昨日のブログの続きです。
引き続き、ナゴヤラジオでのエアウィーヴの高岡本州社長(当時)のインタビューから引用してまとめます。(詳しく知りたい方は、リンク先のインタビューをお聴き下さい)
発売初年度の2007年に180枚しか売れなかったエアウィーヴは、どのように戦略を進化させていったのでしょうか?
—(以下、引用)—
初年度の2007年、販売した180名の顧客のうち、反応が来た顧客があった。アスリートだった。
そこで「アスリートはいいモニターになるのでは」と考えた。
その翌年の2008年、北京オリンピックがあった。オリンピック選手は4年に1回のチャンスに、すべてのものを犠牲にしてチャンスに向かう。そこで「一番尖った人のフィーリングが欲しい」と思った。
既に製品としてのエアウィーヴには自信を持っていたので、「決勝の前日にエアウィーヴを選ぶようにしてもらいたい」と考えた。
—(以上、引用)—
初年度180名にしか売れなかったエアウィーヴですが、その中からアスリートというリアルな顧客の反応を得て、その検証結果を元に、「アスリートはいいモニターになるのでは」という新たな仮説を立てています。
「顧客から愚直に学ぶ大切さ」が、このエピソードからもわかります。
「顧客から愚直に学んでいる」のですが、「顧客の言いなり」になってはいない点が、とても重要です。
これも、「快適な睡眠を提供できる」という仮説を、販売前に試作品でユーザーに事前に確認し、確信を持った上でのこと。
自社ならではの仮説をキチンと持ち、その仮説を検証して新たな仮説を立てて、さらに新たな仮説を検証することが必要であることが、エアウィーヴのこの取り組みからもわかります。
エアウィーヴの挑戦はさらに続きます。
—(以下、引用)—
オリンピックアスリートに使ってもらうために、国立スポーツ科学センター(JISS)の低酸素室80部屋のうち半分の40部屋にエアウィーヴを入れた。するとエアウィーヴを入れた部屋に寝た選手から、「明らかに違う」との反応があった。
そして2008年の北京オリンピックで水上・陸上の選手が使った。これが一番最初の大きなきっかけだった。
嬉しかったのは、北島康介選手が金メダルを掲げて成田空港に降り立った際に、カートの上にエアウィーヴがあったこと。
「やった!これで売れる!」と思った。
しかし若干報道されたが、世の中で話題になるほどではなく、売上には繋がらなかった。
実績があっても、こちらからキチンと伝えないと、売上には繋がらない。当時の当社には、その能力も知見もなかった。
「いいモノを作れば売れる」と思っていたが、それでは売れないことがわかった。
このようにして、2008年も伸び悩んだ。
—(以上、引用)—
つまり、2007年に「アスリートがいいモニターになる」と考え、翌年2008年は数多くのオリンピック選手が使ったものの、まだ売上には繋がらなかったということです。
しかしこの年、北島康介選手が使うなど、その後のビジネスが伸びる芽が、確実に植えられています。
また、「アスリートに使ってもらい話題を作るだけでは、まだ不十分だ」「まだ能力が足りない」という新たな学びも得られています。
エアウィーヴの戦略は、さらに進化していきます。
—(以下、引用)—
北京オリンピックでオリンピック選手約70名がエアウィーヴを持っていったが、それだけでは認知は広がらなかった。
また北京オリンピックのスポンサーではなかったので、広告では「オリンピックで使った」という実績は出せなかった。
第三者にで発信してもらうことが重要であり、「PR活動が必要だ」と痛感した。
そこで北京オリンピックの後、「PRをキッチリやろう」と考え、PRチームを作り、加えて(外資系化粧品会社などの日本法人社長を務めたブランディングのプロの)田所邦雄さんにアドバイザーとして加わっていただき、広告主体からPR主体で実績を話すように変えるようにした。
しかし当時話せるネタは北京オリンピックくらいで、しかも既に終わった話だ。
2010年2月のバンクーバー冬季オリンピックがあった。この時、選手の間でエアウィーヴの話が伝わっていた。2009年の秋にスキーのトレーナーにエアウィーヴを紹介したところ、気に入っていただき「是非使いたい」という話になった。
その話を受けたところ別のトレーナーにも話が行き、広がっていった。
ただ会社として資金負担がある。北京で売上に乗らないという苦い経験もあったし、経営も厳しいかったので、実はあまり乗り気ではなかった。しかし、日本人としての血が騒ぐ。
2009年末にスキーやスケートなどの要請があった選手に全て提供した。その中に、その後エアウィーヴのブランドアンバサダーとなる浅田真央さんもいた。
結局、日本選手100人中7割が自分の意思でバンクーバーに持っていった。このことは広告契約はしていないが、マスコミに事前に紹介できた。
そこでTV局から「こんな話聞いたんだけど」と取材要請があり、若干テレビでも紹介され、店舗にも活況が出た。
—(以上、引用)—
「アスリートはいいモニターになるのでは」と考えたのが、2007年。
ひらすら仮説検証を重ねて、取り組みを続け、目に見える成果が出始めたのが、2010年。
つまりここまで3年間かかっていることになります。
ひたすらリアルな顧客に対して愚直に仮説検証しながら学んでいく大切さは、ここからもわかるのではないでしょうか?
エアウィーヴのビジネスは、ここから徐々に加速していきます。
—(以下、引用)—
また、「航空会社のファーストクラスでは是非使って欲しい」と考えて、2009年から航空会社と話を続けていた。
2010年4月から、全日空の国際線ファーストクラスのマットレスパットとして採用した。
さらに2010年6月、サッカーワールドカップの代表選手向けにエアウィーヴを30本渡した。
このようにして「バンクーバーオリンピック」「全日空ファーストクラス」「サッカーワールドカップ代表選手」の3つの採用実績を、PRに乗せることができた。
これで話題になり、少しずつ一般ユーザーの売上が伸びるようになった。
売上が上がると、寝具売場のスペースも拡げていただけるようになった。2008年は売場の角にある棚の端っこだったのが、ベッド1台、さらに2台、と徐々に広がっていった。
—(以上、引用)—
このように、エアウィーヴの好循環が回り始め、驚異の売上成長に繋がっていきました。
高岡会長は、寝具市場の難しさについても語っておられますので、ご紹介します。
—(以下、引用)—
従来の寝具は、寝具が必要な人が、予算・お得感・触感・ブランドで判断して決める。寝るのは買った後になる。試し寝はしない。だから商品同士を比較することはない。つまり顧客は実際に寝てみた結果で商品の優劣を判断できない。ここが特殊である。
一方でエアウィーヴが重視しているのは、買った後のリピーター。たとえば奥さんが買って、ご主人や子どもに勧める、といった形だ。
このためプッシュ型ではなくプル型マーケティングを展開している。つまり、「買いたい」というお客さんに来てもらうようにしている。
実際にエアウィーヴを使ってみると、早い人は一晩寝れば効果がわかる。遅い人でも1週間でわかる。日曜日に遅寝すると普通は疲れるが、エアウィーヴでは疲れないからだ。そのことを、実際に買って寝る前にわかるようにすることが必要だ。
このような特性があるので、我々はうまくできたけれども、寝具市場は、新規参入は非常に難しい市場だ。
—(以上、引用)—
この「寝具市場の難しさ」は、恐らく既存の寝具メーカーにとっては、当たり前になっていたのでしょう。
一方で寝具市場で急成長を続けているエアウィーヴは、寝具市場への新規参入者です。新規参入者だからこそ、既存の枠組みや考え方に囚われずに、新しい取り組みを展開できたのでしょう。
しかし新規参入者だから既存の枠組みに囚われずに挑戦できるということは「言うは易し」ですが、ここまででご紹介したことからもわかるように、実行するのはとても大変です。
そのカギは、やはり「自社の強みを見極めて」、「ターゲット顧客」「その顧客の課題」「解決策」の仮説を立てて、愚直に顧客に検証し続けることなのです。
実はエアウィーヴは、ここまでの取り組みの延長で、一流のブランド作りにも成功しています。
次回は、いかにエアウィーヴが一流のブランド構築をしてきたかについてご紹介していきます。
【ブログ連載】6年で売上100倍→120億円!驚異のメーカー・エアウィーヴ
(1) エアウィーヴの凄さは何か?
(2) 200枚の試作品は大好評。そして初年度4000万円を投入。しかし売れたのは1000万円
(3) 急成長の舞台裏で、2回の転換を行っていた
(4) 飛躍のきっかけは、オリンピック選手の実績をベースにした、PR主体の情報発信