同じ。だからこそビジネスの条件を同じにしてもらわないと(日本への)投資意欲がなえる」。エルピーダメモリの坂本幸雄社長は7月、日本経団連のシンポジウムで訴えた。

(中略)

これまで日本企業は現場の生産性を高める「カイゼン」で不利を補ってきた。だがテクノロジーによる均質化はカイゼンの余地を奪う。

(中略)

均質化が進むにつれ、日本という国に本拠を持つこと自体が、抜き差しならぬハンディになってきた。だから日本の経営者が切実に「法人税減税」を訴える。

—(以上、引用)—

では、日本は高品質に特化していけばよいのでしょうか?

高品質で差別化していくことは必要ですが、万能ではないようです。

たまたま同じ昨日、そのことを、日経ビジネスオンラインの記事「タイ、インド、中国、メキシコ…どこでも部品が手に入る 世界の「マーチ」は、現地調達比率95%(ただし日産基準)」で読みました。

現在の日産マーチはタイで作っていますが、現地調達率は95%。

日産が現地化を進める背景には、為替リスクの回避があります。

日産の現地化は徹底していて、生産工場だけではなく、部品、さらに資金も、現地で調達しています。

これも為替リスク回避の一環とのことです。

確かに、組み立てをタイで行っていても、部品や投資資金を日本から持っていっては、結局は為替の影響を受ける訳で、為替リスクの分散にはなりません。

部品調達についても、例えば高張力鋼板(ハイテン材)について、日産の車両開発主管の小林毅さんが、以下のように述べられています。

—(以下、引用)—

….現在“ハイテン”と呼ばれているものは、(引っ張り強度が)370メガパスカルぐらいから上を言うんです。ところが日本だと、すぐに780メガパスカルとか、980メガパスカルとかいう極端な話になっちゃう。

….今回のVプラットフォームでは、440メガパスカルの鋼材を基本的に全部使えということでやっています。それはインドでも調達ができるからです。….仮に南アフリカで作れという事になっても(鋼板の調達が可能だから)すぐに作ることができる。そこに780メガパスカルとか、前のマーチで使っていた590メガパスカルとかいう高強度な鋼材で作ろうとした途端に、鋼材はもう日本から運ぶしかなくなってします。

—(以上、引用)—

つまりコモディティ分野で勝負する際には、日本の高品質が、グローバル化を行う際には過剰品質になってしまい、足枷になってしまっている場合がある、ということなのでしょう。

ちなみに、骨格部材の張度を上げることで、このような鋼材を使っても新型マーチの衝突安全性は格段に上がっているそうです。

世の中の様々なモノの品質が底上げされ、廉価品でも十分な性能を持つという現象。

英語で"good enough"という言葉があります。

「これで十分」というような意味です。

ちょうど日産マーチの鋼板のように、コモディティ分野では、この"good enough"がグローバルでどのレベルなのかを的確に把握することが求められるのでしょう。

 

一方で今後の日本では、均質化の対極にある、高付加価値で勝負していくことが必要です。

それは単に品質を上げればよい、ということだと、先に述べた過剰品質の罠に陥ってしまいます。

いかに他者と異なることを行う「差別化」の思想が重要です。

それを考えるための戦略構築力が、日本ではますます必要になってくると改めて実感します。

このように考えると、従来の「横並びの発想」はとても大きな弊害であることが分ります。

 

迷走する尖閣諸島の中国漁船衝突事件で思った、日本における国際世論のマーケティングコミュニケーション戦略の必要性

 

沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件。

 

衝突事件を起こした中国漁船の船長を釈放したところ、中国政府は謝罪と賠償を要求。

日本政府はこれを拒否。

さらに中国は再反論。

 

私も日本人として、色々な思いがありますが、当エントリーではそのことは書きません。

一方で、この事例には、コミュニケーションの大切な学びが、凝縮されているように思います。

そのことを書きたいと思います。

 

日本政府は、中国人船長を釈放すれば中国は軟化するだろうという目論見だったようです。

しかし逆に、中国から「謝罪と賠償」を要求されています。

片山総務相は「日本側の方が少し大人の対応をした」と述べています。

確かに、私たち日本人の基準では、これは大人の対応なのでしょう。

しかし、「大人の対応」はコンテキスト(コミュニケーションを成立させる共有情報。前後関係や背景)が共有されている場合のみ有効です。

仮に日本では「大人の対応」として通じる行動であったとしても、コンテキストが共有されていない相手に対しては、残念ながら必ずしも「大人の対応」としては受け取られません。

 

このようなコンテキストが共有されている相手とのコミュニケーションでは、ローコンテキストコミュニケションが必要です。

コンテキストが共有されている状態では確認不要なことであっても、明示的・論理的にコミュニケーションを積み重ねるのです。

相手が、なぜあのような行動をし、何がねらいなのか?

こちらがこのような対応をすると、相手はどう思い、どのような反応をするのか?

こちらが「当然、こうなるはず」だと思っていることでも、本当にそうなのか、相手に一つ一つ確認していくことが必要です。

例えば、日本が強力な切り札として持っていた船長を釈放した場合、中国が様々な対抗策を取り下げるのかどうかは、必ず事前にあらゆるルートを通じて確認すべきことでしょう。

今回、これらを相手に確認できていない状態で、船長を釈放してしまったようです。

「時期尚早な対応」と言われても、仕方がないようにと思います。

 

また中国は「中国側は当然、日本側に謝罪と賠償を求める権利がある」と言い続けています。

当初より日本政府は「領土問題はないから毅然とやる」という方針で取り組んでいますが、その根拠がわかりやすく国際社会に伝わっていないように感じます。

この経緯をわかりやすくかみ砕いて、例えば国連総会のタイミングにあわせて米国の新聞に全面広告を出す、等の対応策も、必要でしょう。

また、捜査段階で本来は提示できないとしている中国漁船が衝突してきたビデオについても、司法と政治の判断で、国際社会に提示すべきではないでしょうか?

例えばYouTubeに掲載すれば、アクセス殺到かもしれません。

 

元々、領土問題は根が深い問題です。

そもそも「領土問題は存在していない」というのが日本政府の認識ですが、だからといって、「だから今回の問題については国際社会に説明は不要だ。領土問題は存在していないのだから」ということにはならないと思います。

ローコンテキスト社会の論理で考えるべき状況にも関わらず、日本特有のハイコンテキスト社会の論理で考えていることが、今回、コミュニケーションが成立していない1つの原因なのではないでしょうか?

日本が行っていることをわかりやすくグローバル社会に情報発信し、国際世論に訴えていくマーケティングコミュニケーション戦略が、今こそ必要だと思います。

幸い、日本の民間には、グローバルコミュニケーションとマーケティングコミュニケーションの両方に精通している専門家は比較的多いと思います。

国益を損わないためにも、政府レベルで、このような人材を、戦略作りと戦略の実行のために、どんどん登用していくべきではないでしょうか?

 

今、多くの外資系企業が日本市場を開拓しようと考え始めている理由。そして、日本市場の課題

外資系が進出してくることは、必ずしも悪いことではありません。

競争が活性化されることで顧客にメリットがあります。

何よりも、雇用が増加します。

実際、欧米各国では、自国内に生産拠点を作ってくれる日本企業に対して、失業対策になることもあり、大変感謝してくれます。

 

一時期、「縮小する日本市場からは、外資系はみな撤退しつつある」というイメージもありました。

最近になって、外資系各社は日本市場開拓に前向きになっているように感じます。

ヘッドハンティング会社でも、今年年初から、外資系の求人案件が増えていると聞いたことがあります。

 

実際、昨日(9/23)の日本経済新聞の記事『外資50社調査、「日本拠点を拡大」6割強、タタIT人員5倍、「市場なお開拓余地」』によると、外資系の多くが日本市場開拓に投資しているそうです。

—(以下、引用)—-

 日本経済新聞社が22日まとめた「外資系企業の日本拠点戦略調査」で、回答企業の6割強が2~3年以内に日本拠点の業務や人員の拡大を検討していることが分かった。

IT(情報技術)、サービス、金融、医薬品などが中心で、日本市場に開拓の余地があるとみている。インドのIT大手3社は人員を大幅に増やす。

一方、高い法人税率や閉鎖的な商慣習がビジネス上の障害だとして、制度の整備を求める声も目立った。

—(以上、引用)—-

上記がサマリーですが、ここで挙げられている業界は、日本市場の中で業界の構造改革がなかなか進まない一方、技術活用で大きな成果が期待できる業界が多いように思えます。

—(以下、引用)—-

 拡大理由では「(自社の活動分野において)日本における需要が今後も拡大する」を挙げる企業が16社(複数回答)で最多。

内需は低迷しているが、日本勢にない商品やサービス力で顧客を取り込む余地があるとみている。

世界的に見た日本市場の規模の大きさに注目する企業も多い。

—(以上、引用)—-

これは、言い換えると、「日本市場では、自社の製品やサービスにより、顧客に対して大きく差別化した価値を提供できる」との判断が働いているのでしょうね。

注目している日本でのビジネスチャンスは、業界によって様々です。

—(以下、引用)—-

 各社は「日本企業の海外進出に伴い、ITインフラ整備の需要が拡大する」(TCSジャパンの梶正彦社長)とみており、景気減速懸念が出ている欧米の代替市場として、日本市場に注目する。

 サービス分野では「日本向けの観光、ビジネス旅行の需要は今後も増す」(シンガポール航空のキャンベル・ウィルソン日本支社長)、「不動産有効活用の分野で日本の成長のポテンシャルは高い」(シービー・リチャードエリスのトニー・チャー副社長)との指摘があった。

 医薬品業界は、国民皆保険制度が確立するなかで高齢化が進む日本の市場拡大に期待。「今後も(先端医薬品への)需要は拡大する」(メルクセローノのマーク・スミス社長)とみている。「(投入を予定する)多数の製品がパイプライン上にある」(バイエル ホールディングのハンスディーター・ハウスナー社長)との声もある。

—(以上、引用)—-

「日本企業のグローバル化」「日本の観光資源」「不動産有効活用等の未開拓分野」「高齢化」といった、日本独自の環境を、ビジネスチャンスと捉えているようですね。

一方でポジティブな見方だけではありません。

—(以下、引用)—-

…「新産業のぼっ興や大型の設備投資が期待できない」(日本エマソンの土屋純社長)といった、慎重な姿勢が聞かれた。

 製造拠点を中国に移転する計画や、アジア統括機能をシンガポールに移転する計画を持つ企業もあった。「(自社の活動分野において)日本における需要は今後、それほど拡大しないとみるから」との理由が5社と最も多かった。

—(以上、引用)—-

製造業で、このような見方をする企業が多いようです。

一方で、日本でビジネスを展開する際の課題も指摘されています。

—(以下、引用)—-

「明文化されない業界独特のルールなど商慣習が閉鎖的である」60%(30社、複数回答)(具体的には「契約文化が徹底していない。ITシステムを構築する際、計画変更に伴うコスト増などのリスクを一方的に負わされる」等)

「諸外国に比べ法人税が高い」46%(23社)

「重要法律・通達の英訳が無料で閲覧できない」32%(16社)

「労務分野において解雇の金銭解決ができず、柔軟な人員戦略ができない」28%(14社)

日本政府に規制緩和を求める声は、とりわけ航空や医薬品業界で目立った。

アジア諸国に比べ英語力のある人材が不足している点を問題視する企業も多かった。

(中略)

今後、対日投資を呼び込むには、制度面やインフラの整備がカギとなりそうだ。

—(以上、引用)—-

やろうと思えば解決できる施策が多いように思います。

是非、政府主導で実現して欲しいところです。

一方で、日本でビジネス環境を評価する声もあります。

—(以下、引用)—-

「従業員の法令順守意識が高い」68%(34社)

「従業員の能力、スキルが高い」58%(29社)

「他のアジア諸国に比べて法の統治が進んでいる」「知的財産権の保護が進んでいる」32%(16社)

—(以上、引用)—-

当ブログの「日本企業が変わりつつあることを読み取れる、IBM Global CEO Study 2010」でも書きましたように、「今後5年間で最も重要となるリーダーの資質」で「誠実さ」については、グローバル全体のCEOは2位の52%であるのに対して、日本のCEOは5位の29%でした。

グローバル全体が「誠実であることが大事(逆に言うとできていない)」との認識に対して、日本では「確かに大事だが最重要ではない(すでにできている)」との認識である、と考えられます。

高い倫理性は、日本企業およびビジネスパーソンが、グローバルに先行している点なのでしょうね。

 

記事を読んで、日本市場、まだまだ成長余地があると改めて感じました。

 

「分らないのに質問しないのは、実はとっても失礼」 …..『グローバル人材に求められるコミュニケーションスキル』(大塚雅文さん) 第10回朝カフェ次世代研究会より #asacafestudy

昨日の朝、朝カフェ次世代研究会『グローバル人材に求められるコミュニケーションスキル』を行いました。

講師は、グローバルコミュニケーションを教える会社「まなび株式会社」を経営しておられる大塚雅文さん

朝カフェ次世代研究会も、今回でついに10回目なんですよね。

お金も何もない中で、このようなハイクオリティの講演会を参加費無償で継続できているのも、皆様のご協力の賜物です。ありがたいことですね。

 

冒頭、大塚さんからは、ここ数年でグローバルコミュニケーションの手段としての英語のあり方が急速に変わってきたとの話がありました。

 

今までは、私達は英語のネイティブに対して話すために英語を勉強していました。

そこでTOIEC 730点とか900点とかを狙っていました。

私などはまさにその通りで、26年前の新入社員の時のTOIECは475点で上司から「これでは仕事をさせられない。早く730点取れ!」と厳命されました。→私のこのあたりの経緯はこちら

当時の仕事相手は、米国人と、中国・台湾・韓国・タイ等のアジア人。アジア人とのコミュニケーションは、非母国語同士ということで、割とやりやすかったのを憶えています。

 

一方で、世の中ではリーマンショック以降、新興国が消費主体として台頭し、英語を母国語としない人達とグローバルコミュニケーションをする場面が圧倒的に増えました。

その多くの人達は、TOEICで言えば500-600点クラス。

ここで使われる英語は、Engishではなく、Glob-ish。(Global English)

きれいに正確な英語で話すのではなく、あくまで意思疎通の手段としての英語です。

ですので、難しい単語は不要。

語彙も1,500語で十分。TOEIC 500点クラスです。

分らない英語は、その場で聞けばよい、という発想です。

 

ここで、大塚さんは2つの録音を聞かせて下さいました。

両方とも、英語がネイティブの人が、同じ内容を、英語を母国語としない人に説明しています。

前者は、聴く側の非母国語の人は、説明にうんうん頷いています。ネイティブの人は一方的に話していますが、何となくやりにくそう。最後のネイティブの質問に対して、「ごめんなさい。実はあなたが何を言っているのか理解できていません」….微妙な空気が流れます。

後者は、聴く側の非母国語の人は、説明で分らない単語が出てくると即座に質問します。ネイティブの人は丁寧に答えます。最後の質問になると、ちゃんと自分なりの考えを述べます。

前者は日本人に多いパターンです。

いやぁ、身に覚えがありますねぇ。私も。

日本人は、話の内容の理解ではなく、相手が気持ちよく話すことを優先します。

相手の話を遮るのはとても失礼なことと考え勝ちです。

だから、分らないことを聞き返すことはしません。

しかし、グローバルコミュニケーションでは、理解していないのに相手に話をさせる方が、はるかに失礼なのです。

考えてみると当然で、相手は一生懸命話しているのです。

その努力に対して、実はこちらが理解していない、というのは、逆にとんでもなく失礼ですよね。

 

今まで私達日本人が生まれ育った環境は、「分らなかったら調べろ」「考えてから話せ」でした。

しかしグローバルコミュニェーションでは、「分らなかったら聞け」「聞きながら考えろ」です。

これは、実際に海外の人達と話していると、痛感しますね。

考えてみると、グローバルビジネスの基本も、まさにこの通りです。

多くの人達が、自分の経験を持ち寄って、話し合い、誰もが参加して利益を得るような形でグローバルスタンダードを決める。

そして、この共通ルールの上で、自分の強みが出せるように、フェアな競争をしていく。

日本人がなかなかグローバルコミュニケーションできないのも、グローバルスタンダードに基づいたグローバルビジネスで遅れを取ってしまうのも、同じ文化的背景による理由なのだと感じました。

でも、日本人が得意とする相手への思いやりがあれば、ちょっとした発想の転換と気付きで、たとえグローバルコミュニケーションであっても、相手とコミュニケーションは出来る筈なのですよね。

 

2年ほど前に、当ブログで「日本と欧米コミュニケーションの違いは、"Good question"と言えるかどうか 」というエントリーを書きました。

グローバルコミュニケーションでも、この弁証法的な考え方が背景にあるように思います。

 

ということで、今回も大変勉強になる研究会でした。

大塚さん、ありがとうございました。

今回も講演の様子をTwitterで中継したログをまとめました。ご参考になれば幸いです。

いつも通勤中にTwitterのTLを読みながら、参加して下さっている方も多いようですね。

 


 

朝カフェ次世代研究会、10月13日に行なう第11回目は、 私・永井孝尚の「プレゼンの心得」です。

10月6日頃にご案内します。

引き続き、よろしくお願いいたします。

(9/23 9:00AM…タイトルを修正)

 

「長州でも薩摩でもなか」(150年前)→「アメリカ人でも日本人でもなか」(現代)


 

9/11の日本経済新聞夕刊のコラム「あすへの話題」で、エッセイスト寺澤芳男さんがコラムを書かれています。

—(以下、抜粋)—

…..。「龍馬伝」では、「われわれは長州でも薩摩でもなか。日本人ぜよ」。ここで一千万人の視聴者(多分そのくらい)はツンと鼻の奥が痛くなり涙ぐむ。

(中略)

 さすがにもう「外人」とはいわず「外国人」というようになったが、たとえばプロ野球などの「外国人」枠を外してしまったらどうなるのだろう。大学ラグビーも箱根駅伝も完全自由化したら日本人は何人残るのか。現在の大相撲のようになってしまうのか。体格や体力がものをいうスポーツではなくて頭で勝負する分野ならまだ大丈夫なのか。グローバライゼイションということは分かり易(やす)くいうとそういうことだ。

 「われわれはアメリカ人でも日本人でもなか。地球に住んでいる同じ人間ぜよ」。となるのだろうか。

—(以上、抜粋)—

非常に示唆的なエッセイだと思います。

150年前、欧米列強の脅威にさらされた日本は、「長州人」「薩摩人」という藩の意識から、「日本人」というもう一つ上の意識に、レベルに上がりました。

 

それから150年後の現在、温暖化や貧困、テロなど、様々な脅威が地球を取り巻いています。

一方で、グローバル化が急速に進み、遠い国にいる人との距離がネット上ではほとんどなくなっています。

実際、昨日ご紹介したように、今までTVやラジオでしか知ることがなかった北朝鮮当局の声明が、粗々ながらも日本語で自宅のPC上で読めるような時代です。

確かにアメリカ人、日本人、アラブ人といった国や民族の意識から、「地球に住む人間」というもう一つ上の意識に、レベルが上がるべき時なのかもしれません。

 

草食系男子と、グローバルの競争社会

本日(7/5)の日本経済新聞の記事「領空侵犯:『草食系男子』を美化するな」に、京大霊長類研究所の古市剛史教授が掲載されています。

—(以下、引用)—-

–オス同士が争わないサルの社会があるようですね。

「アフリカ中部の熱帯雨林にすむボノボの社会です。同じ類人猿のチンパンジーは、集団が出会うとオス同士が闘ってときに殺しに発展し、群れの中では子殺しがある。しかしボノボではオスがほとんど争わず、子殺しもない。極めて平和な社会です」

「なぜかというと、メスの地位が高いからです。リーダーのオスはいますが、力の強いメスの息子がなることが多い。オス同士が小競り合いになると母親が乗り出してきて、息子の代わりに大げんかすることもあります」

(中略)

–ヒトの社会がボノボに近づいたとはいえませんか。

「それはどうでしょうか。確かに先進国では少子化が進み、子づくりをめぐり男たちが競い合う傾向は弱まっています。しかし、ヒトの社会の中心にあるのはチンパンジーと同様、まだまだオス同士の競争原理です。女性の地位が相対的に高くなったとはいえ、ボノボのようにメス主導の平和共存の原理が浸透したといえるのでしょうか?」

「….競争を回避しているだけなのに『ボクは草食系だから』と自己正当化し、美化している。そうだとしたら困ったことです」

—(以上、引用)—-

この記事の最後に、『「ボノボはチンパンジーに比べ競争がない分、道具の発明や使用がまるで少ない」という古市教授の言葉が警鐘に聞こえた』という聞き手の言葉も紹介されています。

競争しなくなると、創意工夫が少なくなる、ということでしょうか?

 

この一日前の7/4、同じ日本経済新聞の記事「人こと:テイ・エステック社長古明地利雄氏―労働の質今や中国が世界一」で、以下のインタビューが掲載されています。

—(以下、引用)—-

「労働の質は今や中国が世界一だ」。自動車用シート大手、テイ・エステックの古明地利雄社長はこう言い切る。同社が毎年、世界各国の従業員を集めて部品の改善提案を競う世界大会で「実はこの3年間、金銀銅メダル、すべて中国人従業員が独占している」という。

一昨年、優勝を逃したある中国の従業員に「来年は頑張れよ」と励ましたところ、「その先もずっとがんばりますから」と真顔で答えが返ってきた。「励ましたつもりが、逆に励まされた」。中国ではストライキが続発し、中国リスクが多く取り上げられるが、中国の従業員へ寄せる信頼は「今も全く変わっていない」。

—(以上、引用)—-

確かに、私が知っている中国の友人は、誰もが仕事に対してとてもアグレッシブです。

IBM本社のエグゼクティブも、ここ10年間でインド人や中国人が増えています。

また、ちょっと古いデータですが、こちらに書きましたように、インドのITサービス大手であるインフォシス・テクノロジーズが2006年度に採用した従業員は36,700人、応募は1,302,400人でした。

この数字、1年分の新規採用であって総従業員数ではありません。その多くが博士や修士です。

一方で、日本では1学年の総数は1,000,000人をちょっと超える程度。インフォシスの2006年の応募者を下回っています。

グローバルに見ると、日本の外では、ものすごいスケールで、競争はますます激しくなってきています。

 

「草食系男子」という言葉は、「ガツガツせず、スマートに気配りをし、自分の将来もそれなりに考えている好青年」というイメージもあって、個人的には嫌いではありません。(モーニング連載の「シマシマ」に登場する、4人の男性のようなイメージですね)

一方で、この二つの記事を読んで、これからフラット化するグローバル社会の中で、私達はどのようにしていくのか、ちょっと考えてみるのも必要かな、と思いました。

【国際比較、グラフ付】少ない有給休暇を、なかなか休めない日本人

Business Media誠に、下記の記事がありました。

なぜ休めないの? 有給休暇を消化できない理由

記事にあった数字をピックアップしてみました。

  • 日本人の支給日数は16.6日、取得日数は9.3日、有給消化率56%。
  • フランス人は支給日数は37.4日、取得日数は34.7日、有給消化率92%。
  • イタリア人は支給日数は32.3日、取得日数は26.5日、有給消化率82%。

日本人の取得日数の低さと消化率の低さが際立っています。

イメージしやすいように、縦軸に平均給付日数、横軸に消化率を取ってグラフにしてみました。(クリックすると大きくなります)

Vacation20100630

このように比べてみると、日本は給付日数こそ米国並みですが、消化率はダントツに低いですね。

その給付日数も、ヨーロッパ諸国と比べると、そもそも少ないですね。

これには、文化的な違いも大きいと思います。

4年前に下記ブログでも書きましたように、「忙しいから休めない」という日本人と、「まず休みでエンジョイすることを前提に、人生を考える」というヨーロッパ人の違いもあるのかもしれません。(よいか悪いかは別として)

「有給休暇繰越がない国?」

個人的には、日本はもっと個人が自分の人生を楽しめる社会になればいいな、と思います。

日本人がYes/Noを明確に言うことで、実は欧米人は結構傷ついている、という話+そんな欧米人と、円滑に仕事するには?

日本人が欧米人に持つ印象は、こんな感じなのではないでしょうか?

「YesとNoを、はっきりと、ストレートに言う」

こう思っているので、ある程度英語を話せるようになると、私達もYes/Noをはっきり言うことが多いと思います。

かく言う私もそうで、英語で仕事をし始めた頃はあえて自分の人格を変えて、必要以上にYesとNoを明確に言うように意識していました。

 

しかし、仕事を通じて親しい海外の友人が増えたり、海外からの長期出張で日本に来ている同僚と仕事をする機会が増えて、毎日のように色々と話しているうちに、気がついたことがあります。

欧米人でYesやNoをはっきりとストレートに言う人は、意外と少ないのです。

 

多くの欧米人は、仮にその意見に反対であっても、

「なるほど、あなたがそう考えるのはよく分る。私だったら、それをさらにこうすると思う」

とか、

「悪くないね。さらにこのようにできたら、もっとよくなると思う」

というような言い方で、相手の立場を尊重した言い方をします。

 

中には「xxxxについて、どうなんだ? Yes or No?」と言ってくる人もいますが、極めて少数派です。

実際、そういうことを言った人間に対して、多くの欧米人が「あいつは何だ?Yes or Noという質問自体、バカげている」と怒っていたりします。でも、その発言をした本人には、気を遣ってストレートに言わないようですが。

外国人同士でこのような会話をしていること自体、日本人にとって意外に思えます。

 

つまり、実は相手に対してすごく気を遣っているのですよね。

その点は、日本人も欧米人も、大きな違いはありません。

考えてみたら、相手を尊重するというのは、人間社会では普遍的に必要なことですね。

 

では日本人と欧米人の大きな違いは何かというと、欧米人は何らかの意見に対して、自分は「Yes」か、「No」か、それとも「分らない」のか、考えを割としっかり持っているということです。

ただ、その考えを表現する方法は、必ずしもストレートな言い方ではなく、日本人同様相手の立場に気を遣って話しています。

 

「相手の人格」と「相手の意見」を分けている、と考えれば、分りやすいのではないでしょうか?

つまり、「相手の人格」は常に尊重する一方で、「相手の意見」については「Yes」、「No」、あるいは「分らない」を明確にしている、ということです。 

一方で、日本人の場合、私は「相手の人格」と「相手の意見」を明確に分けずに考える傾向があるような気がします。

例えば、「あいつの言うことだから、賛成だ」とか、「あいつの言うことだったら、反対だ」ということが多いのではないでしょうか?

日本の国会でも、ライバルの党が出す法案や意見は常に否定する、という場面が多く見られます。同じ理由かもしれません。

もちろん、欧米人にもそういう傾向があるでしょうが、「場の空気」ではなく、弁証法を議論の基本にする社会では、その度合いは少ないように感じます。

どちらがよい、悪い、ということではなく、文化的背景の違いで、そのような違いが生じている、ということです。 

 

このように考えていたら、先日、ある外資系企業社長のご講演を伺う機会があり、さらに新しい発見がありました。

 

日本人が「Yes/No」をはっきり言いすぎることで、欧米人は結構傷ついていることが多い、という話です。

例えば、欧米人が日本に対して、「日本でxxxxxxxのようにしたらいいんじゃないか?」という提案をしたとします。

その提案が適切ではない場合、多くの場合、私達は「それはだめ。理由はxxxxxxxだ。日本市場では有効ではない」と言ったりします。

実は、彼らが日本に何らかの提案する場合、とても気を遣って提案していることが多いのですが、それを完全に否定されることで、彼らは人格も否定されたように感じてしまい、結構傷ついているようなのですよね。

 

もしその提案が適切でない場合、こんな感じで返すといいのではないでしょうか?

「提案をしていただき、ありがとう。その提案は、我々が持っていなかった新しい視点だ。一方で日本ではxxxxxという現実がある。だから、その提案をさらに発展させてxxxxxxxとすれば、さらに効果的だと思うが、いかがだろうか?」

ポイントは

1.まず、相手の人格を尊重し、提案してくれたことに感謝する
2.こちらの現実を、事実として伝える(自分の意見でもOK)
3.相手の意見を否定するのではなく、発展・進化させる

特に3.は、弁証法でいうところの「正反合」です。

新しい提案をすることで、彼らもその意見を取り入れて、日本の現実を反映した、より優れたプランを作れることになり、自分の評価にも繋がります。Win-Winですね。

 

相手の人格と、相手の意見を、分けて考えること

相手の人格は常に最大限尊重しつつ、意見ははっきり持つこと

 

文化的背景の違いによる考え方の違いと、文化が違っても普遍的で変わらない点を理解し、実践していきたいものです。

勝てる仕組みを持っていなかった浅田選手

女子フィギュアスケート、浅田選手は残念でしたが、キム・ヨナ選手は完璧でしたね。

浅田選手の205.50点は、自身の最高得点でした。

しかし、キム・ヨナ選手はそれをはるかに上回る228.56点でした。

テレビを見ていると、5年前、14歳の頃の浅田選手の滑る場面を時々放映しています。

全く危なげない演技で、確かにこの時にオリンピックに出場できていたら、金メダルが取れたかもしれませんね。

一方、キム・ヨナ選手はしばらく浅田選手を追いかける立場でしたが、ここ1-2年で立場が逆転しています。

日経新聞の記事によると、浅田選手はタラソワ・コーチから月に1度指導を受ける程度で、五輪前の4ヶ月だけタラソワのアシスタントがついたものの、実質浅田選手一人で練習している状態で、全体をコーディネートするコーチがいなかったそうです。

フィギュアスケートのコーチと選手の関係がそもそもどのようなものなのか、私はよく知りません。

ただこの話しを聞くと、浅田選手はそもそも勝てる仕組みを持っていなかったようにも思えます。

むしろこのような環境で、19歳の選手がほぼ独力に近い状況で銀メダルを獲得できたこと自体、賞賛すべきことではないでしょうか?

 

ところで10年前に通貨危機に見舞われた頃の韓国で、私が所属していたアジアパシフィック地域の事業部のメンバーが集まってチームミーティングを行ったことがあります。

当時の韓国はウォンが大幅下落し、国が破産しかけていました。この事業部の韓国の責任者は、アジア各国から来た同僚に対して、「わが国は今、大変な危機だ。だから今回はどんどんお金を使って、わが国の経済の立て直しに協力して欲しい」と言っていました。

10年後の今、韓国のサムソンは大躍進をしており、他の産業でも世界で活躍しています。

3000万人の国民が、世界を意識して一致協力し、国として戦略を持って取り組んだ結果なのでしょう。

 

フィギュアスケートの結果を見て、こんなことも連想した次第です。

プロレスに、日本社会の変遷を見る

書店でプロレスの雑誌の表紙を見ていて、気がついたことがあります。

日本人レスラー同士の抗争をストーリーにしたものが多いことです。

 

私が子供の頃は、プロレスの試合は、大抵は日本人プロレスラー vs. 外国人プロレスラー(主に米国人)でした。

猪木や馬場が、特に反則技を繰り出す外国人レスラーと闘い、最初は劣勢ながら、最後は勝つ、というパターンでした。

プロレスは常に視聴率20%で、ゴールデンタイムの人気番組でした。

当時は1970年代。欧米に追いつけ追い越せという高度成長時代の社会背景を反映しているような気がします。

1950年代からの力道山のスタイルを継承しているのかもしれませんね。

 

私はあまりプロレスは詳しくないのですが、日本人同士の抗争が増えるきっかけは、1980年代前半の長州力 対 藤波辰巳あたりからでしょうか?

日本が欧米に追いつき、1979年に出版された「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」という本が話題になった時代、日本人が強い米国人をやっつける、という分りやすい構図が飽きられたのかな、という気もします。

プロレスも人気商売。世の中の動向を最も反映しているものの一つなのかもしれませんね。

海外へ流出しやすい仕事は何か?そして、マーケティングの仕事はどうなるのか?

グローバル化は国境を越えてますます進んでいます。

トーマス・フリードマンが「フラット化する世界」で語ったように、海外に流出する仕事がある一方で、流出しない仕事もあります。

では、どんな仕事が流出し、どんな仕事が流出しないのでしょうか?

2/10の日本経済新聞の記事「雇用創出 米国の苦闘 有望な職 見極め"投資"」で、業種ごとの「海外への流出しやすさ」を掲載しています。米ブリンストン大・ブラインダー教授の論文から抜粋です。

—(以下、引用)—

■もっとも流出しやすい
データ入力、電話マーケティング、簿記・会計・監査の事務、金融アナリスト

■流出しやすい
ソフトウェア開発、組立工、機械工、弁護士

■流出しにくい
俳優、在庫管理事務、配送事務

■ほとんど流出しない
経営管理、医師、看護師、タクシー運転手

—(以上、引用)—

グローバル化が進み、インド等に仕事が急速に流出している米国の実態は参考になりますし、色々と考えさせられます。

フリードマンの「フラット化する世界」でも、面白い場面が描かれています。

米国にあるマクドナルドの店で、ドライブスルーでの注文を地球の裏側にいるインドのオペレーターがネット経由で受け、その注文データが地球をさらに半分回って店の調理場に入り、数分後に顧客にハンバーガーとコークが渡される、というものです。

このような仕事も流出する可能性があるのですね。

会計や監査が流出しやすいことを、意外に思われる方が多いのではないでしょうか?

会計業務は数字データを扱う業務なので、ネットとの親和性も高く、会計制度や使用言語が同じであれば実は流出しやすいようです。

金融アナリストもデータを扱うという観点では同様ですね。

 

一方で、配送業務や在庫管理業務が流出しにくいのは、意外ですね。

実際にその場にあるモノを扱う訳で、これは確かにその場にいないとできません。

当記事では、以下のようなことも書かれています。

—(以下、引用)—

人と人が対面する仕事は流出しにくい。「子供のころからコミュニケーション能力や創造的な思考力を鍛えるように、初等・中等教育の改革が必要」と訴える。

—(以上、引用)—

また、「どの職業が有望かを見極めてから教育を受けることが重要」と米国労働省の労働統計局は指摘しているとのことです。

 

ところで、マーケティング業務は、どれに入るのでしょうか?

マーケティング業務と一言で言っても、様々な分野があります。

上記の例では、テレマーケティング等はまさに「電話マーケティング」で、場所を問わずに業務が行なわれています。

マーケティング調査は「金融アナリスト」に近いかもしれません。但し数字データ分析は確かに流出しやすいのですが、例えば顧客意識の分析のような暗黙知面の分析は、流出しにくいように思います。

一方でマーケティング戦略は「経営管理」に近い面もあります。

今後、マーケティングに携わるプロフェッショナルは、「本当に顧客や市場を理解できているかどうか」ということが、ますます問われる時代になってきているように思います。

多国籍企業とグローバル企業は、何が違うか?

日本人だけの知識や経験に頼る経営は限界に近づく。グローバル成長へ、企業は人材鎖国を開く覚悟を求められる。

昨日(1/19)の日本経済新聞「企業 強さの条件 本社は日本に必要か」の最後は、このように締めくくられていました。

本記事では、IBMのパルミサーノ会長の「多国籍企業から、グローバル企業へ」という言葉も紹介されています。

日本IBMでグローバル企業化が進む真っ直中にいて、これは身に染みて感じます。

 

私が日本IBMに入社した1984年は、日本IBMは「多国籍企業」でした。

非常に大雑把に言うと、「本社の機能をコピーして現地法人を展開する」のが多国籍企業です。

日本法人である日本IBMも、米国IBM本社と同じ機能(研究開発、生産、営業、マーケティング、営業業務、サポート、人事、会計、総務、等々)を全て持っていました。

日本だけではなく、ドイツ、フランス等の各国も、基本的に米国IBM本社と同じ機能を持っていました。

現地法人の数だけのIBMがある、ということですね。

 

グローバル化が進み、インターネットで距離の壁がなくなり、多国籍企業がグローバル企業に進化すると、各国で機能を分担し、世界全体で一つの会社として機能するようになります。

例えば、私が入社した1980年代は、全国各地の日本IBMの営業所には、営業担当者とほぼ同じ数の営業業務担当者がいて、お客様との契約書を作ったり、受注情報をオーダー入力したり、といったことを、行っていました。

しかし現在、日本の各営業所には営業業務担当者はいません。

この業務は、中国の大連でインターネットと電話を使って情報をやりとりしながら行なうようになりました。

社内コールセンターも中国に移りましたし、お客様プロジェクトの開発も中国やインドからデリバリーする体制を進めています。他にも様々な業務が世界の各地で分担するようになりました。

 

また、1990年代の日本IBMは、ほぼ日本人の社員だけでした。

しかしグローバル化が進み、ここ数年で海外から日本IBMに長期出張して一緒に仕事をする人が急に増えてきました。

私が所属するソフトウェア事業でも、とても多くの海外IBMからの仲間がいます。

日々の仕事で彼らと話をしていると、日本人だけではなかなかわからない気付きが得られます。

創造的な考えは、多様性の中から生まれるのですね。

冒頭の記事にある「日本人だけの知識や経験に頼る経営は限界に近づく」というのは、まさに日々感じていることでもあります。

 

考えてみれば、これだけ人々の生活までに入り込んだグローバル化を経験するのは、日本人だけが初めてなのではなく、多くの他の国々の人も初めてです。

日本人だけのチャレンジなのではありませんし、日本だけが特殊なのではありません。

私達日本人が、海外の人々と自然に切磋琢磨できるようになれば、よりよい世の中になるかもしれません。

過去3回あった日本の人口減少期から、我々は何を学べるのか?

日本では昨年から人口減少期に入りましたが、実は日本の人口が減少するのは今回で4度目だそうです。

1月7日の日本経済新聞夕刊の記事「歴史に見る人口変動、鬼頭宏さんに聞く――減少期に文明は成熟、女性の役割大きく」では、過去の人口減少期に何が起こったのかを考察しています。

—(以下、引用)–

減った時期は縄文後半、鎌倉、江戸中・後期と現在。

……縄文中期から気温が下がり始め、落葉樹林の生産力が落ちる一方、西日本では照葉樹林が広がった。これが食料を減らし、人口を減少させる原因になったのです。縄文の人口はピーク時26万人でしたが、末期には8万人にまで減ったとみられています

……人口が減少する時代は文明が成熟する時期です。縄文後期は高度な狩猟採集社会でした。平安時代から鎌倉時代にかけて人口は減少に転じますが、平安時代は世界的に評価が高い『源氏物語』を生むなど国風文化が花開き、爛熟(らんじゅく)しました。江戸中・後期も町人文化が成熟した時代と言ってよいでしょう

…人口減少時代はハードの発展より、ソフトの充実に目が向けられる。コンクリートより人です。産業で言えば工業からサービス産業への転換。女性の役割が大きくなる社会です

…歴史を振り返ると、文明の成熟期は次の新しい文明システムの種をつくる時期でもありました。人口減少をその好機にすべきです

—(以上、引用)–

 

個人的には、バブル期の1990年からの20年間で、日本は随分と成熟したように思います。

20年前は、美味しいイタリアンレストランというと数が非常に限られていて、美味しい店に入るのにはいつも行列でした。(あの、「カ…」のつく店ですが、結構皆さんご存じですね)

でも今は、美味しいイタリアンレストランは日本に沢山あるように思います。

日本人シェフが欧州に修行に行ったおかげですね。

 

しかし人口減少は今年からが本番。

■高度な狩猟採集社会だった縄文後期

■『源氏物語』を生むなど国風文化が花開き爛熟した平安時代~鎌倉時代

■町人文化が成熟した江戸中・後期

さらにこれから日本が成熟していくとしたら、考え方によっては、その世界を生きることは、平安時代や江戸時代中期・後期を生きるのと同様、とても楽しいことなのかもしれません。

プロジェクトK統括の方から、「霞ヶ関維新」の話を伺う

昨晩、「真の戦略国家を構築する『霞ヶ関維新』の断行」という講演に参加しました。

これは、私が同窓会役員を務めている多摩大学大学院同窓会が主催する「セカンドステージ大学院」企画による講演会です。

プロジェクトKとは、現在の中央官庁の構造的欠陥に危機感を持ち、その改革を目指す20-30代の若手公務員を中心とする集まりです。2003年に結成、様々な活動を続けています。

その最新の活動と提言は、「霞ヶ関維新」(英治出版)という本にまとまっています。

 

講演されたのは、現在、内閣官房知的財産戦略推進事務局・参事官補佐で、NPO法人プロジェクトK統括も担当されておられる遠藤洋路さんでした。遠藤さんご自身34歳、1997年文部省(当時)入省の若手官僚です。

オフレコ的発言も多かったので、ここで全てをご紹介することはできませんが、中央官庁の方が、ご自身の問題を謙虚に見つめられ、損得勘定を棚上げして、国としてのあるべき姿を真摯に考えておられることがよく分かりました。

 

プロジェクトKは活動を始めて6年間、様々なことを提言してきました。

提言当初は「これは実現無理では?」と思われたことも、今年8月30日の総選挙で民主党が大勝し政権を取った結果、実現しつつあることも多いことが改めて分かりました。

 

その一つが、「政務3役」による予算承認です。

従来の予算は、官僚が直接大臣に説明し、大臣がそのまま了承する、という形でした。

しかし、大臣は様々な業務も抱えているため、予算案に書かれた様々な内容まで把握できませんでした。このため、ほぼ官僚の言い分が通っていました。

民主党になり、大臣、副大臣、政務官の「政務三役」が予算を検討する形になりました。(三役とも与党政治家の担当です)

具体的には、官僚はまず政務官に予算案を説明し、政務官がそれを大臣・副大臣と協議して決定する、というプロセスになります。言い換えると、官僚は大臣に予算を説明する機会がなくなり、意志決定に関われない状態になりました。

ある例では、政務三役から、「予算維持、昨年比5%減、昨年比10%減の3つの案を提示するように」と官僚に指示が出され、3つの案を提示した結果、10%減の予算が省庁案となった例が紹介されました。

従来の官僚主導では、昨年度予算に上積が基本だったので、これは大きな変化です。

 

プロジェクトKで提案してきた統合戦略本部の考え方も、菅直人さんが責任者を務める国家戦略局で一部ではありますが実現しています。

 

また、今まで知りませんでしたが、国家公務員は各省庁での採用であり、日本国の採用ではなかったのですね。いわば、例えば文部科学省という株式会社で採用されたようなものです。確かにこれでは、「国家利益を考えるべき」という理想を掲げながらも、省庁利益を優先してしまいがちになるのもやむを得ないかもしれません。

この部分の人事制度刷新も、メスを入れるべき部分としてプロジェクトKで提案され検討中です。

 

このような改革、まだ始まったばかりです。初めての試みですので、試行錯誤もあるでしょう。例えば政務三役による予算承認も、手間と時間がかかってなかなか進まないのが実態とのことです。

しかし、目先の結果に目を奪われ、「ほら、やっぱりダメだったじゃないか?」と言って止めることがないように、試行錯誤を繰り返し、PDCAを回して継続して改善を続けていっていただきたいと願っています。

 

また、中央官庁にも、このような気概を持った方々がいると知り、うれしく感じるとともに、私達国民も文句を言うだけではなく主体的に何をなすべきなのだろうか、と考えさせられました。

『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』を読んで

中谷巌先生が、新著『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』を出版されました。

多摩大学・大学院で、修士論文の指導教官として中谷先生に私がお教えをいただいたのは、2000年から2002年でした。

当時の中谷先生は、「新自由主義派」「構造改革派」として、また政府のブレーンとして、構造改革の論客であり、改革の必要性を説いてまわっておられました。

折からの金融危機で日本全体の処方箋が求められていた背景もあり、先生の主張には大きな説得力がありました。

その中谷先生が出された本書の帯は、このように書かれています。

リーマン・ショック、格差社会、無差別殺人、医療の崩壊、食品偽装。全ての元凶は「市場原理」だった!
構造改革の急先鋒であった著者が記す「懺悔の書」

ということで、先週末に本書を入手、読み始めたところ、夢中になりました。

400ページ近い本書は一日で読み終えました。

そして考えさせられました。

 

本書では、グローバル資本主義の本質的欠陥として、下記を挙げています。

—(以下、p.18より引用)—-

・世界金融経済の大きな不安定要素となる

・格差拡大を生む「格差拡大機能」を内包し、その結果、健全な「中流階層の消失」という社会の二極化現象を生み出す

・地球環境汚染を加速させ、グローバルな食品汚染の連鎖の遠因となっている

—(以上、引用)—-

本書の結論はこの3点であり、この結論に至ったロジックが展開されています。

最初に、1960-70年代の米国の繁栄は、市場原理が徹底されていたからではなく、20-30年前に行われたニューディール政策等のおかげである、としています。

本書p.43に、この100年間における米国の所得格差推移がグラフで掲載されていますが、数十年のスケールで市場状況や政策の影響を受けて循環していることがよく分かります。

世界がフラット化していなかった時代、労使協調は経営者にとっても合理的選択でした。しかし、これはローカルな資本主義においてのこと。グローバル資本主義においては労働者と消費者が同一人物ではなく、人件費向上はそのままコスト向上に繋がります。そこで、企業にはできるかぎり人件費を抑えようとするベクトルが働く、としています。

今世紀に入り、日本が好景気だったにも関わらず労働分配率が下がり続けている理由も、恐らく同じなのでしょう。

一方で本書では、第二次大戦中に「大転換」という著書を書いたカール・ポランニーを紹介しています。

ポランニーは「資本主義とは個人を孤立化させ、社会を分断させる悪魔の碾き臼である」と繰り返し強調しています。

そして、「労働」「土地」「貨幣」を商品として取引することで市場経済をおかしくなった、としています。「そもそも商品の本質とは、再生産が可能であるかどうかにかかっている」からであり、「労働」「土地」「貨幣」はこの条件を満たしていないためです。

確かに、現在のグローバル資本主義で苦しんでいるのは、「貨幣」「土地」「労働」に関わる分野です。その意味では、60年以上前にこれを指摘したポランニーは、まさに慧眼であったと言えるかもしれません。

一方で、日本と他国の文明についても歴史的な観点で考察しています。支配・虐殺が繰り返されてきた人類史の中で、日本文化は支配・虐殺よりも文化受容の歴史でした。(戦国時代のような時期もありましたが、この時期でも住民を根絶やしにすることはありませんでした)

本書では、その日本が文化受容の歴史になった原点として、縄文と弥生の出会いを挙げています。

そして、この縄文人と弥生人の融合が、その後、「長期的な信頼の確立」を目指した「正直で勤勉」な日本人の行動規範に繋がったとしています。

そして、

—(以下、p.320より引用)—-

すくなくとも、先進国の中で「損して得取れ」という愚直な戦略を身につけている国は日本しかないし、BRICsと呼ばれる後発国の中にも見あたらない。だとすれば、我々はたとえ不格好で不器用であっても、覚悟を決めて、長期的に信頼を勝ち取る方法を今後も維持すべきではないだろうか?

—(以上、引用)—-

と述べています。

新原浩朗著「日本の優秀企業研究」でも、日本の優秀企業とは、

「自分たちが分かる事業を、やたら広げずに、愚直に、真面目に自分の頭できちんと考え抜き、情熱をもって取り組んでいる企業」

としています。このような歴史的背景や日本以外の文化との比較と併せて考えると、とてもハラに落ちやすいですね。

また、日経BPの記事『トヨタ経営「成功のポイント」に「壁を越える力」を見る』では、一橋大学大学院の清水紀彦特任教授が、世界で最も優れた製造業であるトヨタ自動車による、一見グローバルの基準で考えると不思議な企業戦略について、考察しています。

・少しずつ前進するが、時折、飛躍する。
・倹約を徹底するが、大盤振る舞いもする。
・業務の効率性が高いが、重複も多い。
・安定を目指すが、同時に現状を疑ってかかる。
・官僚的な階層組織を尊重する一方で、反対意見を自由に述べさせる。
・コミュニケーションは単純化しているが、ネットワークは複雑である。

本書と併せて読むと、よく理解できます。

本書では、他にも、

・国家として民主主義やマーケット・メカニズムを拒否し、GNPが非常に低いにも関わらずGNH(Gross National Happiness)が高いキューバやブータンの事例と、幕末日本の類似性

・宗教国家、理念国家としての米国

・一神教思想がなぜ自然を破壊するのか

・貧困大国となってしまった日本

・ベーシック・インカムの新しい税制等の提案

等についても考察しています。

 

今回の経済危機を契機に、一部では保護主義的な動きも出てくると思います。しかしその一方で、グローバル化は今後もさらに進展する可能性が高いと思います。

このようなフラット化した世界は、地球全体が「小さな一個の島国」である、とも言えるのではないでしょうか?

まさに、本書で挙げているように、数千年前に縄文人と弥生人が巡り会った日本の状況とも言えます。

各民族の文化や行動形態は数百年・数千年をかけて培われたものですので、一朝一夕には変わらないでしょう。

しかし一方で、中世から近代まで戦争を積み重ね多くを学んだヨーロッパでは、ECが生まれ協調路線も出てきています。

このような時代こそ、中谷先生が指摘されているように、日本人のローカルな価値観は、グローバルに大きな価値を持ってくるのではないでしょうか?

 

ところで1942年生まれの中谷先生が「新自由主義」の旗手と言われたのは、60歳前後の頃。今年、中谷先生は66歳です。

本書では改革が全て否定されているわけではありません。例えば本書では、既得権益構造の打破などは、正当であったと述べています。

しかし、

—(以下、p.21-22より引用)—-

…その後に行われた「構造改革」と、それに伴って急速に普及した新自由主義的な思想の跋扈、さらにはアメリカ型の市場原理の導入によって、ここまで日本がアメリカの社会を追いかけるように、さまざまな「副作用」や問題を抱えることになるとは、予想ができなかった。

この点に関しては、自分自身の不勉強、洞察力の欠如に忸怩たる思いを抱いているのである。

—(以上、引用)—-

と述べられておられるように、自分の半生とも言える30代から60代前半までの生き方を、60代後半になってから否定することは、なかなかできないことなのではないでしょうか?

このような姿勢に、自分の過去の業績に囚われずに常に真理を追究し、よりよい世の中の実現を見据えている研究者としての中谷先生の姿勢を見たような気がします。

常に考え続け、積極的に問題提起と具体的な解決策の提示を行い、自分に誤りがあれば率直に認め、正していく、という弁証法的な姿勢は、よりよき世の中を実現するためには大切なことではないでしょうか?

師の背中で教えられたような気がします。

この姿勢、私も是非学び続けていきたいと思います。

日本と欧米コミュニケーションの違いは、”Good question”と言えるかどうか

私は常々、世の中のほとんどの問題はコミュニケーションがうまく行かないことに起因しているように感じています。

コミュニケーションを通じて自分の考えが相手に正しく伝わったり、逆に相手の考えが正しく分かったりすると、多くの問題は解決できるように思います。

ビジネスでも、プライベートな友人関係でも、家庭でも、これは共通です。

日本人同士でもトラブルが起こるのですから、文化的背景が異なる日本人と欧米人の間で起こるコミュニケーションによるトラブルは結構深刻なものがあります。

 

私は外資系企業に二十数年前に入ってから、常に仕事で欧米人とコミュニケーションしてきました。

その経験で、ビジネスで議論を進める際に、日本と欧米の違いについて感じてきたことを書きたいと思います。

 

一般に欧米の人達は、普段はとってもフレンドリーで気さくです。

しかし議論の場になると、まるで人が変わったように、対立した議論を徹底的に行います。

なぜ、彼らは対立する議論を好んで行うのでしょうか?

それは、弁証法的な考え方がベースにあるからです。

弁証法とは、正反対の意見を含めて議論し尽くすことで、新しい価値を生んでいくプロセスです。

よく「正・反・合」で例えられる通り、「正の意見」に「反の意見」をぶつけて、両者を「合せて」新しい価値を生み出します。

つまり、弁証法的な議論で、意見を対立させてぶつけあい、そこから生まれる違いから解決策を見つけるスタイルで進めるのが欧米型の議論です。

 

コンセンサスを重視する日本人からすると、このスタイルにはなかなかついて行けません。

一般的に日本人同士の議論は、対立は避け、お互いの立場を理解しようとし、コンセンサスを生みだすことで議論を進めます。

1500年近く前に「和をもって尊しとなす」と言われた考え方は、日本人の身に染みているのでしょう。

その違いを端的に表すのが、対立意見に対する態度です。

欧米の場合、対立意見は基本的によきことです。

従って、自分の論理で欠けた部分を指摘されると、"good question"と答え、その部分がまだ定まっていないことを受け入れ、相手の論理が正しいと判断すると組み入れます。

日本の場合、コンセンサスを生むことが議論の目的なので、極端な言い方をすると対立意見は基本的に歓迎されません。

従って対立意見が来たら、真っ向からそれを否定したり、無視したり、「空気読め」「もしかして、KY?」と言ったり、と、いろいろな反応をします。

 

この両者、一概にどちらが正しいという訳ではありません。

ただ、議論を収束するスタイルが違うだけです。

しかし、欧米系の議論をする場に、日本的な議論スタイルを持ち込むと、結構トラブルが発生します。

同様に、日本人中心の議論の場に、欧米人が加わって欧米系の議論を持ち込むと、勝手が違うので、欧米人はとてもジレンマとストレスを感じているようです。

最近、ある外国人に言われた次の言葉が、このことを端的に語っています。

「一体全体、お互いに意見を対立しあわずに、日本人はどのように議論を進めて結論を出しているんだ?」

ただ最近、欧米人の間でも、日本人的な議論スタイルを行う人もチラホラ出てきたような気がします。日本型議論を行う必要に迫られた人達が、日本のスタイルを学んだ結果なのかもしれません。

 

いずれにしても、欧米系議論をする必要に迫られたら、まずは対立する意見に対して「good question」といったん受けた上で答えることから始めたいところです。

外資だからこそ、日本人のアイデンティティを意識する

大木さんが『外資系勤務は看板?』、高橋さんが『「外資系」ということの、優越と憂鬱 「出ない杭は、腐る」』という良エントリーを書かれています。

私も外資系企業しか(というか日本IBMしか)経験がありません。

私自身は、「IT企業で働いている」とか「外資系企業で働いている」という意識よりも、「IBMという会社で働いている」という意識の方が強いですね。

その意味では、「三菱グループで働いている」とか「松下グループで働いている」という意識に近いのかもしれません。

ただ、恐らく日本企業で働く場合と違うのは、IBMという会社で働いていて、学生の頃よりも、日本人のアイデンティティとは何かをより強く意識するようになったことです。

学生の頃から、山本七平の本や海外の日本について書かれていた本を読んだりして、「日本人とは何か?」を意識していました。

しかし、実際の仕事で海の向こうの人達と仕事をしていると、日本ではあうんの呼吸で伝わる話が伝わらなかったり、ロジックの権化のような人がいたり、一方でアジアの国ではロジックが全く通じなかったり、という経験を沢山させていただきました。

このような経験もあって、「日本人とはなんだろう?」ということは、学生の頃の耳学問から離れて、かなり身をもって体験できる環境にいました。

同時に、日本人としてのナショナリズム、というか、大げさに言うと「彼らに対して、自分は日本を代表している(のかもしれない)」、というような感覚をかなり意識するようになりました。

現在も日本に来ている外国人と一緒に仕事をしていますが、彼らも日本人とのコミュニケーションに、色々なジレンマを抱えながら仕事をしているようです。

あちら側ではあちら側の悩みがある、ということですね。

こんな彼らの悩みを聞く時、今まで私がこちら側で体験し考えてきたことを、あちら側の彼らに話すと、ちょっとだけ彼らとの距離が縮まったりします。

結局、こちら側の日本人でも、あちら側の外国人でも、根のところはそんなに違いはないのではないか、というのが、最近の思いです。

老衰する日本の農業と、危機的な日本の食料自給状況

私の父方の祖父と祖母は、神奈川県と山梨県との県境で農業を営んでいました。

祖父と祖母は8人の子供(父+叔父+叔母)をもうけました。

昭和20年代後半の祖父の家は、働き盛りの祖父母を中心に元気な8人の子供達が生活し、とても活気があったと思います。

8人の子供達のうち、7人は都会に出て、会社員や公務員になりました。

昭和30年代中頃に、父と母が出会い、東京オリンピックの2年前に私が生まれました。

私が小学生だった昭和40年代には、夏休みや正月等によく祖父の家で過ごしました。茅葺の大きな家に大勢の従兄弟達も集まり、川辺でバーベキューをしたり、虫を採ったりして遊んだ、楽しい思い出があります。

働き者の祖父は、畑仕事をする傍ら、林業も営んでいました。

この頃は、祖父の家も活気がありました。

祖父は、15年程前に88歳で亡くなりました。

葬式は祖父の家で行いました。土葬でした。葬式を取り仕切って下さった村の方が、「村の若い衆がお墓を掘っているから」と言っていました。「若い衆」と言っても、皆さん50歳以上でした。

5年前に、両親や叔父・叔母達と一緒に、梅を取りに行ったことがあります。

子供の頃は、人が沢山いた記憶があったのですが、この時は人影はまばら。ほとんど誰とも出会いませんでした。

梅林には梅が沢山生っていましたが、雑草も沢山生えていました。考えてみると誰も手入れをしていないので、100%オーガニックでした。

叔父の1人は祖父の家に残っていましたが、昨年事故で亡くなりました。

98歳になる祖母は現在、横浜の老人ホームで毎日を過ごしています。7人になった息子と娘達は代わる代わる見舞いにやってきます。

一方で、祖父の家の畑は誰も耕すこともなく、現在は耕作放棄地になっています。

 

このような姿は、日本の農業を象徴しているようです。

『「老衰」へ向かう日本の農業』という記事に掲載されている数字を見ると、衝撃です。

農業従事者総数:224万0672人

39歳以下 4.9%
40-49歳 8.1%
50-59歳 17.1%
60-69歳 30.0%
70歳以上 39.9%

2000年から2005年の変化
総農家数 3,120,000戸⇒2,838,000戸 (-9.0%)
耕地面積 4,830,000ha⇒4,692,000ha (-2.8%)
耕作放棄地面積 343,000ha⇒385,000ha (+12.2%)

(「2005年農林業センサス」から引用)

農業従事者の70%が60歳以上で、40歳以下がわずか5%、という数字の意味するところは、

■今後20年で急速に農業従事者が減少する。
■40歳以下の若い世代へのノウハウ伝承が全く行われていない。

農業従事者が半数になる可能性もありますし、ノウハウ伝承に至っては、IT業界で言われていたいわゆる「2007年問題」の比ではないですね。

5年間で耕作放棄地が12%も増えているのは、その先行指標であり、この数字は爆発的に増えてくる可能性があります。

 

この状況が進むとどうなるのでしょうか?

農林水産省のページによると、2003年の主要先進国の食料自給率は下記の通り。日本はダントツに低い数字です。

オーストラリア 237%
カナダ     145%
アメリカ    128%
フランス    122%
スペイン     89%
ドイツ      84%
スウェーデン   84%
英国       70%
イタリア     62%
オランダ     58%
スイス      49%
日本       40%

現在の日本の食料自給率は39%ですので、2003年の上記の数字からさらに下がっています。

このままでは、10-20年後には食料自給率は20%を切ることも予想されます。

将来、様々な理由で食料の輸入がストップする事態が考えられます。

輸出国の禁輸措置、日本の相対所得の低下、グローバルな配送機関の停止、等。

大規模な戦争が勃発したり、新型インフルエンザが大流行すれば、一気にリスクが高まります。数十年間の単位で考えると、このようなことが発生する可能性は非常に高いと思います。

このような場合に、周りを全て海で囲まれている食料自給率20%で1億2000万人を抱えている国で何が起こるか。

想像すると、慄然とします。

 

「では、そう言うお前は、父親の実家を継いで、農家をやるのか?」

と問われても、既にこちらで生活を築いてしまった私には、できません。

恐らく同じ立場にある、多くの人が同じでしょう。

だから皆、この問題に積極的に触れたがらないのかもしれません。

しかし、問題を回避しても問題は去ってくれません。

問題は問題として認識し、どのように取り組むべきかを議論することは必要なのではないでしょうか?

そしてマスコミ各社には、このような問題をもっと掘り下げて提起することを期待したいところです。