永井孝尚ブログ
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運は待ってもやってこない

「あー、自分は運が悪いなぁ」と嘆きたくなる時ってありますよね。
いいご縁に恵まれて成功する人を見て、「自分にもいい運が巡ってこないかなぁ」と思う時もあります。
こんな時は、成功した人を観察することですね。
実際に成功した経営者の多くが、「私は運が良かった」と語っています。
ダイソー創業者・矢野博丈社長は、日経ビジネス2017.12.11号で、こう述べています。
『昔は入社式で新入社員に「この会社、いつ潰れるか分からん」って言っとりました。最近は言うのをやめました。今は「運を付けなさい」と言っています。ワシは運が良かったんです。』
松下電器創業者の松下幸之助さんは、こう言っています。
「今日までの自分を考えてみると、やはり、90パーセントが運命やな。しみじみ運命やと思うな」
お話を聞くと、この二人は運が良かったように思えます。
一方で京セラ創業者の稲盛和夫さんは、創業時は悲運の連続でしたが、こう言っています。
「絶対に自分の将来は不幸だと思ってはなりません。自分の未来にはバラ色の幸運が待ち受けていると信じることが大切です」
さらにマクドナルド創業者のレイ・クロックは、こう述べています。
「幸運は汗への配当だ。汗をかけばかくほど、幸運を手にできる」
この二人の話を聞くと、どうやら運は待っていても、与えられるモノではなさそうです。
実際には「運が良かった」と言うダイソーの矢野社長も、かなり苦労されています。「食べることができれば…」と考えて起業したものの、会社がつぶれかけたり、夜逃げしたりして、40歳まで実家に生活の面倒を見てもらっていました。「自分は能力がないから、一生懸命目の前のことをやる以外に手がなかった」と述べています。こうした積み重ねの上で「運が良かった」とおっしゃっているわけです。
「90%が運命やな」という松下幸之助さんも、創業時は病弱で逆境の連続。身近にいた義弟の井植歳男さん(のちの三洋電機創業者)は、「働く熱意は人並み外れているが才能は平凡」と言ったほどです。しかし逆境のたびに危機をチャンスに変えて成長しました。
彼らは運を待つのではなく、運に働きかけているのです。
過去に起こったことは、どう転んでも変えられません。しかし未来は変えられます。
そして過去は変えらませんが、過去の解釈ならば、私たちの考え次第でいかようにも変わります。
そうして行動すれば、未来は変えることができるのです。
運がいい人は、そうやって運を作りだしているのです。
そしてそれは、私たちでもできることなのです。
運は待ってもやってきません。
自分で作り出すものなのです。
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朝活永井塾 第74回 『「無知の知」なんて言っていない? 「ソクラテスの弁明」』を行いました
4月5日は、第74回の朝活・永井塾。テーマは『「無知の知」なんて言っていない? 「ソクラテスの弁明」』でした。
「ソクラテス? 仕事やマーケティングとぜんぜん関係ないじゃん。そんなの学んでいるヒマないよ」と思いがちですが、実はこれは食わず嫌いです。リベラルアーツ(哲学などの一般教養)を学ぶと、ビジネスの思考力に深みが宿ります。
そしてソクラテスというと、必ず出てくるのが「無知の知」という言葉。
実はコレ、ちゃんとソクラテスを本を読んでいない人が陥る誤解です。
残念なことに世間で「知識人」と呼ばれる人でも、ご著書やSNSで『ソクラテスも「無知の知」といってます』と書いていたりします。
ソクラテスは本を1冊も残しませんでした。
ソクラテスの言葉をまとめたのは、弟子のプラトンです。
国際プラトン学会の会長も務めた世界的なプラトン研究の第一人者である東京大学の納富信留教授は、ご著書でこうおっしゃっています。
『「無知の知」は大きな誤解。海外ではこのような誤解はない』
ソクラテスは2400年も前の人ですが、ソクラテスをちゃんと学ぶことで、現代の私たちがビジネスや日常生活でも陥りがちな誤りについても気付くことができます。
そこで今回の朝活永井塾では、下記の本を使って、ソクラテスの世界をできるだけわかりやすく噛み砕いて学んでいきました。
『ソクラテスの弁明』(プラトン著、納富信留訳)
前回の「道元」が好評でしたので、今回もリベラルアーツ系のテーマを取り上げました。
ご参加下さった皆様、有り難うございました。
【プレゼン部分】


またリアルタイムに参加できなかった方々には動画配信をお送りしました。
次回5月10日(水)の朝活勉強会「永井塾」のテーマは『日本組織の特徴は何か? 中根千枝「タテ社会の人間関係」』です。申込みはこちらからどうぞ。
仮面ライダーが教えてくれる「危機は、飛躍のチャンス」

映画「シン・仮面ライダー」がヒット中ですね。
そのオリジナルが、1971年にテレビ放送された「仮面ライダー」。
当時小学生3年生の私は、本郷猛が変身する仮面ライダー1号と、一文字隼人が変身する仮面ライダー2号に夢中。この世代の男の子たちはほぼ例外なく、何かあるとみな「ヘンシン」と言いながら変身ポーズをしていました。
仮面ライダーが大ヒットした要因はいくつかありますが、個人的には、この「変身ポーズ」とライダー1号・2号の存在だと思います。
しかしこの「変身ポーズ」と1号と2号、当初の設定にはありませんでした。
大トラブルの末に編み出された、実は苦肉の策だったのです。
まず仮面ライダー制作が決定した時点で、2号の設定はありませんでした。
本郷猛(1号)を「藤岡弘、」さん(当時は「藤岡弘」さん)が演じる設定でした。
しかし放送前の第9話・10話の撮影中、オートバイの転倒による大事故で、藤岡さんはなんと全治3〜6ヶ月の重傷を負い、その後の撮影ができなくなりました。
未完成分はすでに撮影済の映像でなんとか繋いだものの、その後の話が続きません。そこで色々な案が出されました。
①本郷猛を、交代させる
②本郷猛は、死んだ設定にする
③いっそのこと、仮面ライダーを巨大化させてしまう
結局「子供たちの夢を潰すのはよくない」「(当時、再起不能と言われていた)藤岡さんの復活を待とう」ということになり、本郷猛は海外のショッカー支部との戦いに赴くことになり、後を継ぐ者として、一文字隼人の仮面ライダー2号が登場する設定になりました。
ちなみに一文字隼人役の候補には三浦友和さんも選ばれたのですが、三浦さんの所属事務所が断り、藤岡さんと同じ劇団に所属する佐々木剛さんが演じることになりました。
また当初、藤岡弘さん演じる本郷猛は、仮面ライダー1号に変身する時はバイクで加速し、その風をベルトで受けて、仮面ライダーに変身する設定でした。
しかし2号を演じることになった佐々木さんは、バイクの免許を持っていませんでした。これでは「バイクで加速して変身」ができません。
そこで編み出されたのが、あの手を大きく回す変身ポーズ。
これが社会現象になって、日本中の子供たちが変身ポーズをやるようになりました。こうして小学4年生だった私も、変身ポーズをやっていたわけです。
自分が仮面ライダーのプロデューサーで、主役の藤岡さんが事故で半年入院とか、代役がバイク乗れないという事態に直面することを想像するだけで、思わず頭を抱えたくなります。恐らく当時の製作陣も全く同じだったのではないでしょうか?
こんな時、「ヤバいなぁ。どう考えてもコレ、詰んでいるよね」と思いがちです。
しかしこんな時こそ、知恵の出しどころ。諦めなければ、解決策があるのですね。
「危機は、飛躍のチャンスになりうる」ということを、仮面ライダーのプロジェクトは教えてくれます。
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徹底して本物を追求する、誉田屋源兵衛の世界
*** 今回はあえて画像は外しました ***
日本経済新聞夕刊で2023年3月27日〜31日に連載していた「【人間発見】誉田屋源兵衛 十代目 山口源兵衛さん」は、実に読み応えがありました。
連載第1回目は、こんな紹介文から始まります。
「1738年創業、京都市室町に本社を構える誉田屋源兵衛の帯は、日本の美と技巧の粋を尽くす。生みの親は当主の十代目山口源兵衛さん(74)。国内外に熱狂的信奉者を抱える業界の異端児は今、技術承継の難題に対峙する。」
妥協せずに徹底して本物を追求し続けるその姿勢は、読んでいて思わず背筋が伸びます。
たとえば数百年前の安土桃山時代の能衣装は、色遣いも表現もすごく、今の西陣では再現できません。原因はコストダウンです。
源兵衛さんは「なんで今の西陣はでけへんのや、と情けなくなった。」と嘆きます。
そんな源兵衛さんが作る帯や着物は、英国ヴィクトリア&アルバート博物館の永久収蔵品としても提供されていますが、こうも付け加えています。
「ものすごいええもんは博物館の人に見せてへん。持っていかれたら困るからや。若い人らが実物を見たい時、俺の手元になかったらどないすんねん。」
源兵衛さんの悩みは、跡継ぎです。
それも「自分を無視できるような」跡継ぎです。
そんな源兵衛さんは、日本の美意識を世界や若い人に伝えるために、インスタグラムで30秒の動画を作り始めています。kondayagenbeiというIDです。
源兵衛さんは、こうおっしゃっています。
「職人さん以外は、一度見ただけじゃ何言ってるかわからんやろな。けど若い人には、これを見て何かを感じてほしいんや。」
源兵衛さんの「ほな、言うたろか」という言葉で始まる観念的な独白と映像は、必見です。是非ご覧いただきたいので、文字にすると陳腐になってしまうことを承知の上で紹介すると、第一回目はこんな感じです。
ほな言うたろか。
全ての文様には
意味があったんや
この着物はな、
破れ格子や
倒幕の柄や
破るは、
壊すや
変わることが
生きることや
ご興味がある方は、ぜひ日経の連載記事と、インスタグラムの動画をご覧いただければと思います。
誉田屋源兵衛のホームページも素晴らしいですよ。
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他は割とどうでもいいけど、大事なのは首尾一貫性

私はIBMで駆け出しマーケターから経験を積み始めただった頃の話しです。
IBMには昔からプロフェッショナル認定制度がありました。
部下がいなくても、専門分野のプロフェッショナルとして認定されれば、役員待遇になったりする制度です。当時新設されたばかりのマーケティング職でもこのプロフェッショナル認定制度がありました。そこでこの認定に挑戦しました。認定されれば部長職になれます。
しかしなかなか受かりません。「三度目の正直」と思って挑戦した三回目も見事落ちました。
この認定プログラムは何段階もステップがあります。その中のペーパーテストが難関で、3回挑戦して全滅でした。このテストはハーバード・ビジネススクールのケーススタディをIBM用に書き換えた事例が出されて、その戦略を3時間以内に作成して答える、という問題が出されます。
このプログラムは世界全体のIBMで行われました。
不思議なことに、日本人の合格率は10%、海外では40-50%なのです。
「英語のハンディがあるからでは?」という話もあって対策したのですが、変わりません。
私はたまたま、過去の海外のIBM社員の合格答案と、日本人の不合格答案を見る機会がありました。これで分かりました。
合格している人が書いた戦略は、こんな感じです。
・戦略の全体の方針を決める(例:顧客に最高の価値を届ける)
→その方針の下で分析して、基本戦略を決める
→その基本戦略に基づいて、各施策(製品戦略/価格戦略/販促戦略/チャネル戦略)を決める
→各施策は首尾一貫させる
→そして各施策の達成状況をモニターする方法も明記する
戦略自体はスゴいことは書いていません。当たり前のことを当たり前に書いているだけです。しかし首尾一貫しています。要は、「凡事徹底」なのです。
不合格な人(多くの日本人)が書いた戦略は、こんな感じです。
・いきなり各施策を説明する。
・施策は凝りに凝っている。スゴいアイデアも結構ある。
・しかし各施策は首尾一貫していない。
・そして、そもそも基本戦略が弱い。結局、何をしたいのかが分からない
各施策のアイデア作りにものすごく力を入れていることは伝わってくるのですが、バラバラなのです。そして実行段階のモニタリングにいたってはほとんどノータッチ。
審査する側の視点で両者の答案を比較して、「なるほど、これでは落ちる筈だよなぁ」と、不合格の理由がよくわかりました。(ちなみに私はこのことが分かったので、再挑戦して無事認定されました)
単なるペーパーテストの話ですが、これはビジネスでも極めて大事なことだと思います。
一生懸命やってスゴいアイデアも出すのに、なぜか成果が出ない人がいます。
一方で地道にコツコツやっているだけに見えるのに、いつの間にか成果が出る人がいます。
前者の人は、努力の方向性が間違っているのです。
本当に必要なのは、後者の首尾一貫性なのです。
もちろん、戦略のスジがいいことは大前提です。しかしその上で、首尾一貫して全体が繋がることを意識して、凡事徹底することが何よりも大事なのです。
ところで、この不合格体験で「首尾一貫性の大切さ」を学んだことが、今では自分の大きな財産になっています。思い返せば不合格のたびにガックリと落ち込みましたし、「もうやめようかな」とも思いましたが、挫折経験から学べることは実に多いですね。
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